テラーノベル
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時計を確認していないので正確に何時とは言えないけれど、恐らく真夜中に近い頃だろう。
芽生が喉の渇きにふと目を覚まして、水でも飲もうとLDKへ向かおうとした時のことだった。
芽生は自分の部屋とは結構離れた位置にある京介の部屋の扉の隙間から幽かに光が漏れているのに気が付いた。
(京ちゃんってばまだ起きてるの?)
そう思って、少し迷ったけれどリビングとは逆サイド――京介の部屋の方へ足を向ける。
(ほらね。寝る前に苦いコーヒーなんて飲んだりするから)
ふふん♪ と得意顔でそろそろと近付いた京介の部屋の前。
「ああ、――で?」
低められた京介の話し声が聞こえてきて、芽生は思わず息をひそめて聞き耳を立てた。
「ってこたぁ、やっぱりありゃぁ、……う……だったのか」
(京ちゃん? 一体なんの話をしているの?)
〝だったのか〟の前が良く聴き取れなかったからだろうか。そのことが妙に気になって、心臓が言い知れぬ不安でトクトクと打ち震え始める。
「あ? そこまで分かっててやった奴の目星がまだ付けられてねぇとか……。千崎よ、お前、それ本気で言ってんのか?」
芽生は今まで京介と一緒にいて、彼がこんな風に怒りを抑えた威圧的な声で話すところに遭遇したことがなかった。
それでだろう。これまでは京介が裏の世界へ身を置く人なのだと知ってはいても、実感することはほぼ皆無だったのだ。
もちろん京介自身からは「俺は『相良組』の組長で、『葛西組』の方じゃ若頭を張らしてもらってんだ」と聞かされていたし、「だからあんまし俺に構ってっと、ろくな目に遭わねぇぞ?」と注意喚起されてもいた。
初めて京介からその話を聞かされた時、芽生は小首を傾げたのだ。
『ねぇ京ちゃんはなんで二つのところに籍があるの? どっちが本業でどっちが副業?』
芽生としては至極単純な疑問だったのだけれど、それは京介をひどく驚かせてしまったらしい。
彼から困ったような顔で見つめられて、『どっちがって言われてもなぁ。あぁ、けどそっか。子ヤギは極道のことにゃ疎ぇーもんなぁ』と吐息を落とされてしまった。
そうして『あー、あれだ。葛西組の方が一次団体っつってな、まぁいわゆる親みてぇなもんだな。俺は葛西組の組長から盃を貰った子だから葛西組の方でも結構優遇されてて若頭までいかせてもらってんだわ。で、親父……あー、葛西組の組長のことな? その人に許可もらって相良組の組長をやらせてもらってんだよ。んなわけで、相良組の方は葛西組の二次団体……ま、平たく言やぁ葛西組の子だな』と丁寧に(?)噛み砕いて説明してくれた。
それを聞いて、要するに葛西組が本店で、相良組が支店という解釈で合っているかしら? と思った芽生である。
(ということは京ちゃんは支店長さん?)
そう考えたけれど、それはそれでなんだかイマイチ分からない。
本店(?)の方の組長さんが頂点ならば、支店(?)の方のトップの名前も組長さんってややこしくないだろうか。
(役職名、変えればいいのに)
そもそも――。
(支店で組長さんやってる京ちゃんと、本店の若頭さんしてる京ちゃんって、どっちが偉いの?)
申し訳ないけれど芽生には理解の範疇を越え過ぎていて、なんのことやらチンプンカンプン。
一次とか二次とか。盃がどうのこうので親とか子とか。
はっきりいって、組長と若頭のどちらが偉いのかさえさっぱり分からなくて混乱しまくりだったから、正直どんなに脅されても京介は京介。それ以上でも以下でもなかった。
それこそ、ちょっと眼付きが悪くて口調が俗っぽいだけの京介は、芽生にとって誰よりも優しくてかっこいい恋慕の対象でしかない。芽生には、それだけがハッキリと理解できる真実だった。
だから、「お前と俺とは住む世界が違うんだよ」とことあるごとに言われていても、「また京ちゃんの屁理屈が始まった」くらいの印象だったのだ。
それがたった今、初めて京介から散々聞かされてきた言葉の真の意味が垣間見えた気がして、芽生の心は迷子になった。
大好きな京介が急に遠くへ行ってしまったような恐怖に、芽生はゾクリと身体を震わせる。
いつもの京介が恋しくて、芽生は盗み聞きしている立場だというのも忘れて、京介の部屋の扉をノックもせずに開けていた。
「京ちゃん!」
「芽生!? お前まだ起き……っ」
京介がこちらを振り返ったと同時、芽生は京介の言葉を遮るようにして、ギュッと彼にしがみつく。京介からは芽生と同じ石鹸の香りに混ざって、いつもより濃い煙草のにおいがした。
芽生は、京介が苛立った時や心配事がある時なんかに紫煙を燻らせる頻度が高まることを知っている。
現に今だって自分に抱きつかれた京介が、芽生に副流煙が及ぶのを気にしてくれたんだろう。手にしていた煙草をすぐそばの灰皿で揉み消したのが見えた。
「おい、子ヤギ、こんな夜中にどうした?」
(京ちゃんこそ、何に対してそんなに苛ついてるの?)
