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「七瀬さん、お昼に行っておいで」


お昼を少し過ぎた頃、五十嵐さんが私に声をかけた。


いつも彼は愛妻弁当を持ってきてオフィスで食べているので、お昼は彼が電話番をしてくれる。


「いつもありがとうございます。それじゃ、行ってきます」


五十嵐さんに感謝しながらバッグを持って席を立つと、今日はどこで食べようかなと考えながら、エレベーターに向かった。


「七瀬さん、ちょっと待って」


丁度エレベーターが来て乗ろうとしたところ、後ろから久我さんが追いかけて来た。


「もしよかったら昼飯一緒に食べないか?実は未だこの辺に何があるのかよくわからなくて。いつも同じサンドイッチとかコンビニの弁当を食べてたんだ」


「もちろんです。どんなものが食べたい気分ですか?多分今の時間だと混んでるからあまり待たないとなると、うーん……このビルからワンブロック先にあるカレー屋さんか、もしくはもう少し先にあるイタリアンのお店……それかここから少し歩くんですけど、お蕎麦屋さんがあります」


私はどこが一番早く食事が出てきて、時間内に会社に戻れるか考えた。


「じゃあ、蕎麦で」


「了解です」


私達はビルを出ると、お蕎麦屋さんに向かって歩き始めた。



「お仕事はどうですか?」


彼が働き始めてそろそろ一ヶ月半が経つ。さすが以前社長秘書をやっていただけあって仕事が早い。


「うん、結構楽しんでやってるよ。ここは前の会社より大きいからやりがいもあるし」


「以前の会社はどこだったんですか?」


「従業員が70人くらいの小さな会社だよ。仕事自体とても気に入ってたんだけど、社長とあまり合わなくてね。それで仕事を探してた時、ここの募集をみたんだ」


なるほど……。


確かにこの仕事はボスと一対一で働くので、相性が合わないとかなりやりにくいだろう……。


私個人の意見として、会社の秘書といえば男性より女性の方が多いイメージがある。そう考えると男性の秘書である久我さんは珍しい気がする。私は何となく気になって尋ねた。


「どうして秘書になろうと思ったんですか?」


「うーん、……まあちょっと長い話になるんだけど、聞きたい?」


久我さんは少し躊躇しながら悪戯っぽく笑った。


「ぜひ!」


久我さんがなぜ秘書になったのか興味を持ち、思わずそう答える。


「実は俺、十代の頃結構やんちゃやっててね。高校も行かずに友達と遊び歩いてたんだ。それでよく補導されて警察のお世話になってね」


「ふふっ。今の久我さんから全然想像できないです」


私は笑いながら、眼鏡をかけた真面目で落ち着いた雰囲気のある久我さんを見た。


「あの頃の俺は本当に最低ヤローで、友達や女の子と好き放題遊んでたんだ。しかも18の時、女の子を妊娠させてしまってね。親に責任を取れと言われて一応結婚して子供を育ててたんだけど、学歴もなく金をしっかりと稼げる仕事もない。それにあの頃の俺には18歳で家庭を養うという責任が重くて、ストレスが溜まってしまって。それである日喧嘩騒ぎを起こしたんだ」


18歳と言えば私から見るとまだまだ子供だ。子供が子供を育てるようなものだから、それは大変だっただろう。


そんな過去がある久我さんを思わずまじまじと見つめた。


「その時いつもお世話になっていた警察の人が、いい加減大人になれって、彼の親戚が経営する小さい会社での仕事を紹介してくれたんだ。まずはその社長の手伝いをする仕事をしろって。それが秘書になったきっかけ」


「そうだったんですね……」


「その社長が、これまた怖くて厳しい人でさ。でも、すごくいい人で、俺に色々と世の中の事や仕事を教えてくれて、すごく勉強になったんだ。それにちゃんと大学まで出ろと後押ししてくれて。それでその会社で一生懸命働きながら大学まで卒業した。結局会社はその後売却されてしまったんだけど、今でもあの人は俺の大切な恩人なんだ」


私は久我さんがいい人に出会えて、人生を転換できた事を心から喜んだ。


「久我さん、奥様とお子さんがいらっしゃるんですね」


「今はもう結婚してないんだ」


彼はハハっとちょっとバツが悪そうに笑った。


「彼女とは結婚一年もしないうちに離婚してしまって。その後、彼女は何回か他の男と結婚して子供も何人かいるんだ。ただ彼女との仲は今でも良好で、子供には快く会わせてくれる。だから娘とは週末に会って、一緒に出かけたりしてるんだ。ただ今中学生なんだけど、背が高くて大人びて見える上に化粧して俺に会いに来るから、一緒に歩いてると親子じゃなくてパパ活してる様に見られるんだよ」


それはそうだろう。何せ久我さんはあんなに若くして父親になったのだ。彼にそんな意外な苦労があるのかと思うとなぜかおかしくて笑ってしまう。


「笑い事じゃないんだぞ。娘がパパって呼ぶたびに凄く変な目で見られるんだから」


「あははっ。ご、ごめんなさい。なんだか久我さんイメージと全然違ってて……」


久我さんがおかしくて、彼が頬を赤くする中、私はクスクスと笑った。


丁度お蕎麦屋さんの前まで来た私達は、お店のドアをガラリと開けた。


厨房では数人の男性が忙しそうに料理をしていて、食欲をそそる蕎麦の匂いと、茹でる湯気が立ち込めている。


私達は店員に席まで案内されると、久我さんは蕎麦とカツ丼の定食、私は天ぷら蕎麦をそれぞれ注文をした。



「七瀬さんはどうして秘書になったの?」


久我さんは私にお水の入ったグラスを渡しながら尋ねた。


「実は秘書になろうと思って入社したんじゃないんです。当時辞めた秘書の代わりを急いで探していて、たまたま英語が喋れて秘書検定を持っていた私に秘書の仕事がまわってきたんです」


