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海に沈んだ幻の大陸、Atlantis
光の届かぬ深淵で、都市は今も静かに時を刻んでいた。崩れ落ちた柱は眠る竜の骨のように横たわり、青白い光がかつての祈りの残響のように揺れている。
潮の流れはゆっくりと、まるで永遠を撫でる手つきで都市を包み、沈黙だけが、かつての栄華を語り継いでいた。そこに響くのは、誰かの足音でも、声でもない。ただ、静かな波とと記憶のざわめきだけ。
この場所は、生者が踏み入ることを許されぬ終わりの地。海に魅せられ、静かに沈んでいく者たちが辿り着く場所。
そして今日もまた一つ海を揺らす。深海の静寂が、その日わずかに揺れた。
明治の末、世の中は恐ろしいほどの速さで、未来へと変わり続けていた。汽車が町を貫き、洋服を着た人々が練り歩く。古いものと新しいものが入り混じるように街路を流れていく。
そんな激しい流れから身を隠す岩礁のように、この海沿いの小さな町は、夕暮れの色に沈んでいた。潮の匂いが風に混じり、どこか懐かしいような、胸の奥を締めつけるような冷たさを運んでくる。波はゆっくりと、まるで眠っているかのように寄せては返し、その度にそそり立つ岩の壁を打ち付ける音が聞こえてくる。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。そりゃあこんな時間に海に来る奴なんていないだろう。昨日いきなり思い立って、列車を乗り継ぎ乗り継ぎ、名前も知らずにたどり着いた小さな町なのだから。
何が辛かったとか、何か大切な人や物を失ったとか、そんなんじゃない。ただ、死にたくなった。生きたくなくなってしまった。それだけだった。
思えば、生まれたってからこの日までごく平凡な人生だった。少しだけ、自分も含めて人というものと付き合っていくのが苦手なだけだった。愛することは苦手だけれど、この不安が打ち消されるほどに強く愛してもらえなければ、暗い夜に飲み込まれてしまいそうだった。
ごめんなさい、お父さん、お母さん。必死に産んでもらった、育ててもらったけど、もう終わってしまいそうです。まあ大丈夫か、まだ兄達がいるし。僕のことなんて忘れてもらって結構です。
どうしよう、いつ行ってみようか。やっぱり結構痛いだろうか。この崖になってる岩にだけは当たりたくないな、絶対痛そうじゃん。…なんかいつかに、石を投げて、波紋を作ってから飛び込むと痛くないって聞いたことがある。でもそれで万が一生きてたら溺死だもんね。苦しそう、無理かも。まあこんだけ波があったら波紋もくそもないか。
そういえば、海に飛び込む前に睡眠薬を飲んだらそのまま眠るように死ねるんだろうか。いいじゃん、試してみよう。少し前に医者からもらったものがある。物は試しだ。飲んでおいてみよう。
水平線に太陽が消えていく。住んでた町では建物と山ばっかりで、こんなきれいな水平線を見るのは初めてだった。海が輝き、あまりの眩しさに目を細める。目を細めると勝手に笑っているように目尻が垂れていって、思わず微笑んだ。
…最期にこの景色が見れてよかった。最後まで怯えている情けない心が、少し浄化されていくみたい。胸の奥で何かが静かにほどけていった。
ゆっくりと海へ歩き出す。深く蒼い海の底から、呼ばれているような気がした。睡眠薬の効果か、意識がぼんやりとしてきているようだ。
ふっと、一つ息を吐き、力を抜いた。
ふわりとお腹がくすぐったいような、ぞわぞわとした感覚とともに自分の体が落ちていった。やがて波にさらわれ、全身を殴られるように意識を手放した。最後に見えたのは、海の底で揺れる、淡い光だった。