コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
簡易だが粗末ではない天幕を一つ貸し与えられ、レモニカとソラマリアは調査団とともに一泊することにした。外はいつも通り妖しげな仄明るさだが、疲労はレモニカの首根っこを掴んで深い夢へと突き落とす。
不思議なことにこの街に生きる死体たちは時間に正確なようで、夜らしき時間帯になると皆各々の家庭へと戻っていった。生業を共にする仲間たちと軽口を叩きながら、まるで未来に希望を抱いているかのような笑い声が残響した。
本格的な調査は明日からで、唯一見つけた巨人の遺跡に似た何かに乗り込むことになる。しかしそれはレモニカたちの目的ではない。ハーミュラーがいない以上、念のために解呪して、念のために装身具の魔導書を回収する。呪いは復活するかもしれないし、魔導書は魔導書そのものではないかもしれないが。
「ハーミュラーがいないと分かった時点で戻るべきだったかもしれないわね」とレモニカは天幕の隅の暗闇を見つめて呟く。
「何故です? 解呪も魔導書も重要では?」
「そうだけど、解呪した土地が再び呪いに沈められている理由を知るためにハーミュラーを探しているのよ。何か手がかりがつかめるかもしれない、という程度のこと。装身具の魔導書だってそう。破壊できた時点で本当に魔導書なのかどうかも怪しい。もちろんユカリさまの感じているという魔導書の気配を疑っているわけではないわ。でも魔導書はどれもこれも唯一無二過ぎて、果たして共通点だと思っていたことが本当に共通点なのかどうか。例えば全て集めれば力が失われるという仕組みも経験則でしかないわ。ソラマリアと再会する前にサンヴィアで見つけた魔導書だって、あれは魔導書を集めたと言えるのかしら」
「分からないならばより多くの情報を集める他ないのでは?」
「全くの正論ね。嫌になるわ」
「すみません」
「こちらこそ」
突如、荒布を引き裂くような叫び声が聞こえ、ソラマリアにのしかかられ、天幕が乱暴に取り除かれた。全て一瞬の出来事だったが、叫び声に警戒したソラマリアは守るべき王女の盾となり、視界を遮る天幕を剣で引き裂いたのだ、と一瞬遅れて把握する。
周囲に張られていた沢山の天幕からも、飢えた獣のような眼光の戦士たちが飛び出してくる。異常事態はすぐに発見された。天幕群の端の方、よりムローの都に近い方相争っている様子だった。
戦士たちが加勢に駆けつけるが、ソラマリアはレモニカを抱えて、騒ぎが収まるまで警戒し続けた。
勇ましくも残忍な戦士たちによって襲撃者たちはすぐに無力化され、事態が判明すると同時に新たな火種が生まれる。どうやら天幕を襲っていたのは、まさに昼間の生きる死体と機構の衝突で死んだ僧兵たちの死体だったようだ。それらは全て屍使いの戦利品として回収されていたはずだ。つまり屍使いの裏切りを疑われる事態だというわけだ。
レモニカは出来過ぎているように感じたが、多くの戦士たちは状況から安易な結論に飛びつこうとする。
当然屍使いたちは抗弁する。このシュカー領全体を覆う呪い『年輪師の殉礼』の存在をもう忘れたのか、とライゼンの戦士たちに食って掛かる。またもや小競り合いの始まりそうな、触れれば火傷しそうなぴりぴりとした雰囲気だ。
「ソラマリア。早く行って彼らを仲裁しなさい」
「聞く耳持ちませんし、レモニカ様を置いていくわけにはいきません。もちろん連れて行くわけにもいきません」
「もういい! わたくしが行くから離しなさい」
レモニカはソラマリアの腕を振りほどこうとするが、まるで鉄の枷のようにびくともしなかった。
「一人では絶対に行かせませんよ。分かりましたから暴れないでください。共に参りましょう」
ソラマリアにがっしりと抑え込まれながら言い争っている一団の所へ向かう。まるで厳しい母親が聞き分けの無い子供を引き連れているかのようだ。
