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まあ
37
#5等分の美男子
第3話:綻びる境界
昨夜、リビングの明かりの下で見つめた母親の背中。そこにまとわりついていた淡い黒い靄が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
「――おい凪、生きてるかー?」
頭の上から呑気な声が降ってきて、凪は弾かれたように顔を上げた。
視界に飛び込んできたのは、親友でもある優弥の顔だ。
「なんだよその顔。ゆうべ遅くまでゲームでもしてたのか? クマすげぇぞ」
「……いや。ちょっと寝付きが悪かっただけだ」
凪は曖昧に誤魔化しながら、机の上に置いたノートを力なく閉じる。
嘘をついているという感覚すら薄い。本当のこと――「世界のあちこちに黒いモヤが見えて、昨日はおふくろの背中にもついていた」なんて言ったところで、頭がおかしくなったと思われるのが落ちだ。
「ふーん。まあ、あんま無理すんなよ。今日の体育、長距離走らしいから倒れられたら困るし」
優弥はそう言ってニッと笑うと、自分の席へと戻っていく。
彼の背中には、黒いモヤなど一つも付いていない。どこまでも健康的で、平穏な日常の真ん中にいる男だ。その眩しさが、今の凪には少しだけ痛かった。
チャイムが鳴り、次の授業の教師が教室に入ってくる。
生徒たちがそれぞれ席に着くなか、凪の視界の端に自然と窓際の席が映り込んだ。
メアリ・モンロー。
転校してきたばかりの彼女は、授業が始まると背筋を伸ばし、真面目に黒板へと視線を向けている。だが、休み時間になればクラスメイトとの雑談に交わることもなく、一人静かに分厚い洋書のページをめくっている。
彼女を取り巻く空気だけが、まるで教室の他の場所とは切り離されているかのように冷ややかで、静まり返っていた。
昨日の屋上で投げかけられた言葉が、脳裏をよぎった。
(――見えないフリをしても、世界は変わらないわよ)
凪は強く目を閉じ、意識して視線を教科書へと戻す。
見ない。考えない。関わらない。
そう自分に言い聞かせるほど、胸の奥の不吉な予感が膨らんでいくのを消すことはできなかった。
◇
放課後の喧騒が遠ざかる。渡り廊下を抜け、旧校舎へ向かう足取りは重い。
長年放置された木造校舎は、西日に照らされ異様な静けさを纏っていた。埃の匂いと、ギィと鳴る床板の感触。凪にとっては旧校舎が唯一息を深く吸える場所でもある。
二階の美術室の前で立ち止まると 扉の隙間から聞こえてきたのは、規則的すぎる「カリカリ……」という音だ。
誰かがいる。
ドアを押し開けた凪の視界に入ってきたのは、キャンバスに向かう一人の女子生徒だった。
背中を向けたまま、機械のように筆を動かし続けている。その異常さに息を呑んだ瞬間、凪の目が捉えたのは彼女の背中にまとわりつく「黒いモヤ」。
母親の背にあった靄とは比べものにならない。まるで汚泥のように濃く、どす黒い塊が、彼女の体をじわじわと蝕んでいる。
「……おい、大丈夫か?」
掠れた声を出した途端、ピタリと筆が止まった。
彼女は振り返ることもなく、そのまま糸が切れたように床へ倒れ込む。
「――っ!」
重い落下の音。
駆け寄ろうとした凪の足が、その場で凍りついた。
それは、倒れた生徒の体から「黒いモヤ」がドロリと溢れ出すように膨れ上がる光景。 空気は歪み、肌を刺すような寒気が部屋に満ちていく。
それは意思を持った生き物のように鎌首をもたげ、凪を捉えた。
『逃げろ』と、頭の中で叫ぶ自分を凪は、どこか他人事のように感じながら立ち竦む足を動かそうとした寸前。
黒い影は、その猶予すら与えようとせずに収縮し、鋭利な爪となって凪の胸元を狙う。
――ドツン、と強い衝撃音が響く。
「……だから言ったでしょう」
影の爪が凪の喉元に届く寸前、横合いから滑り込んできた人影が、その一撃を掌で受け止めていた。
メアリだ。
いつからそこにいたのか。彼女は冷ややかな瞳で影を見下ろし、そのまま何もない空間を掴んだ。
パチ、と空間が爆ぜる。
紫電のような稲妻が室内に撒き散らされ、薄暗い美術室を白く焼き払う。
閃光がメアリの手元に収束した瞬間、そこにあったのは漆黒の光沢を放つ巨大な「大鎌」だった。
刃が描く鋭い弧が、部屋の空気を切り裂く。
彼女は流れるような動作で大鎌を構え直し、静かに凪を背後へ庇うように立つ。
「見ないフリをしたツケは、意外と早く来るものよ」
黒髪を揺らし、メアリが冷徹に言い放つ。
その背中で、咆哮をあげる影の脅威すら薄れるほどの圧倒的な存在感が、凪の視界を支配していた。
コメント
1件
うわぁぁぁ第3話、一気に世界観が動いたね…!😳💦 凪くんが「見ないようにする」って決めた直後に、まさか旧校舎でアレを目撃しちゃうとか運悪すぎる…!でもそこに颯爽と現れるメアリ、かっこよすぎじゃない?「だから言ったでしょう」の冷めた口調がもうツボすぎるし、大鎌でバッサリいく展開にテンション上がりまくりました🔥✨ 黒いモヤが意志持って襲ってくるところ、映像が浮かぶようでゾクゾクしたよ…続きが気になる〜!