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ウーヴェが誘拐されリアが負傷してから丸一日が経った頃、前夜にベルトランに送りつけられた写真から何とか場所の特定に繋がる情報を得られないかと刑事達が足を棒にして街中を聞き込み回っていたが、思う程の成果は得られていなかった。
それに苛立ちを隠せない面々だったが、表面上は普段と変わらない様子でリアを刺したナイフの購入先を特定するために刃物を取り扱う店やミリタリーショップを駆け回っていたリオンがいつか感情を爆発させるのではないかとの危惧を抱き不安そうに見守っていた。
そんな仲間達の視線にこもる思いに気付きつつもとにかく出来る事から一つずつと脳味噌と身体のどちらにも刻み込むように呟いていたリオンは、今日は解散というヒンケルの言葉に頷いた後、他の仲間達に手を上げて一足先に帰宅する。
ウーヴェがいなくなった家に帰ったリオンはいつもの静けさとは質の違うそれに立っていられない程膝が震え始めたことに気付き、ベッドルームではなく己のために用意してくれた部屋に駆け込み古いパイプベッドを盛大に軋ませてコンフォーターに潜り込む。
一人は嫌だと常々公言しているリオンだがその状況下におかれた時、みっともないほど足が震える情けない己に気付き自嘲してしまう。
こんな時にウーヴェがいれば、疲れているからそんなことを考えてしまう、今は何も考えずにゆっくり休めと抱きしめてくれるのに、そのウーヴェがいない為に今震える体を抱きしめてくれる人は誰もいなかった。
「……!!」
その事実を突きつけられて背筋を震わせた時、背中をナイフで切りつけられ血を流して苦痛に顔を歪めるウーヴェが何年か前にナンパしてきた男に犯されている映像が脳裏に浮かび、コンフォーターを撥ね除けて飛び起きるとその勢いのまま壁を殴りつける。
今ここでこうしている間にもウーヴェの白い肌に傷が増え何度もレイプされているのではないかという疑問に、もしかするともう手遅れになっているかも知れないなぁという誰かの声が脳裏にこだまし、頭を抱えて苦痛の声を上げる。
「オーヴェ……オーヴェ・・っ!!」
事件の発覚後、レオポルドやベルトラン、そして今朝ギュンター・ノルベルトに会ってなるべく早くウーヴェを見つけて救出すると約束したが、本当を言えば今すぐここから飛び出し、街中を行き交う人にウーヴェを見なかったかと聞いて回りたかった。
そして運良くウーヴェを発見した後、そこにいるであろうジルベルトを殴り同じ目に遭わせてやりたかったが、それ以上に一分でも一秒でも早くウーヴェを救出したい思いが強く、それを抑えるだけで精一杯だった。
その疲労から食欲もあまりなく、正直な話マザー・カタリーナが用意してくれた好物のサンドも食べられなかったのだ。
今までどんなことがあっても食欲がなくなることはなかったためにかなりの衝撃を受けていることを自覚したが、そんな時にでもウーヴェの優しい声がちゃんと食べないとだめだと諭し、空腹の胃腸に優しいものや好物のチョコを用意してくれる姿が脳裏に浮かび、肋骨で守られているはずの胸が直接殴られた時以上の痛みを訴えてくる。
「……っ……ぁ!」
いつかのように過呼吸の症状を引き起こしそうになるその痛みだったが過呼吸になどなっている場合ではないと強い意志で己の心を殴りつけたリオンは、のろのろとベッドから降りるとリビングに向かい、コーヒーテーブルに年中置いてあるチョコレートボックス-リオンはこれをお宝箱と呼んでいた-を開け、中に入っている好物のチョコを一欠片割って口にする。
口の中に広がるストロベリーとチョコの甘さに自然と身体が緊張を弱めたようで、もう一口とかけらを口にした時、ソファに丸めて無造作に置かれた魔法のブランケットを発見し、それに包まりながらホットチョコを巡ってウーヴェと攻防戦を繰り広げた数日前を思い出すと、今ここにいるのが己だけだと改めて気付かされてしまい拳を握ってこみ上げるものを堪えるが、ソファで鎮座する異様な大きさのテディベアと目が合って思わず握った拳でその頭を軽く叩いたリオンは、痛みを訴えるように身体を傾げるレオナルドを抱き上げる。
