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#茜
💎星乃葵@ペア画中.ᐟ💎
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りおりんご🍎
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今中希美
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船が、その都の港に滑り込んだのは、十日目の朝のことだった。
勇斗は、甲板から、初めて目にする異国の景色を見上げていた。
海に張り出した丘の斜面に、白い石の家々が、幾重にも積み重なっている。
その合間から、金色の丸屋根と、空を突くような細い塔が、いくつも伸びていた。
港には、異国の旗を掲げた船がひしめき合い、荷揚げの掛け声が、波の音を掻き消すほどに響いている。
黄色の国の王都も、赤色の国の都も、白色の国の岬の宮殿も、勇斗は知っている。そのどれとも違う。
数えきれない民族の言葉と、香辛料と焼いた肉と潮の匂いが、ひとつの熱になって、都全体を包んでいた。当時、世界で最も栄えていると謳われた都市だと、船乗りたちは誇らしげに語った。
船長は、二人が船を降りる間際、無言のまま、小さな革の袋を勇斗に差し出した。
「預かりものです。……船賃とは、別に」
中には、しばらく食うに困らないだけの路銀が入っていた。
誰からのものかは、聞くまでもなかった。勇斗は、深く頭を下げて、それを受け取った。
港の裏手に、小さな宿を見つけた。
窓から海が見える、粗末な部屋だった。
仁人は荷を下ろすと、寝台の端に腰を下ろし、そのまま動かなくなった。
声は、戻っていない。
船の上と同じように、仁人は、ほとんど食べず、ほとんど眠らず、窓の外を見ている。
ただ、船の上と違うのは、その視線が、時折、街の音に反応して、ほんの少しだけ動くことだった。
勇斗は、それを見逃さなかった。
仁人を、連れ出そう、と思った。
最初に連れて行ったのは、港の近くの広場だった。
旅芸人の一座が、剣を持って旋回する舞を披露していた。刃が陽光を弾き、足拍子が石畳を叩く。
群衆が、歓声を上げる。
勇斗は、仁人の様子を窺った。
仁人の目は、舞い手を追っていた。
けれど、その瞳は、どこか遠くを映すように、虚ろだった。
次の日は、市場の奥の酒場で、弦楽器に合わせた女たちの踊りを見た。
その次の日は、貴族の屋敷の前で催されていた、仮面の舞踏会の余興を、遠くから眺めた。
そのどれにも、仁人は、反応らしい反応を見せなかった。
ただ、ほんの一度だけ、旋律に合わせて、指先が膝の上でかすかに動いた。
拍を取っていた。
勇斗は、それを、胸の中に大事にしまった。
人混みの中を歩くときは、いつも、仁人が後ろを歩いた。
勇斗は、数歩ごとに振り返った。
仁人が、いる。
人波に押されながら、少し遅れてついてきている。
それを確かめるたびに、勇斗は、小さく安堵の息をついた。
その日、仁人は、勇斗に連れられて、都の北の市場を歩いていた。
人いきれと、売り子の声の中で、仁人は、ぼんやりと足を運んでいた。
何を見ても、何を聞いても、胸の奥には、薄い膜が張っているような気がした。
古都を出てから、二週間以上が過ぎた。
声は、まだ出ない。
出そうとすることを、仁人はもうやめていた。
勇斗の背中が、前を歩いている。
時折、振り返って、仁人がいることを確かめる。
そのたびに、仁人の胸に、小さな何かが、ちくりと触れた。
罪悪感なのか、安堵なのか、自分でも分からなかった。
不意に、勇斗が足を止めた。
市場の外れ、石畳の小さな広場の片隅に、人だかりができていた。
その中心から、素朴な弦の音と手拍子が聞こえてくる。
仁人は、その音を聞いた瞬間に、立ち止まった。
知っている音だった。
人垣の隙間から、そっと覗く。
数人の人々が、輪になって踊っていた。
老いた男が、手作りらしい三弦を爪弾き、若い母親が、子どもの手を取って足を踏み鳴らしている。
衣は、継ぎが当たって色褪せていた。
