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色鮮やかな緑を着飾った広葉樹。
多数のそれらに囲まれるここは、まさに隠れ家のような集落だ。
古めかしい木造建築が点々と居を構えており、長い年月の中、不思議な瞳の女達と時代を移ろいでいる。
ここは迷いの森。
その奥地に隠匿された魔女の村。
誰にも知られてはならない、彼女らの最後の居場所だからだ。
シャリ、シャリ。落ち葉と地面をどれほど踏みしめようと、本来ならばたどり着くことは出来ない。結界がそのように仕向けるからだが、客人に関しては例外だ。
森の中を一人と三人が歩いている。
本来ならば招かれざる存在だ。
なぜなら、魔女はイダンリネア王国の人間にだけは見つかってはならない。魔女狩りという名目で捕縛され、その果てに殺されてしまう。
ゆえに、この地の人間は息を殺して日々を過ごしている。
「やっと到着です。さ~て、物は試しっと……。これで釣れるかな?」
同行人達が感嘆の声を漏らす中、先頭を歩く少年が純白の古書を魔法のように呼び出す。
灰色の髪よりも遥かに白く、薄汚れた衣服とは対照的にどこまでも清廉潔癖。表紙にも裏側にも、果ては背表紙にすら文字の一つも書き記されてはおらず、何のための本なのか、手に取ったとしても解読不能だ。
白紙大典。意志を宿した、古い魔導書。この時代の持ち主であるこの子供でさえ、一切が不明なまま扱っている。
それを村に到着したタイミングで出現させた理由は、もちろん魔女達と戦うためではない。
「白紙大典ですよ~。久しぶりの登場ですよ~」
真っ白なそれを釣り針の如く、ふわふわと上下させる。そんな行為は他者からすれば意味不明だ。
「儀式か何かニャン?」
「知るか。しっかし、隠里なんてもんがここにあるなんてな」
トュッテ・ツーキャッツ。若葉のような髪が無邪気な顔を両サイドからやさしく包み込む。銀色の軽鎧は今日もキラキラと輝くも、先の戦闘で杖を失ってしまった。当人はそのことを気にもせず、前方の少年を不思議そうに眺める。
サキトン・スクーラー。オレンジ色の短髪を撫でながら、キョロキョロと村を眺めずにはいられない。話には聞いていたが、魔女が隠れ住んでいるという事実を突きつけられれば、歴戦の傭兵であろうと目を丸くする。
「良い村じゃないか。奥には川もあるのだろう? 木材に困ることもなさそうだし、外敵さえいないのならひっそりと暮らせるはず……。いや、事実そうしてきたのか、魔女と呼ばれる人達が」
ディーシェ・ダイムス。最後尾を歩くこの男が三人組のリーダーだ。金色の長髪が陽射しを受けて輝くも、重鎧はそれ以上に眩しい。
隻腕の巨人討伐後、謎の二人組に襲われたが、四人はこの地に逃げ込むことに成功した。
地理的には何十キロメートルも走ったが、殺し合いはつい先ほどの出来事だ。
(うーん、さすがにこんなんじゃ気づいてくれな……あ)
この少年はブカブカかつボロボロな衣服をまとっており、一見すると浮浪者のような装いだが、金欠なだけの傭兵だ。
ウイル・ヴィエン。護衛を雇い、見事目的を果たすも、心は晴れない。魔女に襲われるとは夢にも思わず、彼女らがここの住人でないことが唯一の救いではあるが、心境は複雑だ。
歩きながらも白紙大典を目の前で浮かせ続ける。その理由はある人物を呼び出すためだ。
その目論見は見事成功する。
遠方から真っ赤な髪の女が嬉々としてこちらに向かって走ってきており、血走ったその瞳には真っ白な本しか映ってはいない。
「お久しぶりです! お会いしたかったです!」
「ぐはっ!」
交通事故が発生した瞬間だ。
白衣をまとった魔女が白紙大典を抱きしめるも、その持ち主には興味がないのか、停止が間に合わず激突してしまう。
いかに減速していたとはいえ、その運動エネルギーはウイルを容易く吹き飛ばし、被害者はゴロゴロと転がったその先で死体のように横たわる。
「真紅の髪……か」
ディーシェは冷静だ。紅真紅という単語の意味を完全に理解する。
「しかもすっげー長い。こりゃ、敵さんにそう呼ばれるのも納得だわ」
サキトンも驚きを隠せない。立ち止まり、後頭部をポリポリとかきながらその魔女を観察する。
「うんこしっこ大変そうニャン。あ、回復魔法した方が良さげ?」
駆けつけた女性と吹き飛んだ少年を交互に見比べながら、トュッテは普段通りのペースで状況を受け入れる。