自室ではなくベッドルームに向かいのろのろとした動きのまま着替えを済ませると、レオナルドをソファに座らせて自らはウーヴェがいないだけで恐ろしいほど広く感じるベッドに潜り込む。
眠ることはきっと出来ないだろうが寝る努力だけでもしてみようと決め、うたた寝のような短い眠りと長い覚醒を繰り返し、何とか朝の起きる時間-それでも外はまだ暗闇のまま-が来るまでベッドの中でひたすら寝返りを打っているのだった。
ウーヴェが誘拐されて眠れない夜を二度越えて迎えた朝、早朝のいつも以上に静まりかえっている家にドアベルの音が鳴り響く。
ここでウーヴェと一緒に暮らすようになってからもだが滅多に人がやってくることはなく、誰だと訝りつつ長い廊下を進んで玄関のドアを開けたリオンは、コートを着込んで不安に顔を曇らせているアリーセ・エリザベスの姿を発見し驚きに瞬きを繰り返す。
「おはよう、リオン」
「お、はよう……来てたのか?」
「ええ。父さんとノルから連絡をもらったわ」
あの子が、フェリクスが誘拐されただけではなくリアも刺されて入院しているそうじゃないと押しのけるように中に入り、驚くリオンにキッチンに来いと伝えたアリーセ・エリザベスは、我に返ったように顔を振って後をついてくるリオンに目を細め、キッチンに入ると持参したバッグからエプロンを取り出す。
「アリーセ?」
「……朝ご飯、まだでしょう」
「あ、ああ、うん」
まだと言うか食う気がしないというかと口の中で不明瞭な言葉を転がすと出来上がったら呼ぶから支度をしなさいとアリーセ・エリザベスに顎でベッドルームを示され、何が何だか分からないと呟きつつ出勤の支度をし始める。
だが、ベッドルームにあるバスルームに入るとそこかしこにウーヴェの存在を感じ、それらから今不在であることを見せつけられると、いつも手短な支度時間が更に短くなってしまう。
洗顔し髪を一つに束ねて頬を叩いた後、どうか自分を一人きりにしないでくれとの願いからウーヴェの香水を身に纏ったリオンは、頭を振ってしっかりするんだと鏡の中の己に言い聞かせアリーセ・エリザベスがいるキッチンへと向かう。
「アリーセ、準備してきた」
「そう。じゃあそこに座りなさい」
いつもウーヴェと並んで座る席、その前にスクランブルエッグと少しだけ焼き目を付けたゼンメル、ソーセージが載った皿があり、アリーセ・エリザベスの顔をまじまじと見つめると、自分はコーヒーだけで良いと言いながらマグカップにコーヒーを淹れ、リオンの分も用意をする。
「どうしたの、早く食べなさい」
「あ、ああ、うん」
まさかアリーセ・エリザベスが来て朝食の用意をしてくれるとは思わなかったと素直な感想を口にしたリオンは怒られると顔を顰めて彼女を見るが、見られた方はそれどころではないと言いたげに溜息を一つ零し、あなたにはしっかりと食べて欲しいのよとも零されてフォークが止まる。
「……昨日、兄貴が署に来た」
「ええ。聞いたわ。動揺していて朝一番に怒鳴り込んでしまったって。最低な事をしたと反省していたわ」
昨日のギュンター・ノルベルトとの会話を思い出しながらリオンがアリーセ・エリザベスの顔を見ると少しだけ目を細めて頷き、私はそんなみっともない姿は見せないと小さく胸を張られてしまい、リオンの口から小さな笑い声が零れ落ちる。
「なぁに?」
「何でもねぇ。……俺のための朝飯、ありがとうな、アリーセ」
スクランブルエッグを食べつつ感謝の思いを口にするリオンだが、アリーセ・エリザベスが何事かを思案するように目を泳がせた後、諦めに似た溜息を零す。
「あなたのためだけど、あなたのためだけじゃないわ」
「?」
「私たちは……あの子が救出されるまであなた達にすべてを任せるしかない。何も出来ないのよ」
だからあなたにはしっかりと食べていつでも動き回れるようにして欲しいのだとあなたの事だけを思っての行動ではないと彼女なりの真摯な思いを口にすると、リオンもそれを分かっているため、ただ頷いてそれでも嬉しいと素直に礼を言う。
