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「ほら、着いたよー」

「んあ……」


 鼻孔に届く潮の香りが、この場所がどこかを物語っている。

 背後には広大な森林地帯。

 対して、眼前には薄茶色の砂浜が広がる。その向こうには無限大の大海原が存在しており、眺めるだけでも吸い込まれそうだ。


「カニもいるよー」


 エルディアのこの発言が、ウイルの意識をより一層覚醒させる。


「え、もう……? すごい……」


 赤ん坊のように抱えられたままだが、感嘆の声を漏らさずにはいられない。

 そのまま振り向くと、確かに景色が一変している。

 海岸だ。砂浜を飲み込むように、波が押し寄せては引いている。

 ここはルルーブ森林の最南端であり、エルディアはまたもウイルを運びながら、かなりの距離を移動してみせた。

 歩きなら一日以上はかかるのだが、この傭兵は朝から走り始め、数時間足らずで完走する。

 太陽はまだ登頂しきっていない。

 つまりは、昼食にはまだ早い時間帯だ。

 早起きだったゆえ、朝食の時間も無意味に早かったからか、空腹を感じ始めてはいるものの、今はそれよりもこの景色を吟味したい。

 ウイルはエルディアから離れ、自分の足で砂浜を踏みしめる。

 シャリ。感触からそう聞こえた気がしたが、どちらにせよ目と鼻と耳と体でこの場所を堪能する。

 生臭さを運ぶ潮風。

 波の音。

 空の青ともう一つの青がどこまでも続く曖昧な風景。

 海だ。少年はついに目的地へたどり着けた。

 ここは大地と海面の境界であり、二人にとっては折り返し地点とも言える。


「実はそんなに久しぶりじゃないのよねー」

「え、そうなんですか?」

「うん、一か月ぶりくらいかな」


 ギルド会館に舞い込む依頼は多種多様だ。けれども傾向は存在しており、言い方を変えるなら偏ってさえいる。

 エルディアは先月もここを訪れ、ルルーブクラブの討伐に汗を流した。たいした稼ぎにはならないが、何日で達成出来るかが経験上明確にわかるため、とっつき易い。


「ちらほらいるねー。あの青いのがそうだよー」


 砂浜に点在する青色の何か。丸っこいそれらはゆっくりと移動しており、岩のようにも見えるが生き物だ。


「あれが……」


 ルルーブクラブ。この海岸沿いに生息する魔物だ。分類としては陸ガニゆえ、海中に潜ることはないのだが、水辺を好むのか、この海岸沿いに広く生息している。

 その外見はカニのようでそうではない。通常、カニと言えば薄い胴体と側面に三本ずつの脚を持つが、ルルーブクラブの見た目はヤドカリに近く、シルエットは丸みを帯びている。

 もっとも、この魔物は貝殻を背負っているわけではなく、胴体そのものが球体のような体型だ。

 移動方法も横歩きではない。カサカサと前へ進む。

 カニに似通った何かではあるが、甲殻や鋏は紛れもなくカニであり、そういった特徴からルルーブクラブと命名された。


「お昼はこいつらのお肉にしよっか。ちょっとパサつくけど悪くないよ」


 ここからでも三体のカニが視認可能だ。エルディアにとってそれらは食糧に見えるらしく、その表情はウシシと不敵な笑みを浮かべている。


(行く先々で魔物を食べられるのなら、ご飯代って案外抑えられるのかな?)


 そんなことを考えながら、ウイルは彼女の隣で魔物を見つめる。

 実は、その認識は間違いだ。魔物の半分以上は食べられない。つまりは、ルルーブ森林が恵まれているだけとも言える。

 人間にとってそれが良いのか悪いのかはわからないが、魔物すらも寄り付かない土地もあり、事前に十分な量の食べ物を用意しておくことは必須だ。


「そうだ。また戦ってみる?」

「え⁉ 僕なんかでもいけますか?」


 エルディアの提案がまたもウイルを驚かせる。


「ちょっち強いけど手伝うよー。これも貸してあげる」


 そう言いながら、彼女は背中の大剣を鞘ごと少年に提供する。この剣を使え、ということだ。


「ブロンズダガーじゃ……、ダメなんですか?」

「うんー。こいつらだと、最低でもアイアンの武器じゃないとねー。あ、これはスチール製だからもっとすごいよ。君でも一撃で倒せるんじゃないかな。やったね!」


 武器の性能、すなわち殺傷力や耐久性は素材が左右する。

 この世界には様々な鉱石が存在しており、人々はそれらを掘り起こし、加工することで武器や防具を作り出している。

 現状、装備品に用いられる鉱石は五種類だ。

 ブロンズ。

 アイアン。

 スチール。

 ミスリル。

 ダーク。

 それぞれに特徴があり、ブロンズが最も脆く、価値も低い。アイアン、スチールの順で性能が高り、取引価格も高くなる。

 ブロンズダガー。ウイルが選んだこの短剣は、その名の通りブロンズ製だ。

 ブロンズとは、銅を主成分としつつもスズを混ぜ込んだ合金であり、刃の赤みがかった色合いはまさしくブロンズそのものだ。他と比べると軽いのだが、切れ味の面では劣ってしまう。

