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ああ、もう…胸がギュッとなりました。セラフ視点での片思いの描き方が繊細で、特にタクシーのシーンと寝言の「帰るな」が切なくて…!雲雀からの電話の緊張感もゾワッとしました。4年間も想い続けて、それでも今の距離を壊したくないっていうセラフの気持ち、ひしひし伝わってきました。凪ちゃんのポジションも好きです。続きが気になります…!
配信が終わり、少し休憩していた頃だった。今回の配信の感想を読もうとTwitterを開く。
配信タグを検索すると、次々とツイートが流れてきた。
『今日も相変わらずセラまじでメロかった』
『今日の配信の58:23〜の流れ最高だった』
『34:24と1:40:35マジで好き』
どうやら今回も無事に終わったらしい。
そんな中、思わず目が止まった投稿があった。
『久しぶりのはたちの配信で助かった』
『ここの絡みてえてえ』
『今日KNTキレキレだった』
『34:23〜の奏斗面白すぎる』
その感想はどれも奏斗に関するものだった。
風楽奏斗。
俺の初恋で、俺の好きな人。
一目惚れだった。
初めて会ったのは、VOLTACTIONとして活動することが決まって顔合わせをした日。
奏斗を見た瞬間、恋に落ちた。
恋愛なんてしたことがなかった。
ましてや男を好きになるなんて思ってもいなかった。
だけど、不思議と抵抗はなかった。
相手が奏斗だったから。
絹のような髪。
蜂蜜色の柔らかな髪色。
華奢な首筋。
それでいて鍛えているのか、肩や胸元には少し男らしさもある。
そして儚げなアクアマリンの瞳。
すべてが美しく見えた。
初対面の相手にこんなことを思われていると知ったら、奏斗はどう思うだろうか。
自然とため息が漏れる。
あの日、話しかけようとはした。
だけど、まさか奏斗と雲雀が再会するとは思ってもいなかった。
あの2人の空気に割って入れるはずがなかった。
あれからしばらく経った今では、2人配信ができるほど仲良くなれた。
だけど恋人にはなれていない。
我ながらヘタレだと思う。
……今日の配信、いつも以上に奏斗のテンションが高かったな。
子供っぽくはしゃぐ姿も可愛かった。
元気な笑い声も。
いちいち大きいリアクションも。
日に日に奏斗のことが好きになっていく。
かれこれ4年近く。
そんな毎日が続いている。
もしかしたら病気なのかもしれない。
そう思ってしまうくらいに。
もしこの気持ちに病名があるのなら、どんな名前なんだろう。
俺には知る権利なんてないけれど。
ーーーーーーーーーー
少しずつ日が落ちていく。
夜特有の街灯の明かりが身体を照らしていた。
何の店かも分からないガラスに映る自分を見ながら、前髪を手ぐしで整える。
今日は合法的に奏斗に会える。
18時からVOLTACTIONの飲み会があるのだ。
スマホの画面を確認すると、集合時間の二十分前。
だけど体感では15分ほどこの辺りをうろうろしていた気がする。
つまり35分前には着いていたことになる。
その事実がなんだかむず痒かった。
「セラ夫、早いですね」
聞き慣れた声がして振り返る。
そこには四季凪アキラが立っていた。
「おつかれ〜。凪ちゃんも早いね」
#srkn
あおい
105
「1本前の電車が遅延していたので、思ったより早く着いてしまいました」
そう言ってから、凪ちゃんは少しだけ笑う。
「どうせセラ夫がこんなに早く来ている理由は奏斗でしょう?」
「……ははっ。やっぱり凪ちゃんには誤魔化せないか」
「まぁ仲間のことですし。それに――趣味でもありますから」
「だろうね」
「なんだと!」
