テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
Nebraska
83
#atkr
ソラ
2,695
ぴのん
7,233
おらふは、たぶん最初から分かっていた。
この恋は、実らない。
そう思った瞬間、胸の奥に小さな痛みが生まれた。
その言葉をはっきり胸の中へ置けるようになったのは最近のことだったけれど、もっと前から、どこかでは知っていたのだと思う。
知っていたのに、見ないふりをしていた。
ドズルが自分を見て笑ってくれる。
名前を呼んでくれる。
隣に座ってくれる。
そういう一つ一つを、ただの優しさだと分かっていながら、心のどこかで特別なものにしたかった。
もしかしたら、自分だけに向けられたものかもしれない。
そんな可能性を、手放したくなかった。
だから、「実らない」という言葉を認めることは、可能性を一つずつ諦めていくことに似ていた。
おらふは、その作業を急がなかった。
急げなかった。
ドズルには大切にしている生活がある。
守りたい人たちがいる。
仕事があって、仲間がいて、その全部を抱えながら、今の場所に立っている。
おらふは、そのどれも壊したくなかった。
好きになったからといって、自分がそこへ入り込んでいいとは思わないし、誰かを押しのけてまで振り向いてほしいとも思わなかった。
そのことだけは、恋だと気づいた最初からはっきりしていた。
だからこそ、苦しかった。
ドズルに近づきたい。
もっと自分を見てほしい。
できるなら、特別になりたい。
そう思う一方で、ドズルが大切にしているものを、自分のために変えてほしいとは思えなかった。
どちらの気持ちも消えないまま、胸の中に残った。
だから、告白しないことを決めた。
正確には、今は言わないことを選んだ。
その決断をした夜、おらふはすぐに眠れなかった。
告白しないと決めたことで、言えない言葉がはっきり形を持ってしまった。
好きです。
その一言が、頭の中に浮かんでは消えた。
もし伝えたら、ドズルはどんな顔をするだろう。
驚くのか。
困るのか。
それとも、いつも通りに笑ってくれるのか。
どの想像も、最後には怖さへ変わった。
今の関係が変わるかもしれない。
今までのように隣にいられなくなるかもしれない。
名前を呼ばれることさえ、少し遠くなるかもしれない。
いつか気持ちが変わるかもしれないし、何年も経ったあとに、別の形で話したくなることがあるかもしれない。
それでも、少なくとも今のおらふにとっては、伝えることより、今の関係をそのまま大切にしていたいという気持ちのほうが強かった。
それでいいのだと、おんりーとぼんじゅうるに言ってもらえた。
けれど、おらふはすぐには頷けなかった。
告白しないことは、逃げているだけなのかもしれない。
傷つくのが怖いだけなのかもしれない。
それでも、逃げているだけだとしても、今は逃げてもいいのだと思った。
自分を守るために選んだことを、無理に立派な決断にしなくてもいい。
怖いから言わない。
失いたくないから言わない。
その気持ちも、嘘ではなかった。
告白するかしないかは自分で決めればいい。
両思いになることだけが答えではない。
あの夜に聞いた言葉は、そのあと何度も思い出した。
最初は慰めだった。
やがて、許してくれる言葉になった。
恋愛というものには、必ず出口があるのだと思っていた。
好きになったら、伝える。
伝えたら、付き合うか、振られるか。
どちらかへ進まなければ、その恋は未完成で、いつか終わらせなければならないものだと思っていた。
けれど、そうではないのかもしれない。
進まなくてもいい恋がある。
名前をつけたあと、その場所で静かに咲いているだけの気持ちがあってもいい。
そう思おうとしても、本当は実ってほしいという願いまで消えたわけではなかった。
ドズルに選ばれたい。
ドズルの中で、自分だけが少し特別であってほしい。
その気持ちを抱えたままでも、好きでいていいのだろうか。
答えは出なかった。
ただ、答えが出ないままでも朝は来た。
仕事へ行けば、ドズルに会う。
その事実だけで、胸の奥が少し動いた。
嬉しい。
