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夢汰🌩️

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バレていないと思っていた。
ずっと。
完璧に隠しているつもりだった。
仕事から帰ってきたら、すぐに水を流す。
少し時間を置いてからリビングに戻る。
何でもない顔をする。
晴が作ってくれたご飯を「美味しい」と言う。
それで大丈夫だと思っていた。
俺は、人の顔を見る仕事をしている。
相手が何を求めているのか。
どう笑えば安心するのか。
そういうことには、誰より敏感なつもりだった。
なのに。
自分の一番近くにいる人のことだけ、見えていなかった。
*
その日は、いつもより酒が多かった。
店の空気。売上。期待。
全部背負っているつもりだった。
グラスを置くタイミングなんて、とうの昔に分からなくなっていた。
「湊さん、今日すごいですね」
後輩が笑う。
俺も笑う。
「まだまだいけるっしょ」
そう言った自分の声が、少し遠く聞こえた。
帰宅した頃には、足元がおぼつかなかった。
「ただいま」
いつものように言う。
「おかえり」
いつものように返ってくる。
晴は、いつもの顔だった。
それが少しだけ苦しかった。
何も知らない顔。
そう思っていた。
*
キッチンには、今日もスープが置いてあった。
「今日、何?」
「じゃがいものポタージュ」
「晴ってほんと毎日作るよね」
「好きだから」
そう言って笑う。
その笑顔を見ると、胸の奥が痛くなる。
俺は何をしてるんだろう。
大事にされているのに。
心配されているのに。
それでも、自分を雑に扱うことをやめられない。
「湊」
「ん?」
「顔色悪いよ」
その一言で、心臓が跳ねた。
「寝不足じゃない?」
続いた言葉に、少しだけ安心する。
やっぱり気づいてない。
そう思った。
でも。
「……晴」
「なに?」
気づけば、口に出していた。
「やめろって、言わないの」
晴の手が止まる。
静かな部屋だった。
テレビのもつけていない。
時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。
「何のこと?ホスト辞めるの?言わないよ、そんなこと」
晴はわざとらしく、そう言った。
分かっている顔だった。
その瞬間、全部分かった。
知らなかったんじゃない。
知っていて、何も言わなかったんだ。
「……いつから」
「え?」
「いつから知ってたの」
声が少し震えた。
ただ、怖かった。
自分が隠していものを、ずっと見られていたこと。
一番見られたくないところを、見られていたこと。
晴は少し目を伏せた。
「なんとなく吐いてるんだろうなとは思ってたけどね。違う?」
「……そう」
「じゃあ言ったところで、やめられないでしょ」
優しい声だった。
責める声じゃなかった。
だから余計に苦しかった。
「少なくとも僕はやめられなかったの」
息が止まる。
「……晴」
初めて聞いた。
晴の過去。
いつも穏やかで。
何でも受け止めてくれる人。
その人にも、苦しい時期があった。
「僕もね、昔そうだった」
晴はスープの入った鍋を見る。
「食べることも、自分を大事にすることも、分からなくなった」
「だから分かるんだ」
晴は小さく笑った。
「やめたくても、やめられないこと」
何も言えなかった。
俺はずっと、晴が強い人だと思っていた。
でも違った。
弱かったことがあるから、優しくできる人だった。
「……ごめん」
やっと出た言葉は、それだけだった。
「謝らなくていいよ」
「でも」
晴が俺を見る。
「僕が欲しいのは、ごめんじゃない」
「自分を大事にしてほしい」
その言葉が、胸に刺さった。
俺は自分を大事にしているつもりだった。
夢のため。
仕事のため。
上に行くため。
でも、本当は。
ただ壊れるまで頑張っていただけなのかもしれない。
晴は鍋の火を止めた。
「今日はもう食べなくていいよ」
「……」
「でも、温かいものだけ飲んで」
渡されたカップから湯気が上がる。
それを見ていると、なぜか泣きそうになった。
俺はずっと。
笑顔にする側だと思っていた。
でも。
俺が帰ってきた時に、笑顔で迎えてくれる人がいた。
そのことを、今さら思い知った。
「晴」
「ん?」
「……ありがとう」
晴は少し困ったように笑った。
「どういたしまして」
その夜。
初めて、トイレの水を流さなかった。
全部が変わったわけじゃない。
明日から完璧にできるわけでもない。
でも。
隠さなくていい場所があることを知った。
コメント
1件
読了しました。この回、すごく良かったです。特に、晴が「僕もね、昔そうだった」と自分の過去を初めて明かす場面、そこで初めて湊が「弱さを見せていい場所」に気づく流れが美しかった。隠すことと受け入れることの温度差が、スープの湯気やトイレの水の音といった静かな描写で浮かび上がるのが印象的でした。湊の「ありがとう」が、やっと本音で出せた第一歩に思えて、胸がじんわりしました。