 この武器は駆け出しの傭兵には最適だ。手頃な価格とその重量はまさしく丁度良い。ウイルもそのような理由から購入した。

 だが、欠点も存在する。

 武器としては脆く、長く使い続けることは難しい。

 一般家庭で用いられる包丁よりは頑丈だが、相手は野菜や生肉ではない。生きている魔物が標的な以上、殺傷力と強度は重要だ。

 ブロンズ製の武器にはそれらが欠けている。ゆえに、初心者用としての需要はあるが、そこを卒業してしまえば、誰にも見向きはされない。


「スチールクレイモア……、持てる気がしないんですけど……」

「もう一度トライあるのみ!」


 今は巨大な鞘に収まっているが、灰色の刃は大きく、肉厚だ。両手で扱うことから両手剣、もしくは大剣と呼ばれる。

 彼女からおそるおそる受け取るウイル。だがその瞬間、少年の顔は大きく歪む。


「ぐいぃ! やっぱり無理ぃ!」


 それは細腕から落下し、一瞬で砂浜に沈む。当然だろう。その重量は二十キロを超えており、細腕だけで支えられるはずもない。


「大げさな~。そこまで重くないっしょー」


 不思議そうな表情を浮かべながら、エルディアは右手だけでひょいと拾い上げ、さっと肩に乗せる。

 その動作にかかった時間はほんの一秒程度。つまりは、この武器は彼女にとって重くない、ということだ。


「スチール……、鋼……。普通、そんなに軽々とは持てませんから……。僕は一生、短剣を愛用し続けます」


 スチールクレイモア。鋼を材料とする両手剣。この武器は素材の特性をそのまま引き継いでおり、重い反面、ブロンズやアイアンよりも遥かにタフだ。鋼は加工がし易く、製造工程だけを見れば価格を抑えられそうだが、鉱石の取り扱いに手間と時間がかかるため、結局は高くなってしまう。


「大丈夫だってー。その内、振り回せるようになるから。こんな感じで」

「ひえぇ……。魔物よりもおっかない……」


 エルディアはケラケラと笑いながら、右手で大剣を素振りのように上げ下げする。風切り音さえ聞こえるため、ウイルにとっては恐怖体験だ。


「んじゃー、一体ずつ倒していこかー」

「はい」


 進軍開始だ。標的は目の前にいる。迷う必要はなく、ためらう理由もない。


(う、案外大きいんだ……)


 遠目からではわからなかった。ウイルはルルーブクラブに近づくことで、姿形をハッキリと把握する。

 丸いシルエットは青色の甲殻に覆われており、体の下の四本足が世話しなく動いて前進を促している。五本目、六本目の前足は他より大きく、それらはまさしくカニの鋏そのものだ。

 全長はウイルの半分程度。通常のカニは手足を広げれば大きく映るが、この魔物に関しては胴体の方が大きく、見た目通りの迫力だ。


「とりあえず……、そい」


 二人と魔物の距離が詰まった瞬間だった。人間の接近を警戒していたルルーブクラブが、その向きを変える隙すら与えられず、灰色の刃で縦に両断、同時に絶命する。


(は、速い……。間合いを詰める動作が見えなかった。走ったのか、飛んだのか……。んでもって、必殺の一振りもすごい)


 ウイルの隣にいたはずのエルディアが、神業のような攻撃でカニを瞬殺してみせる。

 彼女の眼下には、包丁で半分に切り分けられたような死体が転がっており、砂浜がまな板代わりだ。


「鋏って一個でいいのかなー?」

「そのようです」

「おっけー」


 二人がここを訪れた理由。それは観光でもなければ鍛錬でもない。ウイルが等級二に上がるための試験であり、課題の一つがルルーブクラブの討伐および鋏の入手だ。

 この試験は平時と異なり、手抜きが出来ない。

 通常の納品依頼であれば、実はここまで来る必要はなかった。指定品を所持している同業者を探し、譲ってもらえば済む話だ。

 しかし、今回は昇級試験なため、傭兵組合はこのやり方を許可しない。討伐後という条件を加えることで、ウイル自身に冒険をさせ、課題の突破を促している。

 もっとも、他者の協力までは禁止されていない。結果、エルディアに同行するだけの長旅になり下がったが、今の実力では致し方ない。


(これでギルドカードが記録してくれただろうし、一個目ゲット……か。いいね)


 ウイルは解体されていく魔物を眺めながら、ズボンの右ポケットをぽんと撫でる。

 魔物を討伐したか否かは申告制ではない。所持しているギルドカードが自動的に識別してくれる。よって、そういう意味でもズルは出来ない。


「はい、鋏ー」

「あ、ありがとうございます。うわ、中身ってけっこうグチャグチャなんですね……」


 エルディアから差し出された青色はルルーブクラブの右腕だ。ウイルはそれを受け取りながら、死体の体内を覗き見る。

 ただただグロテスクな光景ではあるものの、無駄なく臓器が詰まっており、不必要なカラフルさが不気味さを増長している。


「魔物ったって生きてるしねー。というか、魔物って何なんだろ? 私達とどう違うの?」

「え……、そういうのって軍学校で真っ先に習いそうですけど……」


 解体作業を一旦止め、エルディアは顔だけをウイルに向ける。

 傭兵は人々からの依頼をこなすことで生計を立てる職業だ。その多くが魔物の討伐であり、そういう意味では魔物の専門家と言えよう。

 だが、戦い方、倒し方まではわかっても、その実、魔物という生き物については完全に理解出来ていない。そこは教養の範疇であり、教育を受けていないのだから当然だ。


「うーん、習ったかなぁ……。軍とはなんぞや、とか戦技や魔法については教えてもらったけど、それだってあんまり覚えてないんだよなぁ」

(記憶喪失なのかな? いや、寝てたかぼ~っとしてたんだろうなぁ。エルディアさんらしいけど……)


 太陽の陽射しが普段より眩しい。その理由は、砂浜からの照り返しにより天からだけでなく地面からも光が押し寄せるためだ。

 もっとも、そんなことを二人は気にも留めず、勝利を噛みしめながら会話を続ける。


「え~っと……。魔物とは、異なる世界からの侵略者だと考えられていて、その理由は、いくつかの特徴が僕達人間や他の生物とは合致しないからで……、え~、例えば、絶滅させることが不可能なんです」

「あー、そうみたいだねー。何回か、草原ウサギや羊を狩り尽くしてみようとしたけど、結局、元に戻っちゃうんだよね」

(何してるの、この人……。本当におっかないな……)


