「ねぇ、高城さんはさ~究極の愛の形って何だと思う?」
「エロースとか、アガペーとか、そう言った類いの話しか?」
確か、エロースは肉欲的な愛、アガペーは無償の愛だったか。
「んなもん、俺から言わせれば全部ひっくるめてエゴイズムだと思うがな」
見返りを求めなければ無償の愛か?
確かに、神とやらは人間に見返りなんて求めてはしねぇーだろうな。
よく神様は、その人が乗り越えられる試練しか与えないというが、此方の都合も了承もなく、一方的に押し付けてこられるものが、果たして愛と言えるのか?
神様の行動は、俺ら人間と変わらない。
自分がしたいから、そう振る舞っているだけにしか過ぎない。
なら、その時点で、エゴエゴイズム(自分本意)じゃねぇーか。
「なんか高城さんらしい答えっすね。でも、俺の思う究極の愛の形は、カニバリズムだと思うんすよねぇ~。例え死んだとしても、その人の血肉となって全身を巡る一部となることで、永遠に俺は生き続けると考えるだけで、なんかゾクゾクしません?」
「おい、少なくとも人が飯食ってる時にする話じゃねぇーな」
俺が飯食ってるの見てて、こんな話題をふってくるなんて悪趣味だろ。
辟易とする俺とは、対象的に秋元は楽しそうに話を続ける。
「高城さんが食べてるから、話してるんじゃないですか」
「飯が不味くなるからヤメロ」
「止めませんよ。生きてる内に、意思表明しとかないと、死んだら俺の願い汲んで貰えないじゃん。だからさ~俺が死んだら、高城さんは俺を食べて下さいね」
「俺にカニバリズムを強要するな」
それに秋元、お前不味そうだしな。
「あ、高城さんが死んだら、俺が食べますから、安心して死んで下さいね」
「おい、その一言で、安心して死ねなくなったじゃねーか」
「俺はさ~神様とか閻魔様とか会った事もない奴らに、高城さんを渡したくないんっすわ。高城さんだって、俺を渡したくないでしょ?」
「それはどんな理屈だよ。しゃーねぇな。秋元分かったよ。俺が死んだら、俺の全てをくれてやるよ。死でさえも。ただし、残すなよ?」
「やっぱり言うてみるもんすね。これで高城さんは俺のもんすからね」
「あと、お前が先に死んだら、俺が食べる事になるんだから、死ぬまでに少しでも美味しくなっとけよ」
「え~、俺そんなに不味そうっすか?高城さんは、仕方ないなあ~。調味料は塩までなら許すことにします」
「おい、俺は調味料も好きに選べねぇーのかよ」
「だって、俺その物を味わって欲しいのに、調味料かけたら台無しじゃん」
本当に、秋元も俺もつくづくエゴイストだ。
無償の愛を謳う神であったとしても、俺たちのこの愛は理解することなんて到底出来やしない。
いや、この想いの一辺すら神にも渡しはしない。
どちらが先に死んだとしても、互いの血肉となり現世に留まり続ける限り、死してなお生き永らえる。
エゴは死の概念すら超越する。
ほらな、俺の言い分はなんも間違っちゃいねぇーだろ?
所詮、究極の愛の形はエゴイズム
おわり