「落ち着きなさい。今ここで互いを殺し合えば、それらはまた立ち上がり、襲い掛かってくるかもしれない。際限がありません」
しかしレモニカの言葉は届いていなかった。ライゼンの戦士たちと屍使いたちは汚い言葉で罵り合い、もはや先ほどの襲撃とは別の日頃の鬱憤をぶつけ合っているようだった。
それでもレモニカは言葉をかけ続け、争いを鎮めようとする。しばらくしてようやく言い争いが止んだのは、ラーガ王子と屍使いの長フシュネアルテがやって来た時だった。先ほどまでの嵐が嘘のように凪いだ。
レモニカはその様子を外野で眺め、ぽつりと呟く。「わたくしは内輪揉めの内輪にすらいなかったのね」
「ラーガ様の部下はレモニカ様の部下ではないというだけのことです」
「そうだけど違うわ。ユカリさまなら仲裁できたことでしょう」
「まさか。失礼ながら申し上げますが、レモニカ様はユカリを買い被っておいでなのです。確かに魔導書に関しては偉大なことを成し遂げていますが、それも皆の助けがあればのこと。ユカリは一介の、まだ子供とすら言える年齢の少女ですよ。全く畑違いの分野でなんでもできるわけではありません。過度な期待はユカリを苦しめることにすらなりかねませんよ」
レモニカははっと我に返り、ソラマリアを見つめ、今の言葉を噛み締める。他愛ない憧憬が負担になっていたかもしれない。さらに言えば、憧れて悪い気はしないはずだ、と心のどこかで開き直っていた気さえした。
そもそもユカリならば仲裁したはず、ということさえ思い込みかもしれない、と気づく。
「わたくしは、わたくしが望んだつもりの行動さえも、ユカリさまにかこつけていたのかしら」
レモニカはソラマリアのそばにいながら独り言ちた。
その夜、それ以上の変事は起きなかったが、誰もが戦場の只中にいるかのような落ち着かない夜を過ごしたようだった。
天幕の外で人々が活動し始める気配に気づき、レモニカは目覚め、起き上がる。隣のソラマリアは完全に熟睡しているように見えた。
「起きましょうか、ソラマリア」とレモニカが声をかけると、ソラマリアは「はい」と返事をして両目を開き、素早く起き上がり、身支度を済ませた。
山波の如く天幕の並び立つあちらこちらで手軽な朝食が摂られている。仄かに香るのは焼しめた麺麭くらいのもので、野菜くずさえ御馳走のようだ。熊のように大きな体の戦士たちにとっては辛そうだが、大王国とて遠征のための物資には限りがある。
レモニカとソラマリアはそれなりにビアーミナ市で準備を整えてきたが、それでも軽くて場所を取らない割に腹持ちするものとなると味気ない糧食と変わりなかった。
その日の調査団は巨人の遺跡に似た何かとやらに向かうことになっていた。情報が突き合わされた結果、ムロー市郊外のその場所にはかつてシシュミス神の古い神殿があったそうだ。ただしクヴラフワ衝突によって焼け落ちたはずだとされている。古株の屍使いの中にはまさに神殿が崩れる姿を見た者もいるそうだ。シシュミス神が天にいるのでなければ、まさに土地神が祟り神として根付いていそうな場所だ。
レモニカとソラマリアは後れを取らないように手早く支度を済ませると、ラーガに一任されたフシュネアルテ率いる調査団に加わった。
道中、レモニカは変わらず空に仄光る八つの緑の太陽を見上げる。まさにその八つの光が蜘蛛の体のシシュミスの八つの眼なのだという。一体何を見ているのだろう。そして何を企んでいるのだろう。
その姿は見えないがメーグレア虎に降り注ぐ糸をレモニカは目にした。シシュミス神が虎を変身させ、力を貸したのだと思われる。一行を、あるいはそのやろうとしていることを疎ましく思っているのだ、と。
「考えてもみなかったけれど、シシュミス神はこの土地が呪われたままであることを望んでいるのかもしれないわ」
レモニカの視線を追うようにしてソラマリアも空を仰ぐ。
