テラーノベル
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目を開けると見慣れない天井だった。西日が斜めに差し込む畳の間は、いまだに容赦のない熱を孕んで部屋全体をじっとりと湿らせていた。床に置かれた古い扇風機が、首を振りながらカタカタと頼りない機械音を立てている。
かき回される空気はぬるく、肌にまとわりつく汗を乾かしてはくれない。庭の木々からは、最期を惜しむようなツクツクボウシの鳴き声が、途切れ途切れに響いていた。
ゆっくりと体を起こすと、僕と同じように横たわって、静かに寝息をたてている涼ちゃんが視界に映った。呼吸に合わせて上下する胸元や、首筋に浮かぶ微かな汗の粒が嫌に鮮明に見える。
次第に目覚めてきたようで、頭が回り出した。
そうだ、三人で涼ちゃんちに遊びに来て、いつの間にか二人が寝ちゃったから僕も寝て…若井はもう、帰ったのか?
曖昧な意識の中で、若井がそんなことを言っていたような記憶があるような気がするが、明確ではなかった。ただ、今のこの時間がまるであの頃に戻ってきたようで、その心地よさに思考は止まった。
時計の、コ、コ、という規則正しい針の音だけが、やけに大きく部屋に響く。
盛夏の頃の、あの狂ったような蝉時雨の勢いはもうない。それがかえって、過ぎ去ろうとする季節の重苦しさを際立たせていた。
もうここに来て5日がたとうとしている。長野の夏も、ゆっくりと進んでいるようで、ただ確実に終わりが見えていた。僕がまた会えなくなる日も、近づいていく。
すっかり温くなった麦茶の入ったガラスのコップ。その表面から大粒の結露がじわじわと滑り落ち、古びたコースターに黒い染みを作っていた。
「…涼ちゃん…。」
声は、喉の奥にへばりつく熱気のせいで酷く掠れて、涼ちゃんの耳にまで届かずに、そっと風に溶けていった。
のそりと起き上がって体を引きずりながら傍に行く。そっと髪を触っても、そのまま気持ちよさそうに寝息をたてている。その綺麗で、間抜けな寝顔がひどくいじらしかった。
ねえ涼ちゃん、あなたがこうしていつも触らせているのは誰なの?口を開けて安心しきったように、隣で眠れるのは誰なの?
もう、僕の頭には一人の男しか浮かばなかった。ここ数日の若井と涼ちゃんが記憶にはっきりと描かれている。たまに僕は名前すら朧げになるのに。ああ僕は一体何をしたら、なにをあなたに残したら、彼と同じようになれるんだろう。
七年前、確かに僕らは同じこの風景の中にいた。手を繋いで泥だらけになりながら笑い合った、特別な存在だった。
でも、涼ちゃんの脳裏からその記憶は容赦なく消え去っている。手術の後遺症という、抗いようのない空白。二人の間にある、入り込む隙のない空気。それを思い出すたび、胸の奥で、じっとりとした夏の熱気よりも暗く熱いものが、どろりと渦巻いていく。
また、すべて忘れてしまうかもしれない。明日には、自分の存在ごと綺麗に消えているかもしれない。考えただけで、ぶるりと体が冷えた気がした。この逃げたくなるような曖昧さに眩暈がして、思考を止める。
…あなたの心に、二度と消えないような爪痕を残せたならどれ程幸せだろう。若井の知らない、決して奪うことのできない痛烈な記憶を、あなたに刻みつけられればいいのに。
「…涼ちゃん。」
もう一度呼ぶと、長い睫毛の影を落としながらゆっくりとその目が開かれた。
「あれ、元貴…、寝てた…?若井は…?」
ゆっくりと体を起こしながらそう呟く。すぐに出てくるその名前。胸の奥を、ぎり、と絞められた気分だった。
「若井は帰ったんじゃない?」
「…そか。元貴、お母さん帰ってきてない?」
七年前に一度見たことがある涼ちゃんのお母さん。確かに来てから一度も見ていない。どこか出かけてるんだろうか。
「僕もさっき起きたとこだけど、多分帰ってきてないと思うよ。」
まだぼんやりと遠くを見つめている眼で頷いている。まるで僕には見えない何かを見ているような、そんな目線だった。
「…お母さん、この前遠くに旅行に行ったんだけど…あれいつだったかな…。まだ帰ってこないんだね。
…あれ、そういえば何してたんだっけ…。やっぱ寝たら忘れちゃうなあ…。」
七瀬🍏
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「…僕と、若井がここ来て一緒にゲームしたじゃん。そんでいつの間にか寝ちゃったんでしょ。」
