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ドォンと物理的に心臓に響くような爆発音が聞こえてきた。水とおにぎりの入ったコンビニの袋を持ちながら、歩いている方向の先を見る。だいたい何があったか察する事が出来たが、そうでない事を願いまた歩き続ける。
しばらく歩き、幅数メートルはある錆びた鉄の門を開け、中庭を見るといつもの光景が広がっていた。
「そろそろ殺されてもいいんだよ?ずーっと逃げてちゃ疲れちゃうもんねぇ。」
「逃げてるのはどっちかな〜?僕も今すぐ殺してあげたいよ。ほら、無駄話してないでさっさと決着つけようよ、羊。」
「おぉ、かかって来いよ。その顔面ぐちゃぐちゃにして土に埋めてやるぜ、黒さん。」
そう言うと2人はそれぞれ武器を持ちながらぶつかりあった。
またやっちょる…。
金属が打ち付けられる音と叫び声が鳴り響き、ついに痺れを切らした暁さんが門から少し離れた玄関の両開き扉に八つ当たりしながら2人の元へ近づき割って入る。
「あのさぁ…何回言ったら分かるの?朝っぱらから近所迷惑だっつってんの。まだ寝てる人もいるのわからないかな?それで起こされた俺の身にもなれよ、おい。」
「…っす…」
相棒が不機嫌そうに外していたフードを渋々被りなおしながら言う。
「ほら、少年もいい加減落ち着け」
「黙れカス」
「あぁ!?」
あらら…こりゃしばらく説教かな。
そんな事を考え開いたまま掴んでいた門を閉めると半開きの玄関から双刃さんとかすみんが声をかけてきた。
「おかえり、どこ行ってたの?」
「ただいま双刃さん。散歩ついでにコンビニに寄ってただけよぉ。それより2人はどこ行くの?」
「俺らもコンビニ〜。あ、朱華さんくろんさんが呼んでたから行ってあげな」
「りょ!」
かすみんに促され門前で2人と離れ、少し遠くで言い合っている暁さんと黒さんをチラ見しながら玄関を開ける。
黒羊家は言わば大屋敷。住んでいる…というか居候している自分達一人一人に部屋が割り当てられ、茶の間、セッション部屋、ゲーム専用部屋、説教部屋など色々あり、覚えるのにとても苦労した思い出がある。たまに部屋を間違えて入ってくる人もいるが日常茶飯事すぎて慣れてしまったものだ。
玄関から入ると赤いカーペットが敷かれ、数m程離れた所に大きな階段が1つ、左右には何十個もの窓と向かいには何故か居候している自分達の似顔絵が1つずつ飾ってある。本当に謎だ。1階はキッチンやみんなで集まる部屋があり、2階に自分達の部屋が置かれている。長めの階段を息切れしながら上ると、おみおが鼻歌を歌いながらこっちへ向かって来る所だった。
「あ、はーちゃんだ」
「えびじゃん、お前もどっか行くの?」
「うん、ちょっと漫画買いに。はーちゃも一緒に行く?」
「わーりぃ、今からろんろんの所凸りに行くんだ…また後で誘って!」
「あーい」
そう言うとまたフンフン鼻歌を歌いながら軽快に階段を降りていった。何かいい事あったんかな。そんな事を考えながらろんろんのいる部屋の扉を軽く叩き、呼び出す。
「あ、はねちゃおはよ〜♪」
「ろんろんおはよっ!お話って何?」
「ふふっ、その事なんだけど…」
と扉を閉めながら言った。
「実はね…」
━━━━━━━━━━━━━━━
「あ〜、暇だなぁ…。」
戦いを止められ特に予定もする事も無く、20畳程の自分の部屋でだらだら過ごしていた。
壁には黒いジャンパーをつけ、腕を組み薄笑いしている自分の絵が飾ってあった。絵の端っこには小さく、『黒羊家の当主 黒羊』と記されていた。
「…何だその頭痛が痛いみたいな書き方。」
