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お父様から正式に第三研究所に対して、抗議があった。
一度断った私に詰め寄ってくるのは無礼だ。その抗議には、恐らく少しくらいは効果があるだろう。
しかし所詮、少しの効果だ。それで彼らが何もしなくなるなんて、どうにも思えない。そこで私は、自ら第三研究所に出向くことにした。
「……私があなたを侮辱したことが気に入らなかったのですか?」
「……まさか」
私の目の前にいる第三研究所の所長は、下卑た笑みを私に向けてきた。
その不快な表情に、私は顔を歪める。どうやらこの男は、変質者の類であるようだ。
「僕は君の才能を素晴らしいものだと思った。この僕を凡人であるという程の胆力を持つ君を是非とも、手に入れたいと思った。君の才能は、きっと世界を変える」
「ええ、世界くらいはひっくり返しますよ。それで、あなたの望みは?」
「君に研究に集中してもらうことだ……そのためには手段も選ばないつもりだ。それがわかっているから、君もここに来たのだろう?」
私は男の口振りから、炊き出しの日のあれが脅しであるということを理解した。
つまり私が従わなければ、家族に手を出すということだろう。一研究機関の所長が、随分と思い上がったものである。
「そんなことをしたらどうなるか、わかっていないのですか?」
「貴族の権力で、僕達は終わりかもしれないな。だが、賢い君はお姉様を傷つけられることに耐えられるかな?」
私のことを調べたのか、所長は得意気に語っていた。
確かに、私はお姉様が傷つくことには耐えられない。それは絶対に、避けなければならないことではある。
「……お姉様、どうか愚かなる私をお許しください」
「……うん? 待て、何をっ……!」
ただ、目の前の男に従うなどという選択肢はなかった。
私の一生を、こんな者達の好きなようにさせてはならない。
だから私は、魔法を使った。それはまだ調整中の正確性に欠けた魔法だ。
「何を? 僕は、何をしている? 君は誰だ?」
「私のエルメラ、あなたが欲していた偉大なる才能です」
「なんだ? なんと言ったんだ? 何故だ、何故覚えられない? 何故、思い出せない?」
その魔法の効果は、忘却である。私は今、彼の中から私という存在に関する記憶を消した。
この所長は、二度と私のことを思い出すことはできない。さらには私のことを認識することができない。そういった魔法をかけたのである。
ただ、この魔法は完璧ではない。よってこの所長には、記憶に関する何かしらの障害が残るだろう。
少なくとも、彼の研究者としての道は閉ざされたといえる。曖昧な記憶の凡才をいつまでも重用はしないだろう。
主導していた彼がこうなったのだから、私に手を出そうと思う者もいなくなるはずだ。誰もこの所長のようにはなりたくないだろうし。
◇◇◇
「何故呼び出されたかは、わかっているな?」
「……先日の第三研究所のことですか?」
「ああ、勝手に抜け出して、心配したぞ。しかもそこでお前は、手を出したな?」
「先に手を出したのは、あちらの方です」
第三研究所の件は、当然のことながら問題となった。
あれから所長は、記憶に関する障害に苦しめられているらしい。
私としては、いい気味だとしか思えない。そもそも、あちらが余計なことをしなければ、こうはならなかった。自業自得である。
しかしながら、人に対して魔法を行使するのは場合によっては犯罪だ。それが問題になったといった所だろうか。
「もちろん、それはわかっている。だが、お前のやり方は短絡的過ぎだ。諸々の事情も含めて、今回は情状酌量となったが、次はこうはならないかもしれない」
「もっと上手くやれと、お父様は言いたいのですか?」
「……少なくとも、このように直接的に危害を加えるのは感心しない」
第三研究所が悪かったということは、お父様も承知しているのだろう。その表情は、なんとも微妙なものだった。
厳しいような態度を見せることはあるが、お父様は基本的に親馬鹿だ。お姉様に危害を加えようとしていたり、私を手に入れようとしていたりしたあの所長に対して、何かしらの策を行使していたのかもしれない。
「お父様がそのような考えなのは、助かります。しかし、私は今回の件で一つだけ学びました」
「一つだけ、なのか?」
「ええ、それは私の存在がお姉様の危険に繋がるということです」
あの所長は凡人であり、私に与えられるものなんて一つもないと思っていた。だが今回の件を通じて、あれは私に重要なことを教えてくれた。
お姉様は、私の弱点として狙われてしまうのだ。伯爵家の令嬢に手を出したらどうなるのか、それをわかっていても、私の偉大なる才能は相手の判断すら狂わせる。
「私には怖いものなどありません。理不尽には理不尽で対抗していくつもりです。自分のわがままも通します。なぜなら私には、それができるだけの力がありますから」
「……」
「しかしそれでも、万が一ということが怖い。お姉様に危害を加えられる。その事実だけで、足が震えるのです。お姉様に抱きしめて慰めてもらいたい。でも、それはやめておきます。仲の良い姉妹でいたら、またお姉様が狙われるかもしれないから」
考えてみれば、最初からそうだったのだ。
私という存在が傍にいると、お姉様を傷つける。命の重みを知ったあの日、私はそれを認識するべきだった。
だけど結局私は、今となってもお姉様との関係を断ち切れていない。
私はどこまでも弱い人間だ。本当はわかっている。私も愚かな凡人の一人でしかないのだということを。