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レトの正体を知って驚き、力が抜けて立っていられなくなった。
冷たい床の上にぺたんと座る。
その時にマントがずれて、セミロングの髪が顕になる。
「お連れの方は女性だったのですか……?
これは、失礼致しました。
年を取ると目がよく見えなくなってしまいましてな……。
しかし、先程の無礼は許し難いものでありますぞ」
「いや、いいんだ。
かけらとは対等な関係でいたいから。
でも、この事は皆には秘密にしておいて欲しい」
「なんですと……!?
旅に出ているうちに、婚約者を見つけられていたとは……。
とてもおめでたいことです。皆、喜ぶことでしょう」
王子の婚約者なんて、こんな可愛くない私がなれるはずがない。
これ以上、勘違いされないように両手を振って否定する。
「ちっ、違います……!
私は、レトに助けられただけで……。
知り合ったばかりですから」
「そうだよ。僕が、かけらを見つけたんだ」
「レト様が助けられたのですか……?」
「ここから少し離れたところでかけらが倒れていたんだ。
なかなか起きなかったから、心配だったけどね。
でもこの通り、動けるようになってよかったよ」
立ち上がってからズボンについた土を落とし、念の為にマントを被って顔を隠す。
事情を話したから大丈夫だろうと思っていると、ジイさんの表情がまた険しくなってきた。
「今すぐに、その女から離れてください。
この村で一度も見掛けたことがない顔です。
もしかしたら、敵国から来た者かもしれませんぞ。
先日、よそ者が我が国を監視していたと騒ぎになったばかりですから。警戒しなければ……」
ジイさんは、私からレトを引き離すように間に入ってきた。
守るように両手を伸ばす姿から、大切に思っていることが伝わってくる。
この国のことを何も知らないんだから、信用されないのは仕方がない。
「大丈夫だよ。かけらは僕たちに危害を加えたりしない」
どこから来たのか分からなくて、知り合ったばかりの私を庇ってくれるレト。
会社で仕事をしていた時は、酷いことを言われていても、誰も味方になってくれなかった。
でもレトは違う。
私を信じて、味方になってくれている……。
「うぐっ……。いけませぬぞ……」
ジイさんが床を杖でコンコンッと二回叩いたあと、数人の知らない大人の男が入ってくる。
男たちは、玄関を塞ぐように並んで私の逃げ場をなくした。
「村の者たちを待機させておきました。
レト様には申し訳ありませんが、これは国を守るため。
その女を今ここで捕らえます」
ミルクをもらいに来ただけなのに、とんでもないことになってしまった。
ここで捕まってしまったら、ジャガ煮を食べるより酷い生活が待っているのだろうか。
他に逃げることができそうなところはない。どうしよう……。
「道を開けて欲しい。
僕とかけらはやることがあるんだ」
「退きませぬ……。
王家の評判を落とさないためにも、知らない血を持った女に手を出すのはおやめください」
こまた誤解されてしまったようだ。
私はレトのために料理を作りたいだけなのに……。
「レト王子は見ていてください。
その女をすぐに捕らえますので」
村の人がぐいっと私の腕を掴んで、家の外へ引きずり出す。
行きたくなくても強い力に負けてしまい、どんどん前に引っ張られていく。
「やっ……、やめてください。痛いですってば……」
「大人しくしていれば痛い目には合わない。
我々は、おまえを連れて行くだけだ。
それから先のことは、王都の者が決める」
外には、村の人たちが集まっていた。
不安そうな顔をしている人もいれば、怒っているような表情をしている人もいる。
「何の騒ぎ?」
「またよそ者がいたの!?」
「怖いから早く連れて行って!
こっちは厄介事に巻き込まれたくないんだから」
「どう考えても敵国の奴だろ。
レト様は危なかったな。
見つけるのが遅かったら、どうなっていたことやら……」
この国に急に現れて、王子であるレトと一緒にいるんだから村の人たちが恐れて当然だ。
私はこの世界でも嫌な思いをして過ごすのかな……。
でも怖がらずに話を聞いてくれるレトと出会えてよかった。
味方になってくれる人もいるって、知ることができたから……。
助けてくれて、ご飯を作ってくれて、楽しく話せただけでも嬉しかった。
短い間だったけど、ありがとう。レト……――
「やめてくれ……!」
レトが周囲にいる人たちを黙らせるくらいに大きな声を出す。
それに驚いたのか、連れて行こうとしていた男は私から手を離した。
村の人たちは一斉に話すことをやめて、レトの方を見ている。
「彼女の名前はかけら。
僕らの国、グリーンホライズンさえ知らなかったんだ。
敵だったら、この国の名前くらい知っているだろう」
ジイさんは眉を寄せてから私に視線を向けた。
次は何を言ってくるのか。怖くてごくりと唾を飲む。
「お主、本当か……?」
「はい。ここがどこなのかも分かりませんでした」
「この世界には四つの国がある。
そして、戦争をしているということはご存知かね?」
「えっ……。四つの国が戦争をしているんですか!?」
そんな物騒な感じは一切しなかった。
森や草原が荒らされている様子もなくて、平和だと思っていたのに……。
「皆は当たり前のように知っている。
しかし、驚くような反応をするとは……。
お主は記憶喪失になったのか?」
「そういうわけでは……。
いや……、そんな感じです……」
私の住んでいた世界はたくさんの国がある。
つまり、四つしか国がないこの世界は、別の世界ということになる。
そう言ってもジイさんや村の人たちは信じないだろう。
だから、この場は記憶を失っているということにしておく。
嘘をつくのが苦手だから、見破られてしまいそうで怖いけど……。
「むぅ……。レト様は、どうお考えで?」
「その可能性もあるかもしれない。
しかし、かけらは僕の知らないことを教えてくれた。
それはこの国の中では知ることができなかった話だ」
「この女が有能だと……?」
「そうは見えないぞ」
「この身なりで商人でもやっているのか?」
やはり、村の人たちには信じてもらえないようだ。
「皆は“塩”という物を知っているかい?
