テラーノベル
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頭が割れそうに痛い。
(……昨日、そんなに飲んだっけ……)
記憶を辿ろうとして、途中で止まった。
(……あれ?)
横を向いた途端、固まる。
「…………」
少し離れた場所で、昨日の男が安らかな寝息を立てていた。鋭い殺気はどこへやら。子供のように無防備な顔で眠っている。
(やばい)
(完全にやらかした……!!)
***
――時計の針は、数時間前へと巻き戻る。そもそも。 私の人生は、その少し前に一度あっけなく終了していた。
ブラック不動産会社、怒涛の二十連勤。 睡眠時間、平均三時間。そして給料日になれば――。
『今月の振り込み、これだけ? あなたの弟にもまだお金がかかるのよ』
電話の向こうで、母がため息をつく。
「……来月、もう少し送るから」
『頼りにしてるわよ』
会社でも同じ。必要とされるなら、多少無理するくらい、当たり前だと思っていた。
『頑張れば、いつか報われる』
そう信じていた。 なのに――。
深夜に帰宅した私を待っていたのは――見知らぬ女と、三年同棲していた彼氏の姿だった。行くあてもなく、気がつけば職場へ向かっていた。
(……終わってるな、私)
「……とりあえず、仕事しよ」
階段を上る途中で、足を踏み外した。
「あ――」
身体が宙に浮く。やばい、と思った時にはもう遅かった。
「危ないっ――!」
視界の端で、誰かの手が伸びてくる。けれど、その指先はわずかに届かない。
ガンッ!!
焼けるような痛み。 宙を舞う、書類の雨。
「……おい! しっかりしろ!」
遠ざかっていく誰かの声。 ――私の社畜人生は、そこで幕を閉じた。はずだった。
***
「……誰よ、このS級美女は!?」
次に目を開けた時。私は大理石の洗面台の前に立っていた。艶やかなダークブラウンの髪。蠱惑的な紫色の瞳。
そして、非現実的なほど華やかな曲線美。思わず頬をつねる。
「痛っ!」
夢じゃない。
「……バイオレッタ・ウィステリア?」
名前が自然と口からこぼれた。この世界、知ってる。
前世で寝る間も惜しんでやり込んだ乙女ゲーム――『デス・ラバーズ』。天才魔法使いのヒロイン・フローラが、第二王子レオンとの恋を育んでいくロマンスファンタジーだ。
……ただし、その難易度が異常に高い。最大の地雷は、攻略対象ですらない“野獣公爵”アレク。
隠し〈執着度〉が一定値を超えるとフローラを囲い込み、レオンとのハッピーエンドは消滅。最悪、王国を巻き込んだ争いにまで発展する。
(攻略対象じゃない男にちょっと優しくしただけで詰むって、普通気づかないでしょ!!)
その難易度から、プレイヤーたちにつけられた通称は――。『無理ゲー』。
そして、よりによって私が転生したのは──。
ひより
5,062
#主人公最強
伊織
41
#ロマンスファンタジー
百はな🍑
5,547
#ギャップ
ひより
3,490
「……悪役令嬢って、嘘でしょ!?」
原作のバイオレッタは、第二王子レオンに想いを寄せながら、親にアレクとの婚約を決められる。レオンと親しいフローラに嫉妬し、嫌がらせを繰り返す。最後には毒殺未遂事件を起こし――処刑。しかも執行人は、婚約者のアレクだ。
ふと洗面台に視線を落とす。そこには、見覚えのある羽飾りの仮面が置かれていた。嫌な予感が、背筋を駆け抜ける。
(もしかして今日って……)
ゲーム序盤。
バイオレッタが、フローラのドレスへワインをぶちまけ、そこから本格的な破滅ルートへ転落していく――。
(王立魔法学院の入学祝賀仮面舞踏会の夜じゃないのーっ!!)
「はあ……最悪!」
でも、まだ間に合う。今夜やるべきことは三つ。
一、フローラには絶対に嫌がらせしない。
(むしろ全力で愛でたい!)
二、今夜、アレクとフローラを出会わせない。
(執着フラグを粉砕し、推しのハピエンを守る!)
三、アレクとの婚約を破棄して、徹底的に距離を置く。
(将来の処刑執行人と婚約したままとか、怖すぎでしょ!!)
「よし」
ぐっと拳を握る。
「無理ゲーだろうが何だろうが、攻略してやるわ!」
***
仮面舞踏会の会場は、眩しいほど華やかだった。煌びやかなシャンデリア。着飾った貴族たち。一応、全員仮面はつけている。……とはいえ。
(髪色と服装で、だいたい誰だか分かるんだけどね!)
(フローラはどこ!? アレクは!?)
「バイオレッタ様」
「はいっ!?」
突然背後から声をかけられた。 振り返ると、五十代ほどの身なりの良い婦人が立っていた。
(……この人)
乳母のミレーヌ。幼くして母を亡くしたバイオレッタを、父がベラドンナを後妻に迎えた後も、母親代わりとして育ててきた人物だ。
「お嬢様。お顔の色が優れませんわ」
「……そうかしら?」
「きっと、あの娘のせいですわね。フローラ・エミリアでございます」
「!」
(推しが近くにいるってこと?)