けれど、その袖口に施された、葡萄の蔓の刺繍を、仁人は一目で見分けた。
黄色の国の、民の舞だった。
秋の収穫を祝う輪舞。
足拍子を揃え、手を取り合い、ゆっくりと輪を回していく。
宮廷の稽古場で、仁人が何年もかけて磨いてきた舞の、根にあるもの。
洗練される前の、土の匂いのする素朴な踊りだった。
小さい頃、王都の祭りの夜に、兄の肩に乗って、この踊りを眺めたことがあった。
民の輪の中で、母が、笑って足を踏み鳴らしていた。
懐かしさが、胸の奥から、堰を切ったように溢れ出した。
足が、動かなくなった。
すぐに、別の思いが、その懐かしさを塗り潰した。
──この人たちは、なぜ、ここにいるのだろう。
王都の葡萄畑も、祭りの広場も、この人たちの故郷だったはずだ。
それを捨てて、見知らぬ海の向こうの都で、石畳の隅に追いやられながら踊っている。
──僕のせいだ。
国を守れなかったから。
母上が遺した国を、滅ぼしたから。
この人たちから、故郷を奪ったのは。
視界が、滲んだ。
頬を、熱いものが伝った。
拭う前に、次から次へと、溢れてくる。
止められなかった。
膝が、がくりと折れそうになる。
子どもの一人が、踊りの輪から外れて、仁人の前に立っていた。
泣いている見知らぬ男の袖を、不思議そうに、小さな手で引いた。
その手の温かさに、仁人の喉の奥で、何かがほどけた。
「……ごめん、なさい」
小さな、掠れた声だった。
自分の耳に届いたその音を、仁人は、一瞬、信じられなかった。
もう一度、確かめるように唇を動かす。
「ごめんなさい。……ごめんなさい」
声が、出ていた。
勇斗が、息を呑んでこちらを見ている。
その顔を、仁人は、涙で霞んだ視界の中で見た。
勇斗は、何も言わなかった。
ただ、両腕を伸ばして、仁人を、ためらいなく抱き寄せた。
仁人は、その胸に顔を埋めて、子どものように、声を上げて泣いた。
どれだけ泣いただろう。
涙が、ようやく枯れてきた頃、仁人は、おそるおそる顔を上げた。
踊りは、いつの間にか止まっていた。
一行が、遠巻きにこちらを見ていた。老いた弦楽器弾きが、心配そうに、一歩近づいてくる。
「あんた、大丈夫かい。……もしかして、同郷かね」
仁人は、慌てて袖で顔を拭った。
勇斗が、さりげなく、その肩に手を添えた。
この人たちは、僕の顔を知らない。王の顔は、民の前に、ほとんど出たことがなかった。
それに、もう、死んだことになっているのだ。
仁人は、深く頭を下げた。
「失礼を、しました。……久しぶりに、故郷の舞を、見たものですから」
まだ少しだけ震える声で、続けた。
「とても、懐かしくて。……見ていたら、元気が出ました。ありがとうございます」
一行は、顔を見合わせた。
それから、老人が、からからと声を立てて笑った。
「元気が出たなら、何よりだ。わしらも、他に取り柄がないでな」
「踊ってりゃ、腹は減るけどね」
若い母親が子どもを抱き上げながら、肩をすくめた。
「国がなくなったって、足拍子は、体が覚えてる。ここに来てから、毎日、市場の隅で踊ってるのさ。……不思議と、踊ってると、あっちの畑の匂いまで、思い出せるんだよ」
仁人は、その言葉に胸を衝かれた。
彼らは、ただ、傷ついているだけではなかった。
故郷を失い、見知らぬ都の片隅に追いやられても、その手で足拍子を刻み、歌を奏でている。
国がなくなっても、民は、民のままだった。
何代も受け継がれてきた舞や歌は、国境や王の名とは関係なく、ひとりひとりの足の裏と指先に、脈々と流れ続けていた。
母が築いた国の、本当の姿は、冠や城の中にではなく、ここにあったのだ。
仁人は、そう、はっきりと感じた。
一行は、仁人と勇斗に、焼いたばかりの平たい麺麭を、半分ずつ分けてくれた。
礼を言って受け取ると、勇斗が、静かに、仁人の隣に立っていた。
その夜、宿の部屋に戻った仁人は、窓辺に腰を下ろしたまま、長い間、黙っていた。
勇斗は、少し離れた場所で、彼の言葉を待っていた。
声が戻った今、焦って何かを聞き出そうとは、思わなかった。
やがて、仁人が、ゆっくりと振り返った。
窓を背に、部屋の灯りの中に立つ勇斗を、まっすぐに見る。
船の上では、できなかったことだった。
