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ねこむすび
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陽斗がキーを捻ると、ハイラックスサーフのエンジンが掛かった。
停めているあいだに籠もった熱気がまだ車内に残っている。陽斗はエアコンの風量を上げ、窓を4枚とも少しだけ下げた。大輝は後部座席でシートベルトを引き出し、バックルへ差し込む。隣では真希も黒いバッグを膝の上へ置き、ベルトを肩へ通していた。
21時20分を回った東口は、まだ車の出入りが多い。
駐車場を出ると、ヨドバシカメラの明かりがフロントガラスの横を流れていった。陽斗は駅前から続く車列へサーフを入れ、宮城野通《みやぎのどおり》を抜けて南へ向かう。
前席から美帆と陽斗の話し声が続いていた。
駅前の明るさが少しずつ後ろへ遠ざかり、新寺《しんてら》へ入る頃には歩道を歩く人の数も減っていた。寺院の塀と低い建物の間を、街灯とコンビニの光が交互に過ぎていく。
「そういえばさ」
隣から声がして、大輝は真希へ顔を向けた。
「陽斗くんて、お姉さんかお兄さんいない?」
「めっちゃ陽気な兄貴と姉貴いるっすね」
「ああ、やっぱりね」
真希は声を出して笑い、そのまま背もたれへ身体を預けた。
「このサーフ、Mトヨタに点検いつも出してるんですよ。たぶん真希さん、うちの兄貴と姉貴の事知ってるかも」
「お兄ちゃんいたの? お姉ちゃんはいそうかなって思ってたけど」
美帆が助手席から横を向いた。
「いるいる。兄貴は今大学病院で小児科やってて、姉貴は獣医」
「え、医者の家系?」
美帆の声が一段上がる。
陽斗は前を走るタクシーとの間隔を保ったまま、信号へ近づいてブレーキを踏んだ。サーフがゆっくり減速し、新寺の交差点で止まる。
「その反応だいたいされるから、あまり人には喋りたくなかったんだけどね。真希さんに車バレてるから正直に白状するけど、俺の実家って泉の寺岡《てらおか》で内科やってるんよ」
「え、泉から日の出町にわざわざ出してんの?」
陽斗が歯を見せた。
「そこ拾う人あんまりいないよ」
信号が青へ変わる。陽斗はアクセルを踏み、サーフを前へ進めた。
「そこが美帆らしいんだけど」
「だって遠くない?」
美帆が前へ向き直る。
「遠いけど、泉の頃からお世話になってる営業さんいるからさ」
五橋《いつつばし》方面へ近づくにつれて、背の高い建物がまた増えてきた。閉店した店の暗いガラスと、まだ営業している飲食店の看板が車窓を横切っていく。
「そういえば、どうしてモビ大に?」
真希が前席の陽斗へ尋ねた。
「俺、イマイチ医者って仕事にピンと来なかったんですよ。みんな誰かしら助ける仕事してるし、親父も兄貴もみんな車好きだったから『俺は車の医者になろうかな』って」
「コイツ、一高《いちこう》からモビ大にわざわざ来たんすよ。ホント嫌味ったらしい」
大輝が隣の真希へ言うと、ルームミラー越しに陽斗の目が向いた。
「それ、お前もだろ」
「それな」
美帆が振り返る。
「あたしコイツの履歴書見て、『堂々と学歴盛った?』って店長に聞いちゃったもん」
真希の目が丸くなった。
「見えない……」
「俺、国語と日本史最強なんで。古の人の気持ち考えんのめっちゃ好きっす」
「いにしえ」
真希はその一言だけ繰り返すと、堪えきれずに噴き出した。
「あはははっ! いにしえって!」
狭い車内に笑い声が響き、真希はシートの上で身体を折った。
駅前で見えていたビルの密集は、もう背後へ流れていった。河原町《かわらまち》へ入ると建物の背が低くなり、信号のたびに停まる車の数も少なくなる。
「てかなんでアンタ、モビ大なの? 大学とか余裕っしょ」
美帆がまだ身体を少し後ろへ向けたまま聞いてくる。
