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「俺、ストーカーにあってるかもしれん」
「そこそこのおっさんを? 誰が」
「だから、それを俺が一番知りたいねん」
桜が舞い散るポカポカ陽気。誰もが幸せを噛み締めるようなこの季節。
かっちりしたスーツ姿の俺には似合わん、おしゃれなカフェのテラス席で、同僚の秀太と二人、パニーニを食ってる。
なんやねん、パニーニて。
生まれて初めて口に出したわ。
「……パニーニ、食べにくいなぁ。こんなんおやつやん。やっぱ社食で鮭定食食うてる方が、俺には合うてるわ」
優雅に紅茶を飲み、春風に髪を揺らしている秀太が、心底怪訝そうな顔でこっちを見てくる。
「……そんなんやから嫁さんに逃げられるんやで、もとちゃん。どうせデートもロクにしてあげてへんかったんやろ?」
「……あのやんちゃ盛りの二人連れて、こんなとこでのんびりできるわけないやん。それに、別に逃げられたわけやない。心の休養に行ってるだけや。……それだけ」
誤魔化すように「ははっ」と乾いた笑い声を出し、秀太の顔を伺う。
「……大事な子供二人置いて休養な」
秀太はそう低く呟いて、何やら腑に落ちない顔をしていた。「いや、今日はその話をしに来たんじゃないねん」と俺は本題に戻す。
「初めて誰かにつけられてるって思ったんは、三ヶ月前くらいかな。はじめは勘違いかと思てんけど、鞄探るふりして立ち止まったら、相手の足音も止まるし。ちょっと小走りしたら、同じようについてくるし」
「……警察には言うたん?」
「いや、それが初めの一回きりで、次の日からは何もなくなってん。やからその時は言わんかった。秀太が言うように俺もおっさんやからな、自意識過剰やったんやろって。……やけど、ここ三日くらい、また続いてるねん」
「……振り返って確認してみたら? 女の子やったら、話せば分かってくれるかもしれんし。最悪、力では負けんのやから、怖いとこ見せたら諦めるやろ」
「いや、それがな。鏡越しに確認したら、黒ずくめで男みたいやねん。はっきりした体格までは見えへんけど……。俺、子供二人残して、そんなとこで無謀に戦って死にたないわ」
ふふ、と力なく笑うと、「笑い事ちゃうわ」と秀太が厳しい顔で紅茶を口に運んだ。
「あれ? 中目さん、元宮さん。お久しぶりです! 美味しそうですね、パニーニですか?」
「お、久しぶりやん、蜷川。そう、美味そうやろ。もとちゃんは気に入らんみたいやけどな。今年から蜷川も『先輩』になるんやな」
桜に負けないほどの満面の笑みで「そうなんですよ」と答え、後輩二人を引き連れてこっちに駆け寄ってきたのは、入社二年目の蜷川空(にながわそら)。
研修期間の三ヶ月だけうちの部署にいたが、その人当たりの良さと端正な容姿を買われて営業部に異動になった、いわば「社内のアイドル」だ。
「そうなんです、俺もついに『先輩』になっちゃいました。気合入れてスーツ新調したんですよ」
蜷川はスーツの襟元に手を当てて、「どうっすか? カッコええでしょ?」なんておどけて秀太に見せびらかしている。俺はその様子を、どこか遠い世界のことのようにぼぉっと見つめていた。
「……元宮さんは、何がお好きなんですか?」
「え?」
突然、蜷川に話しかけられて何のことか分からず思わず首を傾げた。
「パニーニ、苦手なんでしょ? 食べ物、何がお好きなんですか?」
「えっ……と、鮭定食?」
「なんで俺に聞いてるんですか?」
ははっ、と蜷川に笑われて、つられて俺も笑うてしもた。
「……俺も好きですよ、鮭定食」
「あ……そうなん?」
「じゃあ……お先に失礼します」
蜷川は軽く会釈すると、友人に対するような気安さで俺と秀太に手を振った。後輩を引き連れて歩いていく、そのシュッとした背中をじっと見送る。
六年も後輩とは思われへんくらい、しっかりした性格で、人への適応能力も、今まで見てきた誰より群を抜いてる。
どんな服でも着こなしてしまうモデル級のスタイルに、それに見合った本物の男前な顔面。
おまけに、それらが作りもんやない「優しさ」に裏打ちされている。
現に、俺の前では秀太のことを「中目課長」と呼ばんあたり、ほんまに気が利く。俺自身はそんなん気にしてへんねんけどな。
あの子の人間性は、順調に俺を追い抜いて昇進していく秀太ですら、敵わんところがあるかもしれん。
何か欠点なんてあるんやろうか。
あったとしても、それすら魅力に見えてしまうんやろな。
「……俺、生まれ変わったら蜷川になりたいわ」
「……何言うてんねん、もとちゃん。もとちゃんも十分カッコええやんか。贅沢やな」
慰めるような顔で言うた秀太に、「ありがとうな」と全力の笑顔でお礼を返した。
「ほんで、今日のお迎えどうすんの? 幼稚園、六時までやろ」
「そやねん。大丈夫そうなら、早く会社出るけど、最近残業続きやしな。俺ばっかりはよ帰るわけにはいかんやろ?」
「こういう時、親が近くにおらんと不便やな」
「せやろ? ……せめて営業やったらな。ノルマさえこなせば直行直帰もありやから」
「……それやったら、蜷川に頼んだら?」
秀太の言葉に、心臓が跳ねた。実は俺も一瞬、同じことを考えてしもてた。
優しい蜷川のことや。頼んだら絶対「嫌や」とは言わんやろ。
仕事ができるから、あいつが結構早めに帰ってるのも見かけたことがある。やけど。
「……私生活にまで後輩をこき使う先輩には、なりたないな」
「まぁ……それも一理あるな」
「……七時まで預かってもらえる保育園に変われへんか、役所に相談してみるわ」
「そうか、そろそろ戻ろか」と時計を見ながら言う、秀太に頷いて立ち上がる。
まだ空っぽに近いお腹を、冷めかけた紅茶でなんとか誤魔化した。