「昨日、ノルはあなたと付き合っていなければこんなことにならなかったって言わなかった?」
アリーセ・エリザベスの不意打ちのような言葉にリオンの肩がびくりと揺れてソーセージに突き刺したフォークを取り落としてしまい、その様子に本当にどうしようもないと兄の愚考に妹が溜息をつく。
「やっぱり言ったのね、ノル」
「……でも、さ、当たってる、からなぁ」
昨日も一昨日も言ったが俺と付き合っていなければこんな事件に巻き込まれる事もなかったはずだとリオンがスクランブルエッグを睨み付けながら呟くと、確かにそうかも知れないがそれ以上のことをあなたはしているのよと少し強めの口調で告げられて呆然とその顔を見ると、読み取れない感情に頬を紅潮させたアリーセ・エリザベスがマグカップをテーブルに置きながらもう一度言うわと腕を組む。
「あなたと付き合ったおかげであの子はあの事件を完全に乗り越えられたのよ」
功罪を差し引きすればどちらに軍配が上がるかは火を見るよりも明らかだとさすがにウーヴェの姉だと言いたくなるような言葉を告げたアリーセ・エリザベスだが、珍しくリオンがでもと口ごもったのを見ると、誰かがあなたをその言葉で非難するのかと問いかける。
「誰があなたを非難するの?そんな人がいるのなら、ここに、私の前に連れてきなさい」
アリーセ・エリザベスの声に潜む怒りは真冬のそれに似ていて急に覚えた寒気にリオンが身体を震わせるが、俺を非難するのは俺だと一昨日レオポルドに告げたが見事に否定された言葉を再度告げると、アリーセ・エリザベスが目を細めてリオンを見る。
「そう。あなたがあなたを非難するのね。分かったわ」
俯き加減に俺が悪い俺のせいだと呟くリオンに冬の女王顔負けの冷たい声で言い放ったアリーセ・エリザベスは、そんなことを言う人は私が許さないわと声を大きくすると、リオンに向けて歯を食いしばりなさいと命令する。
レオポルドやギュンター・ノルベルトらは大きな度量から己を許してくれたがアリーセ・エリザベスは許してくれるつもりはないと判断したリオンは、一度殴られるだけで気が済むだろうかと内心で呟くが、早く歯を食いしばって目を閉じなさいと命じられ、逆らう気持ちが起こらないために素直に従うと程なくして訪れる衝撃に対して心構えをする。
「いくわよ」
目を閉じて頬に来るはずの衝撃を堪える為に背筋を伸ばしたリオンだったが己の頬に届いたのは予想していた痛みではなく、どこかで感じた事のある温かく柔らかな何かで、視界一杯に広がるのがアリーセ・エリザベスが持参したエプロンの花柄だと気付いたのはたっぷり30秒以上も経過してからだった。
「アリーセ……?」
「……あなたがどれほどあなたを非難したとしても私たち家族はあなたを非難したりしないわ」
「……」
「あなたと付き合うようになってあの子は過去と本当の意味で向き合ったのよ。あなた以外の誰にも出来なかったことだわ」
それをしてのけたあなた自身をもっと評価しなさい、自分のせいだなどと自分を悲劇の主人公にするのではなく自分のせいだからこそ頑張ると胸を張りなさいと、言葉の強さとは裏腹な優しさで頭を抱き寄せられたリオンは、アリーセ・エリザベスの言葉の意味が耳から痛みを訴えている胸に落ちて腹の底に到着した瞬間、昨日のマザー・カタリーナの時以上の強さでアリーセ・エリザベスの身体に腕を回してしがみつく。
アリーセ・エリザベスの兄や父にも感じた事だが、本当にどうしてこの家族は己に対してここまで優しいのだろう。
ウーヴェに対する愛情がそれをさせているのだとしてもどうしてここまで無条件で己を認め許し受け入れてくれるのだろうかとの疑問が芽生えるが、それを見抜いたようにアリーセ・エリザベスが己にしがみつく腕を撫で、くすんだ金髪を胸に抱き寄せて頭にキスをする。
「私たちの家族を前のように、いえ、それ以上のものにしてくれたのはあなたなのよ、リオン」
あの子が選んだ人なのだ、信頼しているし自信を無くしているのなら支えてやりたいと思うと優しく髪を撫でられ、信頼という言葉の重みに頭が下がってしまう。