「そ、そこまで重症じゃ……ないです……。ごふっ」
「トマトソースが逆流してるニャン。キュア」
よろよろと起き上がり、口から血を吐きつつも、白い光に癒される。世話しない状況だが、原因はひとえに赤髪の魔女だ。さらに付け加えるのなら、自業自得でしかない。
「ハ、ハクアさん、お久しぶりです。と言っても、二週間ぶりくらいでしょうか」
白紙大典を餌に見事釣り上げることに成功した。その弊害で負傷するも、そのことは無視する。
「あぁ、この温もり。もう手放したくな……、あら、いたの?」
四人に見つめられてもなお、真っ白な本に頬ずりを続ける姿は不気味だ。気にも留めないのか、それよりもこの再会を喜びたいのか、胸中は本人に尋ねるしかないだろう。
ハクア。血のように赤い髪は驚くほど長く、腰のさらに下、太ももに届く位置まで垂れ下がっている。
茶色の普段着の上には白衣のような衣服をまとっており、両眼は当然のように魔眼だ。
「色々と報告したいことがありまして……。うーん、どれから話せばいいのかな」
ウイルは言葉に詰まる。
頭の整理はついているものの、そのインパクトがあまりに大きく、言い淀みたくなるほどには唐突無形な内容だ。
「順を追って説明すれば問題ないだろう。その前に自己紹介しても? 俺はディーシェ、彼に雇われた傭兵です」
「サキトン」
「トュッテですニャン。よろしくニャン」
ユニティ、ラストミラージュ。その三人組が矢継ぎ早に名乗る。
等級四の傭兵ということもあり、その実力は本物だ。武器や防具も一級品ゆえ、ギルド会館でも同業者から視線を集める。
小さな子供の熱意にほだされ、安い報酬で依頼を請け負ったが、結果だけを見れば大赤字だ。食費の類は問題ないが、盾と杖を先の戦闘で失ってしまった。
どちらも一級の宝石以上に高価だ。ただ高いのではなく、その性能は傭兵なら誰もが憧れる。
二つ合わせて千万イールを超える損失ゆえ、手痛い出費だが彼らは後悔していない。
請け負った仕事をやり遂げられた達成感もあるが、代えがたい経験が出来たとに満足している。
まだまだ未熟な、しかし光る何かを宿した傭兵との出会い。
魔女との遭遇戦。
そして、この地への訪問。
そのどれもが刺激的だ。ゆえに武具を失ったことよりも、前向きに今を楽しむ。
好奇心旺盛な傭兵らしい思考回路と言えよう。
「私はハクア……。ここの長として皆を率いています。本来ならばあなた方を招き入れるつもりはなかったのですが、その子に免じて許可します」
魔眼で三人を見定めながら、赤髪の魔女が凛と言い放つ。
だが、白紙大典に頬ずりし続けている時点で威厳など皆無だ。
そんな中、ウイルは礼儀正しく頭を下げる。
「おかげさまで薬を届けることが出来ました。その後の容態までは知りえませんが、きっと治ってくれたはず……。本当にありがとうございました」
エヴィ家の名を手放してまで旅立った理由の一つが母を救うことだった。
その特効薬はハクアが調合してくれたのだから、感謝の気持ちを伝えずにはいられない。
「そう。そして巨人も倒せた、と」
「はい。この人達のおかげです。すごかったんですよ、ディーシェさんが一人で戦ったんですが。あんなに太い腕で殴られても無傷で、しかも最後は……最後は……、あれって何が起きたんですか?」
ウイルは特等席からその戦闘を眺めていた。
しかし、少年の動体視力では攻防を追いきることはままならず、とどめの斬撃に至っては認識すら不可能だった。
「奴の巨体を十の字に斬っただけさ。あぁ、その前に殴りもしたか」
「そ、そうだったんですね! 等級四は伊達じゃないって感じがします」
「俺達の場合、四に上がってからもそこそこ長いからね。まぁ、直後の戦いで情けないところを見せたからな……。素直に喜ぶことは……」
「ぷぷー、おもいっきり吹っ飛ばされてたニャン」
「泣きべそかいてたおまえが言うな。血だらだら流しながら」
四人が盛り上がる一方、ハクアは話の流れに違和感を感じ取り、白紙大典への頬ずりを一時中断する。
「ミファリザドか何かに襲われでもしたの? 苦戦するような魔物とは思えないけれども」
ミファレト荒野に生息する魔物は種類も生息数も限られている。ミファリザドはその内の一体であり、人間サイズの大トカゲだ。迷いの森に隠れ住む魔女にとっては貴重な魔物肉であり、彼女らは食料調達のため、頻繁に狩りへ出向いている。
