「はじめまして、社長秘書を務めております……」
新たに姉の秘書となった麗は、名乗ろうとして止まった。
「はじめまして、この度はこちらの我が儘で突然すみま……」
その午後、営業部長の引き合わせにより、本社の玄関で映像会社の人と互いに頭を下げた時だった。
突然、客のありきたりな口上が止まったので、麗はそっと顔をあげた。
「……やっぱり、麗ちゃんだ」
「えっ? あ、角田くん……さん」
そこにいたのは、短大時代に参加していたインカレサークルの同期の角田悠祐《つのだゆうすけ》だった。
「あれ? 二人は知り合いなの?」
部長が首を傾げるので、麗は角田がサークルで一緒だった旨を伝えた。
「じゃあ積もる話もあるだろうし、後はお若い二人で」
サクサクと去っていく部長の背中に見合いじゃないんだから待って、と麗は言いたかった。
なぜならサークルで一緒だった頃、麗は角田がとても苦手だったからだ。
天然だと罵られたり、マスコットキャラだと嘲笑われていたので、多分彼もまた麗のことが嫌いなはずだ。
「えっと、部屋にご案内させていただきますね」
麗はエレベーターのボタンを押しながら気まずいこの状況をどう打破しようかと迷っていた。
久しぶりー! 元気だったー? 私は超元気だった。それに結婚したのー、相手はな・ん・と明彦さんなの! キャッ、言っちゃったー。
(うん、無理。もれなくなんで佐橋なんかが須藤先輩と!? と驚かれて結婚の経緯を聞かれそう……)
できるだけ己の名字が変わったことは言わないでおこうと麗は決意した。
「久しぶりだね」
エレベーターに乗ると、角田が話しかけてきた。
「そう、です、だね」
角田が敬語を使わなかったので、麗も敬語を止めた。
「もしかしたらすれ違ったりするかもしれないと思ってはいたけど、早速会えてビックリしたよ」
「ホント、私もびっくりした。角田君は、今映像会社にいるんだね。確か法学部だったよね、てっきり、弁護士さんになるものかと」
麗は取り敢えず、近況を聞き出すことにした。
「俺がいたのは法学部でも政治学科だからね、弁護士は元々関係ないよ」
「そうだったんだ」
角田がカラカラと笑った。
「大学時代にある映画に出会ってね。将来、映画監督になりたいと思い立った結果なんだ」
「じゃあ、夢に向かって修行中なんだね」
(やっぱり、凄い人)
折角、難関大学を卒業しエリートコースに乗れたというのに、蹴って、己のやりたいことをしている。
貧乏性の麗には真似できない生き方だ。
麗が角田を苦手ではあるが大学時代から垣間見えていた、その行動力には憧れていた。
「そんなとこ」
エレベーターが停まり、再び二人で歩く。
「だから今回のショートCMは俺のキャリアにとっても大事だから全力で頑張るよ」
「よろしくお願いします」
照れている角田は大学時代に比べると、随分落ち着いて見えた。
背も高く、短く揃えた髪に、明彦や麗音のような規格外ではないが、整った顔立ちはよくモテるだろう。
もしかしたら、もう結婚しているのかもしれない。
確か、麗が卒業した後、サークルの同期の女性と付き合いだしたと、偶然町であった別の同期から聞いた気がする。
麗は社長室の扉を開けた。
「ごめんね、散らかってて。何か資料がいる場合は探すから言ってね」
お茶の準備をしていると角田がお気遣いなくと言ってくるが、そういうわけにもいかない。
「麗ちゃん、この会社の資料を見て知ったんだけど、同姓同名の人が社長さんなんだね」
「いや、えっと、それはちがうくて、……実はこの前まで社長で、姉が新たに就任した、みたいな」
二人の間に沈黙が生まれる。
「………………あはは、面白い」
角田の乾いた笑いが響く。
「……本当に私が社長だったの」
麗は俯いた。
「いやいや、またまたー、そんな馬鹿な。え、なんで?」
最終的に真顔になった角田に麗は目を泳がせ頬をかいた。
サークルにいたころ、麗からリーダーシップというものを感じたことがなかったはずだ。
角田は本気で不思議そうな顔をしている。
「上層部の傀儡、てきな?」
「あー、なるほどぉ。あ、ごめん、なるほどって言っちゃった」
角田が慌てて手を横に振ったが、別に気にしなくていい。
「父と姉さん、仲悪くてさ。とりあえず中継ぎ? みたいな感じで。それで、父が亡くなって姉が帰ってきたみたいな」
「大変だな、佐橋も」
「これも世界で一番大好きな姉さんのためだから、仕方ないよ」
麗が頷くと、角田が笑った。
「相変わらずのシスコン」
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