会いたい。
でも、会えばまた好きだと思ってしまう。
そのことが、少し怖かった。
ある日の収録終わり。
みんなで片づけをしていた時、ドズルが少し離れた場所から声をかけてきた。
「おらふくん、それこっちお願いしていい?」
「ええですよー。」
反射的に返事をして、言われたものを持っていく。
ドズルは受け取りながら、
「ありがとう、助かる。」
と笑った。
たったそれだけだった。
けれど、その言葉と笑顔は、おらふの中に残った。
今までなら、胸の奥が暖かくなる理由を考えなかった。
今は知っている。
好きだからだ。
名前を呼ばれただけで嬉しい。
頼られれば、自分がここにいてもいいのだと思える。
笑ってくれれば、その笑顔を自分だけのものにしたくなる。
そこまで考えて、おらふは首を振った。
そんなことを望んではいけない。
でも、望んでしまう気持ちまで、なかったことにはできなかった。
最初は、感情が分かることが怖かった。
嬉しいと思ったあとに期待して、現実へ戻される。
その繰り返しが、また傷つくことにつながる気がした。
それでも、少しずつ慣れていった。
嬉しいと思ったら、嬉しいままでいていい。
そのあとに何も起こらなくても、嬉しかったことまで消えるわけではない。
自分はこの人のことを、こんなふうに好きなんやな。
そうやって、自分の中にあるものを知っていく時間は、思っていたより穏やかだった。
片づけが終わる頃には、外はもう暗くなっていた。
その日は全員で近くの店へご飯を食べに行くことになった。
古い定食屋で、五人で座るとテーブルの上がすぐにいっぱいになった。
ドズルは大きめの定食を頼み、ぼんじゅうるは最後まで悩み、おんりーは早々に注文を決め、MENはそれを見ながら笑っている。
いつもの光景だった。
その「いつも」が、おらふにはありがたかった。
自分の中だけが変わって、周りは何も知らないまま、いつも通りに笑っている。
そのことに安心しながら、少しだけ寂しくなった。
おらふもメニューを眺めながら笑った。
こういう時間が好きだった。
ドズルだけではなく、ぼんじゅうるも、おんりーも、MENもいる。
それぞれが勝手なことを言って、くだらないことで笑っている。
この五人の中に、自分の場所がある。
そう思えた瞬間、少しだけ呼吸が楽になった。
けれど、ドズルが笑うと、やっぱり目で追ってしまう。
自分の生活には、いろんな大事なものがある。
それに気づけたことは大きかった。
だからといって、ドズルへの気持ちを小さくする必要はないのだと、最近は思えるようになっていた。
料理が来る。
ドズルの前には、明らかに量の多い定食が置かれた。
「多っ。」
おらふが言う。
「いけるいける。」
「筋肉に全部行くん?」
「行く。」
「ほんまに?」
「多分。」
「多分なんや。」
みんなが笑う。
そのやり取りの途中で、ドズルがおらふの皿を見た。
「それ美味しそう。」
「食べます?」
「いいの?」
「一口だけですよ。」
少し取り分けて渡す。
ドズルは普通に食べて、
「うま。」
と言った。
それだけで、また嬉しくなる。
自分が選んだものを食べてくれた。
同じ味を知ってくれた。
そんなことを、何度も胸の中で繰り返した。
でも、今はそれを恥ずかしいとは思わなかった。
好きな人が、自分が美味しいと思ったものを同じように美味しいと言ってくれた。
嬉しくて当然だ。
ドズルにとっては、ただの一口だったかもしれない。
それでも、嬉しかったことまで小さくする必要はない。
ただ嬉しい。
それでよかった。
店を出たあと、みんなで駅へ向かって歩いた。
夜風が少し冷たく、車道を走る車の音が続いている。
前を歩くぼんじゅうるとおんりーが何か話していた。
距離は近いけれど、べったりしているわけではない。
それでも、おらふには分かる。
二人の間に、以前にはなかったものが一つ増えている。
恋人。
羨ましくないと言えば嘘になる。
好きな人に好きだと言えて、その人からも同じものを返してもらえることは、きっと幸せなのだと思う。
自分も、もしそんな世界があったなら嬉しかっただろう。
ドズルが自分と同じ気持ちを持ってくれる世界。
何度も想像した。