「考えたくもないことですね。ですが我々の邪魔をしたことを考えると、その推測も的外れとはいえません。しかし信徒たる者どもを不幸して何の意味があるのか」
「まさにわたくしたちがハーミュラーに抱いている疑念そのものだわ」
「ハーミュラーはシシュミス神の意図を汲んでいると?」
「あるいはそれこそが与えられた使命なのやもしれない」
たどり着いた場所にあった建造物は確かに巨人の遺跡に似た何か、だった。より正確に言い表すならば巨人の遺跡を建材として利用した建造物のように見える。まさにバソル谷で見た巨人の遺跡の石材だ。複雑な形に切り分けられた赤茶色の石材を、しかし巧みに組み合わせて全体としては滑らかな建築をなしていた巨人の遺跡とは違い、無理に積み上げて歪んだ輪郭を成している。
「フシュネアルテさまは何かご存じですか?」
不意に近づいたレモニカに驚いてフシュネアルテは反射的にイシュロッテの陰に隠れようとしたが、何とか堪えた。
「いえ、見たことも聞いたこともありません。話に聞いていたシシュミス神の神殿ではありませんし、見ての通りムローの都の、屍使いの伝統的建築物とも違います」
「ということはクヴラフワ衝突以降に何者かが建築した可能性が高いですわね」
「そうですね。おそらくシシュミス教団の連中が作った神殿か何かでしょうけど」
その言葉の違和感に気づく。
「そもそも屍使いの皆様にとってシシュミス教団はどういう存在なのですか? あ、敏感な話題なら申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。そうですね。シシュミス神は元々屍使いの、シュカー領の土地神でしたが、王国時代から諸侯国時代へと移り変わるにつれ、クヴラフワ全土に信仰が広がったそうです。クヴラフワ衝突直前にはクヴラフワの主神といえる勢力だったそうですが。いざこうして帰還してみれば取り残された屍使いは全滅。シシュミス教団にも屍使いの血を引く者がいるのかどうか。彼らが悪いとは言いませんが、面白くはありませんね。信仰を掠め取られたような気分です」
レモニカはと胸を突かれる。信仰を掠め取るとは、今まさにレモニカたちが魔導書を得るためにやろうとしていることではないだろうか。
外観の調査を終えるとフシュネアルテ率いる調査団は内部調査へと移り変わる。まるで子供の積み木遊びのような建物に入るのは少し躊躇われたが、レモニカの他に躊躇う素振りを見せる者などいなかった。
慌てて建造物に飛び込むと、そこは胞子と菌糸に覆われていた。合掌茸のそれだ。しかし茸そのものはどこにもない。建物は薄暗いもののあちこちに隙間があって緑の光が差し込んでいる。
「これは、つまり、この神殿そのものが信仰されている、ということよね。偶像崇拝ならぬ神殿崇拝とでも言えばいいのかしら」とレモニカはソラマリアに意見を求める。
「おそらく」ソラマリアは煙たそうに手で仰ぐがまるで意味はない。「だとすればやはりこの神殿を信仰している者がいることになりますし、その者たちから信仰を得なければシュカー領の魔導書は得られませんね」
「でも唯一の生者であったのは救済機構の僧兵たちだけですし、一体どこに信仰者がいるというの?」
「どこかにいればこそ、こうなっているのでは?」
「そうね。その通りだわ」
レモニカはふと調査団の人の流れに気づく。どうやら地下への階段を見つけたらしく、建物の奥へと吸い込まれていく。
「ソラマリア。地下室があるみたいだわ」
ソラマリアの視線は神殿の入り口へと向けられていた。レモニカを庇うようにソラマリアが腕を広げる。その視線の先には群衆が、狭い入り口に詰めかけ、我先にと体をねじ込もうとしていた。その乱暴な態度は敵意に満ちている。
「生きる屍! なぜ!」
「考えるのは後です。そばを離れないでください」
ソラマリアが剣を抜き放ち、群衆を迎え撃つ。