侮れない魔物だが、巨人族ほど手強いわけではない。ゆえに魔女達も問題なく戦えているのだが、眼前の傭兵は一人を除けば実力者揃い。ミファリザドに後れを取るとは思えなかった。
「実は、ここからが本題でして……」
少年の声のトーンがわずかに落ちる。明るい話題ではなく、そもそも眼前の女性に報告しても良いのか、判断に臆してしまう。
歯切れの悪さが周囲に沈黙をもたらすも、そよ風が森の草木を揺らし、大自然の合唱と新たな雑音が四人の耳に届き始める。
「場所を変えましょう。私の家へ」
ハクアがそう提案した理由は、周囲に野次馬が集まりだしたからだ。
つまりは、傭兵という異物の訪問に気づいた、この集落に住まう人々だ。
子供。
魔女。
男性。
魔眼ではない女性。
老人。
彼らの反応はそれぞれだが、ハクアが相手をしているのだから必要以上に警戒しようとはしない。
「あ、はい。わかりました」
断る道理もなく、ウイルは促されるまま彼女の後をついていく。
その時だった。
「だったら、俺達はここらで帰国しよう。長居をするわけにもいかないだろうしね」
この発言はディーシェだ。先ほどまでのわずかなやり取りの間でいくつもの情報を掴み、それを踏まえてこの場から去ることを選択する。
ウイルとハクアが単なる知り合いではないこと。
その橋渡しが、謎の魔導書であること。
ハクアおよび周囲の視線から、自分達はやはり異物でしかないこと。
そして、眼前の魔女が普通ではないこと。
隻腕の巨人という標的を討伐し、依頼人を安全な場所まで送り届けたのだから、彼らの仕事は完了している。これ以上はただ働きでしかない以上、帰国という判断は間違ってはいない。
もっとも、この提案は仲間に共感してはもらえなかった。
「えー、ここで一泊したいニャン! 血いっぱい流しちゃったから、けっこうぐったりニャン! ご飯もりもり食べてぐっすり寝たいニャン!」
「俺はどっちでもいいぜ。まぁ、せっかくだからここで色々情報集めしてみたいって程度か?」
トュッテは猛反発し、サキトンはどっちつかずだがどちらかと言えば滞在希望派だ。
三人がわーわー騒ぎ出したことを受け、ハクアは大きくため息をつく。
「残念ながら宿なんて大それたものはないけど、空き家ならあるからそこを貸すわ。食事は……、親睦でも深めて誰かから分けてもらったら?」
それを合図に彼女が周囲を見渡すと、小さな子供や大人達がぞろぞろと三人へ駈け寄る。
「お? お? なんだなんだ、やろうってか」
「ニャニャニャー⁉」
この状況が傭兵達を困惑させるも、警戒心はあっという間に霧散する。
「鎧ぴかぴかー」
「鏡みたーい!」
「そこの坊主に続いてまたまた客人か? 珍しいこともあるじゃねーか。やっぱ王国から来たのかい?」
「ねえねえ、綺麗な髪のお兄さん。彼女いるのー?」
祭りのようにわっと花が咲く。
迷いの森には時折傭兵が訪れるも、結界の作用によってこの村にたどり着けることは絶対にない。念のため、精鋭の魔女が侵入者を警戒、監視するも、魔眼は彼らの脱出を見届けるだけだ。
ゆえに、この地の人間にとって外の人間との出会いは無縁だ。それがイダンリネア王国からの訪問者なら、さらにありえないはずだった。
ウイル・ヴィエン。白紙大典という鍵を入手した少年が、そんな常識を覆す。
そればかりか、今回は三人の傭兵を引き連れて再び現れたのだから、喜ぶべきか、警戒すべきか、魔女達は混乱する。
そんな中、歓迎する者も少なくはなく、ハクアの許可が下りたのだから、ディーシェ達が質問攻めにあうのは必然だ。
「ウイル君、ここからは別行動だ。ご厚意に甘えてここで一泊するだろうから、まぁ、また後で」
「あ、は、はい!」
子供達に鎧をペチペチと叩かれながら、ディーシェがウイルに視線を送る。
依頼はこのタイミングで本当に終了だ。今生の別れではないのだから、簡素な挨拶で一旦済ます。
ハクアとウイルは人混みから離れるように歩き出す。目的地は彼女の自宅、一際大きな建物だ。
真っ赤な髪がゆらゆらと踊る後ろ姿を眺めながら、少年は静かに思案する。
(ディーシェさん達もついてきてくれればよかったのに……。あの二人との戦いについてはよくわかってないんだけどなぁ)
これこそが率直な感想だ。
一人が心細いわけではないのだが、ルーフェンとミンクとの攻防は雲の上の出来事だった。