思わず笑い合う。
さっきまで感じていた緊張も少し和らいだ。
あとは奏斗たちを待つだけ。
……早く会いたいな。奏斗。
ーーーーーーーーーー
17:55。
集合時間の5分前。
そろそろ奏斗たちが来てもいい頃だ。
だけどあの2人のことだ。
きっと2、3分くらい遅れてくる。
そして凪ちゃんが怒って、奏斗が甘い声で許して〜と言う。
冗談だと分かっていても少し嫉妬してしまう。
まぁ、そのたびに凪ちゃんが奏斗にキレるのだけれど。
「セラ夫。この際なので、はっきり聞きます」
不意に凪ちゃんが真面目な声を出した。
「奏斗とは恋人になりたいんですか?」
心臓が跳ねた。
だけど凪ちゃんの表情は真剣そのものだ。
「……まぁ、違うって言ったら嘘になるかな」
そう答えると、凪ちゃんは小さく息を吐く。
「では四季凪アキラとして意見を言うなら、結構厄介だと思います。渡会雲雀が。」
「厄介?」
「一番最悪な結末としては、たらいもセラ夫と同じで奏斗を――」
「お待たせー!二人とも!」
凪ちゃんが言い切る前に声が飛んできた。
振り返ると、渡会雲雀と風楽奏斗が並んで歩いてくる。
おそらく途中で合流したのだろう。
それだけなのに胸の奥が少し痛んだ。
「今回は遅刻しなかったよ!僕を褒めてもいいんじゃない!?」
奏斗が胸を張る。
時間を確認するとちょうど18時だった。
確かに遅刻はしていない。
目が合う。
「うん、奏斗偉いね」
そう言って頭に手を乗せる。
髪型を崩さないように軽く撫でると、奏斗は一瞬固まった。
そしてみるみる顔を赤くする。
「そういう褒め方じゃない!!」
慌てて俺の手を払った。
事情を知っている凪ちゃんはニヤニヤしているし、案の定冷やかしも飛んでくる。
それよりも気になったのは雲雀だった。
俺と奏斗の距離感を見て、一瞬だけ目つきが鋭くなった気がした。
凪ちゃんの言葉が頭をよぎる。
警戒した方がいい。
そんな気がした。
不意に奏斗を見る。
奏斗は「何?」と言いたげに首を傾げた。
ただ立っているだけでも可愛いのに。
そんな仕草をされてしまったら心臓がもたない。
本当に罪なやつだ。
反抗するようにもう一度頭を撫でる。
次の瞬間。
「痛っ!」
足を蹴られた。
だけど悪い気はしなかった。
ーーーーーーーーーー
「ではっ!四周年おめでとうー!かんぱーい!!」
「「「かんぱーい!!」」」
リーダーである奏斗の掛け声に合わせてグラスを掲げる。
「まぁ実際はまだ四周年じゃないですけどね」
「おい!それ言うなよ!雰・囲・気!!」
「声でかっ!!すみませんって!!」
「まぁしゃーないよ。みんな予定めっちゃ被ってるし」
「そうそう!!酒でも飲もうや!」
奏斗がそう言いながら、勝手に俺のスマホで料理を注文し始める。
可愛い。
手繋ぎたい。
抱きしめたい。
そんなことを考えていた、その時だった。
「かーなーとっ!!俺、唐揚げ食べてぇ!!」
突然、雲雀が勢いよく奏斗に抱きついた。
向かいに座っていた俺からは、その光景が嫌でも目に入る。
まるで見せつけられているみたいだった。
「ちょっ、雲雀!やめてよ!!びっくりしたじゃんけ!」
そう言いながらも、奏斗は本気で嫌がっている様子はない。
雲雀もそれが分かっているからこそ遠慮がないのだろう。
少しだけ胸が痛んだ。
その後も、俺と奏斗が話していると、雲雀は自然と奏斗の隣に座った。
偶然かもしれない。
そう思おうとする。
だけど。
「奏斗、飲み物なくなってるやん。次なに飲む?」
「奏斗、それ美味い?」
「奏斗、そろそろ追加頼まん?」
「奏斗、グラスこっち置き」
「奏斗」
「奏斗」
「奏斗」
気付けば、さっきからずっと雲雀は奏斗の名前を呼んでいた。
