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キースが向かったという市街外れの邸宅は、40分ほど馬を走らせた場所にあった。
ナイジェルが邸宅の裏に馬をつなぎながら静かに答える。
「情報によれば、こちらがディマス殿下の所有する邸宅一つらしいです」
俺たちは二人でその邸を見上げる。あの誘拐事件を指揮した男の邸だと考えるだけで、胸の奥がざわつく。俺は足早にナイジェルを促し、表門へ向かう。
門前には厳重な警備が敷かれていた。
しかし、ナイジェルが侯爵家の家紋を見せると、驚くほど簡単に中に通された。
中には警備の人間はいないようだ。……ちょっと杜撰な気がしなくもない。
「……案外、あっさりしてるな」
「伝達としては侯爵家の紋を持つものを通すように指示されているのでしょうね。まあ、よかったです。あちらが迂闊で。いえ、迂闊と見せかけて余裕があるのかもしれませんが」
ナイジェルの言葉に、俺は小さく息を飲む。門から邸の前に進むにつれ、不安がさらに胸を締め付けてくる。
そして、扉の前に立ったとき、微かに聞こえてくる声に足を止めた。
「君は何をしたいんだ、ディマス」
「私の目的は明確だ。君こそ、そんなザマでリアムを繋ぎ止められると思うのか?」
それはキースとディマスの声だった。俺は息を呑み、扉に耳を押し当てた。
※
広間の中、キースは冷たい目でディマスを見つめていた。
「リアムに手を出した時点で、君は終わりだ。僕がここに来たのは、それを告げるためだよ」
「終わり?フフ、君のほうが執着に囚われているじゃないか。あの少年は君を選んでいるとでも思っているのか?」
ディマスは余裕を見せながら、口元を歪める。その言葉にキースの目が鋭く光る。
「君には関係ない話だ。リアムは僕の大切な存在だ。それを傷つけようとする者は、許さない。それだけだ」
「ほう……だが君の闇は、リアム自身をも蝕むだろうね」
ディマスの言葉に、キースの拳がわずかに震えた。それを隠すように両手を組み直し、冷たい声で続ける。
「君の力、僕に差し出してもらう」
「……何?」
ディマスの表情が一瞬、硬直する。次の瞬間、キースの背後から闇の気配が立ち上る。
それはは、まるで生き物のようにうねり、ディマスに向かって牙を剥くようだった。
その黒い気配に、部屋の空気が凍りつく。
そしてディマスに向かって流れ込むように伸びた。
「キース、お前……まさか!」
「言っただろう?リアムに手を出した時点で君は終わりだと」
キースの眼光が冷たく光った。
ディマスの目が見開かれ、その余裕が完全に消えた。彼の背筋に冷たいものが走ったのがわかるほど、キースの力は圧倒的だった。
※
キースの冷たい声が、まるで刃物のように響いてくる。扉越しにも伝わる緊迫感に、足が震えそうになる。
けれど放っておくわけにはいかない。俺は扉を押し開けた。
「兄様!」
その声にキースは動きを止め、驚いたように振り返った。ディマスは気配を削がれたのか、その場に片膝をついている。
「リアム……なぜここに?」
「兄様こそ、何をしてるんだ!ディマスに……その力は……!」
キースは一瞬迷うような表情を見せたが、すぐに冷静を装い、俺に近づいてきた。
「リアム、ここは危険だ。僕が終わらせるから、外に出ていなさい。ナイジェル、リアムを出してはいけないと指示をしただろうに……」
緩く、キースは溜息を吐く。ナイジェルはキースを見ると少しバツが悪そうだった。
「僕が無理を言ったんです。でも、兄様が終わらせるって、何を?ディマスはすこしおかしくなっているだけで……」
終わらせる、がどの終わらせるかは定かではないが……きっと『命を』終わらせる方の終わらせるなのだろうと予測がつく。それはまずい。そもそもディマスがしたことは俺だって許せるものではないが、殺すほどではない。それならば正当に侯爵家から訴えを出して、法で始末をつけてもらった方がいい。
「兄様……!」
俺は思わず叫ぶ。キースが抱える闇が、どんどん広がっていくような気がして怖かった。
「リアム……君は優しいね。でも、君を守るためには、僕が手を汚す必要があるんだ」
「そんなのいらない!僕はそんなことは望んではいない!今が平穏であればそれで……!」
俺の言葉にキースは一瞬だけ目を見開いた。しかし、すぐにその表情は曇る。
「それじゃ足りないんだ、リアム」
優しいけど、瞳の奥には恐ろしい炎が揺らいで見える。
そのとき、ディマスが立ち上がり、声をあげた。
「……フフ、やはり執着の化身だな、キース。だが君一人では私を飲み込むことなどできない!」
ディマスの手から雷光が放たれ、俺たちの間に割り込むように闇を掻き消した。俺は後ろに跳ね退る。
「リアム!危ない!」
キースが俺を抱き寄せ、闇の中から俺を守る盾のように立ちはだかる。
「……ほう。そこまでしてそのウジ虫を守るのか」
