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レモニカたちは蜜に囚われた蝶のように誘われるままに菓子を貪り、救済機構を見逃した。それで構わない、と思わされる幸福な味わいだったのだ。
星々は人々の小さな悩みや苦しみを眺め、満月は夜の玉座で退屈そうに地上を見下ろしている。争いごとなど無かったかのように風は比較的穏やかで、しかし不安をあおる程度に森を騒めかせる。僧侶たちの残した炊事の火も隠れるように消え去り、冷たい風と共に煙も立ち去っていた。幸福に似た甘い香りもとうに彼方へ流れ去った。
救済機構の追撃はソラマリアの提案だった。ベルニージュも賛同した。
機構の急な撤退で、辺りには野営の痕跡が残されている。使い魔拵える者によってたっぷりと時間稼ぎをされたが、残された天幕や物資をありがたく利用させてもらおうという話が出た、矢先のことだ。
「危険ですわ。もう日も暮れましたし、無理をすべきではありません」とレモニカは反対する。その声色には不安の他に呆れも少し混じっていた。それに申し訳なさも。
これにユカリとグリュエーも賛意を示した。
罪悪感故か、あるいは護女シャリューレだった時代の友人リューデシアへの怒り故か、珍しくソラマリアは折れなかった。そしてベルニージュが加勢する。
「だってあいつらほとんど無策で魔導書を放り出して逃げたんだよ? 十人は使い魔がいただろうに、聖女最優先でさ。これはワタシたちにとって好機だよ。聖女を捕まえるのは無理でも、また一枚時間稼ぎか囮のために放り出してくれるかもしれない」
ユカリも参戦する。「だけど危険なのは事実でしょ。逃げたと見せかけた罠かもしれないよ」
「ないよ」とベルニージュは断固否定する。「ユカリが魔導書の気配を読み取ることはもう知られてるんだから。待ち伏せなんてする訳ない。それに魔導書を使わずにどうこうするとも思えないし」
「それじゃあ間を取ろう!」とグリュエーが提言する。「ユカリと誰かがユビスで追走する。それでここに何冊か魔導書を持った何人かが残って――野宿の準備でもしておいて――、ユカリがここに残した魔導書の気配を感じ取れる範囲を出て追いかけない。そこで諦める。どう? ユカリ?」
初めから限られた人数なら無茶もしないだろう、という意図が読める。
「まあ、それなら、私はいいよ」とユカリは譲歩する。自身が無理をする分には構わないのだ。「もう一人はどうする? ベル? ソラマリアさん?」
少しの言い合いの後、ソラマリアに決まった。意気込み溢れていたベルニージュは水をかけられた火のように消沈する。
二人が戻るまで野宿と夕食の準備をすることになった。幸い僅かながら食料も残されていた。魅了するほどの力を持つ菓子だったが、腹を満たすには少々物足りなかったのだ。
ベルニージュが邪な魔術が残されていないか確認し、代わりの結界を用意している間、グリュエーの姿のレモニカとグリュエーが夕食をまかなうことになった。
「どうせなら封印を使おうよ」グリュエーがユカリの合切袋を漁り、白紙文書を取り出す。「煮炊く者と、さっきのお菓子の人は拵える者だっけ?」
グリュエーが二枚の札を白紙文書から剥がす。札に描かれた絵を見ようと覗き込んだ途端、レモニカの姿が変身した。グリュエーが悲鳴をあげつつ手を引っ込めるとすぐにグリュエーの姿に戻る。
「お、驚きました。使い魔にも反応するのですわね、この呪い。わたくし、何に変身していました?」
「痩せた馬だったよ、灰色の。どっちの使い魔が嫌ってるんだろう? とにかくレモニカには貼らない方が良さそうだね」
「……そうですわね。嫌いな生き物に憑依させるなんて酷い虐待ですもの」
そう言ってレモニカは心の内で静かに落ち込む。使い魔の魔導書を使えないということは役に立つ機会を失うということだ。
グリュエーは拵える者を元の切り株に貼り直し、煮炊く者は近くにあった手頃な岩に貼り付けた。
人の形に変身した拵える者がきょろきょろと辺りを見回し、嬉しそうに話す。「おや! さっきの今で早速私の力が必要になりましたか?」
「夕食と食後の菓子といったところですか」と煮炊く者が推測する。「魔法少女一行は何人いるのですか?」
「五人だよ」とグリュエーが答え、残された食料の他にユビスの置いていった荷を解く。「使える食料は限られてるけどね」
「私が言うのもなんですが」と拵える者が前置きして尋ねる。「菓子を食べる余裕があるのですか!? 随分過酷な旅をなさっていると聞いたのですがね」
「そこは魔導書である貴女の力を見込んでいるのですわ」レモニカは常にグリュエーのそばを保ち、魔導書たちから距離を取りながらおだてる。「お手並み拝見ですわね」
「大丈夫ですよ」と煮炊く者が保証する。「私も協力しますので」
「今のは聞き捨てなりませんね!」拵える者が前のめりに抗議する。「私ほど菓子作りに秀でた者などいません! 貴方の協力などなくとも最高の菓子を作ってみせますよ!」
「別にそういう意味で言ったのではありませんよ。夕食と食後の菓子全体を分担して作るというだけのことです。いずれにせよ、協力した方がいいものができるでしょう?」