苦笑しながら自分の絵を触り、ベッドにぼふっと倒れ込む。黒さんと朝から戦い続けていたせいでかなり疲れが溜まっていたのだ。うとうとしていると突然ドアがノックされはっとする。立ち上がりながらどうぞーと声を上げると相棒の朱華が入ってきた。
「お、相棒じゃん。どしたの?」
「……」
声をかけても返事がなく下を向いたまま後ろ手で扉を閉め鍵をかけた。
「えっと、相棒…?」
相変わらず返事が無く体調でも悪いのかと心配になってくる。恐る恐る近づき大丈夫?と訪ね肩に手を置くと、突然息が出来なくなり、床に倒れ込んだ。しかし朱華の手は相変わらず後ろで組まれており、一切接触はしていないはずだ。感覚は一向に収まらずだんだんと視界がぼやけていく。すると後ろで組まれていた手がだらりと横に垂れ、そこには隠し持っていた愛ペンと小さなノートがあった。
「はっ…それ…」
ノートには汚く『沈黙』という字が書かれており、顔を上げるとそこにはハイライトがなく、この世の終わりのような表情をしながら黒羊を見つめる『誰か』がいた。
「はー、ちゃ…」
それをの言葉を最後に、意識がプツリと途切れた。しばらくしてはっと目を覚ます。辺りを見渡すと牢獄の中でボロボロのベッドで寝ながら両手に枷がついており、窓もなくあるのは天井の切れかけた蛍光灯1本だった。突然の出来事に脳の処理が追いつかず、じたばたしていると鉄格子の外から話しかける者がいた。
「おはよう、黒羊さん。」
「…え、相棒…?」
そこにはいつも見せる満面の笑みではなく、まるで弱者を見下すかのような冷たい無表情な顔が浮かびゆっくり檻の中に入ってきた。枷がつけられているせいで起き上がれず、横になりながら必死に助けを求めた。
「た、助けて!どういう訳か起きたらここにいたんだ…な、なぁ相棒、まさかあれは相棒じゃないよな?そんな事する訳ない、もんな?なぁ…」
しかし朱華は何も言わず必死に起き上がろうする黒羊をただ立って見つめるだけだった。
「おま…何か言えよ!」
そう言うと朱華はふっと鼻で笑い、そっと黒羊の首を掴む。手はゾッとする程氷のように冷たく表情も相まってとても生きているようには思えなかった。
「…んだよ、首絞めて殺そうっての?いいよやれよ、どうせ俺は抵抗出来ないんだ。ずっとここにいるより死んだ方がマシだ。」
勝手にしろよと叫ぶと朱華から微笑が消え、手を離し面白くなさそうに牢屋の出口に向かう。扉を開け外に足を踏み入れると同時に手枷を引っ張り壊し、朱華の背後で拳を構える。やれる、と後頭部を狙い力強く振り下ろす瞬間鋭い目付きでこちらを振り返った。突風が吹いたと思えば、後ろの壁に激突しハラハラと小石が手元に落ちてきた。目の前には先程までと変わらない体勢と顔でこちらを睨む朱華がいた。
何で…。
ふいっと外に顔を向けゆっくりとした歩みで目の前の暗く長い廊下に向かう。その足音と後ろ姿が見えなくなるまで、何も出来ずただ見つめるしかなかった。衝撃で身体がズキズキと痛む。冬のように寒く光もほとんどない地下空間で耐え難い眠気に襲われ、冷たいコンクリートの床でそっと眠りについた。
――――――――――――――――――――
「……さん、…つじさん…」
なに…もう朝…?
どっと来る疲れと二度寝したいという欲望をなんとか押しのけ、うっすらと目を開ける。
「羊さん…!」
床に座り込み体を揺さぶっていたのは紛れもない双刃さんだった。安心したように笑い良かったと声を漏らす。まだ頭が完全に回らず情報処理に時間がかかったが、体を起こそうとした時にきた背中の痛みで全てを理解した。
「双刃さん…どうしてここに…」
「それがよく覚えてなくて、かすみさんとコンビニに行ってた帰り道に何者かに襲撃され、目を覚ますとここに…」
襲撃という言葉が引っかかった。
そういえば自分もここに入る前、誰かに襲撃されたっけ…あれ、誰かって誰だ?