何日も、何日も、背を向けたまま、後ろ手に確かめるだけだった。
それが、今、ようやく、顔を合わせて向き合えた。
「……やっと、君の顔を見られました」
勇斗が、目を見張る。
「ずっと、見るのが、怖かったんです。君の顔を見たら、全部、受け止めなければならなくなる気がして」
仁人は、静かに続けた。
「ありがとう。……あの時、僕を連れ出してくれて」
「仁人」
「怒っていないわけでは、ありません。置いてきたものの重さは、まだ、胸にあります。でも」
仁人は、少し、言葉を探した。
「僕は、もっと、君の話を聞けばよかった。僕の望みも、君の望みも、お互いに、ちゃんと話せばよかったんです。……僕は、君が何を願っているのか、考えたことが、ありませんでした。守ってもらうのが、当たり前だと、思っていた」
「俺も、話さなかった」
「そうですね。お互い様です」
仁人は、少しだけ、笑った。
「だから、話してくれて、ありがとう。あの夜、君が話してくれたこと。兄上との約束も、君の願いも。……全部、知らなかった。知らないまま、僕は、君を追放したんです」
勇斗は、何も言えずに、ただ、首を横に振った。
「また、君と話せて、よかった」
それは、短い、飾り気のない言葉だった。
けれど、その一言のために、どれほどの沈黙を、どれほどの距離を、越えてきたことだろう。
勇斗は、仁人の前に静かに膝をつき、その手を両手で包んだ。
「……ああ」
絞り出すような声だった。
「俺も、お前の声が、聞けてよかった」
窓の外では、見知らぬ都の灯りが、海面に揺れていた。
それから三月ほどの間、二人は、その都で、ただの旅人として暮らした。
勇斗は、港で荷を運び、時には商人の用心棒を務めて、日銭を稼いだ。
仁人は、市場で出会った難民の一行のもとへ、時折、顔を出すようになった。
子どもたちに、古い詩を読み聞かせたり、足拍子の拍を、少しだけ直してやったりした。
「そこ、半拍遅いですよ」と言うと、老いた弦楽器弾きが頭を掻いて笑った。
名を変える必要は、なかった。
死んだはずの二人を、知る者は、この都にはいなかったからだ。
ただの仁人と、ただの勇斗として、二人は、ごく普通の夜と朝を重ねていった。
やがて、季節が、ひとつ巡ろうとする頃。
夕暮れの港で、並んで海を眺めていたとき、仁人がぽつりと言った。
「勇斗」
「なんだ」
「一度だけ、王都に、帰りたいんです」
勇斗は、仁人の横顔を見た。
「戻りたい、のではありません。……あそこで、暮らしたいわけでもない。ただ、一度だけ、行って、見たい。僕が置いてきたものを、ちゃんと、振り返りたいんです。そうしないと、僕は、いつまでも、前を向けない気がして」
勇斗は、すぐには答えなかった。
危険は、あった。
死んだことになっている二人が、あの都へ戻る。
誰かに気づかれれば、舜太が施した偽りが、すべて崩れる。
それでも、勇斗の心は、すでに決まっていた。
仁人が、自分の言葉で、自分の願いを口にした。
それが、何より、勇斗が待っていたものだった。
「分かった」
勇斗は、静かに頷いた。
「一緒に、行こう」
仁人は、ゆっくりと、勇斗の方を向いた。
夕陽に照らされたその顔に、船の上では一度も見られなかった、穏やかな色が浮かんでいた。
二人は、並んで、海を見つめた。
この海の、東の向こうに、あの国がある。
コメント
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わあ……るりさん、この第七話、とても好きな回でした。 仁人の声が戻った場面、本当に涙が出そうになりました。子どもの手が袖を引く、あの小さな温かさで喉の奥がほどける——その描写に、目に見えない感情の動きがぎゅっと詰まっていて胸が震えました。 それから、難民の人たちが踊りを続けている姿。「国がなくなったって、足拍子は体が覚えてる」っていう言葉に、仁人が教えられたものの大きさを思うと、じんわりと力が湧いてきました。 冒頭で勇斗が仁人の指先の動きを「大事にしまった」という一文も、彼の見守る愛情が伝わってきて、心が温かくなりました。 二人の間に、ようやく言葉が戻ってきて本当によかったですね……!