傭兵側が優勢だったのか。
魔女が圧倒していたのか。
それすらも今のウイルには理解出来ない。
(依頼が終わったから……。きっちりとオンオフを切り替えることが傭兵には必要なのかな? あの人達を見てるとそんな感じもしないけど……)
その推察は正解だ。ディーシェがやり取りの半ばで切り上げようとした最たる理由は、全く別のところにある。
見知らぬ人々にもまれながら、その男は静かに二人の後姿を眺める。
(ハクアさん……か。ウイル君、その人は……、その魔女は相当に危険だぞ。今後も縁を持ち続けるつもりなら……、いや、それこそ君が決めるべきことか)
真紅の長髪を垂らした魔女。ディーシェの傭兵としての勘が何かを掴むも、具体的なことは何もわからない。
少なくとも敵ではないのだろう。そう思い込みたいが、それすらも難しい理由は、魔眼の奥に見え隠れする野望のせいか。
なんにせよ、今考えなければならないことは別にある。
「夕食はどうしたものか……」
背負い鞄の中には少ないなりに携帯食が残っている。それを食べても良いのだが、せっかく魔女の里を訪れているのだから手料理の類を食べたいと思ったとしてもわがままではないはずだ。
それを裏付けるように、周囲の面々が嬉しそうに食いつく。
「お、ならウチに来るかい?」
「お兄さんなら歓迎よ~。色々お話聞かせて」
「一緒にお魚釣ってそれ食べようよ!」
どうやら食い逸れることはないらしい。
招かれざる客人ではあったが、敵意がないと理解してもらえたのなら歓迎してもらえる。そのことを肌で感じながら、ディーシェ達は質問攻めに会い続ける。
「お兄さん達って強いのー?」
「三人の中で一番って誰ー?」
「これちょーだい」
「や、やらねーよ! ミスリルダガーだぞ、これ! いくらしたと思ってんだ!」
「ちょっ、太ももパンパン叩かないでニャン!」
「あはは、変な喋り方~」
彼らにとっても、彼女らにとっても、この時間は非日常の一コマだ。
森の中に隠された、魔女の村。
そこを訪れた、イダンリネア王国の傭兵達。
そこに住まう、魔物と決めつけられた魔女とその家族。
本来ならば出会うはずのない両者が、不思議なきっかけの果てに邂逅した。
それだけのことだ。
それだけながらも異常な状況だ。
だからこそ、盛り上がらないはずもない。
寄り付かない者もいる。
未だ警戒し続ける魔女もいる。
それでも、三人と一人は迎え入れられる。
この時代に、人間同士で争っている場合ではないのだから。
◆
「なんか泥棒がいたんだけど」
「え、こわい……。いやいや、ハクアさんのご自宅に入り込むコソ泥なんかいるわけないじゃないですか」
「こいつ」
「もぐもぐ」
「エルさん⁉」
ここはハクアの自宅の居間。最も大きな居住空間であり、壁際のタンスやキャビネットは古めかしいが年代物ゆえ当然だ。
奥の机とそれを囲うような多数の本棚はひと際目を引くが、そこは彼女の研究スペースをなしている。
本来ならば二人っきりでの話し合いが始まるはずだったが、不届き者の出現により状況は一変する。
「おぉ、久しぶりだねー、もぐもぐ。あれ、少し痩せた? もぐもぐ」
「足治ったんですか? というか、食べるか話すかどっちかにしてください」
感動の再会が台無しだ。
エルディア・リンゼー。片腕の巨人と相対した際、右足を噛み千切られ、体も潰されかけた。再起不能となった彼女だったが、迷いの森まで運ばれた後、ハクアが所持する魔道具によって右足の再生治療を受けることになった。
猫のように首根っこを掴まれ、連行された犯人。現行犯での逮捕により情状酌量の余地はないのだが、本人に悪気はなさそうだ。
リスのように頬を膨らませ、一生懸命何かを頬張っている。茶色い髪は整っており、毛先が鎖骨の上で内側にカーブするそれはミディアムボブという髪型だ。
普段着代わりの鎧は脱ぎ去り、黒色の薄着と紺色のロングスカートで着飾っている。
被害者はため息と共に手を放すと、顔をしかめずにはいられない。
「昨日の今日で、もうこんなに歩けるなんて。本当に傭兵という連中は理解し難い」
「えへへー、それほどでもー」
「嫌味よ嫌味。安静にしてなさい……」
ハクアはこめかみを押さえながら再度台所へ向かう。客人に飲み物を提供するためだが、彼女の悲劇はここからが本番だ。
「な、パンが全部なくなってる! 私の夕食が!」
