夢の中で
彼はいつも追い詰められていた。
夜のように暗く
どこまでも赤く燃える空の下。
炎を纏った怪鳥が
上空を滑空しながら
彼を嘲笑うように追い回していた。
その怪鳥は
まるで遊ぶかのように
鋭く伸びた鉤爪を掠めさせ
青年の間近を幾度となく通り過ぎていく。
その度に風圧が巻き起こり
足元の地が割れ
青年の華奢な身体は
煽られながらも懸命に走り続けていた。
青年の姿は
初めて夢を見た時から変わらない。
背中まで伸びた漆黒の髪は
緩やかな三つ編みで纏められ
動く度に風を孕んで揺れている。
白磁のような肌
細い手足
胸元まで開いた黒衣が裂けては翻る。
まるで女性と見紛う程の美しさ。
だが
その顔には常に怯えがあり
澄んだアースブルーの瞳は
恐怖に震えていた。
何度も夢で見てきたその光景――
青年が何かから逃げ
怪鳥に弄ばれ
やがて地に這いつくばる。
夢の中で、結末は常に同じだった。
怪鳥はついに彼の背後を取り
鋭く巨大な鉤爪で
背を貫くようにして押し倒す。
地面に組み敷かれた青年の背中に
燃えるような激痛が走る。
爪が皮膚に食い込むと同時に
焼け爛れるような焦げた音が響き
辺りに焦臭が立ち込めた。
引き裂かれた皮膚の下からは血が噴き出し
筋肉が裂ける音が耳の奥に残る。
アースブルーの瞳が見開かれ
やがて震えながら涙を溢れさせる。
喉の奥から漏れ出た悲鳴は鋭く
頭を突き刺すように響き
彼自身の胸にまで痛みが蘇る。
その時――
「⋯⋯無駄な苦痛は、いらん⋯!」
どこかで、誰かの声がした。
青年が朦朧とする意識の中で振り返ると
そこには彼を見下ろす人物が立っていた。
腰まで流れるような
絹糸のように艶やかな金髪。
かつて彼が〝美しい〟と思ったその姿。
燃えるような深紅の瞳は
優しさも温もりも湛えていたはずだった
――だが、今は違う。
その髪には返り血がこびりつき
硬く固まっている。
目元からは一切の感情が消え
ただ冷たい光が宿るだけ。
まるで、人ではない何か。
無機質な人形のような――
否、〝絶望そのもの〟の化身のように
青年を見下ろしていた。
「アリア様⋯⋯何故ですか!?
何故⋯⋯っ!!」
血に濡れた手を伸ばし
青年は声を上げた。
それでもその手は
空を掴むばかりで
アリアは一歩たりとも
近付くことはなかった。
その声とともに
彼の意識は
いつも炎に包まれて終わりを迎える。
世界が崩れ落ちるように暗転し
何もかもが消えていく。
そして――
男は目を覚ます。
寝台の上
天井のシミを見つめながら
荒く息を吐く。
喉の奥には
夢で聞いた叫び声が張りついたまま
肺を圧迫しているようだった。
全身がじっとりと汗に濡れ
冷たい空気が体温を奪っていく。
(彼はきっと⋯⋯
最期に、恨み言を吐きたかったのだろうな)
男は、いつも同じ結論に辿り着く。
夢の中の青年が
あの時、アリアに向かって伸ばした手。
それは救いではなく、疑問だった。
そして
呪いにも似た問いだったのだろう。
男は薄く笑った。
感情が乾いていく感覚が
逆に心地よくさえ思えた。
「⋯⋯もうすぐだ。
もうすぐ⋯キミの願いは⋯⋯叶うんだ」
静かに呟いた声に
誰も応える者はいない。
だが、瞳には涙が滲んでいた。
夢の余韻がまだ指先を震わせ
胸に鈍い痛みを残している。
男はゆっくりとシャツを脱ぎ
寝台を降りて
背中を鏡に向けた。
そこに広がるのは――
引き裂かれたような火傷の痕。
赤黒く
焼け爛れた皮膚が無残に盛り上がり
まるで巨大な鉤爪で貫かれたかのような
醜い傷が、背全体に刻まれている。
それはただの夢ではなく
確かに己の肉体に刻まれた
〝現実〟そのものだった。
男は鏡の中の傷を見つめ
何かに取り憑かれたように⋯⋯嗤った。
長く、くぐもったその声は
夜明けの光すら拒むように
部屋の隅へと沈んでいった。
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