反射的に周囲を見回す。
「たかが子爵家の娘ですのに。飛び級の特待生だからといって、随分と調子に乗っているようですわ。レオン殿下のおそばをうろついて……」
ミレーヌは露骨に顔をしかめた。
「お可哀想なバイオレッタ様。旦那様も、よりによってあんな野蛮な男と婚約させるなんて。やはり、お嬢様のお気持ちを分かって差し上げられるのは、わたくしくらいなのでしょうね」
なんだろう。この猛烈なデジャヴ。
(めちゃくちゃ身近なところで見た気がする……)
そういえば原作でも――何度もバイオレッタを煽っていた。
『このままでは、あの娘にすべて奪われてしまいますよ』
(傷口にガソリンぶっかけてた元凶じゃない!!)
「やはり、あの娘には早々に痛い目を――」
その時だった。
「きゃっ!」
「えっ――」
ドンッ!!曲がり角から現れた少女と、真正面からぶつかった。
ガシャーン!!赤葡萄の果実水が、私のドレスへ広がる。
「…………あ」
会場が静まり返った。
『……よりによって、ウィステリア伯爵令嬢に……』
『あの子、終わったわね……』
目の前の少女から、みるみる血の気が引いていく。ふわふわのミルクティーブロンド。透き通るような水色の瞳。
「も、申し訳ございません……っ!」
(フローラああああああああっ!?)
画面越しに何度、擦り切れた私の魂を救ってくれたか分からない最推しが、目の前にいる。
(実物、可愛すぎでしょ!!)
……じゃなくて!めちゃくちゃ怯えてる!
「本当に……申し訳ございません……!」
「なんという無礼を!!」
ミレーヌの怒声に、フローラの身体がビクッと跳ねる。
「たかが子爵家の娘風情が、お嬢様のドレスを……!」
ミレーヌが手を振り上げた。
「この身の程知らず――」
「やめなさい!!」
パシッ!
反射的に、その手首を掴む。
「……お嬢様?」
「やめなさいと言ったのよ。聞こえなかった?」
(私の最推しに何してくれとんじゃ、この毒乳母ぁぁぁぁぁ!!)
……とは叫べない。私はすっと表情を整えた。
「この子には、私が言い聞かせるわ」
「……っ!」
フローラがさらに青ざめる。
「それからミレーヌ。あなたはちょっとこっちへ」
「お、お嬢様?」
バタンッ!カチャリ。
「お嬢様!? 開けてくださいませ!!」
(休憩室なら水も軽食もあるし、大丈夫でしょ)
私は近くの給仕へ告げた。
「舞踏会が終わったら、開けてあげて」
(本日の業務終了まで、強制退席で!!)
***
私はフローラを連れ、人目の少ない廊下へ移動した。
「手、見せて」
「え?」
「グラス、割れたでしょう?」
差し出された右手には、小さな切り傷。
「やっぱり切れてるじゃない」
ハンカチを取り出し、傷口へ巻く。
「あとで医務室で診てもらって」
「どうしたの?」
「……怒らないのですか?」
フローラがおそるおそる私のドレスを見る。
「その……こんなに高価なお召し物を……」
「ああ、これ?」
白かったドレスは、見事に真っ赤。
「こんなの、洗えば済むでしょ」
「……え?」
「私だって前を見てなかったんだから、お互い様よ」
「でも……」
「ドレスなんて、いくらでも替えが利くわ」
私は、彼女の小さな手を包んだ。
「でも、あなたの身体は世界に一つしかないじゃない」
水色の瞳が、大きく見開かれる。その時。廊下の奥に、巨大な黒い影が見えた。
(…………いた)
王国最強の戦争英雄。人呼んで――“野獣公爵”。
(アレク・ベルシュタイン!!)
次の瞬間。頭の中で警報が鳴り響いた。
(まずい!!)
隣にはフローラ。正面からはアレク。
(この二人、今夜は絶対に出会わせちゃダメなんだった!!)
「フローラ!」
「は、はいっ」
「ごめん。今すぐ医務室へ行って!」
通りがかった侍女を捕まえる。
「この子を医務室までお願い」
「かしこまりました」
「で、でも、バイオレッタ様は……?」
「私!?」
迫り来るアレクをちらりと見る。
「今から、人生を賭けた超重大案件があるのよ!!」
「じ、人生を……!?」
「そう!」
フローラが戸惑いながら一歩下がる。けれど。
「あの……」
「なに?」
「また……お会いできますか?」
不安そうな上目遣い。
(か、可愛い……!!)
「もちろんよ」
「……っ!」
フローラの顔が、ぱあっと輝いた。
「絶対ですよ!」
振り返りながら、侍女と去っていく。
(可愛い……尊い……)
――じゃなくて!問題はこっち!!
アレクが、まっすぐこちらへ歩いてくる。
(ていうか、仮面舞踏会なのになんで黒の軍服なの!?)
(正体隠す気ゼロじゃない!!)
鋭い視線が、私を射抜く。王国最強を力ずくで止める?いや、無理。
ふと、壁の鏡に映る自分を見る。絶世の美女。正面から来るのは――顔だけなら文句なしの超絶イケメン。
「…………」
その瞬間、とんでもない答えが浮かんだ。
(倒せないなら――落とせばいいのよ!!)
私は通りかかった給仕から、赤ワインのグラスをひったくった。
ぐいっ!一気に飲み干し、お盆に戻す。
(シラフでフラグ管理なんかできるかっての!!)
覚悟を決め、アレクへ向かってずんずん歩く。黒くて大きくて、ちょっと怖い。なのに――。ワインが回り始めた私の脳は、なぜかまったく別のものを連想していた。
「なんて大きなテディベアちゃんなのかしら!」
「な……っ!」
琥珀色の瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれた。
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