聞きたいのに聞けないもどかしさから、半ば無意識。芽生はまるで幼子がむずかるように京介の厚い胸板へグリグリと額を押し付けた。
先ほどから振動を伴って、京介の低い声が芽生の中へ染み入ってくるのはそのためだ。心配そうに投げ掛けられた声はいつもの聞き慣れた京介の声で、芽生はホッとしたと同時、つい気が緩んで視界を涙で滲ませてしまう。
「きょぉちゃ、ん」
一度自分が泣いていると自覚してしまったら、もう止められない。芽生は京介にぎゅうっとしがみついて、うわぁーんと子供みたいに声を上げて泣きじゃくった。
「え? あ、おいっ。芽生、大丈夫か!? 何があった!?」
そんな芽生を引き剥がせないまま、――いや、それどころかむしろその両肩に手を添えて――、京介が柄にもなくオロオロとした様子で芽生を心配してくれるから……芽生は幸せでたまらないと思ってしまった。
こんな時に不謹慎だけど、大きな身体を折り曲げるようにして芽生の顔を覗き込んでくれる京介が愛しくてたまらない。
さっきまであんなに不安だったはずなのに、今は嘘みたいに気持ちが凪いでいた。
だからだろう。今さら本当の理由を言うのはなんだか恥ずかしく思えて、気遣わし気に自分を見詰めてくる京介へ、どう言い訳しようか頭を悩ませる羽目になった。
「あ……あ、のね、京ちゃっ……私っ……」
思いっきり泣いたせいで、そのつもりはないのにヒクヒクとしゃくり上げてしまう。それをもどかしく感じながら、どう説明しようか考えていたら逆にそれが功を奏したのか、「怖い夢でも見たのか?」と優しく涙を拭われて、芽生は渡りに船とばかりにコクコクとうなずいていた。頬に触れる京介の大きな手から香ってくる煙草のにおいにさえドキドキしてしまうのは、恋心のせいだろうか? それとも京介に嘘をついてしまっている罪悪感からだろうか。
(京ちゃん、嘘つきでごめんなさい)
そう心の中で謝りながら、芽生は京介の服をギュッと握った。
「ひ、とりで寝るのっ、怖、いの。……こ、んやは……ここで寝ちゃ、ダメ?」
怖い夢を見て、つい京介に縋りついてしまった。
そんな体を演じながら京介をじっと見上げていたら、自分でも驚くようなセリフが口をついていた。
きっと京介を一人にしたら、またさっきの〝怖い京ちゃん〟に戻ってしまいそうで怖かったから――。芽生は何とも不埒なおねだりに、懸命にもっともらしい理由を付けた。
***
腕の中でフルフルと震えながら、幼い頃から見知った娘が、大きな目で自分を見上げてくる。
その姿に庇護欲をくすぐられた京介がほぼ無意識、芽生の頬を伝う涙を拭ってやったと同時、「今夜はここで寝ちゃ、ダメ?」とか……。まるで添い寝を求めているとも取れるとんでもない言葉が彼女の口から飛び出してきて、京介は思わず瞳を見開いた。
もちろん、異性から一緒に寝て欲しいと請われたことなんて初めてじゃない。実際その望みを叶えてやったことだって何度もあったし、その見返りにそんな女たちの身体を有難く頂いてきた京介だったが、芽生からそんなことを言われるとは思ってもいなかった。正直物凄い不意打ちを喰らった気分だ。
だが、芽生の泣き濡れた瞳を見下ろして、京介はすぐに自分の考えの愚かさに舌打ちする。
(子ヤギに限って、ンな色艶めいた下心なんてあるわけねぇだろ)
そこまで考えが至るのに、つい熟考し過ぎてしまったらしい。
「京、ちゃん?」
一向にイエスともノーとも言わない自分に、芽生が不安そうに瞳を揺らせる。
考えてみれば今日、この子は長いこと慣れ親しんできた家を焼け出されたばかりではないか。あんまりにも気丈に振る舞うものだから失念しかけていたが、二十歳をほんの数年過ぎた程度の小娘が、そんな一大事に平気でいられるわけがないじゃないか。
家が燃えると言うことは、その中にあった家財道具や大切に保管していたもの、果ては明日以降身に着ける服飾品にいたるまで全て失くしたも同然。なにも思わないわけがないのだ。
ましてや芽生にはまだ言えていないが、あれは放火だ。
ついさっき千崎から『カシラ、神田さんの家の。やはりアレは不審火でした』と案の定な報せを受けたばかりの京介である。だが、肝心の放火犯の目星がついていないという報告に、柄にもなく苛立ってしまった。
出火時、芽生の家にはまるで在宅時のように明りが煌々と点っていたというし、もしかしたら芽生を狙っての凶行という可能性もあると懸念したからだ。
京介はこういう渡世の性で、十中八九そうだと思った。そうして残念なことにこういう野生の勘めいたものは大抵の場合当たる。
(俺の愛人だと思われでもしたか?)