奏斗もそれに当たり前のように返事をする。
奏斗が笑えば、雲雀も笑う。
奏斗が何か話せば、一番最初に反応するのは雲雀だった。
その様子を見ているうちに、凪ちゃんが言いかけた言葉が頭をよぎる。
『一番最悪な結末としては、たらいもセラ夫と同じで奏斗を――』
……いや。
考えるのはやめよう。
そうじゃない。
きっと昔から仲が良いだけだ。
俺が勝手に気にしすぎているだけ。
そう思いたいのに。
視界の端で奏斗が笑うたび、その隣には雲雀がいる。
胸の奥がじわじわと重くなる。
酒なんてまだほとんど飲んでいないはずなのに、妙に頭が痛かった。
「セラ夫、ちょっとペース早くないですか?」
「え?」
凪ちゃんに指摘されて、ようやく気付いた。
手元のグラスに視線を落とす。
空になったグラスは思っていたより多かった。
ざっと数えても10杯近い。
「……あ」
自分でも驚く。
ここまで酒が回るのが早かったのは、酒のさの文字も知らなかった時くらいだ。
最近は多少飲んでも平気だったはずなのに。
「大丈夫ですか?」
「んー……たぶん」
たぶん大丈夫。
そう答えたはずなのに、言葉が少しふらついた。
凪ちゃんが呆れたように眉を下げる。
「全然大丈夫そうに聞こえませんけど」
「ちょっと外の空気吸ってくる……」
「えぇ……分かりました。転ばないでくださいよ」
「子供じゃないんだから」
そう返したものの、自分でも説得力がない。
椅子から立ち上がると少しだけ視界が揺れた。
フラつく足取りのまま店の外へ出る。
夜風が頬を撫でた。
熱くなった頭にはちょうどいい。
店内から聞こえる笑い声がガラス越しに漏れてくる。
その中に奏斗の声も混ざっていた。
自然と振り返ってしまう。
……やめろ。
そう言い聞かせる。
あの2人に悪気なんてない。
雲雀だって昔から奏斗と仲が良い。
奏斗も雲雀を信頼している。
ただそれだけ。
それだけなのに。
胸の奥が苦しい。
4年も好きでいるくせに。
何も伝えられていないのは自分だ。
雲雀を責める資格なんてどこにもない。
「……情けな」
思わず苦笑が漏れた。
その時。
店のドアが開く音がした。
「セラ?」
聞き慣れた声。
今1番聞きたかった声。
ずっと隣で聞いていたい声。
振り返る。
そこには奏斗が立っていた。
「やっぱ外にいた」
「なんで来たの」
「アキラに様子見てこいって言われた」
そう言いながら奏斗は俺の隣まで歩いてくる。
距離が近い。
近すぎる。
酒が入っている今は特に心臓に悪かった。
「飲みすぎじゃない?」
「そうかも」
「珍しいね」
「まぁね」
短い沈黙が落ちる。
夜風が吹く。
奏斗の髪が揺れた。
街灯の光を受けて、蜂蜜色の髪がきらきらと光る。
綺麗だな。
4年前からずっと思っていることを、また思う。
「セラ?」
「ん?」
「なんか今日変」
心臓が跳ねた。
奏斗は首を傾げる。
「さっきから元気なくない?」
本当に。
こいつは。
自分のことには鈍感なくせに、人のことはよく見ている。
だから困る。
「……別になんもないよ」
「嘘だ」
即答だった。
「僕、分かるもん」
そう言って笑う。
無邪気な笑顔だった。
その笑顔を見た瞬間。
店の中で見た光景が脳裏をよぎる。
奏斗の隣で笑う雲雀。
奏斗の名前を何度も呼ぶ雲雀。
そして。
『一番最悪な結末としては、たらいもセラ夫と同じで奏斗を――』
凪ちゃんの言葉。
酔いのせいだろうか。
気付けば口が勝手に動いていた。
「ねぇ、奏斗」
「ん?」
「雲雀のこと、どう思ってる?」
口にした瞬間、自分でも後悔した。
何を聞いているのだろう。
こんなことを尋ねたところで、何になるというのか。
それでも、1度口にした言葉はもう引き返せない。