 魔物は生き物として異質だ。

 根絶できない。先ず、その事実とその理由が非常識だ。魔物は繁殖によって増えたりはせず、個体数が減るとまるで補充されるかのように、どこからともなくそこに出現する。

 つまりは、最後の一体になろうと、それこそ完全に殲滅しようと、人間を嘲笑うかのように元の数まで巻き戻る。

 ゆえに、学者の中には人間に勝ち目などないと考える者も少なからず存在する。

 人間は男女で交わり、子を産み、育てる必要がある。

 一方、魔物にはそういったプロセスを一切必要とせず、無限かどうかは不明だが、少なくともこの千年間、それらは絶滅を免れている。

 実は、この説明不可能な現象によって、イダンリネア王国および村々は繁栄出来ている。食糧問題が解決するからだ。

 人間は魔物を食べる。その理由は美味しいからではない。草原ウサギやウッドシープのような食用となりうる魔物が無限に狩猟出来るからだ。

 もちろん、味も申し分ない。だからこそ、王族や貴族、そして庶民に至るまで日々その肉を食し、腹を満たしている。

 魔物は人間を殺すが、同時に生かしてもくれている。相互関係など成り立ちはしないが、その恩恵を無視することは出来ない。


「魔物がぼやぼや~んって生まれてくるのを見たことあるけど、そういうこと?」

「はい。学説の一つでしかないですけどね。今のところ最有力です」


 異世界。人間や魔物が争うこの世界とは別に、別種の世界が存在すると考えられている。妄想の類から生まれた学説ではなく、きっかけは精霊と呼ばわれる異質な魔物の調査結果に起因する。

 精霊。もし、魔物の中にその他という分類を設けるのなら、精霊が間違いなく割り当てられる。それらは明らかに他とは異なり、先ず、姿形が異質だ。

 魔物の多くは動物や昆虫とどこかしらが似通っているのだが、精霊の場合、そんなことは一切ない。

 炎の塊。

 氷の結晶。

 圧縮された風。

 こういったように現象そのものが具現化し、個体としてこの世界をさまよっている。

 この魔物は定住することはなく、理由は不明だが、東方面へ移動する性質を持っている。

 ポッと現れては少し移動して、炎が燃え尽きるように、もしくは氷が融解するように、あっけなく消滅する。

 精霊は他の魔物とは異なる。最大の違いは、それらが発する魔力の波長だ。

 人間も魔物も異なる波長の魔力を内に秘めており、裏を返すと、人間の波長は皆同じであり、魔物においてもそれは当てはまる。

 だが、精霊のそれはどちらとも異なっており、ゆえに厳密には魔物ですらないのかもしれない。

 精霊について長年研究を続けた結果、学者達はある結論を導き出す。

 異世界の存在。

 そして、その名を精霊界と呼称した。

 異世界は他にもあると言われており、この世界を創造した神の領域を人間は神界と名付け、敬っている。

 候補はもう一つ存在している。

 イダンリネア王国が建国され、巨人戦争に勝利した以降の文献に、ちらほらとその名が記されている。

 煉獄。

 詳細については全くわかっておらず、誰が言い出したのか、どんな根拠があってその存在を提示したのか、千年経過した今でも不明のままだ。

 ウルフィエナ。

 精霊界。

 神界。

 煉獄。

 現状、四つの世界が隣り合って存在している、と思われている。もっとも、神界と煉獄を含めたがらない研究者も多く、どちらにせよ、異世界の存在自体は否定出来ない。

 魔物は精霊界もしくはそれ以外からの侵略者だと考えられており、そうでなければその生態はあまりに不自然だ。


「ま、どうでもいいかなー。この大陸すら探検しきれてないんだから、縁のない話だぁ」

「行きたくても現状不可能ですしね。もし行けたら行ってみたいです?」

「魔物がいるならねー」

(ど、どんな答えだ……)


 作業再開と言わんばかりにルルーブクラブの死体をほじくるエルディアと、建設的な議論が出来ないことにも慣れ始めたウイル。二人は傭兵だが、その根底はまだまだ似て非なる。


「お肉げっとー。これはお昼ご飯かな。新鮮だよー、美味しいよー」


 通常、カニの身と言えば脚の中のものを連想するが、ルルーブクラブの場合、体を覆う甲殻のすぐ内側にへばりついている。

 エルディアはそれらを剥がしながら集め、その量は手のひらから零れ落ちそうなほどだ。


「エルディアさんの依頼用に集めなくていいんですか?」

「うんー。どうせいっぱいいるしね。先ずは腹ごしらえしたい」


 彼女も傭兵らしく、依頼を受領してからここを訪れている。

 内容は、ルルーブクラブの肉を三体分、納品。

 報酬金額は二万イールゆえ、月に十回程度こなせば平均程度の収入にはなり得る。


「カニも近づかなければ襲ってこないし、ここらで食べよっかー」

「んじゃ、準備します」


 一日三食は欠かせない。体が資本ゆえ、献立は偏っていようとその回数だけは可能な限り厳守したい。傭兵だからこそのこだわりだ。


「鍋とお水ちょうだーい。カニの肉は茹でるに限る!」

「へ~、そうなんですね。どうぞ」


 彼女のリクエストを受け、鞄からこじんまりとした鍋を取り出す。料理のことはわからないが、金にものを言わせて最低限の調理器具は購入済みだ。

 鍋に水を入れ、沸騰を待つエルディア。

 早速、することのなくなったウイル。

 まったりとした時間が流れるも、どちらもそのことを嫌がりはしない。

 その後、魔物の肉が手早く調理され、質素かもしれないが二人は今日の昼食を心の底から堪能する。

 砂浜で強めの日光を浴びながら、大海原を眺めての食事。そのおかげなのか、食べ慣れたパンでさえ、昨日よりも美味しく思えた。


「さーて、カニ狩り再開っと。良い方法思いついたから、プチ圧縮錬磨試してみよー」

「……プチ?」


 食後の片づけが済んだタイミングで、エルディアは嬉々として遠方を眺める。視線の先には青いカニがうろうろしており、観察している限りではかわいらしい。


「トドメを譲ってあげる。このやり方ならブロンズダガーでもぶっ殺せるはず」

「わぁ、頼もしいけどほんのりと物騒だぁ」


 午後のノルマはルルーブクラブ三体の討伐だ。ゆっくりしていても問題ないのだが、彼女は勇み足で進み始める。


「んじゃ、いくよー。とりあえず見ててね」

「お気をつけて……」


 エルディアが何をしようとしているのか、ウイルはまだわかっていない。正面の魔物を倒し、肉の入手が目的ではあるものの、その過程が先ほどとは異なるため、今は黙って見守る。