そんな悲鳴が家の中を駆け巡るも、それを無視してエルディアが楽しそうに口を開く。
「聞いたよー、お薬届けに一人で戻ったんだってー? すごいじゃん」
彼女が驚くのも無理はない。その行為は無謀かつ困難な挑戦だからだ。
迷いの森とイダンリネア王国は遠方ゆえ、朝から晩まで歩き続けたとしても二週間以上はかかる。
ましてや、道中は魔物がひしめいているのだから、軍人や傭兵以外はあっという間に殺されてしまうだろう。
体力的にも精神的にも擦り切れるはずだが、ウイルは見事やり遂げてみせた。
「天技と魔法があったからで、僕自身はたいしたことないですよ」
「んなことないない。というか迷子にならなかった? 地図あっても大変だったでしょー。特にケイロー渓谷とか」
「あ、その点は大丈夫でした。というか、帰りは地図見なかったです。一度歩いた道は覚えてますし、地図も頭の中にインプット済みです」
「え、すご……」
空間認識能力。地図と照らし合わせて自分の現在地を正確に把握する素質を指すのだが、ウイルのこれは非常に突出している。そこに高い記憶力、つまりは地図の暗記があわさることで、少年は迷うことなく王国へ帰還してみせる。
傭兵歴の長い彼女でさえ、驚きを隠せない。
「右足はもう完治されたんですか? 見た目的には……、というかハクアさんちで盗み食いしてる時点で大丈夫か」
「うむ! 昨日から歩き始めたんだけど……、いや~、ビックリしたわぁ。右足で床ペチペチ踏んでも全然感触なくてね。え~と、足が痺れた時みたいなフワフワした感じ? だから最初は全然立てなくて」
エルディアの失われた右足は問題なく再生された。ハクアの倉庫に保管されていた水槽型の大型魔道具がそれを成したのだが、それで治療完了というわけではない。
次のステップ、つまりはリハビリが必要だ。
骨、肉、脂肪、皮、爪、そして神経が蘇るも、それを従来通りに動かせるわけではなく、赤ん坊が二本足で歩けるようになるまで時間がかかるように、彼女もその部位を労わりながら少しずつ慣らすしかない。
そのはずだったが、翌日、つまりは今日時点で自由に歩けている。その足でハクアの夕食を盗み食いしたのだが、取り押さえられるよりも先に完食してみせた。
驚異的な回復力だ。
根性なのか、体力のおかげか、傭兵だからなのか。なんにせよ、彼女はすっかり元通りだ。
(トカゲかな? って、そんなこと言うとデリカシーなさすぎるからやめておこっと。あ、そういえば……)
ウイルは思い出す。エルディアに伝えなければならないことを。
「あの巨人なんですが、ギルド会館で出会えたディーシェさんに倒してもらえました。実は、つい先ほどのことで……、いや~、すごかったです。あ、ディーシェさんは三人組のリーダーさんで、皆さん等級四でとても強いんです」
思い返すだけでも鼻息は荒くなる。
エルディアでさえ敵わなかった強敵を、その傭兵はまばたきの内に切り伏せてみせた。
傭兵の世界に足を踏み入れたばかりのウイルだからこそ、その実力には魅入ってしまう。
しかし、この瞬間、思い知る。エルディアのための敵討ちが、結果的には間違いだったということを。
「そっか~、倒されちゃったか、残念。いつかリベンジしたかったんだけど、やむなし!」
これこそが彼女の本心だ。
負けた。
ならば、次は勝ちたい。
相手が雲の上の存在であろうと、いつかは勝ってみせる。
遊び感覚のような危険極まる思考だが、エルディアという人間は既にどこか狂っている。
否、傭兵ならば普通なのかもしれない。
どちらにせよ、再戦が叶わないとわかった以上、落ち込みはしないが残念がる。
そして、礼を言うこともない。感謝していないのだから当然だ。
ウイルもついに把握する。エルディアの人間性と、そんな彼女の隣にいるためには、何が必要なのかということを。
(これが……エルさんなんだ……。猪突猛進に突き進むのは結果的にそう見えるだけで、本質は魔物と戦いたいから……。で、その結果負けたとしても再戦を望む。いや、勝ってみせるという気概を持ち続けるというか、心が折れないのか。僕とは全然違うな)
強い女性だ。心も体もまさしく傭兵であり、元貴族の子供とは似ても似つかない。
(僕が間違っていた。僕は傭兵なんだ。傭兵になったんだ。だったら……、うん、強くならなくちゃ。エルさんと同じくらいに……。いや、もっと……、もっと!)
