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第五話 名前の向こう側
その夜も、いつもの時間にサイトを開いた。
最近は、ログインすると
自然に相手を探すようになっていた。
今日もいるかな。
そんなことを考えながら
画面を見ていると、すぐに通知が届いた。
『いた』
『いるよ』
『今日早いね』
『そっちこそ』
『今日は待ってたから』
『……またそういうこと言う(笑)』
『本当のことだけど』
彼女は思わず笑った。
こういう何気ないやり取りが、
いつの間にか好きになっていた。
特別な話をしているわけじゃない。
学校であったことや、今日食べたもの。
友達とのくだらない話。
そんな話ばかり。
それでも、画面を開けばこの人がいる。
それだけで、
一日の終わりが少し楽しみになっていた。
『そういえばさ』
『ん?』
『ずっと思ってたんだけど』
『なに?』
『名前って、なんでそれにしたの?』
彼女の指が止まった。
プロフィールに表示されている名前。
もちろん本当の名前ではない。
『なんとなく』
『絶対嘘(笑)』
『なんで分かるの』
『なんとなく』
『そっちもじゃん(笑)』
『まあね』
二人とも笑った。
本当の名前を知らない。
それどころか、顔も知らない。
でも、ネット上で使っている名前なら知っている。
その名前を呼べば、ちゃんと相手が振り向く。
不思議な関係だった。
『じゃあさ』
相手から届いた。
『いつか本当の名前教えてよ』
彼女は少し考えた。
すぐに答えることもできた。
けれど、なぜか迷った。
本当の名前を教えるということは、
今までより一歩近づくことになる。
それが少し怖かった。
『いつかね』
そう返した。
『うん。いつかでいい』
意外にも、相手はそれ以上聞かなかった。
そのことに、少し安心する。
『そっちは?』
『俺もいつか』
『じゃあ、お互い秘密ね』
『約束』
その一言を見て、彼女は小さく笑った。
秘密。
そう言われると、
なんだか二人だけのものができたみたいだった。
それからしばらく、別の話をした。
好きな曲の話。
最近ハマっているもの。
休日に何をしているか。
話題は次々に変わっていく。
その途中で、彼女がふと聞いた。
『もし一日だけ自由にできるなら、何したい?』
『急だね』
『なんとなく』
『またそれ(笑)』
『いいから』
相手は少し考えてから答えた。
『遠くに行きたい』
『旅行?』
『うん。知らない場所』
『一人で?』
『……たぶん』
『私は友達と行きたいかも』
『それもいいね』
『どこ行きたい?』
『海』
『ベタだね(笑)』
『いいじゃん』
そんな話をしているうちに、
気づけば日付が変わりそうになっていた。
『そろそろ寝る?』
『うん』
『明日も学校だし』
『そうだった』
『忘れてたの?(笑)』
『ちょっとだけ』
『寝坊しないでよ』
『そっちもね』
『私は大丈夫』
『この前もそう言ってたじゃん』
『……覚えてたの?』
『覚えてるよ』
彼女は画面を見つめた。
ほんの些細なこと。
自分が何気なく言ったことを覚えていてくれる。
それが、思っていた以上に嬉しかった。
『おやすみ』
『おやすみ』
画面を閉じる。
部屋が静かになる。
彼女はベッドに横になりながら、
さっきの会話を思い出していた。
本当の名前。
いつか教えると言った。
いつか。
その「いつか」が、いつ来るのかは分からない。
でも、不思議と嫌ではなかった。
むしろ――
その日が少し楽しみだった。
コメント
4件
そうなんですよ! だからこそどれだけ信頼してるかを示す証でもありますよね! ありがとうございます!
うわ、すごく好きな回だった……。「名前の向こう側」ってタイトルも刺さったよ。本当の名前を教える=距離が縮まる怖さ、分かるなあ。でも「いつかでいい」って言われて安心するところ、甘くて切なかった。相手が何気なく言ったこと覚えてくれてるの、それだけで特別だよね。この二人のゆっくりした距離感、すごく丁寧で、読んでてじわじわ温かくなった。M.Sさん、ありがとうございます。次の話も楽しみにしてます🌙
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