 丸みを帯びた青色のカニ。人間の接近を感知し、二個の鋏をくいっと持ち上げた理由はもちろん迎え撃つためだ。

 白色に輝く砂浜にて、戦いが始まる。


「念のためのー、ウォーボイス! そしてー……」


 指向性をもった圧迫感がエルディアから放たれ、魔物を一瞬にして飲み込む。

 しかし、一対一の戦いにおいては意味などなさず、ルルーブクラブはそれの有り無しとは関係無しに四本の足をカサカサと動かしながら彼女との距離をいっきに詰め終える。

 ウォーボイス。エルディアが習得している戦技の一つ。その効果は対象の行動に制限を設ける。具体的には、受けた側は使用した者しか狙えない。

 今回の場合、ルルーブクラブはエルディアを襲う他ないということだ。

 効果時間は十秒。

 この戦技の再使用時間、つまりは次使えるまでに待たなければならない時間は三十秒。連続して使うことは出来ず、ここぞというタイミングで仲間を守るために投入すべき戦技だ。


「どうかなー⁉」


 足元まで迫った魔物へ、スチールクレイモアによる横一線の斬撃が命中する。

 その瞬間、ルルーブクラブの頭頂部だけがわずかにそぎ落とされ、体内がのぞき込めそうな穴が出来上がる。


(ひえぇ……)

「さぁさぁ、急いでぶっ刺しちゃってー」


 青ざめるウイルを他所にエルディアは満足そうに催促する。

 彼女の足元では、死にかけのカニが痙攣中だ。放っておいてもすぐに死んでしまいそうだが、譲られた以上、ウイルが手柄を横取りしなければならない。


「恨むならエルディアさんをお願いします! たぁ!」

「え? 連帯責任じゃ……、まぁ、いいけどー」


 今にも転倒しそうな魔物の頭頂部へ、短剣を突き入れる。刃の長さからして、胴体の途中までしか届いていないが、生き物を殺すには十分な深さだ。

 ブロンズ製の刃物ゆえ、硬い甲殻を貫くことは出来ない。ならば、そのための穴を作れば済む話だ。

 エルディアの目論見は見事成就し、ウイルは格上の魔物を討伐してみせた。

 ウォーボイスを投入することで、ウイルが近づこうとも魔物はエルディアしか襲えない。安全かつ確実な圧縮錬磨だ。


(手ごたえはあんまりないけど……、実感もなかったけど……、僕がやれたんだ)


 ピクリとも動かなくなったルルーブクラブ。それを合図に刃を抜けば、この作業は一先ず完了だ。


「この調子でどんどんやっていくのもいいんだけど……、とりあえず肉ほじくるかぁ。ちょっと待っててねー」

「どうぞどうぞ」


 エルディアは依頼をこなすため、魔物の死体を勝ち割り、内臓をかき分けながら肉を集め始める。


(ウイル君、疲れてそうだし、港に寄って一泊した方がいいのかな? ここからだとすぐだし。でも、時間あるから少しでも戻った方が……、う~む)


 今はまだ昼過ぎだ。日没はもう少し先ゆえ、時間はたっぷりと残されている。


(あ~、スケルトン探さないとか……。なら、この辺で夜を明かすしかないかぁ)


 残念ながら、昇進試験は完了していない。

 スケルトンの仙骨。夜中にだけ現れる不死系の魔物を探し、倒した上でこれを入手する必要がある。昨晩は不発に終わったが、確率的にはそんなものだ。


「今日はここに陣取って夜を明かそう。昼寝して、夜に本気出す、みたいな」

「なるほど。了解です」


 スケルトンの出現地点に決まりはないのだが、海岸沿いは比較的多めだと噂されている。今はそれにすがり、夜通し探して終わらせる寸法だ。


「んじゃ、さくっとカニを倒して~……。夜は何食べよっか?」

「え、もう晩御飯の話?」


 満腹感に支配されているため、食欲は一切ない。夕食についての献立など考えたくもないのだが、エルディアがそう言いだした以上、大人しく付き合う。


「夜もカニってのもなー。森の方うろうろして、キノコ倒しちゃうかー」

「もしくは、魚……とか?」

「それだ!」


 彼女は嬉々として走り出し、スカートが濡れることなどお構いなしに海へ突っ込む。腰付近まで海面に沈んだ頃合いで、両手剣を横向きに寝かし、勢いよく海面を叩けば傭兵式の漁は完了だ。

 静かな海岸に、パァンと炸裂音が駆ける。

 そのまま待つこと十秒程度。気絶した魚達が浮かび上がり、エルディアはそれらを抱えて帰還する。


「げっと!」

(常識が通用しない人だなぁ……。それとも僕がずれてる? それはないな、うん)


