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(そろそろ起きたら? 待っててくれてるよ~)
言われなくともわかっている。理由は不明だが、目を開けずとも彼女の温もりをすぐそこに感じられている。だからこその安眠だ。
全身を受け止めてくれる柔らかな布地の感触。最近は硬い地面が当たり前だったため、ただただ心地よく、そしてありがたい。
意識の緩やかな覚醒につれ、少年は理解する。
ベッドの上で眠っている、と。
実家の愛用品と比べれば、チープな品質だ。フレームに用いられる木材、マットレスの材質、総合的な丈夫さ、その全てが自室のベッドに見劣りする。
だが、今感じている幸福感は過去一番だ。
疲れた体がそう感じさせるのか。
何日かぶりゆえ、誤認しているだけなのか。
彼女がそこにいてくれるからか。
(あ、やっと~。んじゃ、私はもう寝る!)
(うん、おはようございます。おやすみなさい)
ウイルは目覚める。白紙大典とのやり取りを夢の中の出来事のよう思いながら、ゆっくりと目を開く。
(……ここは?)
部屋の中だ。広くはないが狭くもなく、天井の木目も初めて見る。すぐ隣の窓からは陽射しが差し込んでおり、その眩しさが寝過ぎたことを物語る。
体がだるい。
頭も痛い。
それでも今は我慢だ。
状況把握のため、顔を反対側に傾ける。
(やっぱり……)
予想通りの寝顔だ。椅子に座ったまま、エルディアが寄り添うように眠っており、ウイルは寝ぼけた頭で推理を開始する。
(どこなんだろう? 誰かの部屋……? わからない)
わからないことはもう一つある。
なぜ、彼女がそこにいるとわかったのか?
それこそ、起きる前から把握出来ていたようにすら思えてしまう。
もっとも、そんなことは後回しでもよく、今は己の体調不良が気になって仕方ない。
(うぅ、ズキズキ痛い……。風邪?)
顔を歪ませながら、ゆっくりと体を起こす。
全身があまりにしんどい。寝過ぎたせいかとも思ったが、それにしては異常だ。
「あ、起きた? よかった~。痛いところない?」
「あ、おはようございます……」
空気の機微な変化を感知し、エルディアも意識を覚醒させる。ベッドから体を離しながらも、その表情は心配そうだ。
(痛い……ところ?)
彼女の発言が少年の寝ぼけた頭を混乱させる。
「傷は治ったけど、出血がひどかったしねー。今日はゆっくりしてていいよ」
「しゅっ……けつ……? 傷……」
エルディアの口から飛び出した単語は答えそのものだ。ウイルの霧がかった頭の中で、忘れていた記憶が姿を現す。
(そ、そうだ……。そうだった。僕は、僕は……)
全てを思い出す。
真夜中の探索。
スケルトンの討伐。
そして、ウッドファンガーの奇襲とその結果。
「お腹空いたでしょー。ご飯食べに行く? あ、まだ歩けない?」
「その……、頭が痛くて……」
「そっか。なら、買ってくるねー」
記憶の輪郭がはっきりとしたことで、少年は恐怖に震える。
破壊された両腕の痛み。
体の内部で暴れた激痛。
口いっぱいに広がった、鉄の味。
どれもが忘れがたく、味わった絶望は過去二番目のストレスだった。
一位はアーカム学校で受け続けたいじめだが、それからは逃れられたのだから、わざわざ思い返す必要はない。
足早に外出したエルディアを見送ることも出来ず、ウイルはおそるおそる両腕を確認する。
綺麗な、そして小さいながらも脂肪のついた、だらしない腕だ。傷は一つも見当たらず、少なくともピンク色の骨が肉と皮を突き破ってなどいない。
(回復魔法……? だとしたらここは……)
聡明な頭でいっきに答えへたどり着く。見渡せばわかることだが、ここは宿屋の一室だ。
ベッドは一つ、テーブルも一つ、窓と扉も一つずつのミニマムなレイアウトだが、一夜を明かすためには事足りる。
掃除も行き届いており、窓の縁には埃すら見当たらない。
(海と、見たことのない街並み……。そうか)
そこから見える景色は初体験だ。
綿菓子のような雲を浮かべる青空。
どこまでも続く、終わりのない大海原
薄茶色の建材で建築された大小様々な家々と、海に浮かぶ小舟達。
ルルーブ港だ。ルルーブ森林の南東に位置し、規模は負けるもののイダンリネア王国のように栄えている。
最低限の状況把握が済んだのだから、ウイルは再び横になる。頭の痛さは軽減されず、こめかみを押さえたところでそれは変わらない。
全身のだるさも深刻だ。寝ててよいのなら、寝起きにも関わらずすぐさま夢の世界に旅立てる。
(白紙大典)
心の中で語りかける。話し相手が欲しいのではなく、より鮮明な情報を得たいからだ。
「白紙大典……」
声に出してみるが、結果は変わらない。彼女は深い眠りについたらしく、少年の声は独り言として空気を揺らす。
(寝過ぎたからかな……、疲れた……)
痛みとほんの少しの恐怖に耐えながら、すっと瞳を閉じる。なぜか空腹を感じず、今はこうしているのが最も楽だ。
人々の話し声や笑い声が、窓越しに小さく届く。他者の存在が自身の孤独を際立たせるも、そんなことを寂しがる余裕はない。
(あの後、どうなったのかな?)
