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風が静かに吹き抜け
桜の花びらが舞い散る。
朝焼けの光が
薄紅色の花を淡く照らし
どこか幻想的な空気を纏わせていた。
丘の上に立つ一本の桜
その根元には
ひっそりと一つの塚が築かれている。
アリアはその桜を見上げ、瞳を細めた。
「⋯⋯時也⋯⋯」
呟く声は
風に掻き消されそうに小さかった。
その瞳には
微かに光る涙が滲んでいる。
時也が息を引き取ってから
いくつの夜が過ぎたのかも分からない。
ただただ
時也を失った現実が
今もアリアの心を冷たく締め付けていた。
不死鳥の力をもってしても
時也の命を救えなかった。
不死の血を与えても
不死鳥がそれを受け入れなかった。
彼女が与えた心臓も血も
時也の命を繋ぐには至らなかった。
それどころか
時也の命を
削るだけの行為だったのかもしれない。
(⋯⋯私は⋯何をしている⋯⋯?)
不死である自分が
人間である彼を求め続けた。
時也はそれでも
〝幸せだった〟と言ってくれたが――
アリアはその言葉すら
時也を
呪ってしまったかのように感じていた。
桜の幹に触れ
その冷たさを指先で感じながら
ふと記憶が蘇る。
あの日――
アリアは血塗れの身体で
狩人達に追われ
偶然にもこの丘に辿り着いた。
目の前に広がる
樹冠いっぱいに
薄紅色の五花を咲かせる樹。
長い間生きてきて
初めて見る花だった。
その名すら知らず
ただ無心に見上げていると――
突然、空から一人の男が降ってきた。
「っ⋯⋯!」
思わず身構えたアリアの前に
藍色の服を纏った青年が
地面に倒れ込む。
黒褐色の髪、鳶色の瞳
そしてどこか異国めいた装い。
この近隣の国の者では無いと
一目でわかる奇妙な存在だった。
絶望し、全てを失い
逃げ続けて、殺し続ける日々――
血に塗れ
冷たい瞳を持つ
女豹のようなアリアは
最初、この男も敵だと思った。
だが
男はただ静かに息を整え
アリアの傷の治療を始めた。
そして
不死鳥の呪いを目の当たりにする。
「⋯⋯それが、貴女の悲しみなのですね」
その声には
敵意も恐れもなく
ただ困惑と悲しみが混じっていた。
アリアは無言で男を睨み続けたが
男は怯むこともなく
微笑んでみせた。
「⋯⋯僕は、貴女に⋯⋯
一目惚れしてしまいました。」
その言葉に、アリアは息を呑んだ。
何故、この状況で――
何故、この惨めな自分を――
まるで理不尽な奇跡のように
男はアリアを愛おしそうに見つめていた。
「貴女のお傍に⋯⋯
居させて貰えませんか?」
その願いを拒むことができなかった。
初めての感覚だった。
絶望しか知らなかった
自分に向けられた
その純粋な眼差し。
気が付けば
アリアはその青年を受け入れていた。
魔女の事も
その因縁も
不死の血の価値も
何も知らぬ青年だけが
アリアに分け隔て無く寄り添った。
それが、時也との始まりだった。
(⋯⋯来世こそは⋯⋯
共に、生きよう⋯⋯⋯時也)
アリアの瞳に、薄く涙が滲む。
けれど
その涙が頬を伝うことはなかった。
静かに手を伸ばし、桜の幹に触れる。
そこには、時也の魂が眠っている。
もう二度と会えない――
そう理解しながらも
祈るように指先を滑らせた。
その手をゆっくりと離すと
アリアは背中に炎の両翼を広げた。
紅蓮の光が、辺りを照らし出す。
振り返ることなく
アリアは屋敷に向けて翼を振るった。
瞬間
燃え上がる炎が建物を包み込み
瞬く間に焼き尽くしていく。
過去を
共に過ごした日々を
すべて灰にしてしまうかのように。
「⋯⋯また逢おう⋯⋯
それまで、さようならだ⋯⋯時也」
呟く声は
桜の花びらと共に消え去った。
燃え上がる屋敷を背に
アリアは桜の丘を独りで降りていく。
その背中には
もう涙も感情も宿っていない。
炎の翼は徐々に萎え
消え去り
再び冷たい夜風が吹き抜ける。
絶望を殺し
希望を殺し
すべての感情を断ち切って――
アリアはただ
時也が眠る桜を振り返ることなく
ひたすら前へと歩き出した。
その歩みは
まるで心を亡くした亡霊のように
無表情で冷たく
孤独そのものだった。
桜が散り
薄紅色の花が空に舞いながら
燃え尽きた屋敷の残骸を覆っていく。
そして
丘を降りたアリアの姿も
朝霧に溶け込むように消えていった。
それは
愛を失った魔女の――
長い孤独の旅の始まりだった。