 小ぶりながらも、活き活きとした青魚がずらっと揃っている。喜ばしい釣果だが、ウイルとしては釈然としない。


「よっし。カニ倒して、夕食の下ごしらえまで済ませたら、昼寝だ!」


 エルディアの号令で狩りは再開される。先ほどと同様の手順でルルーブクラブ二体をあっさりと倒し、肉もあっさりと揃う。

 その後、魚達は彼女によって三枚におろされ、半分はおやつという名目でそのまま食べてしまったが、残りは炙った上で夕食までお預けだ。

 砂浜では砂だらけになってしまうため、二人は海岸と森の線上へ移動する。土は土で衣服が汚れてしまうが、傭兵ならばその程度の許容は必須だ。

 今朝はあまりに早起きだったためか、ウイルもエルディアもあっという間に眠る。潮風と波の音が安眠を助長し、仮眠ながらも疲労はすっかり蒸発する。

 太陽が西の地平線へ沈み、夜風がわずかに冷え込みだした頃合いに、二人は互いに声をかけることなく起床する。

 ここからが本番だ。ルルーブクラブの鋏は容易く入手出来たが、そんなことは旅立つ前からわかっていた。

 スケルトン。この魔物はそもそも出会いにくく、ゆえに探すところから始めなければならない。

 その上、手ごわい。

 もし、ウイルが先に見つけ、そして見つかってしまった場合、エルディアの助けがなければ何秒も待たずに殺されかねない。

 だからといって、安全圏に隠れるわけにもいかない。ギルドカードに討伐の記録を残さねばならず、その場に居合わせることが必須だからだ。

 ギルドカードをエルディアに渡すという手法も禁止されている。持ち主が所持していないと戦闘記録の仕組み自体が動作しないためだ。

 寝起きながらも夕食を済ませ、今回は一息ついてから探検を開始する。


「先ずは海岸を歩いてみよー」


 スケルトンは森の中だけでなく、砂浜にも出現する。波打ち際には近寄らないが、砂の上を骨だけの姿で闊歩していることも珍しくはない。


(月が綺麗だ……)


 夜空と海面に黄色い月が浮かんでいる。押し寄せる波が一方をゆらゆらと揺らすが、その存在感は色褪せない。


「あれが港だよー」

「おぉー、灯りがすごい……」


 海岸を西から東へ歩いて早三十分。目当ての魔物は見つからないが、月明りとは別の光が遠方に現れる。

 ルルーブ港。千年以上も昔に、先祖が築いた故郷だ。村民の数はイダンリネア王国に劣るがその活気は変わらず、夜はさすがに静まり返るも、家や街灯の光がこの地をぼんやりと照らしている。


「うーん、スケルトンいなかったから、進路変更かなー」


 エルディアの提案を受けて、ここからは森の中を探す。右手に広がる海岸の風景は夜景としては一流だった。されど目的は別にあり、二人は気を引き締めつつも左に曲がる。

 完全なる暗闇。木々が月明りを遮り、人間の目では先が一切見通せない。


「コールオブフレイム」

「それいいなー」

「大人しくマジックランプ使ってください……」

「うむ!」


 ここからは周囲を照らすための灯りが必要だ。ウイルは魔法で右手を燃やし、エルディアは鞄からランプを取り出す。

 その後、両者はつかず離れずの距離感を維持しながら一時間ほど歩き続けるも、残念ながら成果は得られない。


「時々、木が魔物に見えてぎょっとしますね」

「あるあるだねー。だけど、ワクワクしない?」

「ワクワクなのか、怖くてドキドキなのか、よくわからないですけど……」


 草と土のほんのりと甘い香りを吸い込みながら、二人は慎重に闊歩する。木々を避け、周囲を見渡し、耳も澄まして、つまりは全身を使っての探索だ。

 今回の標的は見た目からして化け物だが、身体的特徴からある意味では探しやすい。

 頭のてっぺんからつま先に至るまで、人骨だけで構成されているスケルトン。一切の無駄がない構造は生物としてはありえないものの、魔物ゆえに成立している。

 筋肉もなしに人間を圧倒する怪力。

 眼球なしに獲物を認識する感覚。

 一方で声帯がないからか、声は出せないらしく、また、食事や排せつも物理的に不可能だ。

 恐ろしい魔物だが、構造上、欠点のようなものも存在する。

 動く度に骨同士がぶつかるため、動く度にカタカタと雑音を発生させてしまう。

 ゆえに、スケルトンの接近は比較的わかりやすい。大きな音ではないが、傭兵でなくとも異音ゆえに気づきやすく、ウイルとエルディアは耳を頼りに探している。


「夜にうろうろすると、テンション上がらない?」

「何日か前に下町を歩いた際はテンション盛り盛りでしたけど、昨日と今日は別に……」

「若いのに枯れてるねー。私なんか今でも血走っちゃう」

(何それこわい……)


 本来ならば黙って歩くべきなのだが、気を張り続けても仕方なく、このような談笑は定期的に行われた。

 その後も一時間、二時間と時間だけが過ぎ去っていく。

 日付が変わり、ウイルに焦りと疲労が見え始めた頃、エルディアがぴしゃりと足を止める。


「……いた」


 彼女の小声が緊張感を走らせ、付き人のように歩いていた少年に生唾を飲ませる。


(どこだ……?)


 聞き耳を立て、集中力を研ぎ澄ます。

 虫の合唱。

 木々のせせらぎ。

 現状、ウイルの耳はこれらしか捉えない。


「あっち、かな」


 エルディアの綺麗な人差し指が、左前方を指さす。目を凝らしても暗闇しか見えないが、彼女の耳は方角を確定させた。

 だが、距離まではわからない。近くはないのだが、どの程度離れているのか、それが不明瞭な以上、慎重にならざるをえない。


「なるほど……」


 ウイルも目を凝らす。右手の炎は指向性をもたない光源ゆえ、先を照らすには不向きだ。ゆえに、現状だとその方向には何も見えない。


「一体だと良いんだけど……。とりあえず進もう」

「は、はい」


 エルディアの指示を受け、その背中を追うようにウイルも歩き始める。落ち葉や小枝を踏む度に、シャリシャリ、パキリと小さな音が響いてしまうが、そんなことはお構いなしに二人は進む。


(これか……。この音が……)


 ウイルの耳もついにその音を拾う。

 カタ、カタ。夜の森には不似合いが異音だ。手の指を鳴らしたような、しかし、どこか透き通っているその音は、硬い何かがコツンとぶつかった際の衝突音だ。


「お、いたー。見える?」

「い、いえ、まだ……」


 視力と経験の差だ。エルディアは視認を終えたが、ウイルには真っ暗な闇しか見えていない。


「正面奥の、一本だけ生えてるおっきな木。そこに隠れてる」


 小声ながらも透き通った声。聞き取りやすく、その内容も明瞭なため、少年は言われた通りの場所を凝視する。


「あ……、あれかぁ。白いのがいます」

「そうそう。半分くらい見えてるね。まだこっちには気づいてないのかな? というわけで……」


 突撃だ。エルディアは意気揚々と歩き始める。本来ならばもう少し様子を見るべきだが、遠回りな選択肢は選ばず、グングンと突き進む。

 遠慮のない足音と闘志に反応して、頭蓋骨が振り向く。むき出しのそれとエルディアの視線が交わった時、両者は一斉に走り出す。


「魔法使わないなら!」


 もはや勝負ありだ。彼女の拳がスケルトンの左頬へ打ち込まれる。白骨の右腕が振り下ろされるよりも早く、必殺の一撃が勝者と敗者を決定づける。


(また……、一瞬で……)


