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まだ日の昇らない内に目を覚ましたソラマリアは一人静かに天幕を出て、饗す者の魔術で造形された石の椅子に座る。巨人の聳えていた古い時代を知る無骨な岩塊だったが、使い魔の手に掛かって流麗な水の流れのように繊細な細工の施された椅子に様変わりしていた。
ソラマリアは深く腰掛けると朝靄に吹きかけるように溜息をつく。ベルニージュの結界を信頼しているとはいえ、夜番の一人もなしに野宿するのは未だに落ち着かず、早くに目覚めてしまうのだった。
それにユカリたちの前では全てを解決したふりをする、とレモニカと約束したソラマリアだったが、何かが解決したわけではない。忌まわしい呪いをヴェガネラ王妃とレモニカ王女の元へ運びこんでしまった罪が執拗な蛇のように心臓を締め上げている。しかしソラマリアには何が償いとなるのか分からないでいる。呪いを解く手助けをするのは当然としても、それで全てが許されるとは思えなかった。
「あ!」と天幕の中からユカリの声が聞こえる。「魔導書! みんな起きて! あれ!? ソラマリアさんは!?」
全員が起こされ、ユカリの報告を受ける。曰く、魔導書の気配を感じ取ったものの、感知できる範囲を出たり入ったりしているのだという。
今にもユビスに飛び乗ろうというのか、ユカリはその長い毛並みを撫でながら話していた。
「魔導書の気配を感じ取る精度を推し量ろうとしているのだろう」というのがソラマリアの推測だった。「どれくらいの距離まで近づいた時にユカリがやって来るのか、それだけでもある程度把握できるからな」
「単純に罠って可能性はないの?」と救済機構の残した敷物に座り込んだグリュエーが寝ぼけ眼で尋ねる。
ソラマリアは首肯するが言葉を返す。「可能性はあるが、ユカリの魔導書の気配の感知精度を知っておいた方が罠も張りやすいだろう」
「そうだね」とベルニージュも同意する。「シャナリス、魔法少女狩猟団の総長は慎重派な気がするし、まずはユカリやワタシたちの力量を測っているのかもしれない」
「慎重派、ですか?」とレモニカが異を唱える。「初めの襲撃は大胆不敵でしたわ。百枚近くの魔導書の使い魔で取り囲むなんて、一歩間違えれば全てわたくしたちに奪われる可能性もあるのに。それにそれ以後も、結果的にはわたくしたちに魔導書を献上し続けているようなものでしょう?」
「うん。最初の襲撃に関しては意図がよく分からない。何か別の思惑があるような……」ベルニージュは深い真紅の瞳の奥で思考を巡らせながら言葉を紡いでいる。「そう考えた時、そもそも彼らはあくまで魔法少女狩猟団であって、焚書機関ではないことに気づいた、その目的は最たる教敵魔法少女の抹殺であって魔導書の確保ではない。ワタシたちが思っていたよりもずっと優先度に差があるんじゃないかな?」
せっかく集めた魔導書を無為に利用された焚書機関にソラマリアは少し憐れみを覚えた。未練など微塵もないが古巣の顔馴染みたちの苦労を思う。
「それで、どうする?」とソラマリアは喫緊の問題に意識を戻させる。「あえて無視するのも手だとは思うが。情報を与えれば後々やりづらくなるだろう」
「もちろん取りに行くよ」とユカリは断言する。
ユカリとベルニージュ、そしてグリュエーがユビスに乗って気配のもとへ向かうことになった。罠だった時に対応しやすいよう機動力を優先したのだ。
「今の内に出立の準備をしましょう」とレモニカが提案する。
「私がやります。レモニカ様は――」
「機構の残した物資の選別をします。全てを運ぶことは出来そうにないですからね」有無を言わせぬ口調でレモニカは言った。
ソラマリアは必ずレモニカが視界に入る形で片づけをする。焚火の始末やそのままになっていた鍋の片付け、天幕に運び込んでいた荷を纏め、選別に適うかは分からないが天幕を解体する。
その時、ソラマリアの視界の端で物資を集めていたレモニカの姿が消え、ソラマリアは瞬時に駆けつける。レモニカは直ぐに再び現れた。どうやら狐に変身していたのだと分かる。混乱するレモニカを自身の背中に押しやり、木立の方に目をやる。
「出てこい」
木立の背後に隠れていた者が素直に姿を現す。焚書官の鉄仮面を付けているが、アンソルーペの率いる第四局の長衣ではなく、麻の衣を着ており、その仕立てはライゼン大王国で一般的な意匠だ。全国民に戦闘技能を身に着けさせる大王国の衣服は動きやすさ優先の身体にぴったりしたものだ。
「……第五局か? どうしてここに? 何者だ?」ソラマリアの声色は疑念を示すように揺らいでいる。
実際には第五局はそのようなちぐはぐな格好をしない。第五局の任務は潜入した大王国で魔導書とその情報収集を主とするが、鉄仮面をつけては台無しだ。しかしライゼンの衣をまとう焚書官など第五局にしかいない。