けれど、現実へ戻ると胸の奥に空白ができた。
以前ほど苦しくはない。
それでも、苦しさがなくなったわけではなかった。
自分には自分の恋がある。
ぼんじゅうるとおんりーには、二人の恋がある。
形が違うだけだった。
そう思いながら、おらふは少しだけ歩く速度を落とした。
前を歩いていたドズルが、ふと振り返った。
「おらふくん、遅れてるよ。」
「はいはい、今行きますって。」
少しだけ歩く速度を上げ、ドズルの隣まで追いつく。
「何してたの?」
「別にー。」
「ぼーっとしてた?」
「ちょっと考え事。」
「珍しい。」
「どういう意味やねん。」
「いや、おらふくんいつも元気だから。」
「考え事くらいしますよ。」
「何考えてたの?」
聞かれて、一瞬だけ迷った。
あなたのこと。
そう答えたら、どんな顔をするのだろう。
言ってしまえば、少し楽になるのかもしれない。
でも、ドズルが困った顔をしたら。
今の距離が変わったら。
そこまで考えて、言葉を飲み込んだ。
「秘密です。」
「えー。」
「秘密の一個くらい持たせてくださいよ。」
「まあ、いいけど。」
ドズルはそれ以上聞かなかった。
そのことに安心した。
同時に、少しだけ寂しかった。
本当は、もう少し気にしてほしかった。
その矛盾も含めて、そういうところが好きだった。
深く聞かない。
相手が言わないなら、無理に開けようとしない。
その距離感に、何度も救われてきたからこそ、壊したくなかった。
駅が近づいたところで、道が少し混み始めた。
人を避けるために、ドズルが一歩おらふの側へ寄る。
肩が少し触れた。
ほんの一瞬、体が固まった。
以前なら、その一瞬に何度も意味を探していたかもしれない。
今でも胸は少し鳴る。
これはただ人を避けただけ。
ドズルにとっては、それだけ。
分かっているのに、嬉しい。
期待してはいけないと自分に言い聞かせながら、おらふは普通に歩いた。
触れた。
嬉しい。
それで終わり。
何でもかんでも未来へつなげなくてもいい。
この瞬間が嬉しかったなら、それはちゃんと自分のものだった。
駅前で、みんなそれぞれ別れる。
「じゃあまたね。」
ドズルが言う。
その言葉を聞くと、やっぱり少し嬉しかった。
また会える。
そのことを思うと、胸の奥が柔らかくなる。
「また明日。」
おらふも返す。
ドズルが軽く手を振り、人混みの中へ消えていった。
おらふは少しだけ立ち止まった。
追いかけたいとは思わない。
もう少し一緒にいたかった気持ちは、すぐに消そうとしなかった。
でも、それでいい。
少し足りないくらいの時間を、次に会う楽しみにして帰ればいい。
寂しさを抱えたまま、おらふは駅を離れた。
家へ帰ると、むぎとそらが迎えに来た。
「ただいまー。」
二匹を撫でてから部屋へ入る。
机の上には、四つの水色のマスコットが並んでいた。
ドズル。
ぼんじゅうる。
おんりー。
MEN。
全部同じ顔。
それでも、どれが誰からもらったものか分かる。
最初の一個へ手を伸ばす。
ドズルにもらったもの。
「これ、おらふくんっぽい。」
あの日の声を思い出す。
少し笑った。
やっぱり。
好きだ。
その気持ちは、もう否定しなくていい。
好きだと認めると、叶わないことまで一緒に認める気がした。
それでも、おらふはそう思った。
おらふはマスコットを元の場所へ戻し、ソファへ座った。
今日のことを思い出す。
「ありがとう、助かる。」
「うま。」
「おらふくん、遅れてるよ。」
「また明日。」
どれも普通の言葉だった。
ドズルにとっては、きっと何でもない。
でも、おらふにとっては、何でもないままではいられなかった。
少し前までは、「実らない」という言葉に、もっと暗いものを感じていた。
叶わない。
報われない。
終わっている。
好きになったこと自体が間違いだったように思えた夜もあった。
でも、今は少し違う。
実らない花が、咲いていないわけではない。
誰かに摘まれなくても。
誰かに選ばれなくても。
そこに咲いていた時間まで消えるわけではない。
ドズルを好きになって、嬉しかった日がたくさんあった。
普通の言葉に救われた日。
一緒に買い物をして楽しかった日。