 圧巻だ。彼女の圧倒的なパフォーマンスに、少年は困惑せざるをえない。

 スケルトンの走りは目撃者を一瞬で怯ませるほどだった。骨だけの体にも関わらず、その速度は突風のように速く、エルディアも駆けたため、その距離は一秒もかからずに縮まった。

 どちらも相手を殴ろうとしたが、身体能力の差が勝者を決定する。

 魔物の頭蓋骨がパキンと砕かれ、骨だけの体が後方へ倒れこめば、骨は骨らしく、もはや動くことは叶わない。


「よかったよかった~。もう終わっちゃうとは。君、運が良いねー」

「そ、そういうもんなんですか?」

「あ、いや、嘘。普通……」

「どっちですか……。まぁ、おかげさまで無事昇級出来そうです。ありがとうございました」


 ウイルの昇級試験はこれにてほぼ完了だ。要求された魔物を倒し終えたのだから、後は帰国し、ギルド会館の窓口に提出すれば全行程が終了だ。


「どこの骨だっけ?」

「これです。背骨をたどると行きつく、股間部分の」


 スケルトンの仙骨。等級一の傭兵では決して入手出来ない、それほどにハードルの高い一品だ。高額なわけではない。むしろ、店で売ろうとしても売却金額は雀の涙だ。


「ふーん、それかぁ。さて、後は帰るだけなんだけど、どしよかねー?」


 茶色の髪をかき分けながら、エルディアは口を尖らせる。

 何をするにも中途半端な時間だ。絵に描いたような深夜ゆえ、寝てしまうのがベストだろうが、とっぷりと昼寝をしたため、眠いかと問われると微妙だ。

 ウイルは恐る恐る骨をはぎ取り、すっと立ち上がる。人骨など触ったことがなかったため、ほんのりと冷たい感触はどこか気持ち悪い。


「スケルトンも殴り倒しちゃうとは。しかも一発で」


 戦利品をマジックバッグにしまいながら、お世辞ではない本当の感想を述べる。彼女は巨大な剣を背負っているのだから、今回もそれを使うのだろうと予想していた。

 結果は殴り合いであり、もっとも、エルディア自身は殴られずに済んだ。


「あ~、手っ取り早く済ませたい時とかは、って感じ? 汚いのとか硬そうなのは殴りたくないけどー」


 あっけらかんと言ってのけながら、アハハと小さく笑う。武器を使っても魔物を倒せない少年からすれば、この傭兵はまさしく雲の上の存在だ。


「手、痛くならないんですか?」

「ぜんぜん?」

(同じ人間かな?)


 ウイルが抱く当然の疑問は、エルディアに全く適用されない。そんなことは道中何度もあったが、今回もその一つだ。

 傭兵。

 そして、軍人。

 彼らのような強者がいなければ、イダンリネア王国は建国と同時に滅びていた。

 巨人族という化け物に、当時の人間は蹂躙される一方だった。

 体の大きさ、腕力の差、反射神経や体力。それらが人間を上回っているのだから、全ての面で劣る彼らに勝利を掴めるはずもなかった。

 だが、ウルフィエナの創造主は片方にだけ肩入れするわけではない。

 人間というちっぽけな存在の中に、魔物を上回る異常者が現れる。

 腕力、握力、脚力、体力、反射神経、魔力。それら全てで魔物を上回っており、その青年は打撃だけで近隣の魔物を粉砕してみせた。

 巨人族も例外ではない。どれほどの数で押し寄せようと、たった一人の人間が小さな体でそれらを血祭りにあげた。

 魔物と人間。どちらが優れているかの判断は難しい。両者は滅びることなく、競うように生き続けている。

 個体もしくは個人での比較も無意味だ。

 ウイルのような子供では、草原ウサギにすら歯が立たない。

 エルディアのような凄腕の傭兵なら、スケルトンすら一瞬で葬り去れる。

 人間と魔物。決着は人間が滅びる時なのかもしれないが、イダンリネア王国は千年の常勝の元、繁栄を極めている。

 未来永劫争うのか。

 ある日突然、終戦を迎えるのか。

 それは神のみぞ知る。もしくは、神の範疇すら超えているのかもしれない。


「寝るかー、戻るかー……。難しいねー。どっちが良い?」

「真夜中ですもんね……」


 エルディアが悩むのも、ウイルが黙るのも当然だ。

 判断が難しいというよりも、どちらでも構わないのだから、二人は唸るように検討する。

 正直に言えば、ウイルは眠い。その上、真夜中の移動が少年の体力を大きく消耗させた。

 それでも、新参者の自分に発言権など無いと思い込んでいるため、一貫して彼女に任せるつもりでいる。


(あー、港に行って宿に泊まるってのもありなのかな? でも、むぅ……、私お金ないなぁ。ここにいても何もないし、歩きながら考えるかぁ)


 二人して棒立ちという状況は非生産的だ。エルディアは答えを出せないまま、一先ず北を目指して歩き始める。昨日までは南を目指す旅だったが、帰路ならその逆を進めばよい。


(あ、帰るのかな? 体力持つかなぁ、ちょっと不安……。がんばらないと、か。ん?)


 その時だった。離れていく後ろ姿を追いかけるため、ウイルは一歩を踏み出す。同時に、後方からカサカサと足音のようなものが聞こえたことから、条件反射的に振り返る。

 そこにいたのは、赤色の傘を被った巨大キノコ。六本の根っこが足のように動いており、両者の距離は互いの姿が視認出来るほど近い。


(ウッドファンガー⁉)


 別名、歩くキノコ。この森に生息する、凶暴な魔物だ。


「しまっ……⁉」

「え?」


 接近に気づけようと、ここまで近づかれたらもう遅い。ウッドファンガーは走り出し、傘のような頭部をウイルに叩き込む。

 単なる体当たりだ。助走もほとんどない。にも関わらず、少年の体は吹き飛ばされ、先行する傭兵をあっさりと追い抜く。


(……え?)