無条件の愛といえばマザー・カタリーナの顔が思い浮かぶリオンだったが、今こうして己を抱きしめてくれるアリーセ・エリザベスやイングリッドもそれを与えてくれていると気付き、その二人よりももっとずっと大きくて深い愛を与えてくれていたのがウーヴェだとも気付くと、アリーセ・エリザベスの胸から顔を上げられなくなってしまう。
泣きそうになっている顔など人に見せられるはずがないという最後の抵抗を続けるリオンの髪をただ優しく撫でたアリーセ・エリザベスは、ただ一人で己を責める弱い顔を見せることを良しとしないリオンを前に、きっとウーヴェもこんな気持ちになっていたのだろうと天井を見上げて震える呼気を吐き出す。
どうして弟ばかりが辛く苦しい目に遭わなければならないのだ。ただ愛する人と一緒に日々を笑って過ごしているだけなのに、何故こんなにも苦しい目に遭わなければならないのか。
神の試練だとしてもあまりにも酷いのではないかと心の中で神に対して恨み言を呟いたアリーセ・エリザベスは、リオンが鼻を啜るような音を立てたことに気付き、ちゃんと朝食を食べて頑張れるわねと囁くとその頭が腕の中で上下する。
「顔を洗ってらっしゃい。ソーセージとゼンメルを温め直してあげるわ」
「……ダンケ、アリーセ」
俯き加減に礼を言いキッチンを飛び出して行ったリオンに呆気に取られた彼女だったが、顔を見られたくないのかしら、気にしなくても良いのにと苦笑し、ソーセージとゼンメルを己の言葉通りに温め直す。
再びキッチンにリオンが戻って来たときには先程顔中を覆っていた悲壮感が消え去っていて、蒼い瞳には強い光も浮かんでいた。
ただ、まだそれは淡く儚いもので、何かの拍子に消え去ってしまうものだと気付いたアリーセ・エリザベスは、今日はリアのお見舞いに行ってから家に戻っている、何かあれば連絡をしてちょうだいとコーヒーを飲み、スクランブルエッグを食べ始めたリオンが頷くがやはり食欲があまり無い顔で何とかそれを食べ終えるが素直にアリーセ・エリザベスに謝罪をする。
「残して悪い」
「……今食べられるものは何?」
何だったら食べられると口調はそうでもないが優しいことを聞いてくれる彼女に小さく頷いたリオンは、ウーヴェが買い置きしてくれているチョコがあるがそれなら少しは食べられる、それを持っていくと苦笑すると、栄養バランスよりも何を食べられるかが問題ねと理解してくれたため安堵の溜息を吐く。
「今日は自転車で出勤するの?」
「電車にしようかと思ってる」
「私も家に帰るから送っていくわ」
「ダンケ」
遅刻しないように早く準備をしなさいとまるで小さな子どもに言い聞かせる母親のようにリオンを見たアリーセ・エリザベスは、照れくさいのかすぐにすると声を大きくしてキッチンを飛び出そうとするリオンに呆れるが、何かを思い出したのか慌てて戻って来た後、アリーセ・エリザベスを背後から抱きしめ、ありがとう、あんたが来てくれて本当に嬉しいし助かったと口早に囁くと、血の繋がりを如実に感じさせる優しい手がリオンの伏せられた頭を無言で撫でる。
「早くしなさい、リオンちゃん」
「ガキじゃねぇ!」
アリーセ・エリザベスも素直な感謝が照れくさかったのかいつものようにリオンをからかう口調で呼び、一声吼えたリオンが今度こそキッチンを飛び出した後、完璧に身嗜みを整えて戻って来る。
「良い感じね。……リオン、あなた達だけが頼りなの。だから……」
あなたが公私の立場で苦しいのも分かっているがそれでもあなたを頼らなければならないのだとこの時になって初めて己の不安を口にしたアリーセ・エリザベスを抱きしめ、大丈夫、あんた達の優しさや思いは絶対に無駄にしない、だからもう少しだけ時間をくれと昨日ギュンター・ノルベルトにも伝えた言葉を再度告げると、アリーセ・エリザベスがリオンの腕の中で何度も頭を振る。
「……家で母さん達と一緒に待っているわ」
「ああ。絶対にオーヴェを見つけ出す。だから時間をくれ」
「ええ」