奏斗はきょとんとした表情を浮かべた。
「雲雀?」
「うん」
「どうって……」
少し考えるように視線を上げる。
その数秒が、やけに長く感じられた。
「大切な友人だよ」
胸の奥が、わずかに軽くなる。
だが。
「昔から知ってるし、一緒にいるのが当たり前っていうか。」
奏斗はそう続けた。
「まぁ、本人に言うのは恥ずかしいけどね」
そう言って、穏やかに笑う。
その笑顔に、嘘はない。
少なくとも、奏斗にとって雲雀は恋愛対象ではないのだろう。
それだけで十分なはずなのに。
「そっか」
「なんで急に?」
「いや、なんとなく」
ごまかすように笑うと、奏斗は訝しげにこちらを見た。
だが、それ以上は追及してこなかった。
「変なセラ」
「うるさい」
肩を小突くと、奏斗は声を上げて笑った。
その笑い声を聞くだけで、少し安心する。
本当に単純だ。
俺は。
「そろそろ戻る?」
「んー……もう少し」
「酔ってるじゃん」
「酔ってない」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ」
そう言いながら、奏斗が隣に腰を下ろす。
近い。
肩が触れそうな距離だ。
心臓がうるさい。
きっと酒のせいだ。
そういうことにしておく。
しばらく2人で夜風に当たっていると、不意に店の入口が開いた。
ガラス戸越しに人影が見える。
雲雀だった。
店の中からこちらを見ている。
目が合った。
ほんの一瞬だったが、確かにそうだった。
雲雀の表情から、笑みが消えたように見えた。
「雲雀?」
奏斗が振り返る。
その瞬間には、もういつもの顔に戻っていた。
「おーい!2人とも何してんねん!」
雲雀が大きく手を振る。
「主役おらんと盛り上がらんやろ!」
「主役じゃないし!」
「いや主役やろ!」
奏斗が立ち上がり、雲雀の方へ歩いていく。
その背中を見送りながら、俺も腰を上げた。
すると。
すれ違いざま、雲雀が小さな声で言った。
「…ありがとな」
「……何が?」
思わず眉をひそめる。
雲雀は笑った。
だが、その目は笑っていなかった。
「相手してくれて」
「あいつセラフとおると楽しそうだから」
その言葉に、返事ができない。
雲雀は何事もなかったかのように、奏斗の肩へ腕を回した。
「ほら奏斗!戻るで!」
「重いって!」
「気にすんな!」
2人の背中が並ぶ。
昔から築かれてきた距離感。
俺には入り込めない時間。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
――やはり。
凪ちゃんの言っていたことは、気のせいではないのかもしれない。
店内へ戻る直前、雲雀が振り返った。
一瞬だけ。
挑発するような目をした気がした。
気のせいだと思いたかった。
だが。
その夜、俺は初めて確信することになる。
渡会雲雀も。
俺と同じだった。
まだまだ夜は長くなりそうだ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯
「……凪ちゃん、どうする?」
「えぇ、どうしましょうね。この酔っ払い2人」
凪ちゃんは呆れたようにため息をつき、奏斗と雲雀を交互に見た。
2人ともすっかり出来上がっている。
雲雀は酔いが回るとすぐ寝るタイプらしく、机に突っ伏したまま微動だにしない。
一方の奏斗は、自分で言っていた通りの泣き上戸だった。
さっきまで「4周年おめでとぉ……」なんて泣きながら笑っていたくせに、今は俺の肩にもたれかかって静かに寝息を立てている。
……ちょっと、泣き顔も可愛いな。
そんなことを思ってしまう自分がいる。
俺は酒を飲んでもそこまで変わらない。