魔物に襲われ、ウイルは致命傷を負ったが、すぐに意識を失ったため、今に至る経緯は不明のままだ。ある程度は推測出来るが、知りたいと思う気持ちを誤魔化すことは難しい。
そのまま、眠りを促すように視覚情報を遮断し続け、はや数分。廊下の足音は聞こえないはずだが、ウイルは彼女の接近をぼんやりと感知してみせる。
(あ、帰ってきた。何買ってきてくれたのかな? ん? 扉の前で止まった。あぁ、両手が塞がってるのか)
予想通りのタイミングで、カチャッと扉が開く。左手にいくつもの袋をぶら下げ、エルディアが帰還した瞬間だ。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
「あ、寝てていいのにー」
ハツラツとした彼女を迎えるため、少年はもそっと起き上がる。
「そんなにいっぱい。あ、お金払います」
「いいっていいってー。ちょうどお昼時だったから、お店混んでたゼ」
委縮するウイルを他所に、エルディアは戦利品をどかっとテーブルに広げていく。
「あ、美味しそう……」
「でしょー。港だけあってお魚尽くし」
(うぅむ、買い過ぎでは……。まぁ、エルディアさんが食べきるか……)
小さなテーブルの上は既に満員だ。にも関わらず、袋の中には数点の総菜や飲み物が残っており、二人分と言えども多すぎる。
色鮮やかな海鮮丼。
病人と言えどもそれには目を魅かれる。もっとも、その周囲には刺身やサラダがぎゅうぎゅうに並べられており、俯瞰して見ると一層煌びやかだ。
「まぁ、これで……、素寒貧だゼ!」
「やっぱり払います……」
いくつもの出費が重なり、エルディアの所持金が底を尽く。傭兵は基本的に貧乏が多く、彼女も例外ではない。
しんどいなりにもいくらか回復の兆しが見られるため、ウイルはベッドに腰かけ足元の鞄に手を伸ばす。薄茶色のそれはマジックバッグであり、手を突っ込めば所持金を掴めるはずだった。
(あ、あれ? 力が入らないな……。ふんぬ!)
なぜか苦労したが、やっとの思いで財布変わりの小袋を取り出す。だが、その口を広げようとした途端、それは床に落ちてしまう。
「んん?」
「どしたのー?」
お金は一旦そのままに、ウイルは自身の両手を見つめる。
グー。
パー。
手のひらの開閉に支障はないが、その動きは想定よりも鈍く、何より満足に力が籠められない。
「しびれてるとかじゃないんですけど、なぜか思い通りに動かないような……」
「あ~、ばっくりいってたしね。キュアで治してもらったけど、感覚のずれみたいなのが残ってるのかも? すーぐ治ると思うよ」
「なるほど……。ん? キュア?」
心配は不要ということから、ウイルはわずかながらに安堵しながらも、その単語に食いつく。
キュア。回復魔法。エルディアには使えないため、誰かに助けてもらったのだと容易に想像可能だ。
エルディアは刺身をつまみながら説明を開始する。
キノコを倒したこと。
そのまま走ってここまで来たこと。
ギルド会館で傭兵にキュアをしてもらえたこと。
その後、真夜中だったが宿屋にて一部屋借りられたこと。
そして、今が翌日のお昼時ということが告げられ、一連の流れが明らかとなる。
「そして私は一文無し。やばい! 早く報酬をもらわないと!」
「ご飯食べたら僕のお金あげますって……。でも、カニの肉三体分で二万イールでしたっけ? 心もとないような……」
彼女は事のついでにイダンリネア王国で依頼を受領した。それを受け取れれば所持金ゼロからは脱却可能だ。
ルルーブ港にもギルド会館は存在するが、依頼はそれぞれの場所で独立しており、ここで完了の手続きは行えない。二万イールを受け取るためには、大人しく帰国する必要がある。
「まぁ、私は実家暮らしだから、冒険に必要なお金さえあればなんとかなるしねー。もぐもぐ」
(実家か……。母様、まだ大丈夫なのかな……)
その単語が少年の心をかき乱す。単なるホームシックだが、未だ十二歳の子供だ。無理もない。
「食べづらそうだね。あーん、しようか?」
「いいえ、結構です」
