テラーノベル
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ねこむすび
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#青春恋愛
伝票を挟んだ木製のバインダーを、陽斗がレジカウンターのトレイへ置いた。四人分の割り勘の千円札を、その上へ重ねる。レジの脇には楊枝立てとマッチ箱が並び、丸椅子に腰を下ろした先客の2人が、会計を待ちながら壁の品書きを見上げていた。釣銭と領収書を受け取った陽斗に続いて、美帆、大輝、真希が並んで頭を下げる。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます!」
奥の厨房からも威勢のいい声が返ってくる。焼き台の煙とタレの匂いが、その声と一緒にカウンターの向こうから流れてきた。大輝は財布をデニムの後ろポケットへ戻した。
入口の脇には傘立てと、束ねられたビールケースが積まれていた。大輝は入口のドアを押し開け、階段へ出た。後ろから真希たちが続き、ドアはクローザーの力で静かに閉まっていった。
階段を上がって地上へ出ると、初夏の湿り気を含んだ夜の空気が肌に触れた。店の中で冷えていた腕に、外の生ぬるさがまとわりつく。時刻は21時を少し回っている。
東二番丁通りから、来た道をアーケードへ戻る。買い物袋を提げた親子連れの姿はもうなく、軒並みシャッターを下ろした服飾店や雑貨店の前を、駅へ足早に向かうスーツ姿の会社員や、二軒目を探しているらしい数人のグループがすれ違っていく。赤提灯を出した焼き鳥屋とラーメン店、それにドラッグストアの白い蛍光灯だけが、アーケードの舗装を明るく照らしていた。閉めた店の前には、潰した段ボールが紐で括られて出されている。
前方を陽斗と美帆が肩を並べて歩き、2、3歩遅れて大輝と真希が続く。舗装の継ぎ目を踏むたび、真希のヒールが小さく鳴った。
正面から歩いてきた3人組のサラリーマンを避けるため、真希が大輝の右斜め前へ一歩寄る。すれ違いざま、横を向いて大輝を見上げた。
「来月さ、個人休取るから、ふたりでどっか行かない? いつがいい?」
「マジっすか。黒森っすか?」
「黒森とかじゃなくても全然いいよ」
「7月っすよね、暑い時期だろうし涼しいところとかっすかね」
真希は前を向き、歩調を戻した。
「うみの杜水族館とかは?」
「いいっすけど、俺、さかなクンさんみたいに魚詳しくないっすよ」
真希の喉の奥で、噴き出しかけた声が詰まった。周りを歩く人を気にしたのか、声を押し殺したまま大輝へ顔を向ける。
「ちょっと待って。さかなクンはさん付けしなくてもいいでしょ」
「マジっすか。え、さん付けしなくてもいいんすか」
「ホントはしなくちゃいけないんだろうけど、さかなクンさんって呼んでる人いないでしょ」
言いながら、真希の肩はもう震えていた。声だけは抑えているのに、笑いが後から後から湧いてくるらしい。すれ違った会社員がちらりと振り返り、真希は手の甲で口元を隠した。それでも止まらない。
「ホント、全部ツボ。マジヤバい」
「押してる自覚ないんすよね」
「そういう所」
真希は大輝の右肩を軽く叩き、うつむいたまま小さく笑い続けた。前を行く陽斗と美帆との間が開き、大輝は歩幅を少し広げる。真希も横に並んだまま、どうにか息を整えようと何度か鼻から息を吐いた。
「大輝くんはいつが空いてる?」
「7月の5日とかどうすかね。日曜日っすけど」
「わかった。取れたら連絡するね」
「取れなくても連絡してください」
大輝が言うと、せっかく整えかけた真希の息がまた崩れた。くくっと喉が鳴り、肩が揺れる。
「はいはい、了解」
声を震わせたまま返事をして、真希は笑いの残った顔で前を向いた。
3軒先の居酒屋から団体が出てきて、歩道の幅がいっぺんに狭くなる。大輝は歩調を落とし、その一団が車道側へ流れていくのを待ってからまた歩き出した。