だから毎回、酔い潰れたメンバーを家まで送る役になる。
逆に凪ちゃんは、酔うと虚言がひどくなって手が付けられない。
本人も自覚しているから、みんなで止めているくらいだ。
これ以上まともな人間が減ったら、本当に収拾がつかなくなる。
「……可愛いな」
「聞こえてますよ」
しまった。
気付けば声に出ていた。
だって仕方ない。
少し崩れた髪。
耳に掛かった前髪。
無防備に緩んだ服元。
眠って閉じられたアクアマリンの瞳の代わりに目立つ長いまつ毛。
全部が愛おしい。
寝顔なのに、どこか色っぽく見えてしまう。
「……はぁ」
凪ちゃんは深くため息をついた。
「しょうがないですね。私がたらいを送るので、セラ夫は奏斗をお願いします」
「え?」
「どうせ他の人に任せても落ち着かないでしょう?」
図星だった。
何も言い返せない。
「……ありがとうございます」
「ただし」
凪ちゃんの声色が少しだけ真面目になる。
「変なことしたら、一生ネタにしますから」
「しないよ!」
思わず即答すると、凪ちゃんはくすりと笑った。
「……もう4年近いんですよね」
「うん」
「そろそろ何か動いてもいい頃じゃないですか」
その言葉に胸が詰まる。
「……無理だよ」
「どうしてです?」
「4年間積み重ねてきた関係が壊れるかもしれない」
怖い。
その一言に尽きる。
恋人になれなくてもいい。
今の距離さえ失わなければ、それでいい。
そう自分に言い聞かせてきた。
「……まぁ、セラ夫がそう決めているなら止めません」
凪ちゃんは静かにそう言ってから、小さく付け加えた。
「でも、渡会雲雀は待ってくれないと思いますよ」
その一言が、胸に重くのしかかった。
店を出てタクシーを拾う。
運転手に奏斗の家の住所を伝えると、車はゆっくりと走り出した。
奏斗はこっちの気も知らず、俺の肩に頭を預けたまま規則正しい寝息を立てている。
近い。
近すぎる。
このまま抱き寄せてしまいたくなる衝動を押し殺すように、膝の上でズボンを握る手に力を込めた。
――駄目だ。
今は、この距離で十分なんだから。
「……セラぁ」
不意に、自分の名前が呼ばれた。
思わず心臓が跳ねる。
……まさか。
起きてるのか?
恐る恐る顔を覗き込む。
奏斗は相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。
長いまつ毛は閉じられたまま。
規則正しい寝息が聞こえる。
「寝言……か」
思わず安堵の息が漏れる。
そっと頬を人差し指でつついてみる。
「……んぅ」
小さく唸るような声を漏らすと、奏斗は少しだけ眉を寄せた。
それでも起きる気配はない。
「……かわいすぎるだろ」
また口に出てしまった。
すると奏斗は俺の肩へもう一度すり寄る。
まるで安心しきった子どものように体重を預けてきた。
「ちょ、ちょっと……」
心臓に悪い。
運転手に聞こえないよう、小さく息を吐く。
理性が試されるとは、まさにこのことだ。
「……セラ」
もう一度。
今度はさっきよりはっきりと名前を呼ばれた。
その声はどこか甘えているようにも聞こえて、胸が締め付けられる。
「どうした」
返事をしても、もちろん返ってくる言葉はない。
寝ぼけているだけだ。
分かっている。
それなのに。
「……好き」
その一言が喉まで込み上げてきて、慌てて飲み込んだ。
駄目だ。
こんな形で伝えたくない。
寝ている相手に言ったって意味なんてない。
「……危ない、危ない」
自分に言い聞かせるように苦笑する。
タクシーはゆっくりと夜道を走り続ける。
窓の外の街明かりが流れていく中、奏斗は安心したような表情で眠り続けていた。
その無防備な寝顔を見つめながら、俺はただ一つだけ願う。