「大学まで勉強したくなかったんで、モビ大で手に職つけよっかなって。なんつーか、『ありがとう』って言われたくて」
「『ありがとう』って言うのはちょっと余計かな。なんかムカつく」
「マジで美帆さん、ちょいデレしてくれてもよくないっすか?」
大輝は笑いながら美帆へ返した。
「炭治郎買い占めた恨み。お前あの5枚、3日で全部折ったろ」
運転席から陽斗が口を挟む。
大輝は自分の左手を持ち上げた。
「あの時はまあ、花巻の妓夫太郎と堕姫をシバいた時にワン炭治郎」
親指を折る。
「ワン炭治郎ってカウントなんだ」
真希が笑いながら相槌を打った。
陽斗が広瀬橋へサーフを進める。
建物の切れ間から広瀬川が見えた。橋の上では左右の視界が開き、川沿いの街灯が暗い水面へ細く伸びている。対向車のヘッドライトが何台か続いて、顔の横を白く通り過ぎては後ろへ抜けた。
「ついでに盛岡の半天狗でツー炭治郎、スリー炭治郎」
大輝は人差し指、中指と順に折った。
「おまけで一関《いちのせき》の猗窩座も相手してフォー炭治郎」
薬指を折る。
「ラストは古川《ふるかわ》の無惨様相手にファイブ炭治郎」
小指まで折り、握った左手をそのまま膝へ戻した。
「次またElementと鬼滅コラボしたらお前、マジで買うなよ」
美帆が肩越しに大輝を見る。
「いや、今度はちゃんと一本ずつ――」
「買うなって」
美帆が被せる。
隣から真希の笑い声が聞こえた。
サーフは橋を渡りきり、そのまま南へ進んでいく。
長町《ながまち》一丁目へ近づく頃には、車窓を流れる景色も駅の周りとはすっかり変わっていた。道路沿いの店は閉まり始め、マンションの窓には灯りが点いている。歩道を歩く人はまばらで、交差点の角のコンビニだけが白く明るかった。
陽斗が住宅地側へハンドルを切る。
幹線道路の走行音が少し遠くなり、サーフは住宅の並ぶ通りへ入った。
「そこ、左」
真希が前方を指した。
「この先?」
「うん。そのマンション」
陽斗がウインカーを出す。
9階建てのマンションが道路沿いに見えた。エントランスの庇の下が明るく、脇には立体駐車場の骨組みが夜の中へ伸びている。
陽斗はサーフを建物の前へ寄せて停めた。
「着いた」
「ありがと」
美帆がシートベルトを外す。
真希も隣でバックルを外し、膝のバッグを持ち上げた。
助手席のドアが開き、美帆が先に降りる。真希も反対側から車外へ出ると、車体の後ろを回って歩道側へ来た。
「着いたら連絡するよ」
陽斗が助手席側へ顔を向ける。
「ありがと」
「俺も連絡する」
大輝が言うと、美帆は開けたドアの横から車内を覗いた。
「お前はいい。真希にして」
それだけ言って、助手席のドアを閉める。
歩道の真希は、肩を震わせながら大輝へ手を振っていた。
大輝は小さく呟いた。
「これ、わかっかな」
パワーウインドウのスイッチを押した。
ガラスが下がり、夜の湿った空気が車内へ入ってくる。
大輝は窓へ身体を寄せ、首を斜めに傾けた。肩から力を抜いて、口の奥を開く。
「お気をつけて」
語尾を細く揺らして、息と一緒に声を抜いた。
「古いよ」
美帆がすぐに突っ込んだ。
真希が口元を押さえ、ゲラゲラと笑い出した。
陽斗も笑いながらサーフを発進させる。
「井上陽水だっけ? お前、毎回帰る時にそれするよな」
「なんかさ、やりたくなるんよな」
大輝は窓の外へもう一度手を上げてから、スイッチを引いた。
ガラスが上がっていった。
コメント
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第8話読み終わったよ〜!🚙💨 大輝の「5本全部折った」エピソードとか、美帆との「炭治郎買い占め」の恨み節がもう最高にリアルで笑った😂💕 「いにしえ」で爆笑しながら「古いよ」って突っ込む流れ、車内の空気感が目に浮かぶみたいだった! キャラ同士の距離感とか掛け合いが自然で読みやすくて、もっと続き読みたくなっちゃった🌸 次も楽しみにしてるね〜!