「ステラ姫殿下におかれましては、|此度《こたび》の帝国による宣戦布告はいかが存じますか?」
私の問いに、姫様は男が見たら一発でとろけそうな笑顔を浮かべる。
「汚らわしい帝国軍など、気高くも勇猛なアストロメリアが誇る貴族の敵ではありません。私はみなさんが獅子奮闘し、帝国軍を圧倒すると信じています」
まるで神に祈りを捧げるように両手を結び、天を仰ぐ姫様。
ああ、腹が立つなあ。
真っ黒な内心を知っていると、そのこびっこびな態度に苛立ちしか覚えない。
いいだろう。
そっちがその気なら、こちらの闇深い感情を悟られずにお前の計画をぶち壊してやる。
「ユーシス様はいかが存じますか?」
私がユーシスに話を振ると、姫様の取り巻きはハッとしだす。
何せ姫様はユーシスを|無碍《むげ》に扱った。このパーティの主催が、ユーシスを取るに足らぬ虫扱いしたなら私もそうすべきだ。
ましてや高貴なる王族を交えた談笑の輪に、下賤な虫を入れるなどあってはならない。
王族の意向を無視した私に、姫様ご本人は何事もないように薄い笑みを浮かべ続けてはいるが……内心ではピキッときちゃってるんだろうなあ。
「恐れながらマリア様、どうして僕にそんな話題を?」
「あら? 貴方が背負う【|死神の大鎌《レヴァナント》】の家紋は伊達ではないのでしょう? なにせレヴァナント侯爵家は代々、国内の|膿《うみ》を刈り取る暗殺を生業にしてらっしゃいますよね? ステラ姫殿下も先ほどおっしゃったように、帝国軍は王国の敵ではございません。帝国が軍ではどうにもならないと判断すれば、要人の暗殺に踏み出る可能性は十分にございます。ですから暗殺術に見識深いユーシス様にご意見を窺うのは当然かと」
実は勇者時代にユーシスから聞いちゃってるよ。
政敵の多い姫は自身の安全を強化するために、暗殺への対処能力が高いユーシスを手駒にしたって。
だから姫の懸念点を、さも|自分《マリア》の賢さで指摘してやった|体《てい》だ!
姫もその辺は聞いておきたい内容だろう。
それにユーシスへ話を振る理由はもう一つある。
「なるほど。マリア様のお話は一理あります。姫殿下、発言をお許しいただけますか?」
わあ、ユーシスもやってるなあ。
姫の言葉すら待たずにもう喋り始めちゃってるよ。肝が据わってるというか、無礼千万というか。今度こそ姫様ブチギレ案件!
私は吹き出しそうになるのを必死にこらえながら、不動の姿勢で二人を見つめる。
もうワンアクション何かあったら確実に爆笑してしまう。
「許します」
平然と答える姫に内心でつまらない奴だと罵倒しておく。
さて、ユーシスが暗殺の手段が如何に多様か、また実際に帝国が王国貴族の暗殺に乗り切る場合は、どのような手段が可能なのかを朗々と語っている隙に、私は私でやっておくべき事がある。
「水よ、舐めて——風よ、嗅いで——」
誰にも聞こえないぐらいの声量で呟く。
すると近くの飲み物に宿る水精霊たちが、こぞって酒や果実水の中へチャポンと入る。周囲を舞っていた風精霊たちは、皿に広がる料理を吹いては吸うを繰り返す。
その中で顔をしかめた精霊と、嬉しそうにはしゃいだ精霊がいないかつぶさに観察する。
なるほど————
ある程度は予測していたけど、姫とユーシスの間にあるワイングラスか。
「————であるから、毒殺というのは非常に危険なのです」
ユーシスが暗殺術の講義を終えたタイミングで、姫は私が目星をつけたワイングラスを手に取ろうとする。
しかし私は彼女よりも早くワイングラスを横取りする。
「……!」
すると姫は初めて驚愕といった表情を浮き彫りにした。
口がぽかんと空いてる|様《さま》はわりと間抜け顔だ。よほど私の行動が予想外すぎたのだろう。
あーこれはほんっとに癖になりそうだ!