せめて今日くらいは。
もう少しだけ、この距離を許してほしい。
そう思った瞬間。
奏斗の手が、無意識に俺の服の袖をきゅっと掴んだ。
「……っ」
心臓が、また大きく跳ねる。
本人はまったく気付いていない。
それでも、その小さな力だけで十分だった。
――本当に。
お前はずるいよ、奏斗。
「お客さま、到着しましたよ」
運転手の声に、はっと意識が戻る。
「……あ、ありがとうございます」
料金を支払い、ゆっくりとドアを開けた。
夜風が、火照った身体を静かに冷ましていく。
「奏斗」
小さく名前を呼ぶ。
「着いたぞ」
「……んー……」
返事はあるものの、目を開ける気配はない。
完全に眠り込んでいる。
「起きろ」
肩を軽く揺する。
「……あと5分……」
「家の前で2度寝するやつがあるか」
思わず笑みがこぼれた。
「すみませんね」
運転手が苦笑まじりに声を掛ける。
「このままだと風邪をひきますよ」
「ですよね……」
覚悟を決める。
「奏斗、ごめんな」
そう呟きながら腕を背中へ回し、ゆっくりと身体を支える。
「よいしょ……」
思っていたより軽い。
肩に腕を回した瞬間、ふわりとシャンプーの甘い香りが鼻先をくすぐった。
近い。
近すぎる。
「……っ」
余計なことを考えるな。
そう自分に言い聞かせながら、奏斗の家の前まで歩く。
「奏斗、鍵はどこ?」
「……ん」
寝ぼけたまま小さく返事をすると、奏斗はゆっくりと自分のズボンのポケットを指差した。
「ここ?」
「……んぅ」
ポケットから鍵を取り出し、玄関の鍵穴へ差し込む。
カチャリ、と小さな音が鳴った。
「お邪魔します」
静かな部屋に、小さく声を落とす。
もちろん、返事はない。
靴を脱がせ、肩を貸しながら寝室まで運ぶ。
「もう少しだからね」
ベッドの縁へ腰掛けさせ、そのままゆっくりと横たえた。
ようやく一息ついた、その時だった。
「……セラ」
名前を呼ばれる。
思わず動きが止まった。
奏斗は眠ったまま、俺の服の裾をきゅっと掴んでいる。
「……帰るな」
か細い声だった。
寝言だ。
そう分かっている。
それでも、胸が締め付けられる。
「……朝になったら忘れてるんだろ」
苦笑しながら、前髪をそっと整える。
「ほんと、お前はずるいよ」
俺の気持ちなんて知らないくせに。
そんな無防備なことをする。
布団を肩まで掛け直し、そっと手を離そうとする。
……離せない。
「……やだ」
寝ぼけたまま、もう一度裾を握る力がわずかに強くなった。
「……勘弁してくれ」
小さく笑って天井を見上げる。
今夜くらいは。
もう少しだけ、この手を振り払えそうになかった。
______________________
「……はぁ」
小さく息を吐く。
このまま朝までいるわけにもいかない。
奏斗の手を傷つけないよう、ゆっくりと指を1本ずつほどいていく。
「ごめんね」
囁くように言うと、不思議なことに奏斗は抵抗しなかった。
ようやく裾から手が離れる。
「……よし」
立ち上がろうとした、その瞬間。
「……セラ」
また名前を呼ばれた。
今度は少しだけ苦しそうな声だった。
振り返る。
奏斗は眠ったまま眉を寄せ、小さく身じろぎをする。
「……どこ……」
寝言。
そう分かっている。
それでも足は止まってしまう。
「ここにいるよ」
思わず返事をしてしまった。
もちろん届いてはいない。
それなのに奏斗は安心したように表情を緩め、小さく息を吐いた。
「……よかった」
その一言だけで十分だった。
胸が苦しい。
嬉しいわけじゃない。
これは寝言だ。
夢の中で誰を探していたのかなんて分からない。
たまたま俺の名前を呼んだだけかもしれない。
そう自分に言い聞かせる。