姿は分かるのに名前が思い出せず、モヤモヤしていると双刃さんが口を開いた。
「俺の見間違えだといいんですけど、その襲撃者が蜜柑さんに似ていました。というか、もろ蜜柑さんで…」
蜜柑…あぁ、朱華か…。
しかしまだモヤモヤする部分があった。朱華という人物の人柄、声、関係、それら全てが霧がかったように思い出せない。
朱華、朱華……相棒…?
相棒という言葉を思い出し急いで電波の繋がっていないスマホのホーム画面を見る。そこには黒羊と朱華のツーショット写真が設定されていた。
「あ、相棒…」
ガクッと地面に手を付き、なぜ今まで忘れていたのかと罪悪感に駆られた。
「羊さん、大丈夫ですか?」
大丈夫というように頷き、再び電源をつける。2人とも満面の笑みで寝っ転がっており、そこには闇など1つも感じさせない明るい光景が広がっていた。忘れていたんだ、とボソッと口に出す。はてなを浮かべる双刃さんの顔を見てはっきりと声にする。
「忘れちまう…ここで眠り続けていたら俺らの記憶が全部無くなっちまうんだ。今はたまたま双刃さんが起こしてくれたし写真を見れたから、『相棒』の顔を忘れかけていただけで済んだ。だが、起こされずあのままずっと眠っていたら…」
「自分自身すら、わからなくなってしまう…。」
その一言が恐ろく響き、思わず身震いする。仲間の名前も、声も、楽しかった思い出も、ここで眠りにつくだけで全て記憶から消去されてしまう。なぜ忘れてしまうのか、なぜ双刃さんがここにいるのか、その考えよりも先に1つの大きな疑問へと辿り着いた。
なぜ朱華はこんな事をしているのか。
口調は荒く、たまには喧嘩もする朱華だが自ら人に手を出していたぶる様な奴ではないと確信している。
じゃあなぜこんな事をしている?何のために?双刃さんがここにいるという事はまた誰か来るのか?疲労のせいか、深く考えていると息切れがしてきた。
「だ、大丈夫ですか?無理はしないで…」
「…っ大丈夫…ちょっとお腹空いた、かな」
誤魔化すつもりで言ったが、気づけば背中と引っ付きそうな程お腹が空いていた。それは双刃さんも同じらしく、ぐーっと鳴ると恥ずかしそうに目を逸らした。しかしお腹が空いた、といってどこからともなく食料が出てくる訳では無い。ましてや辺りには水1滴すら見当たらなかった。
もしかしたらパン1枚だけでも誰か持ってくるかもしれないと淡い期待を込めて暗闇に続く道を眺めていたが、人の気配所か物音1つすらなかった。
「まずい…このままだと俺ら餓死するぞ…」
鳴り続けるお腹を押さえ、大丈夫かと双刃さんに聞くとぺたりと地面に座り、下を向いたまま返事がなかった。
「双刃さん?お腹空きすぎて喋れなく…」
と突然近づいた黒羊を押し倒し計り知れない力で首を絞めてきた。その目は食べ物に飢えた猛獣のように鈍く、必ずお前を殺すという強い意志が伝わってきた。
「ぐっ…あぁ…」
「羊さん…人の肉って美味しいんですかね…俺、食べてみたくて…」
苦しさに耐えるので精一杯で言葉が頭に入ってこなかった。意識が朦朧としてきた中、最後の力を振り絞り、申し訳ないと思いながら勢いよく蹴り飛ばした。衝撃で双刃さんは激しく咳き込み憎しみを込めた目でこちらを睨んできた。
「…っ目を覚ましてくれ双刃さん、ここで2人争っていてもっ…意味が無いだろ…」
目を覚ましてくれと言いながらスマホのファイルを開き、かすみさんの写真を見せる。
「覚えてないのか、双刃さんの親友だろ…いつも一緒にいた仲だ、思い出してくれ!」
画面を見ると眠りから覚めたように目に光が戻った。
「か、かすみさん…」
どうして忘れていたんだと呟き涙を流す。と同時に、すみませんと何度も深く頭を下げられた。
「いや、いいんだ。思い出してくれて安心したよ。それよりも、双刃さんは眠っていたのか?」
