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その夜、栞は夢を見ていた。
──灰色の街。
──血に濡れた手。
──冷たい瞳の少年。
──銃声。
目を覚ましたとき、喉の奥が焼けつくように乾いていた。
額には汗。呼吸は浅く、肩が小さく震えている。
隣のソファに座っていた翠が、音もなく立ち上がった。
「……また悪夢か」
「……っ、ごめん、起こしちゃった?」
「いや。どうせ寝てねぇ」
翠は無表情のまま、コップに水を入れて差し出す。
栞がそれを受け取り、ごくごくと飲み干すまで、彼は何も言わなかった。
やがて、ふとした沈黙の中で、栞がぽつりと口を開く。
「……怖かった。死にかけたこともだけど、それ以上に……信じてた場所から裏切られるのが、あんなに怖いなんて」
翠は黙って、窓の外を見ていた。
しばらくして、まるで独り言のように、語り始める。
「俺も昔、信じてた奴に裏切られたことがある」
「……」
「“家族”ってやつだ。血がつながってるってだけで、信じた。でも──結局、俺は売られた」
栞は息を呑んだ。
けれど、翠はそのまま語り続けた。
静かに、淡々と、まるで傷口を晒すように。
「父親は借金まみれだった。母親は俺を置いて逃げた。ある日、組織の男たちが来て、俺を“連れて行った”。」
「……!」
「“お前には殺しの素質がある”って、そう言って引き取られた。拒む暇なんてなかった。暴力と、訓練と、死体だけが目の前にあった」
「そんな……」
「だから俺は、“殺すことしか知らない”人間になった。誰にも期待せず、誰も信じない。唯一、生き残る方法だったからな」
それが、コードネーム0415。
翠の“誕生日”──初めて殺した日。
「俺にとって、人間の命はただの数字だった。心臓を狙えば沈む。動きを止めれば静かになる。そうやってしか、世界と関われなかった」
「……今は、違うんですか?」
栞の問いに、翠はわずかに視線を落とす。
「さあな。少なくとも……今、こうして話してるお前の声は、数字じゃねぇと思う」
「……っ」
胸がぎゅっと締めつけられた。
こんなにも静かで、こんなにも凍った声で語られる彼の過去が、
痛いほど残酷で、悲しくて、
でも、それを語ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。
「……ありがとうございます。話してくれて」
「別に、お前のために話したわけじゃねぇよ」
「でも、少しは私を信じてくれたってこと、でしょ?」
「……」
翠は無言のまま、視線をそらす。
その沈黙が、確かに“肯定”に聞こえた。
***
その夜、栞は再び眠りについた。
今度は悪夢ではなかった。
彼女の夢の中には、誰かの温もりがあった。
冷たい過去を抱えた男の、背中の温もりが──
そしてその男は、闇の中でひとり、タバコに火をつけながら小さく呟いた。
「……お前だけは、死なせねぇよ。共犯者」
夜風に煙が流れる。
新たな夜明けが、ふたりの絆を少しずつ強くしていく。