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「よく間に合ったな」


「もちろんよ。私を誰だと思ってるの?あなたの考えてる事は大体わかってたから今日の会議の後すぐに準備してたの」


そう言って彼女は社長室の中に設置されている小さな来客用のソファーに腰掛けると、書類やタブレットなど色々取り出した。桐生さんは彼女の向かいに座ると、彼女が持ってきた書類を手にした。そこには何故か私には入り込めない雰囲気があり、急いで飲み物の用意をする為に社長室を出た。



桐生さんは結城さんとはもう何も関係ないと言っているが、二人の間にはいつも親密な雰囲気が漂っている。こうして見る限り彼女は家柄も申し分なく、私よりも格段に仕事ができはるかに桐生さんの役にたっている。


私は高校、大学と社会人の基礎を学ぶ重要な時期にアメリカに住んでいた為、英語も日本語も完璧にできないという中途半端な人間だ。加えて彼女のような上品な所作や品のある容姿もない。要は全てにおいて彼女に劣っている。


私が結城さんが好きだと言う紅茶を持って社長室に戻ると、既に二人で何か仕事の話をしていた。二人の仕事の邪魔をしない様にと紅茶を二人の前に置こうとするが、心なしか手が震えているような気がする。私は必死に心を落ち着けながら紅茶を結城さんと桐生さんの前に置いた。


「いつもありがとうございます」


結城さんはそう礼儀正しく言うと私ににこりと微笑んだ。


「いえ、いつもお疲れ様です」


なんとか笑顔を作り顔が引きつっていない事を祈った。そして桐生さんとは目を合わさず軽く会釈をするとドアに向かって歩いた。彼はいつも勘がいいと言うか私の表情を読み取るのが上手い。今の気持ちを知られるのだけは絶対に嫌だ。


するといきなり桐生さんはソファーから立ち上がると、退出しようとしていた私の腕を引きグッと抱き寄せた。


「蒼、今日は一人で帰れるか?」


桐生さんは私の視界から結城さんを遮る様に立つと、私の考えている事を探る様にじっと見つめた。


「えっ…? あ、はい……」


── い、今結城さんの前でそれ言うの??


すぐそばで私達のこのやり取りを見ている彼女が気になり彼の言葉にあまり集中できない。


「ごめん……今日は遅くなるから先に帰ってくれ。なるべく早く帰るから」


そう言うと彼は手にしていた書類を顔のすぐ横に持ってきて、結城さんの視界から私達を遮ると軽く唇にキスをした。


「気をつけて帰れよ。家に無事ついたらメッセージくれ」


そう言って彼は何事もなかったかの様に再び結城さんの前に腰をおろした。私は怖くて彼女を真っ直ぐに見ることができず、「失礼しました」と頭を下げると、桐生さんと結城さんを残して社長室を後にした。




その日の夜、ソファーに寝転んだまま夜のニュースを何気無しに見ていた。


テレビでは高嶺コーポレーションでの横領や水増し請求による詐欺罪などで警察からの捜査が入り下請け業社や取引先会社など巻き込んだニュースが報道されている。


今は少し下火になったもののこのニュースが公になった頃はかなり大きく取り上げられていた。つくづくあの会社を辞めて良かったと思うと共に黒木部長や一条専務の名前をニュースで見ても何故かひどく遠い過去の話のように思える。


私はテレビから目をそらし壁に掛けてある時計を見た。すでに夜の11時をまわっている。テーブルの上には桐生さんが早く帰ってきた時の為に作った晩御飯がラップに包んで置いてある。


私はため息をつくと再び視線をテレビに向けた。


よくハッピーエンドの後には続きがあると言う。これが漫画やドラマだったら私たちの物語のハッピーエンドは気持ちを確かめ合った五ヶ月前にとっくに終わっている。


しかし実際はこうしてハッピーエンドの後には単調な日常の繰り返しが待っている。一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と経ち、それが一年、五年、十年と何年も繰り返される。そしてその中で私たちの関係も徐々に形を変えていく。


例え私たちはこうして一緒にいても彼には彼の仕事がありそして人生がある。


これから先も彼の仕事柄接待で色々な女性にも会うだろうし元カノと仕事をしなければならない時もあるだろうし遅く帰宅する事も多々あるだろう。ある意味これは仕方のない事なのだ。いちいち悩んでいたらキリがない。


桐生さんの事は誰よりも信用している。そして彼は結城さんと一緒に仕事をしている事で私が少し不安になっているのを知っている。だからわざわざ彼女の前であんな事をしたのだ。そんな彼の気遣いや優しさにはいつも心打たれる。

ただ最近彼が何か隠し事をしている感じがする事と結城さんと頻繁に外出してしまう事にどうしても気分が凹んでしまう。


── 大丈夫。彼は仕事をしているだけなんだから。そんなぐだぐだ悩まないの!


私は自分にそう言い聞かせ、再び時計を見るともうすぐで日付が変わろうとしていた。私は重い溜息をつくと、テーブルに残しておいた夕飯を片付け一人寝室に向かった。


日付が変わってしばらく経った頃桐生さんが帰宅した音が玄関の方から聞こえてきた。


彼がキッチンで冷蔵庫を開けたりする音が聞こえ、その後寝室の方に静かに歩いてくる。そっと寝室のドアを開けた桐生さんは私が寝ている方に歩いてくると「ただいま」と囁き私の頬にキスをした。


彼からはタバコやお酒の匂いと共に結城さんの香水の匂いがふわりと漂ってくる。私はベッドの中でぎゅっと手を握りしめた。そして寝たふりをしながら心の中で繰り返し呟いた。


── 大丈夫。彼はただ仕事をしてるだけだから…。大丈夫。彼はただ仕事をしてるだけなのだから ──



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