「いいえ、ただ少しボーっとしていただけです…もしかして何も考えない時間を作るのが、記憶が消える原因…?」
正気に戻ったばかりとは思えない程の推理力に尊敬する半分、かなり危機を感じていた。腹も減り喉も乾き、ボーっとしてしまえば記憶がだんだんと無くなっていく空間…。これ以上にない絶望を真正面から受け、今にも発狂してしまいそうだった。すると双刃さんが一つだけ、と口を開く。
「一つだけ、方法があります。」
「方法?ここから出る手段か?」
「はい、かなり難しいですがもうこれしか…」
「これしかって、まさか…!」
「……やりましょう。生きて帰って謎を解きましょう。」
まだかなり薄暗いものの、希望の光が見えた気がした。迷いは捨て腹を括り、やるぞ!と声に出した。
何時間経ったのかわからない。いや、もしかしたら何日かもしれない。もう一度朱華が現れるまでボーっとせぬよう、しりとりや謎解きをしたりアニメの事について語ったりなど、やれる事はやったがもう喋る力すら残っていなかった。出るのは呻き声と弱音だけ。今にも意識を手放しそうになりながら朱華が来るまで耐え続ける。ここまできたら、眠ってしまうより発狂したほうが楽なのではないかとすら考えてしまう。
出ない涙を振り絞りながら必死に目を開けていると、遠くからコツコツと足音が聞こえてきた。最初は幻聴かとも思ったが、ゆっくりと近づいてくるその音に本物だと確信し目が覚める。急いで双刃さんと体勢を整え、その姿が見えるのを待つ。しばらくして暗闇から現れたのは朱華、ではなく、くろんさんだった。
「く、くろんさん!?」
思わず驚きの声をあげる。完全に朱華だと信じて疑わず、戦闘態勢にもしっかり入っていたのに拍子抜けだった。するとくろんさんはニコッと笑い口を開いた。
「どお?牢獄生活は楽しい?頑張って作ったから喜んで貰えると嬉しいなぁ〜♪」
純粋無垢な声で言われ、最悪だと言えない雰囲気になってしまった。しかしそう困惑する自分とは打って変わって双刃さんが真面目に質問する。
「くろんさん、すみませんがここはどこですか?頑張って作ったって、俺達をここに入れ、こんな事をしたのも全部くろんさんがやった事なのですか?」
「え〜、違うよぉ。これをやったのは、はねちゃだよ?」
そんな訳ない、とは言いきれなかった。現に朱華に監禁され、食べ物も与えて貰えず攻撃までされた。そう考えると何が違うのか分からなくなってきた。
「でも、なぜその事を知ってるんです?もし秘密にやっていたとしたら、いくらくろんさんにでもこの事は言わないと思うんですけど…。」
そう言われるとしばらくくろんさんから返事がなかった。笑顔は張り付いているものの、その視線はサッと下を向きキョロキョロしている。
やっぱり何か…と考えていると突然牢屋一帯の重力が重くなり、身体中が押さえつけられる感覚に襲われた。息をするので精一杯で立ってなどいられなかった。それに、このどこかで感じた事のある感覚。
「…相棒!おい、いるんだろ…お前の能力で、俺らの行動を制御しているんだろ…!」
すると、のしかかっていた重しが外れ浮いている感覚になる。浮き沈みをしているせいで流石に酔ってしまう。
「く、くろんさん…やっぱり蜜柑さんを操っていたのは、くろんさんなんですか…?」
息切れをし咳き込みながら双刃さんがいう。すると、ふふっと笑いだし冗談の相手をするように話し出す。
「やだなぁ、操ってるなんて…そんな事出来るわけないじゃん。ただちょっとはねちゃの能力と感情を『貰った』だけだよ?」
「もらっ、た…?」
双刃さんが理解不能と言うようにその言葉を繰り返す。そうだよとくろんさんが返事をし、朱華が常に持ち歩いている愛ペンとノートをフリフリと見せびらかし開く。そこには『絞首』、『圧迫』、『無力』そして『忘却』と記されていた。