「そうなんだ。確かに七瀬さんの英語すごいよな。いつも完璧な発音で喋ってて羨ましいなと思ってたんだ。どこでそんな英語を習ったんだ?」


「実は高校から大学までニューヨークに住んでたんです。父が駐在員でニューヨークの会社に転勤になって家族でアメリカに移ったんです」


「へー、それでか。ニューヨークかぁ。一度行って見たいな」


「ぜひ!春とかすごく綺麗なんですよ。日本の様に桜がたくさん咲くところがあって。冬は冬でまたすごく綺麗なんです。夏は暑いんですけど」


私は七年以上住んだ懐かしいニューヨークを思い浮かべた。


タイムズスクエアやセントラルパーク、近所にあった美味しいベーカリーやブロードウェイで見たミュージカルなど次々と浮かんでくる。


「だけど俺も七瀬さんみたいに英語が喋れないと行けないだろうな」


「そんな事ないですよ。アメリカは色々な人種の人がいて英語が喋れない人もたくさん住んでるんです。だから皆英語が喋れない人に慣れてるんです。聞き取りがなんとかできればあとは身振り手振りで結構通じるんですよ」


「聞き取りかぁ。なんだか喋るより難しそうだな。今の会社は海外の顧客も多いから、英語の電話の受け答えも必要になってくるだろう?俺も勉強しようかな。何かいいコツとかある?」


これについては正しい方法なのかわからないが、自分で行っている英語の勉強方法がある。


「ひたすら英語を聞くのがいいと思います。私はよく洋画を見るんですけど、分からない時は初め字幕付きで見るんです。でもだいたいの話の流れがわかってきたら、字幕なしか英語のサブタイトル付きで何度も見るんです。


字幕の和訳は実際の英語の意味と違う訳され方もしてるので、話の流れがわかったら和訳は忘れてとにかく英語に集中するんです。そうすると英語独特の言い方とかわかってくるんです。


例えばですけど、簡単な例だと日本語でよく言う『頑張ってね』は直訳すると『Try hard』なんですけど、でも実際そんな事誰も言わなくて、もっとカジュアルに『Good luck』とか言うし、『トイレ貸してください』って言うのは直訳すると『Can I borrow your toilet』ですけど、英語だと『Can I use your bathroom?』って言う方が一般的なんです。


それでイディオムやフレーズの使い方やタイミングがわかってきたら、あとはそれをひたすら覚えるんです。そして発音も含めて全部真似るんです。シャドーイングっていう方法なんですけど。そうすると使える英語を習得するのが絶対に早いと思います。


私は今でも毎日英語のニュースを聞いてるんですけど、それでいつも英語の言い回しや発音を真似て練習してるんです。海外の情勢も知ることができるし、いい英語の勉強になります」


「へぇー、そんな英語の勉強の仕方があるんだ。初めて知ったな。しかし七瀬さんは努力家だな」


久我さんは感心したように言った。


「もしよかったら英語の雑誌とかたくさんあるので貸しますよ」


「ありがとう。……でも俺なんかに貸したりして彼氏に怒られない?」


「え……?」


「いや、その……ほら……」


久我さんは自分の胸元を指でさして、出社初日に桐生さんにつけられたキスマークを見た事を仄めかした。


── あぁ、もう恥ずかしい……


私は顔を赤くしながら俯いた。


「いや、結構独占欲強そうな彼氏みたいだからさ。俺なんかに雑誌を貸して問題が起きるんじゃないかと思って」


久我さんは顔を真っ赤にしている私を面白そうに見た。


「いいんです。特に気にしたりはしないと思うので」


私はそう言いながら最近の桐生さんを思い浮かべた。


ここ最近私と彼はすれ違いが続いている。基本的に桐生さんは日中ほとんど会社に居らず、帰ってきてもその後会社で残業したり接待でどこかへ行ってしまったり結城さんと出かけてしまう。夜も私が寝た後に帰って来て朝は私が先に出てしまうので、一緒に住んでいても殆ど顔を合わさなくなってしまった。



「はーい、こちら天ぷら蕎麦と蕎麦とカツ丼の定食です」


私達の食事が運ばれ、とりあえず一旦会話を中断して食べ始める。ふと顔を上げると久我さんは私をククッと笑いながら見ていた。


「あの、何か……?」


「いや、なんか蕎麦を上品にと言うか、不味そうに食うんだなと思って。」


「えっ……?」


「音を立てない様に凄く気を使って食うんだな。箸で少しずつ一口サイズに丸めてから食ってると言うか」


「えっと、アメリカでずっとそうやって食べてたから……。向こうでは音を立てて食べるのはマナー違反なので……」


私は変な蕎麦の食べ方を久我さんに見られてた事が恥ずかしくて、思わず顔を赤くした。


「七瀬さん、すぐ顔が赤くなって可愛いな。これじゃ彼氏も心配だろうな……」


久我さんはそう言ってクスリと笑うと、トンカツにかぶりついた。




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