アーケードの屋根が切れ、西口のタクシープールと駅前ロータリーの照明が一気に広がった。ロータリーの島には植え込みと時計塔があり、その足元のベンチで、リュックを膝へ抱えた男が携帯を覗き込んでいる。終電にはまだ早い時間だが、改札へ向かう人の流れは絶えず、バス停の列には仕事帰りとおぼしき人々が並んでいた。
自動ドアが開くと、冷房の風が正面から当たった。四人は西口から青雲駅の構内へ入る。
構内は天井が高く、東口へ真っ直ぐ伸びる連絡通路は幅が広い。床の白い大理石調タイルが頭上の照明を返し、行き交う靴音と、遠くで繰り返される発車の放送が反響している。壁沿いのベーカリーはもう照明を落とし、シャッターの内側でトレイが伏せて重ねられていた。
切符売り場の前を抜け、みどりの窓口の横を通るあたりで、前を行く美帆がキャリーケースを引いた旅行客の集団を左へ躱し、それに合わせて陽斗も進路をわずかに右へ取った。4つ並んだキャスターの音が、タイルの上を転がっていく。
通路の奥、東口のガラス壁の向こうに、ヨドバシカメラの巨大なビルと赤い看板が見えてきた。ガラス越しに外の光が差し込み、通路の終点にある下りエスカレーターへ人の流れが吸い込まれていく。壁際には缶コーヒーの自販機が3台並び、その前で若い男が2人、しゃがんだまま何か話し込んでいた。
四人は順番にエスカレーターへ乗った。陽斗と美帆が前に並び、一段空けて真希、そのすぐ後ろに大輝が立つ。手すりのゴムが、ステップより少し速く手のひらの下を送られていった。
下るにつれて視界が低くなり、東口ロータリーを取り囲む風景が広がっていく。右手にはBiViの飲食店街から漏れるネオンと街灯が見え、歩道では居酒屋の前に若者たちがたまっている。車道には客待ちの個人タクシーと、送迎の一般車がハザードを点滅させて列を作っていた。信号が変わるたび、列の先頭から一台ずつ動き出していく。
エスカレーターを降りきると、東口の湿った風がまた吹き抜けた。美帆が「こっちだよね」と指を差し、陽斗が「おう」と頷いて横断歩道を渡る。青信号の残りが点滅し始めたところで、大輝は真希の後ろについて渡り切った。
BiViの角を曲がると、飲食店の看板の光が届かなくなり、街灯の間隔が急に広くなる。商業ビルの間を抜けて少し歩いたところで、コインパーキングの黄色い看板と、フラップ板の並ぶ敷地が見えてきた。料金表示の赤いデジタル数字が、区画ごとに点いている。
アスファルトに白線が引かれた駐車場へ入り、奥の区画へ進む。背の高いシルバーのハイラックスサーフが、街灯の光を浴びて停まっていた。
陽斗がポケットからキーを取り出してボタンを押すと、アンサーバックの電子音が短く2回鳴り、ハザードランプが点滅してドアロックが解除された。点滅の光が、隣に停まっていた軽のガラスにも映る。
陽斗が運転席のドアハンドルを引き、美帆が助手席のドアを開けた。真希が右側のリアドアから後部座席へ乗り込み、大輝は左側へ回ってリアのドアを開ける。車内にこもっていた熱気が、開いた隙間から流れ出てきた。
サイドステップに足をかけて後部座席へ身体を入れ、シートへ腰を落としてドアを引き寄せる。重い音とともにラッチが噛み合い、外の喧騒が遠くなった。
コメント
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あおいです、読ませていただきました🌷 第8話、四人の距離感がとても自然で心地よかったです。特に大輝くんの「さかなクンさん」に真希さんが噴き出す場面、可笑しくて温かくて、ああいう“ツボにハマるやりとり”ってリアルだなあと。押してる自覚がないからこそ効くんですね。デートの約束にも自然に“取れなくても連絡してください”と入れる大輝くんのさりげなさに、真希さんの笑いが止まらなくなる気持ちがすごく分かりました。繊細な空気を丁寧に紡いでいる作品だなと思います。次が楽しみです。