「はねちゃの能力って便利だねぇ。即効だけじゃなく、考えるだけで永続と詳しい効果がつけられるなんて。」
と言い、パタリとノートを閉じる。じゃあねとだけ残し去っていこうとするのを止め、枯れた声で必死に問いかける。
「ま、待てよ!じゃあ何で相棒は部屋で俺を襲った?あの時は確かに相棒の手には愛ペンが握られていた。それに、俺らをここに閉じ込める理由もない…そう考えると今のくろんさんが相棒に乗っ取って操っているとしか思えないんだよ!」
「…勘が鋭いねぇ羊は…でも、ちょっと違うかな〜♪」
くろんさんがふふんっ、と鼻を鳴らしながら言った。
「オレは、はねちゃを乗っ取ったんじゃなくて、はねちゃに『使命を与えただけ』だよ〜?」
「使命…?何だよそれは、俺と双刃さんを殺す事か?」
「またまたハズレ♪全く、羊は謎解きが苦手だなぁ。オレが与えた使命…単純なものだよ。」
クスッと笑い、その使命を聞いた瞬間底なしの絶望の沼に陥れられたような気持ちになった。
「『全ての人間を殺せ。思い出も自分も忘れた廃人共を、1人残らず。』ってね…♪」
――――――――――――――――――――
「……どうするんですか、羊さん…」
くろんさんが去り、しばらくして双刃さんが声をかけてくる。
「どうするって、何が。」
「ここから出る方法は…」
「ある訳ねぇだろそんなの!さっきの言葉聞いてなかったのか?『忘却』をかけられたのは俺ら2人だけじゃない…暁さんやみおさんも、皆が皆の事を忘れ挙句の果てには廃人だ!」
胸ぐらを掴み、叫びかける。落ち着いてと手を掴みなだめようとするも、余計黒羊を興奮させるだけだった。
「それに見たか?ノートに書かれた『無力』の字を…。俺らは能力が使えない。例え誰かが助けに来たとてあの膨大な力を持ったくろんさんに勝てる訳が無いんだよ!」
「ひつじさ…」
「うるさい!もう耐えれない、こんな所で廃人になって忘れられてしまうなら、その前にお前を殺して俺も死んで…」
「羊さん!」
突然今までにない大きな声で叫ばれ、思わずはっとする。目の前には落ち着いた、しかしどこか悲しんでいる顔をしている双刃さんがいた。
「…お気持ち、お察しします。でもここで叫んでいてもただ体力が奪われるだけ、何も得はありません。」
胸ぐらを掴んでいた手をそっと押しのけ、なるべく刺激しないよう優しく声をかける。
「確かに俺達が出来る事はかなり限られています。絶対にこれだという策がなくとも、なるべく生きて帰る方法はあります。」
「……」
「絶対に負けないと高を括る敵ほど、その小さな穴に気づけないものですよ。」
しばらくして、まずは牢屋を出る方法について考える事にした。壊すという案も出たがそれだと音で気づかれてしまう。だからといって鉄格子の隙間を通れる訳もなく、壁や床に穴を掘って出る事も出来なかった。叫んでも暗い廊下に反響するだけで外に届きそうもない。となれば…。
「…ピッキング?」
「そうです、隙間も通れず外に声も届かない状況でここから出るには、まずこの扉を開ける事が重要です。」
「ふーん…」
先程叫び暴れたせいでなかなか力が湧いてこず、素っ気ない返事しか出来ず申し訳なかった。しかしそれを察してくれたのか無理に話しかけたり質問をしたりする事はなかったのが救いだ。