「第五局というと……」レモニカは記憶を掘り起こすように小さく唸る。半年ほど前、救済機構の総本山で盗み見たという首席焚書官たちの会議のことを思い返しているのだとソラマリアにも分かる。「ああ、あの時、貴女が成りすましていた首席焚書官が第五局ね。つまり……」
「新入りか何かでなければ、私の元部下の誰かということですね」
ソラマリアは全員の顔と名前を今でも覚えていた。とはいえ鉄仮面越しでは誰だか窺い知れない。
狐嫌いの焚書官はおもむろに剣を抜き放つ。そうすると決めていた淀みない動きだった。
「悪いが俺様はお前たちを殺す気でいる。すまないな」
「謝る必要はない」とソラマリアは答える。「レモニカ様。他にもいるかもしれません。付かず離れず立ち回ってください」
「分かっているわ。お願いね」
襲撃者の歩みは肥えた牛のように遅く、地面を踏み固めるようにして一歩一歩ソラマリアに近づいてくる。そうしてゆっくりと近づいてきた焚書官は、反するように鋭く重い剣を振り下ろし、ソラマリアは返す剣で正面から受け止める。
剣を振り上げて押し返す、と同時に焚書官の空いた手に握られた短剣が首に突き出され、危ういところで身を反らしてかわす。続けて、返す手からその短刃が放たれるがこれも叩き落とす。
何か妙だと感じるが正体を掴めない。
ソラマリアの返す剣で振り上げた、爆ぜるような一撃を焚書官もまた受け止め、しかし防ぎきれない。圧倒的な膂力の差が焚書官の剣をへし折り、胴を深く切り裂く。真紅の鮮血が噴水のように迸り、視界が赤く染められる。まともに受ければその肉体を両断していたはずだったが焚書官は数歩退き、命脈を保ったようだった。
間断置かず、血の帳の奥から焚書官の突きが繰り出され、ソラマリアの肩を掠める。へし折ったはずの剣の切っ先が元に戻っていた。ソラマリアの知らない魔術だ。焚書官は血を噴き出しながらも次々と剣を繰り出す。剣筋にぶれはなく、破れかぶれでもない。致命傷などないかのように攻め立てている。
「使い魔よ、ソラマリア!」とレモニカが背後から叫ぶ。
今の今まで主が意識の外にいたことにソラマリアは気づく。しかし他の襲撃者の懸念は杞憂だったのだと分かると意識を更に眼前の敵に研ぎ澄ます。
血の気を失った焚書官はいつの間にか二振りの剣を両手に持ち、連撃を重ねる。膂力の差を手数で埋めるつもりなのだろう。その上、二つの刃は安定した太刀筋を繰り出す。片手で握られた剣はソラマリアならば容易に弾き飛ばすことができたが、使い魔の魔術は新たな剣を次々に生み出し、一切の隙を生まなかった。
戦いは拮抗しているが、使い魔はたとえ本体が死んでも戦い続けるのだろう。このような戦闘に特化した使い魔との戦いは想定していたことの一つだ。仮に手足を斬り落としたところで、憑依された依り代を変形できる彼らは僅かな肉片さえ利用して戦い続けるだろう、と。
ソラマリアは数歩下がり、撒き散らされた血を踏みつけ、魔導書を触媒にした魔術を行使する。それはかつて神々が捕らえた巨人を処刑する際に用いた銀の槍の末裔たる魔術だ。西方に伝わる際に多くの血が混じり、改作され、過ぎ来し方の神聖性は失われたが、その鋭さに欠けはない。
追い打ちをかけるべく攻めかかる使い魔に目掛けて、赤黒い氷の槍が地面から飛び出すように伸び上がり、刺し貫く。砕ければ二本目が、三本目がと次々と突き刺さり、襲撃者を宙に持ち上げる。そして身動きを奪ってもなお追い打ちをかけ、完全に磔にした。
「一体何をしに来たんだ?」ソラマリアは念入りに氷を固めてから問う。「お前たちの狙いはユカリだけだと思っていたが」
「そう命令されただけだ。理由など知らん」
「まあ、そうだろうな」
託された悪意のありようなど知らずにここへ来たのだ。とはいえ託されたこと自体は自覚しているだけまだましかもしれない。
戻ってきたベルニージュによって氷の磔ごと焚書官は火葬される。二人きりで火を見守りながらソラマリアはベルニージュと語らう。
「償いとは何だと思う?」
ベルニージュは眉を顰め、苦笑いを浮かべる。「唐突だね」
ベルニージュの豪火は瞬く間に氷を溶かし、使い魔が暴れる隙も無く焼き尽くす。
「この使い魔たちに罪はあると思うか?」
「決して逆らう方法のない者の罪は問えないと思う」
「そうか。それは、そうだな」
同じく、逆らう方法どころか良いように使われていたことすら知らないでいた者の罪も問いにくいのだろう。前にもレモニカに言われたことをソラマリアは改めて自問する。
「ワタシは、罪を犯す前の状態に近づけることだと思う」とベルニージュが呟く。
「何の話だ?」
「償いだよ」
「ああ。なるほど。……罪を犯す前の状態に、戻すではなく?」
「戻せるならそれに越したことはないけど、決して元に戻せないこともあるでしょ? でも、元の状態に回復不可能でも。無限遠に存在するのだと仮定しつつ、それでも向かい続けること、じゃないかな?」
死んだ者を生き返らせることなどできはしない。そしてそこを目指すことすら出来ようはずもない、と考えたがソラマリアは口にしなかった。