テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
電話で「もう帰る」と連絡を入れてから、しばらくして部屋の引き戸を開ける。 そこには、ホカホカと上気した真っ赤な顔で、浴衣に身を包んだはんちゃんと空が、静かにお茶を啜っていた。
「露天風呂、気持ち良かった?」
元の笑いを含んだ質問に、空からは「露天風呂は入ってへんで。女将さんがすぐに布団敷きに来たから」なんて、その様子からはあり得へんような返事が返ってきた。
……え? じゃあ、二人から溢れ出しているその満足げなホカホカ感と、隠しきれない幸せオーラは何なん?
追求するのも野暮かと思い直し、同じ卓に腰を下ろして、はんちゃんが淹れてくれたお茶を飲む。この後、部屋まで食事を運んできてくれるらしい。
温泉旅館、最高やな。流石、それなりの高い金を払っただけのことはある。
「それより、もとちゃんと元が出て行った後、しばらくして悲鳴が聞こえてんけど。中居さんたちに何かしたん?」
はんちゃんの純粋な疑問に、心当たりがないか記憶を掘り起こす。
「……あー。お姉さんたちが『いってらっしゃい』って手を振ってくれたから、振り返したんやけど。その直後に悲鳴が聞こえたから、ゴキブリでも出たんかと……」
なかなかの音量やったからな。怖すぎて、さっさと元を急かして外に出たんや。
「いや、それ。ゴキブリへの悲鳴じゃなくて、もとちゃんのお手振りへの悲鳴な?」
空が、少し納得がいかないといった顔で口を挟んでくる。
え? 俺、いつの間に韓流スターみたいな扱いをされるようになったん?
「もとちゃん、黙ってたらカッコいいもんなぁ」
「はんちゃん、余計な一言がついてるな?」
「あー、俺も。もとちゃん、喋らんかったらカッコいいのにってずっと思ってたわ」
「おい、コラ、そこのバカップル、ええ加減にしとけよ?」
そういえば、さっきの女将さんも、俺の顔ばかり見ながら旅館の説明をしてくれていた気がする。こういう和風な場所では、他の三人のような可愛らしい容姿より、俺みたいな面長の昭和顔の方が需要があるんやろうか。……まあ、悪くないな。
「……俺はもとちゃん、喋っててもカッコいいと思うけどなぁ」
横からぼそっと、独り言のように元が呟いた。
「…………ありがとう」
不意打ちの言葉に、思わず顔がニヤけるのを抑えられない。今は何より、元の言葉が一番心に深く響く。
やがて、部屋に豪華な食事が届き、俺たちは一斉に手を叩いた。
本来はメインの海鮮がないコースを頼んでいたはずやのに、なぜか四人とも、追加料金なしで最高級の豪華コースに変更されていた。金目鯛の煮付けや、霜降りの和牛が卓を埋め尽くしていく。
「これ、もとちゃんパワーか!? 顔アップグレードなんて初めての経験や!」
空が本気で感動していた。
……よかった。俺の顔が、少しでもみんなの役に立って。
「あー、食った食った!」
満足げに声を上げ、ジャンプの主人公さながらに空が畳へひっくり返った。
「もう食べられへん」と言いながらも、はんちゃんは手元のデザートを口へ運び続けている。甘いものは別腹、というのはどうやら本当にあるらしい。
俺はといえば、心地よいビールの酔いと、すぐ隣に好きな人がいるという幸福感で、意識がふわふわと漂っていた。眠い。あまりにも眠すぎる。これはあかん。このままでは「夜中の大浴場」が、文字通り夢物語で終わってしまう。
「もとちゃん、眠そうやね? お風呂の前に、ちょっと寝る?」
酔いと睡魔の膜を通したような意識に、元の穏やかな笑顔が沁みる。
願わくばこのまま、二人で布団に潜り込んで、まどろみの中で一緒に眠りにつけたらどれだけ幸せだろうか。
「じゃあ、俺ら部屋移動するわ。二人でしっぽりさせてもらいます」
最後のデザートをかき込んだはんちゃんの腕を引いて、空が勢いよく立ち上がった。
……え? ちょっと待て。ここで四人で雑魚寝するんじゃないの?
「……ちょ、ま、え!?」
「じゃあね。部屋の露天風呂、二人で入ってええよ! 俺らは朝にでも入らせてもらうわ」
バイバイと手を振って、はんちゃんが荷物を抱え、嬉しそうに空へ笑いかけている。二人の背中が部屋を出ていくのを、俺はただ呆然と見送ることしかできなかった。
「……何となく、予測はしてたんやろ?」
さっきまで結構なペースでビールを飲んでいたはずの元が、素知らぬ顔でくくく、と喉を鳴らして笑っている。
「え、いや。空、ここに荷物置いてたし」
「流石にこの雰囲気で、四人で雑魚寝はないやろ」
いや、酔っていないようでいて、元も結構回っているな? 笑いが止まらなくなっている様子が、何よりの証拠や。
「……あ、大浴場、行かんで良くなったな?」
「んー。でも、でっかい露天風呂があるらしいから、行くには行きたいなー」
元がふい、と視線を逸らした。
……え、もしかして、部屋の風呂で二人きりになるのを避けてる?
いや、そうやんな。もし、万が一にも良い雰囲気になってしまったら。 待て。俺は何を勝手に良い雰囲気になる前提で考えてるんや。
「意識すらせえへんかった」なんて言われて現実を突きつけられたら、俺の心の行き場はどこにもなくなるというのに。
そう考えれば、当初の予定通り大浴場の方が、心の準備ができる分まだマシかもしれん。
「……そうやなあ。俺も、でっかい風呂の方が嬉しいかも」
「やろ?」
少し眠そうに頬杖をついて、元がこちらを覗き込んでくる。
……あかん。今の顔、めちゃくちゃ可愛い。
これが浴衣姿やったら、もっと色気が増して、俺はどうにかなっていたはずや。先に私服での散歩を選んだのは、理性を守る意味では大正解やったんかもしれん。