ピッキングのやり方は至って簡単だった。まずは鍵穴がどういう構造なのか調べる。ものによっては、一般のピッキングでは開かないものもあり、そこを見分けるのが重要だ。スマホのライトをONにし、写真や動画を撮りなるべく情報を集める。幸い双刃さんが開けると判断し早速作業に取り掛かった。ピッキング道具は手枷を引っ張り壊した時に散らばったなるべく長い欠片を使い、外部から見れないので音を頼りに鍵を開けていくしかなかった。相変わらず何かを常に考えて過ごすというのはかなりの苦痛であった。最初は出た後の作戦を考えていたものの、次第に集中力が切れスマホのファイルを見る回数が増えていった。名前なんだっけ、顔は、声はと思い出す度に罪悪感が既にボロボロの心を蝕んでいく。そろそろスマホの充電が切れそうな頃、カチャっとなり錆びた鉄の扉が悲鳴をあげるように開いた。
「すげぇ…」
「関心してる場合じゃないです…早く行きましょう」
手を差し出す双刃さんに立たされ、フラフラしながら牢屋の外に出る。特にこれといった実感はなかったが出られただけでも有難いと思う事にした。暗闇に覆われた廊下はスマホのライトでも足元が見えるくらいで、先を照らす事は出来なかった。まるでお化け屋敷みたいだと震えながら進んでいると、どこからかカタッと音が鳴り裏返った声で悲鳴が出てしまう。そんな黒羊に対して、なかなか余裕そうな双刃さんが遠くを見透かそうと目を細めたり、構造を確認しようと壁を触ったり真剣に進んでいた。
しばらく廊下を歩いていると、出口のような扉に当たり慎重に開ける。すると案外簡単に開き、目の前には長い階段が設置されていた。
「これもまた先が見えねぇけど…上るの?」
「じゃないと出られないですよ。行きましょう」
正直階段は普通に歩くよりもしんどく、休み休み上る事しか出来ずまた足を引っ張ってしまった。すまねぇ双刃さん…と思いながらまた足を上げる。
一体どれだけ階段を上ったのだろうか。ただ疲れているだけでそこまで長くはなかったかもしれないが、感覚的に数時間は上っていた気分だった。するとまた先程と同じ扉があらわれ、それもすんなりと開いた。
頼む、もう外であってくれ…!
数cmだけ開けていた扉をゆっくりと引くと、数日前こっそり作ったまだ何も置いていない秘密部屋で、くろんさんの後ろ姿とその目の前には傷や血だらけになりか細い息で倒れ込む朱華の姿があった。その目は青黒く、無の感情が詰まり込んだ顔をしていた。
「はねちゃ〜、もっと仕事してくれないとオレ困るんだけどぉ?何回言えばわかるかな?はねちゃは皆を殺すだけでいいの。眠らせるだけでいいの。簡単でしょ?なのに何で許可なく外に出ようとした?能力も失って力もないのに、わざわざ危険を犯してまで外に出ようとした理由を教えて欲しいなぁ?」
そう言うと、朱華の腹を踏みつけゴミを見るような目で囁きかける。
「いい加減言う事聞かないと、本当に殺すよ?あんたも皆と同じ地獄に連れて行ってやろうか?」
苦しそうに口を動かすが、聞こえないと言い蹴りつける。息をするのもギリギリなのだろう、何度も起き上がろうとするが力が入らず深く息を吐くばかりだった。しかし朱華がこちらの存在に気づいた時、はっきりと聞こえた。
「……たすけて…」
感情を失い、残酷な使命に心を支配された人間から聞こえてくる声ではなかった。それは、巣から落ちそのまま飛び立てず母親にも忘れられ、1羽虚しく生涯を終える小鳥のような雰囲気だった。
「…羊さん」
「わーってるよ…」
ドアを勢いよく開け放ち、くろんさんの後ろに立つ。するとまるでこの世の全てを憎むような目をこちらに向け、口を開いた。
「何だ、思ったよりも早かったな。」
思ったよりもという事はあそこから脱走するのは想定内であったのだろう。しかし、こちらもくろんさんがそんな反応をするのは想定内だった。1度深呼吸をし、焦らないよう状況を整理する。
目標は生きてここを出る事。多少の怪我は仕方ない、誰かに助けを求めくろんさんの感情を鎮める事が最優先だ。何度も深呼吸をし、バクバクと鳴る心臓を落ち着かせる。行けますか?と声をかけられるが、答えはもう決まっていた。
