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「雅輝の好きは、何だか火山のマグマみたいだな。抑えられないところが、噴火した真っ赤なマグマみたいに思える。その熱に溶かされたら、堪ったもんじゃないな」
自分の気持ちをマグマにたとえられたせいで気恥ずかしくなり、微妙な表情でその場をやり過ごす宮本を、橋本はちょっとだけ瞳を細めて満足げに眺めながら、ふたたび口を開く。
「おまえと比べて俺のは、きっと色がないのかもしれない。しかも調整が効くところを考えると、んー……。水道の蛇口から出てくる、水なのかも。無色透明で冷たい感じがさ」
「……今の水道の蛇口からは、お湯だって出ますよ」
「残念ながら、水しか出ない仕様になってるんだ。お湯が出ない旧式の蛇口で無色透明の水だからこそ、俺の想いは隠すことができる」
左手の人差し指を立てながらレクチャーするように語る橋本を、宮本は複雑な心境を抱えて、運転席から見え隠れする横顔を眺めた。
フォローする言葉を簡単にひっくり返されるので、見事にお手上げ状態。歯がゆい思いをさせられるこの感じは、実家にあるマニュアル車の古いセダンを、免許取りたての初心者のときに運転したものにどこか似ていた。
親父がスムーズに運転しているのを見ているから、同じようにできるだろうと勇んで運転しても、クラッチの操作が上手くできず、発進の際によくエンストをさせられた。
今考えると、教習車のタイミングで操作していた自分。車のメーカーや排気量だって違うんだから、クラッチのタイミングが違うのを、親父の真似をしてやっとそのことに気がついたんだ。
出逢い頭に怒鳴り声をあげた橋本については、おっかなくてとっつきにくい年上の男だという認識だった。
『じゃあな、頑張れよ』
最初に見せた、怒った顔が消し飛んでしまうような笑顔で告げられたから、宮本は思いきって名前を訊ねることができた。その後のやり取りも、おどけた様子の橋本を見たからこそ、友達になりたいと考えて、彼のことを捜し出した。
そして今日、話を交わして知れば知るほど、橋本にはいろんな顔があることがわかった。そんな人の想いが無色透明なんて、信じられない話だと思わずにはいられない。
それを否定しなければと、宮本は思いきって話し出した。
「今までの話を聞いた俺のイメージは、陽さんの想いは無色透明なんかじゃなくて、淡い桜色の感じに近いかなって。パッと咲いた満開の桜の花びらが風に舞い上がって、どこかに散っていくような……」
橋本の想いを隠すことができるのならと、頭をフルに使ってたどたどしく告げた。
たくさんの桜の花びらは、風にのって遠くに飛ばされても、どこかでひっそりと積もればいいなと考えたのに、ルームミラーから見えている橋本の形のいい眉は八の字に変形し、眉間にしわが寄った。
「おまえ、顔に似合わずロマンティックなことを言うんだな。俺なんか、桜っていうガラじゃないだろ」
「そんなことないですって。満開の桜と陽さんは、俺よりもお似合いですっ」
「花びらが風で散るのを待ってるのがイラつくから、幹を強く蹴りあげて、無理やり桜の雨を降らせるのはどうだ。降り積もったあかつきには、その上に土を被せて養分にすればいいさ。まさにリサイクルだろ」
(桜の雨なんて格好いいことを言ってるのに、それに伴う行動が荒々しすぎて、フォローのしようがない。だけど目に浮かぶんだ。任侠映画に出てくるような着物姿の陽さんが、桜の下で腕を組んでこっちを見ているシーンが……)
宮本がせっかく考えたひっそりとした風情すら、橋本の手にかかってしまうと、まったく意味をなさないものへと変化させられてしまった。だがこれまでのやり取りを、宮本は心を落ち着けて考えてみる。
言葉の中に潜む本質を見極めれば、きっと何が見えてくるはずだと自分を信じて、言葉をつなげる。
「想いのリサイクル……。叶わない恋なのに、ずっと思い続けるってことですか?」
「諦めることができたら、無駄に2年も片想いなんかしねぇよ。それにこの気持ちを心の奥底に隠すのにも、いつの間にか慣れちまった。きっちり覆い隠して見えなくしてるから、恭介には絶対知られることがないしな」
無色透明な気持ちを心の奥底に隠して、キョウスケという名のお客さんにバレないようにしてるのはわかる。そして自分自身すら、その想いを持て余しているように見えてしまうのは、橋本が自嘲的な笑みを口の端に浮かべているせい。
かつて好きな人と別れたことがある宮本だから、橋本の気持ちが痛いほどに理解できた。忘れようと思えば思うほどに、その想いは色濃くなり、なかなか踏ん切りがつかなかった。
それでも前を向いて歩かなければと、目を逸らさずにきちんと向き合って日々を過ごした結果、江藤とのことは過去の産物になった経緯がある。だからこそ――。
「陽さんはこのまま立――」
ピロリン♪
聞き覚えのあるアプリの着信音が、ふたりの耳に届いた。
「うわぁ、会議が終わるの早すぎるだろ。これから面白そうな話が聞けるところだったのに……」
忌々しそうに舌打ちしてポケットからスマホを取り出した橋本を、宮本は安堵のため息をつきつつ眺めた。自分の過去について、橋本からの追及を免れることができたラッキーに、心の中でガッツポーズをとる。このタイミングで、呼び出してくれたお客さんに感謝する。
「橋本さん、これからお仕事ですよね、頑張ってください。俺は早々においとまします」
逃げるが勝ちだとドアハンドルに手をかけて動かしたのに、前後に虚しく動くだけでドアが開かなかった。
(この人、作為的に俺を閉じ込めていたんだ! どういうことだよ!?)
「このまま逃がすと思ったのか、雅輝」
「ぁ、あの……早くお迎えに行かなきゃ、お客さんを待たせることになりますよ」
橋本の問いかけに導かれるように渋々返事をしたら、してやったりな面持ちでほほ笑みかけられた。あえて無言を貫き通して、妙な微笑を湛える橋本の態度は、何を考えているのかわからなくて、背筋がぞわっとする。
「……今日は無理だが、明日は早くあがれる予定なんだ。いつも最後に乗せる恭介が、バスで帰るからな。飲みに付き合えよ、おまえの話を酒の肴にしてやるからさ」
「えっと明日は日帰りで仕事なんですけど、明後日も仕事があるので、お酒はちょっと……」
「だったら、ソフトドリンクで付き合え。俺だけ暴露させて、何も喋らないなんていう卑怯なマネを、おまえはするような男じゃないよな?」
語尾をあげて運転席から身を乗り出し、にゅっと顔を近づけた橋本。断ったらぶっ殺すぞと言わんばかりの雰囲気を醸し出しているそれに、気の弱い宮本は当然断ることができなかった。アプリ経由で互いの連絡先を交換し、橋本の車から無事に解放される。
宮本は肩を落としながら、最近友人からなされた弟の話を思い出した。
『宮本のバカが俺様の同期に、自分の名字の頭文字がMだからマゾなんだと言ったせいで、自ら進んで散々な扱いを受けたらしいんだ。雅輝、実の兄としてアイツにどんな教育をしたんだ?』
弟のアホさ加減を江藤から聞いて、心底呆れ返った宮本だったが、嘘をついてでも逃げることをしなかった今の現状は、わざとドМを極めてしまったかもしれないと、思わずにはいられない。
宮本雅輝――名字と名前の両方にМが使われている時点で、弟よりもМ度が濃い気がしたのだった。