「……――律さん!」
手を握り、私を呼んでくれていたのは新藤さんだった。
あれ?
真っ白な世界にひとりきりで放り出されていた時、白斗の歌だけが聴こえていた気がしたけれど……?
指先を動かしてみた。あまり動かなかったけれど、手を握ってくれていた新藤さんには伝わったらしい。彼は今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「気が付かれましたか!?」
白い部屋が夕日に照らされ始めていた。オレンジに染まった光が白い部屋を自分色に染めていた。
「あれ……私、どうなって……?」
「たくさんの負荷が母体にかかったのでしょうね。緊急手術が必要になりまして。無事に手術を終えられたあとは……ずっと眠っておられました」
そうだったんだ。ずっと眠っていたのか……。
「あの、詩音……は?」
「お子さんの取り上げも無事に終わっています。別室に安置されていますよ」
「そうですか……」
安置という言葉にぬくもりがない。詩音はやはり母体で亡くなっていたのだと悟った。少しだけ動く指先は新藤さんにしっかりと包まれていた。
「あの……ずっと傍にいてくれたの……ですか?」
「成り行きでしたので……申し訳ありません」
新藤さんが申しわけなさそうに謝った。彼を巻き込んで迷惑をかけてしまったんだ……。
「新藤さん……ありがとうございます。一人にせず、傍にいてくださって心強かったです」
感謝の気持ちを伝えた。声が掠れてうまく喋れなかったけれど伝わっただろう。新藤さんは黙って手を握ってくれていた。
この人はなぜ、私にここまでしてくれるのだろう。お金が発生しているならともかく、無償で助けてくれる。まるで本当の旦那様のように。
妹の影を私に重ねて罪滅ぼしをしているのはわかるけれど、いろいろ誤解を生んでしまうのではないだろうか。
「律さんが生きてくれていて、ほんとうによかったです」
愛しい人に贈るような言葉のチョイス。勘違いしちゃうからやめて欲しい。
それに私は配偶者持ちだし。光貴がいるし。
だからなおさら彼が私に良くしてくれる理由がわからない。
「なにか欲しいものがあったら言ってくださいね」
「ありがとうございます……」
目を閉じた。いろいろなことがありすぎて、考えるのに疲れてしまった。
私も詩音と一緒に連れて行ってくれたらよかったのに――そう思ったけれど、先ほどの新藤さんの泣きそうな顔が脳裏に浮かんだ。
どうしてそんなに私を心配してくれるのだろう。
他人の私をどうしてそこまで……。
目を開けると、私を真剣に見つめる新藤さんと目が合った。
「……っ」
鼓動が高鳴る。まるで恋人を愛しむような眼で私を見ていたことに気が付いた。
新藤さん、どうして……?
「お子様に会いに行きたくなったら教えてください」
「あ、はい。えっと……できればすぐにでも行きたいです」
「起き上がれますか?」
「はい」
まだふわふわしているけれど頑張ってみた。でも力が入らなくてクラっとした。
傍についてくれていた新藤さんが、とっさに私を支えてくれた。
「ありがとうございます……」
「いえ。無理はなさらないほうが」
「でも……あの子、待っていると思うんです。一人だと寂しいじゃないですか。会いに行かないと」
詩音がどんな顔をしているのか、どんな姿をしているのか。早く見ておきたかった。
「そうですね。それなら多少の無理は必要かと。行きましょう」
新藤さんがそのまま肩を貸してくれた。甘えてもいいのかな……。
まだ足元がおぼつかないので、新藤さんの厚意に甘えることにした。一人では満足に歩けない。だったら一人で歩けるようになるまで待つべきだとは思うけれど、少しでも早く詩音に会いたかった。
安置場所は隣の処置室だった。私が眠っていたのは処置室の隣だったようだ。
新藤さんに肩を借りながら移動する。小さな保育ベッドに小さな赤ちゃんが眠っている。顔は白い顔隠し(お亡くなりになられた方の顔にかける白い布のこと)で覆われていた。
「すみません。新藤さん、一人にしていただけますか? 取り乱す姿は、あまり見せたくないので……」
「承知いたしました。ただ、目覚めたら担当医を呼ぶように言われておりますので、律さんが目覚められた旨は伝えますね」
「はい。お手数ですがよろしくお願いします」
新藤さんは詩音のすぐそばに簡易のパイプ椅子を持ってきてくれた。
「何かあったらすぐ呼んでくださいね」
「ありがとうございます」
私の意図を汲んで新藤さんは退室していった。
一人になった部屋で詩音を見つめた。そっと顔隠しをめくってみる。思ったよりもきれいな顔をしたわが子がそこにいた。
涙がただ、溢れた。
こんなに悲しい未来が待っているとは思わなかった。
まさかこんなことが自分の身に起きるなんて。
冷たくなってしまったわが子を見つめる日がくるなんて。
幸せを願った日々はもうこない。
すべて壊れてしまった。
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