「麗、おいで」
姉が顔を上げ、麗を見ている。
社長の椅子を後ろに下げて空間を作ってくれた姉の傍に行き、麗はふらふらと膝をついた。
そうして姉のふとももに頭を乗せて、撫でてもらうのだ。
姉が麗を褒めるときにしてくれるいつものお約束。
「本当に偉かったわね。私がこんなに早く帰ってこれたのは麗のおかげ」
優しい手付き。
「うん、姉さんのためだもの」
これが麗の人生で一番幸福なとき。
それなのにひどくもやもやしていた。
(どうして私、明彦さんが頭を撫でてくれるときのことを思い出しているんだろう)
「麗が明彦と結婚してくれて姉さんすっごく助かったわ。流石私の妹」
ちょうど明彦のことを考えていたので麗はドキリとしたが、気づかれなかったようで姉はふふふと笑った。
「明彦に私不在の間、会社を任せられたし。その上、須藤百貨店の支配人、自社の御曹司を無碍にできないみたいで止まっていた改装の話が一気に進んだって部下から聞いたわ」
姉は以前、数ある佐橋児童衣料の店舗の中で、最も売上が高い須藤百貨店の梅田本店のリニューアルに着手していた。
だが、責任者の姉が父に追い出されたことで須藤百貨店の支配人が難色を示していたのだ。
「気づいたら、そうなっていただけだよ」
そう、いつの間にか明彦と結婚していたのは事実だ。
明彦もまた父の死と姉の帰還によりかなり忙しいようで、あれから全然話せていない。
朝早く出勤し、麗が眠りについた深夜に帰ってきている。
「麗、明彦と今どうなっているの?」
「どうって……大切にしてもらっているよ」
「本当に? まだ麗は飽きられていないの?」
姉がコテンと小首をかしげた。どこか楽しそうに。
「飽き、られる?」
明彦に飽きられる。考えたこともなかったことに麗の体は冷水を浴びせられたように冷たくなった。
「だって、そうでしょう? あの男がこれまでどれほど恋人を取っ替え引っ替えしてきたと思うの」
「でも、ふられるのはいつも明彦さんの方で……」
「そう仕向けていただけよ。あいつが恋人に捨てられて悲しんでいる姿、見たことある?」
「ない、かもしれない……」
ない。そう、ないのだ。一度も。
いつも平然としていた。
「でもでも、心のなかでは悲しんでいたかもしれないし……どうしてそんな、明彦さんは姉さんの友達なのに……」
明彦を冷たい人間だと断じるような姉の言葉に、ぐるぐる目が回る。
麗は初めて姉に反発心を覚えた。
「それは勿論、私にとって明彦より麗が大切だからよ」
姉が上半身をかがめて麗の頬を撫でた。
「だからね、須藤百貨店の改装が終わった後なら、別れてもいいわよ。離婚は困るから別居にしてほしいけど」
「明彦さんと、別れる?」
「飽きられた後にまで一緒にいるのは辛いでしょう? 麗が大切だから言っているのよ。麗にとっても私が一番よね?」
麗はいつものように反射的に頷いた。
まるでそれは明彦に傾いていた麗の心を取り戻そうとするかのような言葉。
「うん、私は姉さんがこの世で一番好き」
何故だろう、その言葉は自分で言っていて酷くぎこちなく感じた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!