無論京介にとって芽生はそんな対象ではないけれど、周りから見てもそうだとは限らない。
だが、現に京介は芽生のことを実際の情婦達より大切に扱っている自覚はあったし、芽生可愛さに美味いものを食わせに高級料亭へ連れて行ってやったり、変な男が付きそうになればそれとなくガードだってしてきた。そういうのは見ようによっては、特別な女に対する待遇だとも取れるだろう。
(でなきゃ、孤児で、なんも持ってねぇ芽生が狙われる理由なんてねぇだろ)
『カシラ。あの娘をこっちの世界へ引き入れる覚悟がないなら、あまり関わらないようにすることです。でないと、カシラにゃその気がなくてもこっちへ引きずり込むことになってしまいます』
いつか千崎から言われた言葉が今更のようにチクチクと胸を刺すが、起こってしまったことは取り返せない。
とすれば、京介に出来ることは今後これ以上芽生に危害が及ばないよう全力で彼女のことを守ることだけなのだ。
***
「構わねぇよ」
「え?」
「だからここで寝るの、別に構わねぇって言ってんだ」
「……っ!」
自分から言い出したくせに、OKを出した途端真っ赤になる芽生が可愛くて、京介は思わず笑ってしまった。
「何なら後ろから抱き締めて寝かしつけてやろうか?」
絶対に断ると分かっていて揶揄ったら案の定、「それは必要ないっ。京ちゃんのベッドすっごく大きいから、私、隅っこにちょこっと寝かせてもらえたら大、丈夫、なの、で」とゴニョゴニョ言う。
一応年頃の娘らしく、自分に対する警戒心と恥じらいは持ってくれているらしいと分かった京介は、ちょっとだけホッとして……。
「ま、冗談だ。何もしねぇから、安心しろ」
京介はいつも通り。芽生の頭を掻き回すように乱暴に撫でて、「髪の毛ぐしゃぐしゃになっちゃう!」と抗議する芽生を横抱きに抱え上げた。途端、「やん! 京ちゃん、重いから降ろしてっ!」とジタバタする芽生を無視して大股でベッドまで歩くと、足で掛け布団を雑に引っぺがしてから芽生を下ろした。
「寝ろ」
抗議を無視されて怒っているんだろうか。真っ赤な顔で自分を睨んでくる芽生の顔を布団を着せかけて見えなくすると、京介は小さく吐息を落としてベッドから離れた。
腕の中で暴れた芽生を落とさないよう気を付けた時、期せずして触れてしまった芽生の感触が危うく感じられたからだ。
(バカ娘。胸、育ちすぎだろ!)
きっと千崎が芽生の服を持ってきた際、変なことを言ったからに違いない。このところ忙しくて女を抱いていないのもあるだろう。
京介は盛大な溜め息とともに机上の煙草の箱を手に取った。だが芽生がもそもそと動く気配に、そっとそれを元の場所へ戻した。
一瞬別室で吸うことも考えたけれど、一人は怖いと縋ってきた芽生を残して部屋を出る気にはなれなかった。
鷹槻れん

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#極道
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コメント
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読み終わりました……第6話、すごく良かったです。 芽生さんが初めて京介さんの“裏の顔”を肌で感じて、怖くなって縋りつくシーンが切なくて。普段はあんなに天真爛漫なのに、急に遠くに行ってしまいそうで不安になる気持ち、すごく分かります。でもそんな中でも「ここで寝ちゃダメ?」っておねだりする度胸、可愛いすぎますよね。京介さんも、厳しい世界にいるからこそ芽生さんを守ろうとしてるのが伝わってきて、二人の距離がちょっと縮まったけど、逆にこれからが一波乱ありそうな予感でドキドキしました。続きが気になります!