約束と告げてアリーセ・エリザベスの頬にキスをしたリオンは何度目になるか分からない気合いを入れるために頬を叩き、アリーセ・エリザベスがキッチンを片付け終えるのを少しだけ急かしながらも大人しく待ち、彼女の車で署まで送ってもらうのだった。
昨日に引き続き朝からナイフを購入した店を特定するためにミリタリーショップや刃物の専門店を回っていたリオンとコニーだったが、めぼしい情報を得ることが出来ず、何軒かの店を回るがさすがに疲れを隠せない溜息を吐く。
それを見ていたコニーはどこかで昼食を食べようとその背中を叩くが、ゲートルートに行こうと誘われて軽く驚きつつもオンが運転する覆面パトカーに乗り込む。
タバコを咥えて運転するリオンの横顔からは感情らしきものを読み取ることが出来ず、大丈夫なのかとコニーが老婆心から心配したとき、蒼い目が横を向いて細められる。
「……心配してくれてありがとうな、コニー」
「声、漏れていたか?」
「スゲー聞こえてきた」
肩を揺らして笑うリオンに釣られてコニーも笑うがリオンの目だけが笑っていない事には気付けずゲートルート近くの路上駐車場に車を止めると、ランチを食べるためにやって来た客で混雑する店の中に躊躇なく入っていき、慌てることなく引き返してきたことに小首を傾げると顎で路地を指し示される。
その路地は店の勝手口に面していて、二人がそちらに向かうと勝手口が開いて中からチーフが顔を出す。
「リオン、こっちから入ってくれ」
「ダンケ」
ゲートルートの勝手口に初めて入ったコニーは戦場のような厨房の端を通ってカウンターの端に置かれているパーティションの陰にあるテーブルに通され、思わずぐるりを見回してしまう。
コニーが感心したように店内をパーティション越しに見た後このテーブルは何だとリオンに問いかけると、スタッフが使うテーブルのはずだと小声で返す。
「今オーナーが手を離せないから少し待っててくれって」
二人をこのテーブルに連れてきたチーフがリオン達の様子から水を用意し料理はどうすると問いかけると、日替わり二つとリオンが返す。
オーダーをベルトランに伝えたチーフだったが、忙しくなく料理を運び空いたテーブルを片付けて待っていた客を案内する間、ほとんど動きを止めることがなかった。
「ホントに良く働くよなぁ」
「……だからこの店が繁盛してるんだ」
「ベルトラン」
チーフの働きっぷりに感心の声を上げながら頬杖をつくリオンに横から声が掛かり額に浮いた汗を拭きつつ申し訳なさそうに笑みを浮かべたベルトランを見つけると、この席を使っても良いのかとリオンが問いかける。
「ああ……この席は、俺がウーヴェの為に用意した席だ」
「え?」
その事実をリオンも初めて知った事を驚きの表情から察したコニーは、ドクが一人で突然来たくなったときに利用するのかと問うとベルトランの頭が無言で縦に揺れる。
「お前と付き合いだしてからは少なくなったけど、帰りが遅い時や休みのランチの時にはここで食べていた」
リオンと些細な口論をしたとこの世の終わりのような顔でやってきた時もここに来てビールを飲みながら愚痴っていたと笑ったベルトランだったが、その表情が一瞬で強張ったことから何を思いだしたのかに気付き、二人も同じものを思い出してしまって口を閉ざす。
「……昨日も言ったが、俺はメシを作ることぐらいしか出来ない。だからあんたらにはしっかりとメシを食って捜査して欲しい」
それが幼馴染みを誘拐された俺に出来る精一杯だと、料理しか能がない情けない男だと自嘲するベルトランにリオンが頭を一つ振った後、いつも見ていたものと似通った笑みを浮かべ、腹が減ったから美味いメシを食わせてくれ、チーズを付けてくれたら最高と頬杖をつく。
「あ、ああ。待ってろ。メチャクチャ美味いメシを作ってくる」
「ダンケ、ベルトラン」
ウーヴェと二人だけの約束の場所に通してくれてありがとうと言葉には出さずに胸の中で頭を下げたリオンは、コニーが安堵に目を細めたことに気付きここにも感謝の言葉を伝えるべき相手がいると思い出すが、それは総てが終わってからにしようと決め、チーフが先に食べていろと持って来てくれたチーズをコニーに差し出して笑みを浮かべるのだった。