 茫然としながらも、エルディアは確認のため駆け寄る。

 仰向けのまま、悶えるように痙攣するウイル。その様子も去ることながら負傷具合が彼女をより一層混乱させる。

 魔物の攻撃に反応だけは出来たのだろう。体当たりを受ける直前、両腕を胸の前で交差させ、防御の構えに移行した。

 その結果、両腕は負荷に耐えられず、肉は弾け、骨は複雑に折れ曲がり一部は皮膚を貫いて外へ飛び出している。

 それだけではない。衝撃を受け止めきれなかったのだから、内臓の損傷も深刻だ。それを裏付けるように、少年の口から大量の血液がゴポゴポと吐き出される。

 重症だ。手当に意味などないと悟らされるほど、少年の負傷は酷い。

 このままでは救えない。ならばどうする?

 エルディアはウイルを見下ろしながら、呆けた頭を働かせる。だが、冷静な判断が出来ない以上、答えなど見つかるはずもない。

 そんな人間の都合などお構いなしに、カサカサと落ち葉を踏みしめながら巨大キノコが歩み寄る。

 魔物退治は傭兵の専門分野だ。銃という画期的な兵器が発明されようと、それだけは譲れない。だからなのか、エルディアはそれの接近によってわずかながらも落ち着きを取り戻す。


「こ……の!」


 右手を強く握ると同時に、漆黒のオーラが拳を包む。準備が整ったのだから、後は怒りに任せて殴りかかるだけだ。

 人間を一人仕留め、満足そうなウッドファンガー。しかし、二人目に近寄ったことが運の尽きだ。果敢な体当たりは成立せず、逆に一発の打撃によって粉々に砕かれる。

 圧倒的な実力差が存在する以上、勝負という様式は成り立たない。一方的な蹂躙は必然だ。


「大丈夫⁉」


 魔物の死体には目もくれず、エルディアは動かぬウイルに語りかける。だが、苦しそうに血を吐くばかりで返事はない。

 両腕は直視出来ぬほど損壊しており、それどころかあらぬ方向へ曲がっている。

 口元は真っ赤に染まり、このままでは血液で溺れ死ぬかもしれない。

 動かしても大丈夫なのか迷ったが、彼女はうろたえつつも抱きかかえる。


(がんばって!)


 暗闇の中、エルディアは走り出す。鬼気迫る表情は焦りの裏返しだ。

 ここでは応急処置すら難しい。腕に包帯を巻くくらいのことは可能だが、今の容態では延命にすらならないだろう。

 もっと根本的な治療が必要なのだが、そのためには魔法か薬品に頼らざるをえない。

 薬品。錬金術師によって生成された特別な薬だ。魔法のような効果をもたらすという意味では魔道具に近いが、こちらは消耗品であり、いわば使い捨てだ。薬品ゆえに服用するものが多数だが、ふりかけるという使い方も存在する。


(急げばきっと……)


 間に合って欲しい。そう祈りながら、真っ暗な森を駆け抜ける。反射神経を研ぎ澄まし、目を凝らせば、深夜であろうも木々を避けることはかろうじて可能だ。

 長時間の探索により、海岸から随分と離れてしまった。詳細な現在地までは彼女も把握しきれていないが、それでもわかることはある。

 ルルーブ港はそう遠くない、と。

 徒歩で向かえば一時間前後はかかるかもしれない。

 それでもその距離なら問題ない。傭兵が本気で走れば、あっという間に着けるはずだ。


「ごほっ、こほ……」

「も、もうすぐだから! きっと大丈夫だから……」


 腕の中でウイルが苦しそうに咳き込む。空気だけでなく、真っ赤な血反吐も吐き出しており、腕の出血も相まって猶予は残り少ない。


(邪魔、邪魔、邪魔!)


 減速を交えながら、樹木を右へ左へ避け続ける。大事な荷物を傷つけるわけにはいかず、一方で一秒でも早く目的地へ送り届けねばならない。

 二つの感情が彼女の心を乱す。

 焦りと後悔。

 ウイルの傷はあまりに痛ましく、ショック死の危険性すらあり得る。

 そして、ミスとは呼べないかもしれないが、あの状況を作り出してしまった己の早計さ。

 考え事をしていたとは言え、ウイルから目を離してしまった。声もかけず先行した結果が、背後からの奇襲に繋がった。


(エリクシルが一本でもあれば……!)


 風を切りながら、悔いるように己の金欠を呪う。

 エリクシル。錬金術師が作り出した奇跡の妙薬だ。負傷者に振りかけるだけで傷を治せる薬だが、回復魔法とは違い、おいそれとは使用できない。なぜなら、購入金額が二十万イールと非常に高く、一般市民は当然ながら、傭兵でさえ気軽に手を出せない。

 その価格は一か月の稼ぎに相当するため、計画的に貯蓄をすれば買えなくはないが、一度しか使えない小瓶に払える対価かどうかは難しい。


「道ぃ!」


 勢い余って踏み越えた太線が、二人を目的地へ導いてくれる。先人達の歩んだ場所が自然の道となり、これのおかげで旅人は迷うことはない。

 急旋回で軌道修正すれば、後はこのまま進むだけだ。

 エルディアは加速する。ここからは障害物がないのだから、遠慮など不要だ。


(見えた!)