それでも。
「そんな顔されたら帰れないだろ……」
ベッドの脇にしゃがみ込み、布団から出ていた奏斗の手をそっと掛け布団の中へ戻す。
熱はない。
呼吸も落ち着いている。
酔って眠っているだけだ。
「明日になったら、今日のこと全部忘れてるんだろうな」
それでいい。
忘れてくれた方がいい。
俺だけが覚えていればいい。
そう思って立ち上がると、枕元に置かれていたスマートフォンが震えた。
画面が淡く光る。
表示された名前を見た瞬間、思わず目を細めた。
[渡会雲雀]
こんな時間に。
一瞬迷った末、音で奏斗を起こさないよう、セラフは静かに電話へ手を伸ばした。
一瞬、迷う。
こんな時間に雲雀から電話がかかってくるのは珍しい。
着信音で奏斗を起こしたくなくて、急いで通話ボタンを押した。
「……もしもし」
声を潜める。
『あ、セラ?』
受話器の向こうから聞こえたのは、いつもの明るい声。
だけど、その奥にどこか張り詰めたものが混じっている気がした。
『奏斗、大丈夫なん?』
「寝てる。家まで送ってきた」
『……そっか』
短い返事のあと、沈黙が流れる。
『ありがとな』
「別に」
『あいつ、泣き上戸やからさ』
苦笑するような声。
『迷惑かけてへん?』
「そんなことない」
本心だった。
迷惑だと思ったことなんて、一度もない。
『ならよかった』
また静かになる。
電話を切るには、少し長い沈黙だった。
「……何か用じゃなかった?」
そう尋ねると、雲雀は少し笑った。
『ちゃんと帰れたか気になっただけ』
「……それだけ?」
『それだけ』
少しだけ間を置いて、雲雀は続ける。
『奏斗のこと、安心して任せられるん、セラくらいやから』
思わず言葉を失った。
『あいつ、人に甘えるの苦手やろ』
「……そうだね」
『でも、セラにはよう甘えとる』
その一言だけが胸に残る。
「……雲雀」
『ん?』
「雲雀も奏斗のこと、大事なんだね」
また沈黙。
数秒。
いや、それ以上だったかもしれない。
『……せやな』
それだけ言って、電話は切れた。
ツーツーという電子音だけが部屋に響く。
「……分かんないや」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
雲雀の本心も。
奏斗の気持ちも。
そして、自分が守ろうとしているものも。
ベッドへ目を向ける。
奏斗は何も知らず、穏やかな寝息を立てていた。
「……おやすみ」
そっと部屋の明かりを落とし、ドアノブへ手を掛ける。
その時だった。
「……セラ」
小さな寝言。
思わず振り返る。
奏斗は眠ったまま、少しだけ口元を緩めていた。
夢を見ているのか。
それとも、ただ名前を呼んだだけなのか。
答えは分からない。
「……ったく」
苦笑しながらベッドへ戻る。
肩から落ちかけた布団を掛け直し、乱れた前髪を指先で整えた。
「おやすみ、奏斗」
返事はない。
静かな寝息だけが部屋を満たしている。
――好きだな。
心の中だけで呟く。
この想いは、まだ伝えられない。
伝えた瞬間、この心地いい距離が壊れてしまいそうだから。
4年間積み重ねてきた日々は、俺にとって何より大切だった。
だから、もう少しだけ。
もう少しだけ、このままで。
静かに部屋を出る。
カチャン、とドアが閉まる音だけが夜に溶けた。
外へ出ると、ひんやりとした夜風が頬を撫でる。
見上げた空には、星が静かに瞬いていた。
「……帰るか」
小さく呟き、歩き出す。
胸の奥には、まだ苦しさが残っている。
それでも、不思議と後悔はなかった。
今日も奏斗は笑っていた。
その笑顔を見られただけで十分だ。
……そう思えるうちは。
きっと、この片想いは終わらない。
────Fin