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「やって、あらたせんせが、こうくんのパパかっこええねっていうたもん」
「でも、おとうは、おとうやんか!」
「そんなんで喧嘩せぇへんの。弦(げん)と洸(こう)が仲ようせな、おとう悲しいで」
閉園時間の6時を大幅に過ぎた頃、息を切らして駆け込んだ幼稚園の玄関。
わかば組の新(あらた)先生が、「すみません、僕のせいで兄弟喧嘩になっちゃって……」と、オロオロしながら職員室から出てきた。
6時を過ぎた教室はもう閉まっていて、帰る用意を済ませた二人と、新先生、それに副園長先生が一緒にお話しをしながら待ってくれていたみたいや。
「僕が元宮さんのことを『パパ』って呼んだのが、どうも気に入らなかったみたいで。洸君が『パパ』って言うたびに、弦君が『おとうや!』って怒るんです……」
「……そんなことで喧嘩ですか?」
今まで奥さんに任せっきりやったから、普段どんな些細なことで喧嘩してるんかなんて、気に留めたこともなかった。大体はおもちゃの取り合いとかやったしな。
兄貴の弦はお母さんっ子やし、一つ下の弟の洸は俺が疲れて寝ていてもぴったりくっついて遊んでるお父さんっ子や。
「……洸君、さっきのは内緒って言うたやろ?」
新先生は少し耳を赤くして、洸を抱き上げた。……ん?洸はさっきなんて言うてたっけ?
「……やって……パパって、よびたかった……」
洸はしゃくりあげながら、溢れてくる涙を小さな手で必死に擦っている。その姿を見て、胸がキュンと締め付けられた。
「そうやんな。洸、あらた先生のこと好きやもんな。あらた先生と一緒がええんやもんな」
頭を撫でてやると、洸はうんうんと頷いて「おとうのつぎにすき……」と、新先生の肩に顔を埋めてしもた。
「……弦。今、洸が『おとう』って呼んだで。やったな!」
副園長先生の陰に隠れている弦にコソコソと耳打ちして、手のひらを見せる。弦は真っ赤な目のまま、おててを「パチン」と返してくれた。こっちのやんちゃ坊主にも、おとうは胸キュンやで。
「……元宮さん。これから、どうされますか?」
たっぷり含みを持たせて言われた副園長先生の言葉に、俺は改めて遅れたことを謝り、保育園への転園も含めて役所に相談しに行くつもりだと、今後のことを伝えた。
「私共も、元宮さんには協力したいのは山々なんです。ですけれど……職員の勤務時間のこともありますし。今日は野中先生が残ってくださったので対応できましたけど……」
副園長先生の言いたいことは、痛いほどわかる。
今まで当たり前やと思ってた。俺が会社で安心して働けるのも、自由に飲みに行けるのも、全部奥さんがおったからなんやと今更ながら思い知らされた。
「……僕で良ければ、全然構わないんですけど」
泣き止んだ洸をそっと床に下ろし、俺の言葉を受け止めるように、新先生が意を決した様子で呟いた。
「僕のマンション、ここからすぐ近くですし。独り身なんで、早く帰ってもすることがないんです。なんなら、いつも家でやってる事務仕事、2人を見ながらここでやることもできますし……ね? 副園長先生」
振り返った新先生に、副園長先生は思わずうっとりとして、頷きそうになっていた。新先生にはめちゃくちゃ甘いんやな、というのが透けて見える。けれど、すぐに教師らしい顔に引き締めた。
「……鍵の管理がありますから、野中先生の提案でも園としては難しいです。担当は私か園長と決まっていますから。……ただ、勤務時間外のことでしたら、私が口出しすることではありません。お二人で直接お話しされてみてはいかがでしょうか?」
人差し指を軽く口元に当てた、副園長先生の真意が掴めなくて首を傾げる。すると新先生が「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。
え、俺だけ今だに意味がわかってへんのやけど。2人の間だけで何か解決したんやろか?
「……とりあえず、時間も過ぎていますし、出ましょうか」
新先生に促されて園の外に出る。洸は俺の手にぴったりくっついているし、弦は新先生のズボンの、お尻のあたりをぎゅっと握っている。
お尻好っきゃな、弦。
「……今から、洸くんと弦くんのお家に遊びに行ってもいいですか?」
突然、俺たちの前で屈んだ新先生が、二人の手を握って優しい声で聞いた。
あれ? 家の主、俺なんやけど。ていうか、なんで家に来る流れになってんの?
呆然と見守る俺を置き去りにして、二人は「「いいよ!」」と同時に返事をして新先生と手を繋いでしもた。
え、俺、一瞬でぼっちになったんやけど。
「……今後のこと、これからお家で話し合いましょか」
子供に向けるのと同じ、眩しい笑顔を俺にも向けてくれた新先生。そのあまりの美しさに見惚れてしもて、俺は素直に「はい」と頷くしかなかった。
♢♢♢
「……元宮さんが良ければ、お仕事が終わるまで僕のマンションか、あるいはご自宅で、二人をお預かりしますけど」
「……えぇっ!?」
「あれ? 副園長先生の言葉もそういう意味やと思ったんですけど。元宮さんは、違うお考えでした?」
「……あ、いや。全く、何にも思いついてませんでした」
あれから、子供たちが寝静まった後のリビング。
二人で向かい合って、改めて話し合いの席に着いた。
「……ふふっ、可愛い」
「え?」
「いや、正直すぎて。子供みたいに可愛いなぁと思ってしまいました」
「……あ、えー……あぁ! 子供、お好きですもんね」
「……まぁ、好きですね。この仕事、選んでますから」
新先生は、それからもずっと、クスクスと愉しそうに笑っていた。
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