「おらふくんっぽい。」と、マスコットを買ってもらった日。
「俺の恋人なんで。」なんて、本人には何の意味もない言葉に一人で困った日。
少し苦しくて、夜中に洗面所で手を洗った日。
嬉しいところだけでもなく、苦しいところだけでもない。
全部合わせて、自分の恋だった。
誰かに認めてもらわなくてもいい。
ドズルに返してもらえなくてもいい。
自分が確かに好きだったということだけは、誰にも奪えない。
そう思うと、少しだけ呼吸がしやすくなった。
むぎがソファへ飛び乗ってくる。
おらふは隣を軽く叩いた。
「おいで。」
むぎが丸くなる。
その背中を撫でながら、おらふは思う。
自分には、この家がある。
猫がいる。
仲間がいる。
仕事がある。
笑える時間がある。
明日も、多分普通に忙しい。
ドズルのことを考える時間も、その生活の中の一つだった。
大きい。
とても大事。
でも、全部ではない。
むぎがいて、そらがいて、帰る場所があって、仲間と笑える。
その全部が、自分の生活を作っている。
「僕、別に不幸ちゃうし。」
口に出してみる。
むぎが耳を動かす。
「ドズルさん好きなんは、その中の一個なんよ。」
指先で、柔らかな毛を撫でる。
「めっちゃ大事な一個やけど。全部ではない。」
叶わない恋をしている自分は、可哀想な人間ではない。
時々は苦しくてもいい。
寂しい日は、寂しいままでいい。
好きな人と付き合えないことと、自分の人生が不幸であることは、同じではなかった。
ドズルを好きで、叶わなくて、それでも自分の生活を大切に思える。
その全部が本当だった。
いつか、この気持ちが薄くなる日が来るかもしれない。
別の人を好きになるかもしれない。
何年経っても、ドズルを見れば少し胸が暖かくなるのかもしれない。
それはまだ分からない。
今、決めなくてもいい。
ただ、今のおらふは、この恋を捨てたいとは思わなかった。
叶わないからやめる。
報われないから意味がない。
そんなふうには、どうしても思えない。
だって、こんなにたくさん嬉しかった。
それだけで、十分な理由になる気がした。
窓の外では、遠くを走る車の音が小さく聞こえている。
おらふはソファに少し深く座り、むぎの背中を撫でながら、机の上の水色のマスコットを眺めた。
明日になれば、またドズルに会う。
普通に名前を呼ばれて、普通に返事をして、くだらない話をして笑うのだろう。
その時、自分の胸が少しだけ暖かくなったら、それでいい。
きっと、また嬉しくなる。
そのあとで、少し苦しくなるかもしれない。
それでもいい。
伝えなくても。
叶わなくても。
好きだった時間まで、何も間違いにはならない。
おらふは、机の上に並んだ四つの水色を見て少し笑った。
「実らんでも、咲いてはおるんよな。」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
その言葉は、今度は素直に胸へ馴染んだ。
実らない恋をしている。
それでも明日は楽しみだったし、好きな人に会えることを嬉しいと思える自分もいる。
その両方を抱えたまま生きていけるのなら、今のおらふには、それで十分だった。
「僕、今けっこう幸せなんよ。」
むぎの背中を撫でながらそう言うと、猫は何も答えず、ただ安心したように目を細めた。
おらふもそれ以上は何も言わなかった。
答えの出ない恋を抱えたままでも、夜は静かで、家は暖かくて、明日はちゃんとやってくる。
そのことが、今はとても嬉しかった。
「また明日。」
その言葉を胸に残したまま、おらふはしばらく動かなかった。
コメント
1件
ネブラスカさん、第8話拝見しました……「実らんでも、咲いてはおるんよな」というおらふのつぶやきに、胸がいっぱいになりました。叶わない恋を抱えながらも、自分の中の“好き”を否定せず、生活の一部として受け入れていく強さがとても丁寧に描かれていて、読んでいてじんわり温かくなりました。ドズルとの何気ないやりとりの一つひとつが、おらふにとっては大切な瞬間なんですよね。マスコットを並べるシーンや、むぎを撫でながら「今けっこう幸せなんよ」と言うラストが本当に沁みました。続き、楽しみにしています。