「…行こう」
部屋は広く、くろんさんと2人の間にはかなり距離があったが、そのお陰ですぐに攻撃されず済んだ。黒羊は右、双刃さんは左と左右に分かれ攻撃のチャンスを窺う。しばらくしんと静まり返った時間が続く。何分、何時間にも感じるその空間の中、遂にくろんさんが動き出した。愛ペンを取り出しノートにさらさらと何かを書き上げていく。それを邪魔するように黒羊と双刃さんが両サイドから殴りにかかる。能力を使用している身体に慣れてしまい動きづらく違和感を感じたが、致し方なかった。全速力で走り構えていた拳を振り下ろす。するとカンッと鉄の壁を叩いたかのような音と共に弾き返され、それと同時に突風が吹き壁に思いっきり激突してしまった。
両方とも受け身の体勢を取っていたためそこまで大きな痛みはなかった。しかし、だからといって攻撃が止まる訳では無い。すぐに次の攻撃、『落石』が襲いかかる。どこからともなく現れた石ころが頭上にハラハラと落ちてくる。しかもかなりのスピードでくるため当たると痛い所の話ではなかった。なるべく動きたくなかったが、仕方ないと走りながら扉へ向かう。すぐ目の前に来てドアノブを掴もうとした瞬間、分厚い氷の壁が扉の前を覆う。
「そう早く逃げられると思ったの?3人には今ここで死んでもらうよ」
いつものくろんさんとは思えない声色と口調でゾワッとする。息を整えるのも束の間、また攻撃がくる。『竜巻』、『落雷』、『重圧』…いつ終わるかもわからない攻撃に耐え続けるのはかなりキツかった。何度か攻撃をくらいながらも、まだ生きている奇跡に感謝した。何度か殴ったり蹴ったりしてみたが、やはりシールドが壊れる事はなく弾き返されるばかりだった。
しかし、やっと見つける事が出来た。朱華…正確には今のくろんさんのグリル・オレンジ『火炎』が発動し、部屋の中が燃え始めた。幸い、気を失っている朱華に被害は行かず何とか留まっている。それと同時に、壁に隠してあった銃を取り出し、くろんさんに向ける。
「…本当にそんなおもちゃで攻撃が通ると思ってるの?馬鹿だなぁ相変わらず…羊は本っ当に何も変わってないね」
「あぁそうだ、俺は変わってない。でも、無理に変わる必要もないだろ?」
「ごちゃごちゃうるさいなぁ。もう諦めてオレに殺されなって、ね?」
双刃さんの方も向き、笑いながら問いかける。両方とも銃を構えているのにも関わらずこの余裕、不覚にも尊敬してしまう。
「馬鹿ばっかり、どうせ自分だけ助かればいいと思っているんでしょう?表では皆を庇っていても裏では自分の事しか考えていない。裏切って裏切られて、それの繰り返し。愚かだねぇ…♪」
ルンルンとしながら言うくろんさんに照準を合わせる。ここで終わらせる、そんな思いで引き金に手をかける。
…しかし、それでいいのか?本当は皆裏でこっそり何か言っているかもしれない。今まで付き添ってきた双刃さんも、自分の事を嫌な奴と思っているかもしれない。そう考えると胸が苦しくなり引き金を引く力が消えていく。このまま倒れた方が楽だ、このまま皆を忘れてしまった方がラクだと悪魔の囁きが聞こえる。
やっぱり、俺は…。
「……あい、ぼう…」
部屋が炎でぱちぱちと燃える中、1人のかすれた声が聞こえてきた。
「…たす、け……」
その助けを求める朱華の目は悲しく、気のせいかどこか希望の光が見えた気がした。やるしかない、か。改めて銃を構える。迷いや雑念は捨て、引き金を引く指に力を集中させた。双刃さんと目を合わせ、頷く。
「愚かな…ここで全員死んでもらうよ」
と言いノートに文字を書き始めた。その文字が何か、それはこの光景を見ればすぐに分かるものだった。
「羊さん!」
「了解!」