にっくき相手の予想を裏切るってのはさいっこうだな!
さて、私がこのワイングラスを横取りした理由だけど————
「姫殿下! 恐れながら具申いたします。このグラスからはほんのりと、毒薬の匂いがいたします。こちらを飲むのは|御身《おんみ》を危険にさらすかと……!」
姫も含め、誰もが『急にコイツは何を言ってるんだ』とポカンとしだす。
普段は踏ん反り返っている貴族共が、そろいもそろってアホ面下げて私に注目しているのだから笑えてくる。堪えるけど。
「マリアさんは急に何を……? それよりも私が頂こうとしていたグラスを取ってしまうなんて無礼ではなくて?」
「いえ! こちらのグラスには確かに毒薬が入っております! 信じていただけないのでしたら、私はこの身を以て王家に! いえ、ステラ姫殿下への忠誠を証明してみせます!」
「な、なにを……!? お、おやめなさい! それは|私が《・・》ッ!」
慌てふためく姫、滑稽すぎて笑える。
そうだよなー。私がこのグラスを飲んじゃったらお前の計画が台無しだ。
姫はどうにか私が手にしたワイングラスを取り返そうと必死に近寄るが、私は構わず一気にワインを飲み干す。
すると視界は突然真っ暗になり、手足が軽く|痙攣《けいれん》しだす。
おお、ユーシスが以前言ってた通り、身体に現れる症状|は《・》派手だ。しかし結果はすごい軽症で終わる微毒だそうだ。
そんな風に考えつつ、私はその場でドウッと倒れ込む。
意識が失われゆくなか、姫様の取り巻きの悲鳴が頭にキンキンと響いた。
◇
さてさて、私の目論見どおり姫の計画は完膚なきまでに叩き潰せただろうか。
医務宮のベッドで起き上がった時、|傍《そば》にいたのはユーシスとメイドだけだった。
「マリア様……お加減はいかがでしょうか?」
「問題、ない、わ」
とは言ったもののまだ軽く舌が痺れている。
「あれだけ暗殺や毒殺の講釈を垂れておきながら……まさか目の前の毒薬に気付けなかったこと、レヴァナント家の一員として恥ずかしく思います……」
おお、珍しくいつものニヤニヤ顔が引っ込んでるな。
これは本気ですまないと思ってそうだ。
だけど、私は私で自分の目論見が達成できたので、お前が気にする必要なんてない。
「|貴方《あなた》、気持ち悪いですわね」
「えっ、気持ち悪い……?」
なんて思っても、この令嬢の口は素直になってはくれない。
「その嘘を張り付けたようなお顔が気持ち悪いと言っているの。せめて私の前では、嘘にまみれた口調でなくてよろしくってよ。虫唾が走りますわ」
「マ、マリア様のお怒りはごもっともですが……」
「マリアと呼びなさいと言っているの!」
あっ……なるほど。
どうやら私は……以前のようにごく自然体でユーシスと語り合いたい。そんな願望が、マリアの口を通じて出てしまったようだ。
「あ、はあ」
「それに此度の件はユーシスのせいではありません。私が好き好んでやったことですから」
「……あははっ……なんだよ、それ。意味がわからない」
私の突き放す言い様に、ついには呆れ笑いになるユーシス。
だけれど————
「キミは……|マリアは《・・・・》他の貴族たちとは、違うんだね」
おー。
久しぶりにユーシスの心からの笑顔を見れたから、私はちょっと嬉しい。
それからユーシスは私にどう声をかけていいか迷っているようで、もごもごと口の中で言葉を潰し、再び口を開いては閉じるを繰り返す。
面白いからこのまま放っておこう。
それよりも事態の整理が先だ。
本来であれば、毒薬を飲んでいたのは姫になるはずだった。