そっか、とこぼしながら体を伸ばし、大きな欠伸をしている。こんなにも近くにいて、手を伸ばせば届く距離にいるのに、心はあまりにも遠い。僕が東京に帰ってしまえば、涼ちゃんはまた僕の存在を日々の記憶の底へと洗い流してしまうのだろう。
今だって鮮明に僕のことを処理できているかもわからない。涼ちゃんの記憶にうっすらと残る自分と今の自分がどれ程結びついているのか。
僕がいない秋が来ても、冬が来ても、若井はこの部屋に来て、涼架の隣で笑い続けるのだ。僕がどれだけ強く涼架を想っていても、僕がここにいないという事実だけで、存在そのものが「なかったこと」にされていく。
「…なんで忘れちゃうの…。」
その声は涼ちゃんには届かなかったらしく、聞き返すように、不思議そうにこちらを振り向く。
その何も知らない、無垢で、そして僕を映していない綺麗な瞳を見た瞬間、胸の奥の焦燥が限界を迎えて弾けた。
明日には、名前すら忘れているかもしれない。僕がどれだけ焦がれても、涼ちゃんは若井の隣へ帰っていく。その圧倒的な現実への恐怖と、どうしようもない恋心が、僕の理性を焼き切るようだった。
「っ…!」
気づいた時には、畳を蹴って涼ちゃんの身体をのぞき込むように覆いかぶさっていた。驚きに丸くなるその瞳に、必死で歪んだ僕の顔が映る。言葉を挟む隙なんて与えたくなかった。
拒絶される恐怖をねじ伏せるように、衝動のまま、涼ちゃんの唇に自分のを押し当てていた。
すっかりぬるくなった麦茶のコップから、結露がぽつりと音を立てて床に落ちる。
重なり合った唇から、驚きで強張った体温がじかに伝わってくる。ほんの少し汗の滲んだ肌の匂いと、逃げ場のない夏の湿気が、僕たちの間で激しく混ざり合っている。
優しさなんてひとかけらもない、ただ自分の存在を刻みつけたいだけの、痛いほどの口づけ。どれだけ忘れ去られようと、この瞬間、涼ちゃんを奪ったのは若井じゃない、まぎれもなく、僕だ。
涼ちゃんの手首を畳に縫い付けるように抑える。その手は驚きからか、ほとんど力が入っていなかった。
やり方なんて分からない。ただ本能の促すままに舌を差し入れ、涼ちゃんのそこを膝で少しずつ刺激する。
開いた口の隙間から甘い声が漏れていく。それが直接脳に響いているようで、内側から燃えるように熱くなった。
酸欠になるまで、お互いに息すら上手く吸えないまま、まるでとろけあって一つになってしまうようだった。名残惜しくも、酸素を求めて口を放す。
どちらのものかもわからない銀の糸が、ぷつりと切れた。
胸の奥が早鐘を打って、喉元まで心臓がせり上がってくるような錯覚だった。
消えない傷のように、この熱を、この苦しさを、奥深くに残してやる。
狂ったように鳴いていたツクツクボウシの声が、遠くでふっと途切れた。部屋を支配するのは、古い扇風機のカタカタという頼りない音と、僕の心臓の音だけだった。
コメント
7件
更新ありがとうございます🥲♡ 本当にこの作品が大好きで、前からこっそり読んでいたのですが、あまりにも切なすぎて🥹 どうしても❤️くんの立場が切なくて、ずっと脳内に💛ちゃんといる💙くんがいて、それでもずっと我慢していたけどキスしちゃうところが苦しくて泣けちゃいました😭 7年越しのキス、心がぎゅっとなりました😭♡ 描写が本当に上手で、情景が頭の中に浮かびました🥹 お母さんのことも、この続きもすごく気になります……! 続きも楽しみにしています✨️
更新ありがとうございます💕 楽しみにしていました〜✨ また自分だけ離れなければいけない焦燥感から、思いをぶつけてしまった❤️君…🥹 本当に切ないです😭 夏の描写が何とも切なくて、夏の終わりの寂しさまで感じられました🎐✨ 💛ちゃんのお母さんの事もめちゃくちゃ気になります💦 ますます続きが楽しみになって来ました! また次回も楽しみにしています💕
ああ〜〜〜〜〜第十二話、読み終わって放心してる…😭💦💦 もう、最初から最後まで湿った夏の熱気が肌にまとわりつくみたいで、息苦しいほど没入しちゃった。 特に「消えない傷のように、この熱を、この苦しさを、奥深くに残してやる」って元貴の内面、痛すぎて胸がぎゅーってなったよ…。忘れられる恐怖と、それでも想いを刻みつけずにはいられない切なさが、キスシーンの衝動と重なって、読んでるこっちまで酸欠になりそうだった。 涼ちゃんの無垢な瞳と、若井の名前がすっと出てくる距離感が、もうね…元貴の焦がれが痛いほど伝わってくる。続きが気になりすぎて今夜眠れないかも、かめちょんさんマジでやばいですこのお話…!!😭🌟