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登校後教室にて、激しい眠気に襲われた。確かに気候は良く、居眠りには丁度良い気候とは言え、余りにも強い眠気に僕は苦笑する。
自慢では無いが、産まれてこの方僕は授業中居眠りをした事など一度も無い。高3にもなって初の居眠りなどしてなるものか、と目に力を込めて黒板を睨む。
教室内では、居眠り生徒と、起きている生徒が半々程度。受験前だから皆んな夜中迄根を詰め過ぎて居たのだろうか。春先からこれでは先が思いやられる。
昼を過ぎ、午後もやはり睡魔と戦う。そして何とか勝利を納めて夏乃の元へと向かった。
そして、あんな事が起きたのだ。
夏乃が呼んだ。
「流喜」と。
教室に迎えに行った時から、少しおかしいとは思っていた。だが、そのまま様子をみていたら、こうだ。
呼ばれて振り返り、目が合った途端、ぼんやりとしていたその目に殺意が溢れた。
溢れる殺意とは裏腹に、怯え戸惑う表情。前に出る両腕と、行くまいと踏み留まる両足。
どうした夏乃、何と戦っている・・・。
「死ね!ババァ!」
叫ぶ夏乃の目から涙が溢れる。僕の両腕を掴んでそのままのしかかってくる。
「夏乃!?」
勢いに押されて、僕は玄関ドアに背中を打ち付けた。痛みに息を飲み、一瞬目を瞑る。
首筋に痛みが走った。夏乃が僕の頸動脈辺りに噛み付いている。
咄嗟に、僕は立て掛けてあった傘の持ち手の部分で思い切り彼女の頭を殴った。夏乃の意識が飛んでタタラを踏む。慌てて外へと出て、鍵を掛けた。
背中をドアに預け、そのままズルズルと下がり床に座り込む。呼吸が荒い。首筋から血が流れる。
左手で押さえると、ドクドクと脈打ちながら溢れる血の勢いが少し治る。
ドアからドンっと衝撃が来る。2度3度と続くと、拳で叩く軽い音が聞こえて静かになった。
郵便受けから、啜り泣く声が聞こえて来た。
「流喜・・・」
さっきまでとは違う、涙混じりのか細い声。
「夏乃・・・」
僕は掠れる声で呼び掛けた。痛みよりも、得体の知れない事への興奮で呼吸が荒い。心臓が壊れそうな程低い音で鳴り響く。2バスドラム連打、そんな感じだ。
「私、流喜を噛んだ・・・。痛いよね?ゴメン」
「夏乃、落ち着いた?開けても平気?」
「ダメ。流喜を見たら、多分抑えられない」
「夏乃・・・、一体どうしたの?」
「分からない。朝、風が吹いて目に何かが入ってから、ずっとおかしいの。私の中に別の何かが居て、私を操ろうとするの。流喜の中の何かを、私の中の何かが殺そうとしている」
確かに、朝のあの風が吹いてから、皆んな様子が変だった気がする。ずっと寝ている者、フラフラしている者、姿が見えなくなった者。
「流喜、病院行って。私、1人で大丈夫だから。周りに誰も居なければ、抑えられる」
「置いて行けない。もう血は止まってきてる。心配要らない」
「駄目だよ。病院が嫌なら、せめて中等部の保健室に診て貰って。外科から来た先生がいる筈。本当に私、大丈夫だから」
夏乃の必死な思いが伝わって来る。
「分かった。行って直ぐ帰ってくるよ」
僕はそう答えて、息を整えた。
「多分、何か原因があると思うの。流喜、調べて。私、待ってるから」
夏乃がそう言った、その時、僕の頭の中に声が響いた。
『元の場所へ』と。
若く無い女性の声。元の場所、学校か?
「流喜、しばらく、部屋貸してね。鍵が外から掛かる、変な部屋で良かった」
「・・・分かった。待ってて夏乃、必ずもどるから」
僕は震える足に力を入れて立ち上がり、学校へと走り出した。血はもう止まっている。
中等部に着くと、扉も窓も全てが閉められていた。いつもならまだ部活動で賑わっている筈の校庭は無人。しんと静まっている。だが、校内からは人の気配が感じられる。姿は見えないものの、顰めた息遣い、忍ばせた足音、衣擦れ、何かと何かが重なる音、そういった音が聞こえる。
どんどん、と僕は昇降口のガラス戸を叩いた。繋がったガラス戸同士が連動して音を立てる。中の気配の者達が気付かない訳がないだろうに、誰も出ては来ない。
チャイムが鳴る。静かな学校に響く様子が不気味だ。
僕は、高等部校舎へと足を向けた。
何かが、起こっているようだ。
流喜が走り去ると、静寂が訪れた。口の周りに付いた流喜の血が乾いて行く。
私は立ち上がってキッチンの流しに向かう。蛇口を捻って水を出し、口を濯いで口周りも洗い流す。
喉の渇きを感じて、何かないかと冷蔵庫を開けさせてもらった。中には500のミネラルウォータが3本と、白い箱が一つだけ。
私は、ミネラルウォータを一本貰い、中の白い箱を取り出した。開けてみると、3号サイズの白い苺ケーキが入っていた。
やだ流喜。自分で自分の引越し祝いかしら。
沈んでいた心がフワッと浮き上がる。自然と口元が緩む。片付けが終わったら、二人で食べようとしてくれていたのだろう。喜びが湧いて来る。
少しだけ、食べてもいいよね?
そう思って、私はケーキに探し出した包丁を入れる。途中でカツンとした感触がして包丁が止まる。不思議に思って指で探ると、中から指輪が出て来た。シルバーの飾りの無いシンプルなリング。
・・・これって・・・。
やだ、流喜。こんなの・・・、間違えて食べたら大変じゃない・・・。
目頭が熱くなるのを感じた。
流れてくる涙を手で拭う。包丁の先がケーキの箱を掠めて、一枚の紙が落ちた。拾って見ると『pre propose』の文字。
プレ・プロポーズ。
嘘でしょ・・・。
こんな日に。こんな日なのに。
私は、その場に座り込んで、紙と指輪を握り締めた。涙が溢れて止まらない。
流喜、逢いたいよ。