コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
橋本によって、強引に乗せられてしまったハイヤーの後部座席。高級感漂う内装に皮張りのシート等々、自分の手でそれらを汚してしまったらどうしようと、宮本はすぐさま考えつき、閉められたドアを開ける余裕はまったくなかった。
唯一できることと言えば、車の外にいる橋本の顔を見つめるのが精一杯で、これから何をされるのか不安でしょうがない。
(どういうことだよ!? 俺はただ、友達になりたかっただけなのに――)
ちゃっかり黒塗りのハイヤーのナンバープレートを覚えたことと、トラックのドライバー繋がりで仲のいい友達から教えてもらった情報を頼りに捜索すべく、あちこちの幹線道路を中心にデコトラを走らせていたら、橋本が運転する車を偶然見つけることができた。
背後から間近で、ハイヤーの動きをチェックする。
同じラインを走行する安定した走りに、周りの状況を即座に読んでスムーズに車線に変更したりと、無駄な動きがひとつもない操作に感心した。
宮本の目には、黒塗りのハイヤーから見えないオーラが出ているようにも感じてしまうくらいに、心底惚れこんでしまった。
ドライビングセンスがあるだけじゃなく、自分と同じくらいの身長なのに腰の位置が高くて、渋い二枚目の橋本に是非ともお近づきになりたい――走り屋を題材にしているアニメの某キャラに憧れるような、純粋な動機で友達申請したのに、橋本からはあっさりと断られてしまった。
しかし元彼からの電話で形勢が逆転し、なぜだか拉致られる形で車に乗せられただけじゃなく、自身の恋愛のいきさつを話さなければいけなくなった現状に、宮本の頭の中は混乱を極めた。
それを話しただけで、どうして友達になってくれるのか――橋本の考えがさっぱり分からなくて、理解が追いつかない。
「最初は威勢が良かったのに、どうした? こんな車に乗ったことがないから、ビビったのか?」
運転席に乗り込んだ橋本が、ニヤニヤしながら宮本に話しかけた。ぐさっと図星を指されたことに宮本は衝撃を受けて、顎を引きながら、目の前にいる橋本を上目遣いで見つめる。
「おまえ、名前は?」
「へっ!?」
「友達になるんだから、名前で呼んでやろうと思ってさ。ちなみに俺は橋本陽。太陽の陽っていう漢字を使ってる」
(見かけだけじゃなく名前まで格好いいなんて、江藤ちん並みに恵まれているな――)
「……俺は雅輝って言います。雅に輝くって――」
宮本としては、名が体を表していない自分の名前を告げることが、どうにもいたたまれなくて、語尾を徐々に小さくして告げた。
「なるほどねー。名は体を表しているということか」
橋本が感心しながら言ったセリフが信じられなくて、ぽかんとするしかない。驚きのあまりに喉が塞がって、ひとことも言葉を発することができなかった。
「何て顔してるんだ。おまえが乗ってるデコトラは、目に眩しいくらいに輝きまくってるだろ。まぁ雅な感じじゃないけどさ」
「あ……」
「爆音を出したりなんていう違法な改造じゃなく、整備に出しても通るような飾り付けをしてるだろ。ちゃっかり個人の企業名を入れてるとこなんか、まるでサッカー選手が着てるユニフォームみたいだよな」
自分が手掛けたパーツを橋本が指摘したことが嬉しくて、ニヤけそうになるのを必死になって噛み殺す。見た目が派手な外装を施したデコトラは、大手の企業では使ってくれないので、地元にある下請けのとても小さな企業が中心に使ってくれた。
持ちつ持たれつという関係を表すように、企業のマークと社名をカッティングシートに印刷し、両方のドアに貼り付けて宣伝しているのを、橋本がサッカー選手のユニフォームで表現してくれたことが嬉しくて堪らない。
「雅輝は偉いよな。若いのに自分のやりたいことを貫いて、それを仕事にしてるんだから。俺は流されるままに、今の仕事をしてるだけだし」
さらっと橋本の口から告げられた名前に、宮本はひゅっと息を飲む。
江藤を含めて、他の友達からも名前で呼ばれているのに、ドライビングセンスの塊だと憧れている橋本が、自分の名前を告げた衝撃は、半端ないものがあった。
(名前と一緒に、仕事についても褒められているせいで、どんな顔していいかわからない――)
頬だけじゃなく耳まで熱くなるのを感じながら、宮本は目の前にいる橋本を見つめた。自分も同じように、橋本の名前を読んであげなきゃと言葉を考える。
「よ……陽さんは、この仕事を嫌々しているんですか?」
運転席で躰を捻って後部座席を見ていた橋本が、頬を紅潮させたまま質問を投げかけた宮本の視線から逃げるように、素早く前を向く。その行動で、橋本の触れちゃいけないところを突いてしまったのかと、内心焦りを感じた。
「やっぱり、名前で呼び合うの止めにしないか。変な感じがする……」
「変な感じ?」
「学生時代は名前で呼ばれるのが当たり前だったけど、社会人になってからは、もっぱら名字で呼ばれるようになったから、そのほうがしっくりくるしさ」
前を見ている橋本がどんな顔をしているのかわからなかったが、先っぽまで耳が赤らんでいるのが確認できた。
「言いだしっぺのくせに止めようなんて言うとか、陽さんは男らしくないですね」
「おまえ、わざと使ってるだろ」
