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「は? 誰だお前」
その声は、さっきまでの軽さとは違っていた。
少しだけ声が上ずっていて、でもまだ強がっている。
心臓の音はまだ速い。
ただ、さっきまでの逃げなきゃという焦りは、どこか遠くに行った気がした。
「おっさんには関係ねぇだろ」
言葉の勢いとは裏腹に、彼らの視線が少しだけ揺れていた。
私の腕に残る圧力は変わらないのに、空気が変わってく。
「関係ない言うたらそうなんやけど。見て見ぬふりできるほど、器用な人間ちゃうねん」
微笑とも嘲りともつかない表情を浮かべていた。
私が今まで見てきた“大人”とは違った。
怒鳴らない。威さない。
でも、言葉の芯が太い。
その太さが、私の心の奥に響いていた。
助ける理由を、正義とか責任とかじゃなくて、ただ黙ってられないって言った。
それが、すごく人間らしくて、あたたかかった。
「おっさんのくせにいきがってんじゃねぇよ!」
その言葉が、空回りしているように聞こえた。
さっきまでの余裕が、もう残っていない。
「嫌がってんねんから、手ぇ離し言うてるだけや。そんな難しいこと言うてへんやろ」
静かだけど、刺さるような言い方だった。
その声に、私の鼓動が一瞬止まった気がした。
視線が鋭くて、男たちは一瞬、息を飲んだように黙った。
その沈黙が、何よりも強かった。
「嫌って言ったら?」
彼の反応を試すように、じっと見ていた。
まるで、どこまで言えるのか探ってくるような目。
「……お嬢ちゃん」
目が合った瞬間、ぞっとした。
感情を荒げていないのに、圧倒的だった。
ぞくりと背筋が震えたのに、怖くはなかった。
むしろ、安心した。
この人なら、何かを変えてくれるかもしれない。
そんな期待が、勝手に膨らんでいた。
「は、はい」
声が震えた。
肩がびくりと跳ねた。
でも、彼の目が私をまっすぐ見ていた。
その目に、何かを委ねてもいいような気がした。
「耳と目、いっぺん塞いどき。怖いのは、今だけやから」
その言葉に、少しだけ迷った。
でも、彼の声が信じられる気がした。
この恐怖が、永遠じゃないって思えた。
「わ、分かりました」
掴まれていた腕が、するりと解放される感覚に戸惑いながらも、両手で耳を塞ぎ、目を閉じた。
暗闇の中で、鼓動の音だけが響いている。
その音が、私の存在を確かめてくれているようだった。
でも、やっぱり気になる。
あと十秒だけ。十秒だけ待って、目を開けよう。
10、9、8、7、6、5…
ふっと、頭に優しい手が乗った。
あたたかくて、ちゃんと大きくて、なぜだか安心した。
その手の重さが、私を現実に引き戻してくれるようだった。
涙が出そうだった。
誰かに触れられて、安心するなんて、久しぶりだった。
「……もうええで。終わった」
目を開けると、彼が私のすぐそばに立っていた。
まるで夢から醒めたあとのような感覚。
男たちの姿はもうなかった。
通りには静かな風と、彼だけが立っていた。
その姿が、まるで映画のワンシーンみたいだった。
「助けていただいて、ありがとうございます…!」
声が震えていた。
でも、それは恐怖じゃなくて、安堵だった。
彼の存在が、私の中に静かに染み込んでいた。
名前も知らないのに、こんなに心が動くなんて。
「ええって。おっさんが勝手にやっただけや」
低くて落ち着いた声が、鼓膜に心地よく響く。
本当に、大げさなことと思っているんだろう。
きっとこういう人なんだ、この人は。
誰かのために動いても、それを当然と思う。
そういう人。
「あ、あの……せめてお名前だけでも…!」
言葉が出た瞬間、自分でも驚いた。
名前を知りたいと思った。
それは、感謝だけじゃない。
何かを残しておきたかった。
この人を、忘れたくなかった。
彼はポケットに手を突っ込みながら、小さく口の端を上げて、言った。
「おっさんの名前なんか、どうでもいいやろ。じゃあな」
ただ、くしゃっとひとつだけ笑ってみせた。
何も残さずに去っていくみたいな、でも確かに“何か”を残していった。
その笑顔が、妙に印象に残った。
風が通り抜ける午後の通り。
彼の背中が、角を曲がって見えなくなるまで、私はその場から動けなかった。
まるで映画のワンシーンみたいだった。