白い色をしていて、落とすと拾うのが大変なほど小さい、結晶のような物だ。
かけらは、その調味料を教えてくれた」
「なんだ、その異物は……」
「怪我をしたりしないのか……?」
「調味料ってなに?
塩とか聞いたことがないんだけど、触れるの?」
どうやら、村の人たちも塩や調味料を知らないようだ。
居ても立っても居られなくなった私は一歩前に出る。
「ジャガ煮をもっと美味しく作れる物です!」
たくさんの人がいる前で大きな声を出したことがないから緊張して手が震える。
怖いけど、私がレトに話したことだから責任を持たなくてはいけない。
でも、なんて説明すればいいんだろう。
この国のことがよく分からないから難しい。
困っていると、レトが私に目を合わせてきて頷く。
きっと「任せて」と言っているんだろう。
レトは村の人たちの方を向いて口を開いた。
「食糧難で心をすり減らしている中、料理を美味しくすることで英気を養う。
塩や調味料は、その助けになる可能性を持ったものだと思う。
僕は終わらない戦争を皆に耐えてもらっていることが苦しい。
王である父は、戦力を強化することばかりで民の生活には無関心だ。
旅をしてそれが分かったよ。
だから僕はこの国を変えるため、新しいことに取り組んでいきたいと考えている」
「レト様……。
国を変えると言っても、そう簡単にできることではありませんぞ。
四つの国の戦いはずっと続いておりますから。
今はどの国も食料難で、一時的に停戦している状態ですが……。
三ヶ月後には再戦するとの噂です。民の生活など考えている場合では――」
「戦いは終わりますよ……」
「かけら……?」
「お主は、またおかしなことを……」
「食べ物にも困らず、武器を持たないで平和に暮らしている国もあるんですから。
この国でもきっと、その日がやって来ます」
そう言うと村の人たちが動揺してざわつき始める。
ジイさんはその状況を眺めてから大きなため息をついた。
「どうやら、この女は本当に記憶がないみたいですな……。
レト様、もう夜になっているのでワシの家でお休みください。……そちらの女も一緒に」
「ジイさん……」
「ほら、村の皆。レト様とワシが、この女を見ているから帰ってよいぞ。
生きているうちにジャガ煮が美味くなれば、この女は幸運の女神になるのだからな」
「分かったよ。何かあったらジイさんのせいだからな」
「レト王子、ご無事で」
村の人たちはジイさんの言うことに従って帰って行った。
王都に連れて行かれなくてよかった……。
レトに手招きされて、ジイさんの家の中に戻る。
どう思われているのか分からないけど、今日はここにいるしかなさそうだ。
パチパチッと焚き木が燃える音が聞こえるくらい静かになった時、レトはジイさんに頭を下げた。
「ありがとう、ジイ。助かったよ」
「いつかは王になるのですから、こんな老いぼれに頭を下げないでください。
ワシと村の皆は、レト様を信じただけですから……。
しかし、この女を見逃すのは今回だけです。
次は村長として、村の皆に納得してもらう選択を取らせていただきます」
「うん。かけらが危害を加えてきた時は、僕が責任を取るから安心して。
でもそんなことないと思うけどね。かけらは面白くていい人だから」
「レト……」
その後、ジイさんが用意してくれた藁のベッドで横になり、目を閉じて休んだ。
少し間を空けて隣にいるレトは、疲れているのか何も話さず背を向けて横になっている。
今日は本当に色んなことがあった……。
仕事中に階段から落ちて、目が覚めたら知らない世界にいて、レトと出会って……――
元の世界はどうなっているんだろう。
離れて暮らしている両親は、今頃心配しているのかな……。
連絡したいけど、何も持っていないし、世界も違うから声を聞くこともできない。
私はなぜ、この世界に来てしまったんだろう。
それとも長い夢でも見ているのだろうか。
ここから帰れる方法があるのか、ないのかも分からない……。
答えが出ないことを考えていても、まだ夜は明けない。
それに寒くて眠れない……。
壁の隙間から冷たい風が入り込んでくる。
どこにいても寒いのは一緒だから、眠くなるまで散歩をしてこよう。
もちろん、レトとジイさんから離れない範囲で……。
そっとドアを開けて外に出ると、大きな木の葉が風で揺れていて、優しい光を放つ月が見えた。
冷たい地面に座って空を見上げる。
雲ひとつ見えない夜空には、星がキラキラと輝いている。
この国の自然は素敵だ。心が落ち着く。
それなのに、終わらない戦争をしていて、人々の心に余裕がない。
何も知らないこの世界で私ができること……。
この世界でしたいことは……――