「もちろんそうとは限りませんとも! 実力差があれば足を引っ張られるということもありますからね!」
終始穏やかだった煮炊く者もこれは癇に障ったようだった。
「私は菓子も含めた料理全般に通じているのです。実力差などありませんよ」
「ああ、器用貧乏というやつですね! どうぞ私の専門分野以外はお任せしますよ!」
「お二人は元々お知り合いなのですか?」とレモニカは何気なく尋ねる。
「ええ、まあ!」と拵える者は答えた。
「いえ、別に」と煮炊く者は答えた。
拵える者の木目の表情に悔しさが滲み出る。そして「これを機に、私の菓子でどちらが優秀か分からせてあげましょう!」と宣言した。
「どちらが優秀かは既に分かっていますが」と煮炊く者はさらに挑発する。「良いでしょう。貴女は分かっていないようなので、勝負しましょう」
「勝負するの? 何の勝負?」と戻ってきたベルニージュが口を挟む。「ワタシも参戦した方が良い?」
「料理勝負ですね」と煮炊く者。
「菓子作り勝負です!」と拵える者。
「それぞれの得意分野で良いんじゃない?」というグリュエーの提案が採用された。「お腹空いたからなるべく早くお願いね」というグリュエーの願いも叶った。
二人の使い魔は恐るべき速度で五人前の料理と食後の菓子を用意していく。
魔術で現れた食卓に色とりどりで香り豊かな料理が並ぶ。
温かくて滋味に溢れた根菜と野草の肉菜汁、爽やかな凝乳かけ汁の肉々しいつくね焼き、風味豊かな種々の乾燥液果を使った鉄板焼き菓子。
どれもこれもが見た目も匂いも、発する音でさえも食欲を掻き立て、魂を鷲掴みにし、誘惑する。いつもならばユカリとソラマリアを待つのだが、二人の使い魔はその時間差さえ計算に入れて料理を用意していた。戻って来た時には少しも待つことなく食事にありつけるようだ。
抗え切れずにレモニカたちは食卓につき、野宿でお目にかかることのない豪勢な料理によって舌と歯と喉と鼻と胃を喜ばせる。途端に食べるということ以外の何も考えられなくなった。肉菜汁で喉を潤し、主菜で腹を膨らませた。そして菓子で苦労の多い旅で磨り減った魂を癒す。
今気づいたかのようにレモニカ、グリュエー、ベルニージュはお互いの顔を観察する。表に出ているのは明らかに満足感と幸福感だ。三人ともが御馳走に満たされたのだと分かる。まるでさっきまで餓死寸前だったかのような救われた気分になっていた。
そして二人の使い魔の視線に気づく。不安になった子供が親の意向を窺うような視線だ。何を言いたいかは分かっていたが、誰も言葉にはしなかった。それ以上待っていられないという様子で拵える者が答えを求める。
「どちらが美味しかったですか!? 一応窺ってもよろしいですか!? もちろん答えを聞くまでもなく糧と勝利の女神は私に微笑んでくださっているに違いないのですがね!」
「お食事の様子を見ていたなら分かるでしょう」と煮炊く者が余裕な表情で指摘する。「肉菜汁を飲み干し、つくね焼きにかぶりつく時の恍惚とした表情といったら」
レモニカは頬が火照る。夢中だったのは間違いない。外聞など気にしてはいられなかった。
「どっちも美味しかったよ」とグリュエーが素直な感想を述べる。
確かにそれ以外の答えはないように、レモニカにも思えた。
「比較しても、非の打ちどころがないから難しいね」とベルニージュもまた答える。
加点は山のように積み上がり、砂一粒分の減点もない。それが魔導書の使い魔たちの料理だった。
「それに、やっぱり同じ料理でないと比較は難しいよ」とグリュエーは前提をひっくり返してしまう。
「別に私はそれでも構いませんけどね! 何度作ろうが結果は同じですし!」と菓子作りの拵える者。
「何を偉そうに。私が貴女の専門分野に合わせなければ勝負すらできないというのに」と料理人の煮炊く者。
「ところで」とレモニカが加わる。「飲み物はないのかしら。この肉料理に合うお酒やお菓子にあうお茶があれば申し分ありませんのに」
「いえ、飲み物はその……」
「さすがに作るところからとなると分野が……」
二人の使い魔は揃ってしどろもどろになる。
そう言われるとますます渇きを感じた。塩味のある肉菜汁ではなく、喉を洗い流すような飲み物が欲しくなる。
その時、ユビスの駆ける蹄の音が聞こえた。そしてすぐに毛長馬とそれに跨るユカリとソラマリアの姿が夜闇の向こうから現れた。
「ユカリさま! ソラマリア! おかえりなさいませ! 首尾はどうでしたか?」
ユカリが一枚の封印を見せるとグリュエーが白紙文書を持って行く。
ユカリは苦笑いを浮かべて、白紙文書に封印を貼り付ける。
「平和的な魔導書ばかりなのは良いことなんだけど、魔導書を集める戦力にはならなさそうだよ。足止めには効果的なんだけどね。でもソラマリアさんのお陰ですぐに手に入れられたんだ」
平和的だがソラマリアが攻略した、というユカリの言葉にレモニカは首を傾げる。
「一体どういう魔導書ですの?」
「それが、饗す者という使い魔だそうです」とソラマリアが恐縮そうに報告する。「菓子や飲み物でもてなす魔術を使えるそうです」
食事への関心の無さが功を奏したというわけだ。
「飲み物!? さすがソラマリア! 貴女ほどの騎士は類を見ませんね!」
異様に喜ぶ王女に忠義の篤い騎士は困惑するばかりだった。