 彼女の瞳が前方に一筋の光を捉える。それは近づくにつれ点から円へ膨らみ、仲間を増やすようにその数を増やしていく。

 ルルーブ港だ。外敵から村民を守るため、周囲は木材の壁に覆われている。イダンリネア王国ほどではないが、堅実な防衛手段と言えよう。

 街灯の光がこの地を暖かく包んでいる。深夜ゆえに光量は弱々しいが、海からも、そして森からも目印としては十分だ。

 道沿いに進めば、質素な門が来賓を歓迎するように迎え入れてくれる。

 到着だ。エルディアはそのまま駆け抜け、村の中に足を踏み入れる。

 だが、真のゴールはここではない。ウイルの傷を治すためには、それを可能とする人物を見つけなければならない。

 もちろん、目星は付けている。見知った場所ゆえ今更迷うことはなく、即座に曲がってその建物へひた走る。

 そして現れた焦げ茶色の施設。重厚なそれは周囲の建物よりも二回り以上は大きく、圧迫感はないものの目立つ存在だ。

 減速と共に扉を開け、躊躇なく中へ飛び込む。


「誰か! 回復魔法を!」


 悲鳴のような声が、静かな空間を激しく揺らす。

 ここはギルド会館だ。フロア面積はイダンリネア王国のそれと比べると半分にも満たないが、それでも掲示板用のスペースと、その反対側には食事処が用意されている。真夜中であっても少数の職員が常駐しており、なにより今回は運が良かった。二人組の傭兵が飲み物片手にくつろいでいた。

 食堂側は営業時間外だが、追い出されるわけではなく、事前に飲み物や食事を注文しておけば、夜通し滞在しようと困ることはない。


「ハイド?」

「出番かな? 俺でよければ……」


 長身の男が正面の仲間に声をかけ、ハイドと呼ばれた傭兵がすっと立ち上がる。


「この子にお願い!」


 エルディアの鬼気迫る雰囲気に二人組は小さく驚くが、運び込まれた子供の傷を見て息を飲む。


「これは……」

「イエスじゃないね」


 赤い髪の青年が、魔物の皮で作られた軽鎧をカチリと鳴らしながら歩み寄る。ウイルの容態を眺めると、やさしそうな顔立ちは自然と歪んでしまう。

 背後の男も椅子から立ち上がり、率直な感想をつぶやく。


「キュア。ところで、この子は?」

「えっと……、なんて言えばいいのかな? 依頼を手伝ってるんだけど、さっき、キノコに襲われちゃって……」


 魔法の光が、負傷者をやさしく包み込む。その効果はすさまじく、見た目だけならあっという間に元通りだ。


「念のため、もう一回……と。これでもう安心、かな。間に合ってよかったよ」

「ありがとう。本当に、ありがとう……」


 治療を終え、傭兵は満足そうに座りなおす。

 血であちこちが汚れたままだが、それ以外は平常時を取り戻したウイル。それを抱きかかえながら、エルディアが流す涙は紛れもなく本物だ。


(こいつ……、確か、噂の新人潰し……。悪い奴じゃなさそうだけど、噂通りってことか。この子も運がない)


 黒いローブをまとったもう一人の男が、警戒するように視線を向ける。エルディア以上に背が高く、細見なこの傭兵。鋭い眼光に悪意はないが、聞きかじった情報のせいで無意識にそうしてしまう。


「俺達は当分ここを拠点にしてるから、困ったことがあったら声かけて」

「う、うん……」


 ハイドと呼ばれた傭兵がひらひらと手を揺らすと、エルディアはペコリと一礼し、その場を後にする。

 嵐が去り、静まり返ったギルド会館。ギィという扉の開閉音だけが静かに響き渡る。


「あの子も運が良かったね。俺がいて」

「まぁ、職員の誰かがキュアくらいは使えるはずだから、大事にはならなかったと思う」

「あ、そういうもの?」


 突然の客人がいなくなり、二人は呆気にとられながらも雰囲気を取り戻す。


「確か……、エルさんって」

「ん?」

「さっきの女。ハイドは知らない?」

「あ~、名前くらいは? 狭い世界だしね」


 二人が話す通り、傭兵は同業者について少なからず知っているものだ。そもそもその数が圧倒的に少なく、横の繋がりは薄いものの、噂の類は伝わりやすい。

 エルディア・リンゼー。彼女は決して有名人ではないが、知る人ぞ知る傭兵の一人だ。


「新人潰し……。聞いたことない?」

「あるな~。え? 今の人?」


 相棒の発言に、赤髪の男は小さく驚く。


「多分。まぁ、僕達には関係ない話。それより、ゴブリンの掃討作戦を練り直さないと。この状況、イエスじゃないよ」

「だ~ね~。ぽつぽつ倒せてるから懐も潤ったし、じっくり考えよう」


 夜中の静けさを取り戻した建物の中で、二人は傭兵らしく、今後の方針を検討する。

 明日は我が身。そこまで身構える必要はないのかもしれないが、用心に越したことはない。

 ゴブリン族。魔物の中でもとりわけ厄介な連中だ。巨人族同様、ある程度の知恵を持っており、独自の文化や価値観の元、この大陸に巣食っている。見た目は人間の子供に似通っており、武器や防具を扱うため、傭兵とて油断は禁物だ。

 こうして、今日という一日は幕を閉じる。長かったのか、あっという間だったのか。感じ方は人それぞれだ。

 数時間もすれば、空が明るくにじみ始める。

 新たな一日の始まりだ。

 魔物に襲われ、殺されかけた少年。しかし、救われたのだから、今はゆっくりと眠ればよい。

 この世界は人間のものではない。

 植物や動物、そして、魔物が所有権を訴えたところで頭ごなしに否定することは傲慢だ。

 人間の中には、魔物との共生を訴える者も少なからず存在する。殺すのではなく、寄り添うことこそが大事だと、彼女らは訴える。

 もっとも、傭兵は聞き耳すら立てない。その発言が単なる綺麗ごとだと誰よりも理解しているからだ。

 ウイルも身をもって思い知った。もっとも、草原ウサギに殺されかけた時点で既に気づかされたが、今回は良い意味でも悪い意味でも教訓となった。

 魔物は敵だ。

 油断は命取りだ。

 人間と魔物は殺し合う。ごくごく簡単なこの仕組みが、ウルフィエナの根底に根付いている。

 そのように仕組まれている。

線上のウルフィエナ ―プレリュード―

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