精一杯の力で引き金を引く。途端、金色の弾丸が飛び出しくろんさんの周りに張ってあったシールドが、ガラスが割れるような音を立てて粉砕された。信じられないというように、目を見開きこちらを睨む。その隙を狙い双刃さんがくろんさんの持っている愛ペンとノートを奪い取った。
「何をするんだ、やめろ!」
すみませんと一言呟き、愛ペンをへし折りノートと一緒に炎の中へ投げ込んだ。すると炎は大きく燃え上がり、ペンは溶け、ノートは全て灰になってしまった。止めようと伸ばした腕をそのままに、ぺたりと地面に座り込む。途端、いつものあの感覚が戻ってきた。
「くろんさん、やってくれたね…?」
朱華の能力でかかれた『無力』の効果が無くなり、自身の能力『子羊の乱舞』を2段階目まで発動する。
「ち、ちが、オレは…」
「何が違うんだ?説明してみろ。」
愛ペンが無くなり、朱華の能力を失い冷静な判断が出来ないくろんさんは恐怖の底へと落とされた。
「…違う、ただ、ただちょっと…」
言い訳をしようとするくろんさんを睨むと、うっと声を出して押し黙る。本当は今ここで戦っても良いのだが、状況が状況で外に出ずにはいられなかった。
「はぁ…早く行くよ…」
分厚い氷に覆われた扉を双刃さんの『深淵の渦』で吸い取りなんとか安全な屋敷内に戻る事が出来た。朱華を担ぎドタバタしながら屋敷の階段前に戻ってくると、暁さんと黒さん、みおさんとけむりさんが行方不明になっていた猫を見つけたような表情で駆け寄ってきた。
「ひーちゃん!どこいってたの、みんな心配したよ!」
「羊ぃ、また変な事してたのか?説教するぞ?」
「双刃さんも、はーちゃんも無事でよかった…戻ってこないんじゃないかって心配したよ。」
「んー、ま、生きててよかったねー。」
それぞれ心配と歓喜の言葉を述べるが、こちらからは謝罪の気持ちを述べる事は出来なかった。
気がつけば病院のベッドで寝ており、点滴と機材が横に設置してあった。体を動かすと節々が痛み、寝返りだけでもしんどいまであった。スマホを見ると、あの日の出来事から既に5日が経過しており体の状態がかなり悪く、しばらくは双刃さんと朱華と入院だと伝えられた。
――――――――――――――――――――
「…ま、目標の生きて帰るは無事に達成出来ましたね」
「無事か?これ…」
「生きてるだけいいじゃないですか」
「まぁな。」
ふーっと息を吐き、隣でベッドに座る双刃さんと他愛のない会話を繰り返す。朱華は集中治療室へ入れられ、くろんさんは精神病院へ行き、しばらく会う事は出来ないと伝えられた。まぁ、今はあまりあの人達には会いたくないかな。とも思った。
「にしても、羊さんナイスでしたよ」
「…足引っ張ってただけだが?」
「いえ、そうじゃなくて、仲間と自分を信じる心を持てた所とか」
「そうか…」
上手く持てたかなと考えるも、頭が痛くなってきたのでその想像は一旦保留としておく。
しばらくして色々な人がお見舞いに来てお菓子やら話しやらを持ってきてくれた。おかげで暇をせず、なんなら前よりも楽しく喋れた気さえした。これもあれを経験したからだろうか。思い返すと胃がキリキリと痛んでくるも周りに話す事はしなかった。
面倒事は、これ以上関わりたくないなぁ…。
「あ、みてみてあれ、ひつじ雲!」
みおさんが指を指した方向を見ると青空の中、マシュマロのように細かく置かれたひつじ雲があった。
「でもあれは普通の羊だな、こっちは黒羊だよみおさん」
「俺は普通じゃないのか!?」
けむりさんとの会話に皆がどっと笑う。
この時間よ、ずっと続け。
そう思いながらまたひつじ雲を見ると、病院の門の近くに身体中に包帯を巻いた人影が見えた。その人影はこちらを睨み、目が合うと去って行ってしまった。
「ん?ひーちゃんどしたの?」
みおさんの言葉すら入らない程、俺は酷く混乱していた。