ルームミラーに映る橋本の左目が、宮本の顔を睨むように鋭くなった。そんな視線を満面の笑みで受け止めてやる。橋本の視野から見る今の自分の顔は、間違いなく憎たらしくみえることだろう。
「チッ、形勢逆転しやがって。こんなはずじゃなかったのに……」
「早く俺の質問に答えてくださいよ、陽さん☆」
「あーもー、やめろって!」
(――ああ、渋い二枚目が照れる顔を真正面から見たいなぁ)
頭の中でそれを想像した瞬間に橋本の左手が伸びてきて、宮本の頬をぎゅっとつねりあげた。
「いっ痛いれすよ」
目を吊り上げて怒る橋本の顔は、いい感じに赤く染まっていた。出逢い頭に怒鳴られたときと同じ様相なのに、頬が赤くなっているだけで、可愛らしさが二割増しに見える。
「陽しゃん、可愛っ痛い!」
思わず心の内を吐露したら、容赦なく斜め上に引っ張られる頬。このままやられっぱなしになるわけにはいかないので、両手で橋本の指先を引っ張ったら、反対の手でオデコを叩かれてしまった。
「俺は可愛いなんてガラじゃねぇんだ。もう二度とそれを口にするなよ」
「わかりました。もう言いませんから、せめて名前くらい呼んでもいいですよね?」
宮本は顔を歪ませながら、痛むオデコを撫で擦って交渉してみる。
「やっぱり、おまえはしつこいのな。それを許さなかったら、可愛いって言うつもりだろ」
なぜだか橋本は宮本を叩いたてのひらまじまじと見つめつつ、げんなりした顔で返事をした。
「そのつもりっス」
「うわぁ、確信犯かよ。しょうがねえな、好きに呼べば。それよりも雅輝の頭の中は、何が詰まってるんだ?」
「何が詰まってるって、普通に脳みそが詰まってるでしょうねぇ」
「年齢がおまえと同じくらいの、商社マンのオデコをよく叩いてるんだが、手応えが全然違ってて驚いてる。アイツのほうが空っぽな感じの手応えっていうのが、マジで謎すぎるだろ」
少しだけ瞼を伏せて口元を緩ませる橋本の様子を見て、宮本の頭の中に疑問符が浮かんだ。オデコを叩いた感触の違いが、そんなに嬉しいことなんだろうか。
「肉体労働の雅輝よりも、頭脳労働してる恭介の中身がないことを、自らの手で証明してしまったこの感じは、筆舌しがたい……」
「そのキョウスケって人は、友達なんですか?」
自分がされたことをキョウスケという人物にもしていることから、かなり親しい間柄だと判断して訊ねてみたのに、嬉しげに上がっていた橋本の口角が瞬く間に下がり、あからさまに動揺しているのを示すように、視線が右往左往した。
「あ、すみませんでした。陽さんのプライベートに興味がわいて、ずけずけと変なことを聞いてしまって」
「悪い、違うんだ。おまえと喋ってるのが楽しくて、客の話をしたのがヤバくてな。プライバシーを守らなければならないのに、思わず口からついて出ちまった」
「お客さんだったんですか……」
宮本の言葉を聞いた橋本は、どこかやるせない表情で「ああ」と短く答えた。
(何だろう、陽さんの諦めたような眼差し。これと同じものを、江藤ちんがしていたっけ。あれは確か、俺と別れると言ったときに見せたものと、一緒かもしれない――)
「雅輝の恋バナを聞く前に、俺の恋バナを暴露したほうがフェアになるだろうな」
橋本はそんな独り言を呟いて、運転席にしっかり座り込む。宮本がルームミラーでその様子を窺うと、見えている左目が切なげに揺らめいていた。
「陽さん、その恋バナ止めませんか。遠い昔に終わった俺の話を聞いたって、全然面白くないですよ」
「何を言いだすかと思ったら、ゲイの三角関係なんて、滅多に聞けない話なのにさ。それに俺のは現在進行形だぞ。しかも相手は結婚してるから、絶対に叶わないものだったりする」
止めようと言ったセリフを無視して、自身の悲しい恋バナを勝手に語っていく橋本に、宮本は大声でも出して無理やりやめさせようと考えたが、それができなかった。
ルームミラーに映るもの言いたげな左目が、力なく自分をじっと見つめるせいで、二の句が継げられない。
「今年、同性婚ができる法律が施行したろ。プロポーズの言葉はどんなものが心に響きますかって、ソイツに相談されてな。『プロポーズすらしたことのない俺に、それを訊ねるなんて嫌味かよ』って返してやったら、恭介のヤツ、すげぇ驚いた顔してさー」
(こんな悲しすぎる話なんて聞きたくないのに、止める言葉が見つからない。どうすりゃいいんだよ)
橋本から見つめられることに耐えられなくなり、首をもたげて膝に置いている両手を見つめた。自分の不甲斐なさに苛立って、握りしめている拳が小さく震えた。
「『橋本さんなら、プロポーズのひとつやふたつくらいしてると思ってました』って、無邪気な感じで言われちまった。実際はプロポーズしたいなぁと思ってる矢先に、いつも振られてばかりいたんだよ」
「陽さん……」
「異性同性関係なく、数多くの恋愛を経ているせいだろうなぁ。自分の気持ちに、リミッターをつけることを覚えたんだ。振られたときの衝撃を軽くするためだったのに、相手にはそれが冷めたように見えるらしくてさ。『嫌いになったくせに、好きな素振りをしないで』って言われたこともあったっけ」
「俺にはさっぱりわからないです。だって好きっていう気持ちは、簡単には抑えられないものだから。陽さんの中に溢れていた『好きという想い』は、いったいどこに行ったんでしょうね?」
宮本からの疑問に、橋本は首を横に振った。