エルディアは見逃さない。ウイルの海鮮丼がなかなか減らないことを。
箸を持つ手が震えており、食事そのものがリハビリのような状態だ。
「まぁまぁ。ほれ、ほれ」
「遠慮します」
彼女の箸が人参の切れ端を掴み、少年の口元へ運ぼうとするも、顔がぷいっと逃げてしまう。
「なーに恥ずかしがってるのー。さんざん私に抱き着いておいて」
「う、ぐ……」
その指摘は痛い。赤ん坊のように抱えられ、長距離を運ばれたのは紛れもない事実だ。
今更ながら、ウイルの顔が赤く染まる。
その様子を見て楽しそうに笑うエルディアだったが、静かなトーンダウンは心の準備が出来たからだ。
「……私が迂闊だったね、ごめん」
「え?」
「昨晩の……。隣にいてあげれば、対応出来たはずなのに」
「あぁ……」
そのことか。そう言いそうになったが、一旦言葉を飲み込み、ウイルは料理と箸をテーブルに置く。
頭を下げるエルディア。謝罪せねばならぬとずっと考えていた。傭兵として、先輩としてミスを犯したと自分を責め続けていた。
「気にしないでください。エルディアさんは悪くありませんし」
「でも……」
慰めるためではない。
情けをかけたいわけでもない。
ウイルは自身の考えを、今からエルディアに伝える。
「悪者がいるとしたら、それは紛れもなくウッドファンガーです。僕をコテンパンにしたんですから。そして、次点で僕が悪いです。自分のことすら守れなかったから……。だから、エルディアさんは悪くないんです」
無茶な論調かもしれないが、これがウイルの出した結論だ。
彼女は悪くない。そう伝えるための即席な言い分だが、元貴族としてやり遂げた、と少年は満足そうに反り返る。
「難しくてよくわからなかったけど……、君ってやさしいね」
「え⁉ シンプルな構図に整理して説明したつもりなのに……」
瞼に涙を浮かべるエルディアと唖然とするウイル。不思議な空気が、この部屋に漂う。
「これからはちゃんと守ってあげるか……ら。え、何その目?」
エルディアに突き刺さるウイルのジト目。それが何を意味するのか、彼女とて何となく察することが可能だ。
「軍学校で最低限の教育を受けられるはずなんですけど……。本当に訓練だけに精を出してたんですね」
「あれ、私こんな小さな子供にバカにされてる?」
していないかと問われれば、当然している。ウイルも貴族の子供だ。根底には庶民を小馬鹿にしてしまう、そんないやらしさを持ち合わせている。
「僕、まだ十二歳なんですけど。まぁ、うん、仕方ないですね」
「痛い! 言葉がすごく痛い!」
学校にてきちんと教育を受けた者とそうでない者の差だ。もっとも二人の場合、それ以上かもしれない。
「銃が発明された年を言えないんですもんね。もしかして、初代王の名前すら知らないのでは?」
「は、はん! 知ってるモン。あれでしょあれ……。え~っと……」
そして沈黙が訪れる。
この状況は想定外だったのか、ウイルは思わず青ざめる。
「信じられない……」
「そんな吐き捨てるように⁉」
残念ながら仕方ない。今回はエルディアにこそ非がある。
「英雄の中の英雄ですよ……。建国の王ですよ……」
「そ、それくらいは知ってるぅ!」
「じゃあ、名前……」
「え~っと、え~っと……。確か、ア……、アなんとか……」
食い下がるエルディアだが、墓穴を掘る一方だ。
「アじゃなくてオ、です。まさか、王族の命名規則すら知らないなんて……。本当に信じられない……」
「いやー!」
少年はゴミを見るような視線を眼前の大人に向ける。だが、仕方ない。それほどに彼女は非常識だ。
教養もないが、それ以前に戦うことにしか興味を抱けない。エルディアはそういう人間であり、だからこそ、今の実力を獲得したと言える。
オージス・イダンリネア。初代王として、巨人族を壊滅させた最強の人間。
その名を知らない者はいない。そう思っていたウイルは、自分の視野の狭さと彼女の愚かさを嘆きながら、一人静かに昼食を再開する。
「忘れてるだけだから! ほんとだから! お父さんに聞いたことあるから!」
思い出せないのなら、どちらにせよ不合格だ。