そう、【太陽の花園】で起きた事件と言えば、ステラ姫毒殺未遂として、その容疑がユーシスに向けられていた。
改めて姫の手腕に舌を巻く。
だって全部が姫による|自作自演《・・・・》なのだろうから。
まずピンポイントであのワイングラスにこだわった姫の様子から、予め毒を盛ったのは姫自身に間違いない。
そして挨拶回りでユーシスを無碍に扱い、みなの視線をユーシスから外す。その後、あの場で注目を集めているのはマリアと姫だった。
これで誰もがユーシスの動向を把握しておらず、しかしユーシスは姫の近くにいたという状況証拠ができあがる。
そんな状況で姫が毒を飲んで倒れれば……半分平民の血が流れているユーシスに嫌疑がかかる流れは妥当。ましてや暗殺貴族と名高いレヴァナント侯爵家の落とし子となれば、ますますその立場は危うい。
仮に毒殺の嫌疑が晴れたとしても、次は近くにいながら王族を毒から守れなかった不名誉をいただくことになるわけだ。
そこで慈悲深いお姫様の登場ってわけ。
ユーシスを許す。代わりに私の手足となって誠心誠意仕えなさいと。
弱みを握りつつ逆らえない環境を作り、周囲には臣下にチャンスを与えたと印象付ける。
わかってはいたが、13歳の時点で姫は物凄い切れ者だ。
だが、わかっていればどうということはない。
まずは姫の意向に反してユーシスを会話に入れ、周囲の視線は否応がなくユーシスに向く。貴族の目に留まった彼が、毒薬を仕込む暇なんてあるはずもない。
これでユーシスが嫌疑をかけられる可能性は低くなる。
次に人気の高い姫が毒で倒れたから大事になったが、悪評が勝るマリアが倒れたのならば犯人への追及の手はゆるむ。そう、うやむやになりやすいし、毒を仕組んだ|本人《ひめさま》にとっても都合がよいので黙る。
これでユーシスへ姫が服従を迫る口実は潰えたはず。
答え合わせをすると、ワイングラスに毒薬を用意したのは姫自身で、初めからユーシスに罪をかぶせてゆする気だったのだろう。
姫に処刑された私だからこそ確信を持って言える。
まったく、姫はどれだけ毒物が好きなんだろう。
私を処刑へと追い詰めた時も毒。ユーシスを手中に収めるためにも毒。
ついでにミカエル王子の病も、姫が毒を盛ってたからってオチじゃないよね?
そんな風に思考を巡らせていると、ユーシスから衝撃の事実がもたらされた。
「そういえばステラ姫殿下が今回の功を称して、マリアを【|お茶会《サロン》】に招くらしい」
へえ。
お茶会に招く=自派閥への取り込みの一歩だ。
身を|挺《てい》してまで自分の命を守ろうとするマリアの忠誠心を評価したのか。それともレヴァナント侯爵令息よりも毒薬に詳しい有能さを評価したのか。
どちらにせよ使い勝手のよい、使い捨ての道具とみなしたのだろう。
だけど、私にとってもこれはまたとないチャンスなのでは?
このまま憎き姫の懐に入ってしまえば、姫の狙いを把握しやすくなる。
徐々に姫の信頼を得つつ、こちらで裏をかき上手く事態をコントロールする。そしてここぞという時に、盛大に裏切ってやるのは面白いのでは?
「お招き頂けるなんて光栄ね。令嬢たちが憧れる姫殿下のお茶会とやらに行ってやろうじゃない!」
「あははっ……毒を口にしたばかりだってのに、マリアは元気すぎるね」
「うるさいわね、|駄犬《だけん》」
反射的になじってしまったが、ユーシスはやけに上機嫌で私を見つめるのだった。
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