ディマスは薄笑いを浮かべながらも、その目には明らかな焦りがあった。
キースの力は本来風だ。俺に教えるときも学園で教えるときも自身の風魔法を使用していた。しかしキースの纏う力は見るからに闇の力……闇属性は聖属性と同じく希少なものだ。まさか、キースがその使い手とは思ってもみなかった。恐らく、これも俺とノエルが思い出せない事柄の一つ……。
キースは俺を片手に抱いたまま、掌から紫色の煙を燻らせた。煙はキースと俺を守るように、俺たちの周囲に広がる。闇の結界──だろう。
「兄弟もろとも、消えてしまえ……!」
ディマスが叫び、続いて詠唱する。再び手から雷光を走らせた。
同時にキースがディマスへと手を向けると、黒い炎がディマスに向かっていく。
広間の中、闇と光の気配が激しくぶつかり合う。
ディマスが振り上げた手に宿る雷の力は、キースの張り巡らせた結界に阻まれているが、その圧力は増し続けている。
「リアムなんて、レジナルドに相応しくない!」
ディマスの叫びが響く。その声は苛立ちと嫉妬で歪んでいた。
「レジナルドが本当に愛するべきは、私だけだ!」
ディマスの視線が一瞬だけ俺に向けられる。そこに宿る憎悪に、思わず体が硬直した。
「……僕はレジナルド先輩に興味はない……」
小さく呟いた俺の声に、ディマスは狂ったように笑い出す。
「ふざけるな!何もかもお前が悪いんだ!レジナルドは本来、私のものだったんだ!それなのにお前が現れてから、あの方の目はお前ばかりを追うようになった!」
「それは……」
否定したい言葉が喉元まで上がるが、うまく言葉にできない。レジナルドが思うのは俺ではないリアムだ。だから俺は彼の想いを受け入れる気はない……が、俺本意じゃないとはいえ、事態を見る限りそうも見えないだろう。それがディマスにとってどれほどの屈辱だったのかを思うと、ただ黙るしかなかった。
「……ディマス、君は本当に愚かだね」
冷ややかな声が響いた。キースが俺の前に立ちはだかり、ディマスを睨みつけている。
先ほどまでの雷光とは違い、ディマスの手にも黒い炎が現れた。その黒い炎は、まるで彼の嫉妬そのものが形を成したようだった。
……あいつも闇の力を持っているのか……!
「レジナルド殿下が君に興味を持たない理由も分かるよ。君のような狭量で歪んだ愛を、誰が受け入れたいと思うだろう?」
「……何だと?」
ディマスの目に怒りが宿り、黒い炎がさらに燃え盛る。けれどキースは一歩も退かない。それどころか、冷静な声で続ける。
「貴様だって同類のくせに……!」
「一緒にしないでほしい。……リアムは僕のものだ。それを脅かす者は、たとえどんな理由があろうとも排除する。それが隣国の王子であってもだ」
その言葉に、俺の胸がざわつく。キースが言う「僕のもの」という言葉の重さが、いつも以上に強烈に響いた。
「うるさい!うるさい!うるさい‼」
ディマスが叫び声とともに黒い炎を放つ。それが広間を埋め尽くそうとした瞬間、キースが片手を上げ、闇の力でそれを打ち消した。
キースとディマス、俺の目から見ても二人の闇の力は格段に違う。キースの方が、強い。
「リアム、僕の後ろにいて」
キースが振り返らずに告げる。俺はキースに近づこうとしたが、渦巻く闇の力に弾かれ、一歩も前に進めなかった。彼の背中をただただ見つめた。その背中がこれほど頼もしく、同時に恐ろしく見えたのは初めてだった。
「ディマス、これが最後の警告だ。大人しく引き下がれ」
「誰がお前の言うことなんて聞くか!お前らが消えれば、レジナルドは──!」
ディマスの狂気じみた叫びが広間に響く。
「分かった。君に選択肢を与えた僕が愚かだった」
キースが静かに呟く。
次の瞬間、キースの周囲に闇が渦巻き始めた。その力がディマスの黒い炎を圧倒し、飲み込んでいく。まずい、これは──!ディマスがあの炎に飲まれる……!
「兄様、やめて!」
思わず叫んだ俺の声に、キースがほんの一瞬だけ振り返る。その瞳には深い悲しみと決意が宿っていた。
「僕が手を汚さなければ、リアムを守ることはできない──そう思うたび、この闇がさらに僕を飲み込んでいく気がする」
ふ、とキースは笑う。俺はその言葉に動けなくなり、ただその場に立ち尽くした。
渦巻く闇がディマスを包み込んでいく。彼の叫び声が広間に響き渡り、その声が途切れたとき、闇が静かに消えていった。
闇が消えた後、床にはただ焦げた痕跡だけが残っていた。そして、ディマスの姿は、どこにもなかった。まるで、彼がこの世界から完全に消え去ったかのように。
闇が消えた瞬間、キースは膝をつき、息を荒らげた。その肩は小刻みに震え、額から汗が滴り落ちていた。その姿はまるで──自らの闇に蝕まれているかのようだった。
「兄様……」
「君を守るためなら、僕はどんな代償でも払う。それが、君を傷つけることになったとしても──」
俺は、何の役にも立ててなければキースを追い込んでいるんじゃないか……──そう思いながら、そっと彼の背中に手を伸ばした。