「はじめまして、社長秘書を務めております……」
新たに姉の秘書となった麗は、名乗ろうとして止まった。
「はじめまして、この度はこちらの我が儘で突然すみま……」
その午後、広報部長の引き合わせにより、本社の玄関で映像会社の人と互いに頭を下げた時だった。
突然、客のありきたりな口上が止まったので、麗はそっと顔をあげた。
「……やっぱり、麗ちゃんだ」
「えっ? あ、角田くん……さん」
そこにいたのは、短大時代に参加していたインカレサークルの同期の角田悠祐《 つのだゆうすけ》だった。
「あれ? 二人は知り合いなの?」
部長が首を傾げるので、麗は角田がサークルで一緒だった旨を伝えた。
「じゃあ積もる話もあるだろうし、後はお若い二人で」
サクサクと去っていく部長の背中に見合いじゃないんだから待って、と麗は言いたかった。
なぜならサークルで一緒だった頃、麗は角田がとても苦手だったからだ。
天然だと罵られたり、マスコットキャラだと嘲笑われていたので、多分彼もまた麗のことが嫌いなはずだ。
姉と明彦が京都大学を卒業する最後の年に、麗は近くの女子短大に進学したので、一年間だけ、姉と明彦が主催していた企業と学生が繋がってビジネスを創造するサークルに参加させてもらったのだ。
麗が入った時はもう、姉も明彦もサークルの主導権を後進に譲っていた。
しかし、それでも二人の影響力は強かったようだ。
学内はもとより他大学からも入りたい学生が殺到して書類審査まであったサークルに、麗は明彦に連れてきてもらった上に、あの姉の妹であるという立場だけで特別扱いしてもらえたらしく、そもそも審査があったことすら知らずに入った。
だからだろう、姉と明彦と同じ大学に通う角田には何か失敗する度、天然だよねと言われたり、麗ちゃんはマスコットキャラなんだし作業は俺がやるから座ってたら? と露骨に邪魔者扱いされていた。
就活のときに何かしていた方が有利だからと言う明彦が、麗のために本来ならば入れないようなサークルにコネを使って入れてくれたという立場をよくよく理解していたので、細々とした手伝いや掃除などはちょこちょこやるようにしていた。
だが、パソコン作業となるとわからないことも多く、直接企業の偉い人と話したりすることも、素晴らしいアイデアをもっているわけでもなかったため、後にサークルの会長になった有能な彼にとって邪魔な存在だったのだろう。
結局、麗は角田が怖かったのと、短大生故の就活のスタート時期の早さもあり、姉と明彦がサークルを引退するのと同時にだんだんと顔を出すのをやめていったのだ。
「えっと、部屋にご案内させていただきますね」
麗はエレベーターのボタンを押しながら気まずいこの状況をどう打破しようかと迷っていた。
久しぶりー! 元気だったー? 私は超元気だった。それに結婚したのー、相手はな・ん・と明彦さんなの! キャッ、言っちゃったー。
(うん、無理。もれなくなんで佐橋なんかが須藤先輩と!? と驚かれて結婚の経緯を聞かれそう……)
できるだけ己の名字が変わったことは言わないでおこうと麗は決意した。
「久しぶりだね」
エレベーターに乗ると、角田が話しかけてきた。
「そう、です、だね」
角田が敬語を使わなかったので、麗も敬語を止めた。
「もしかしたらすれ違ったりするかもしれないと思ってはいたけど、早速会えてビックリしたよ」
「ホント、私もびっくりした。角田君は、今映像会社にいるんだね。確か法学部だったよね、てっきり、弁護士さんになるものかと」
麗は取り敢えず、当たり障りのない話をすることにした。
「俺がいたのは法学部でも政治学科だからね、弁護士は元々関係ないよ」
「そうだったんだ」
「大学時代にある映画に出会ってね。将来、映画監督になりたいと思い立った結果なんだ」
「じゃあ、夢に向かって修行中なんだね」
(やっぱり、凄い人)
折角、難関大学を卒業しエリートコースに乗れたというのに、蹴って、己のやりたいことをしている。
貧乏性の麗には真似できない生き方だ。
麗が角田を苦手ではあるが大学時代から垣間見えていた、その行動力には憧れていた。
「そんなとこ。親は俺に地盤を継いで政治家になってほしかったからそれで絶縁してる」
カラカラと笑う角田に、麗が返事に窮しているとエレベーターが停まり、再び二人で歩く。
「今回のショートCMは俺のキャリアにとっても大事だから全力で頑張るつもりだからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
角田は大学時代に比べると、随分落ち着いて見えた。
背も高く、短く揃えた髪に、明彦や麗音のような規格外ではないが、整った顔立ちはよくモテるだろう。
もしかしたら、もう結婚しているのかもしれない。
確か、麗が卒業した後、サークルの同期の女性と付き合いだしたと、偶然町であった別の同期から聞いた気がする。
麗は資料室の扉を開けた。この部屋は機密情報も多くあるので、入れる人間が制限されており、麗は角田がいる間、ずっと傍についている必要があった。
「ごめんね、散らかってて。何か資料がいる場合は探すから言ってね」
お茶、とはいえペットボトルを机に置くと、角田がお気遣いなくと言ってくるが、そういうわけにもいかない。
「そういえば、この会社のことをネットで調べてを見て知ったんだけど、同姓同名の人が前の社長さんなんだね」
おそらく角田がホームページを見たときは情報が更新されていなかったのだろう。
「いや、えっと、それはちがうくて、……実はつい最近まで私が社長で、姉が就任した感じで」
二人の間に沈黙が生まれた。
「………………あはは、面白い」
角田の乾いた笑いが響く。
「……本当に私が社長やってたの」
麗は俯いた。
「いやいや、またまたー、そんな馬鹿な。え、なんで?」
最終的に真顔になった角田に麗は目を泳がせ頬をかいた。
サークルにいたころ、麗からリーダーシップというものを感じたことがなかったはずだ。
角田は本気で不思議そうな顔をしている。
「創業家の血を引く上層部の傀儡が必要で……」
「あー、なるほどぉ。あ、ごめん、なるほどって言っちゃった」
角田が慌てて手を横に振ったが、別に気にしなくていい。
「父と姉さん、仲悪くてさ。とりあえず中継ぎ? みたいな感じで。それで、父が亡くなって姉が帰ってきたからお役御免みたいいな?」
「大変だな、佐橋も。ってか、お父さん亡くしたばっかか。ずけずけ聞いちゃってごめん。大丈夫?」
「平気、平気、父とは私も仲悪かったから。それに、世界で一番大好きな姉さんが帰ってきてくれたんだから私は幸せ」
麗が頷くと、角田が笑った。
「相変わらずのシスコン」
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