ウイルもついに見つける。
新たな人生の目的。それは、エルディアの隣に立ち続け、彼女を守ること。
そのためにはなにもかもが不足している。
経験。
知識。
そして、実力。
もっとも、それは仕方がない。
なぜなら、まだ十二歳の子供だ。
傭兵にはつい先日なったばかりだ。
ならば、ここから始めればよい。急ぎの用事は無事完遂出来たのだから、明日からは目的に向かってまい進する。
エルディアが高い水準の傭兵であることは間違いない。並の巨人族なら一人で倒せてしまうのだから、等級四に昇級することすら可能だ。
それでも足りない。
全く足りていない。
彼女が今後も己の欲求に突き動かされて魔物に立ち向かうというのなら、いつの日か必ず殺される。
その時に、誰かが隣にいたのなら、その命が散ることはないのかもしれない。
大層な願望だ。
夢物語だ。
それでも諦めない。
諦めるつもりなどない。
そうしたいと思ってしまったのだから、この少年はどこまでも突き進む。
ウイル・ヴィエン。十二歳の、小さな傭兵。
母親を救えたことも、ここまで来れたことも、傭兵になれたことも、全てがエルディアのおかげだ。
ならば、今後の人生はそのために使う。
愛情ではない。
友情でもない。
感謝の念だ。
恩を感じ、恩を返したい。
そのためには強くならなければならない。
子供じみた目的であり、漠然としている。そのための道筋すら見つかっていない。
どうすればよい?
先ずはそこから考える。
魔物を狩り続ければよいのか?
素振りを続ければよいのか?
体が悲鳴をあげるほどの運動を続ければよいのか?
全てだ。
全部行う。
だが、まだ足りない。
全く追いつけない。
エルディアという女性は遥か先に立っている。
そこに至るための最短距離を、一日でも早く見出したい。
それすらも困難だが、諦めたくないという想いに突き動かされ、少年はこの場所から歩き始める。
光流暦、千と十一年。
舞台の上でスポットライトに照らされながら、ウイル・ヴィエンは静かに立ち上がる。
◆
日没後、そこは完全な暗闇に飲み込まれる。夜空には星々と欠けた月が輝くも、光量は心もとなく、住人達は我が家で小さな灯りに身を寄せて、今日という一日に別れを告げる。
草木や猫達も既に夢の中だ。
夜行性の昆虫が静かな合唱を奏でるも、雑音ではないのだから眠りを妨げることはない。
普段は一人っきりのその家は、今晩は珍しく騒がしい。客人が二人も訪れており、遅い夕食を終えた頃合いゆえ、雑談は盛り上がる一方だ。
「溺れるかと思ったわけよ。だから、思わずグーパンチ!」
透き通る声はエルディアだ。茶色の髪を楽しそうに揺らしながら、ケタケタと笑い飛ばす。
「驚いたのはこっちよ……。読書の最中に倉庫からパリンってガラス音が響いたんだもの。魔道具が壊れたのかと思って駆けつけたら、水浸しのあんたが口から滝のように培養液を垂れ流しながらこっちをじっと見てて……。四つん這いだったから、ちょっとしたホラーだった」
ハクアはコップを手に取り、愚痴るように感想を述べる。
これは昨日の出来事だ。エルディアの右足が復元され、意識を覚醒させるも自身の状況を把握出来ず、彼女は水槽の中で命の危機を感じ取り、自慢の拳を繰り出した。つまりはそういうことだ。
「いや~、ビックリしちゃったゼ」
「どの道、あれは一度しか使えない。壊しても構わなかったけど……。まぁ、成功してくれて良かったわ。盗み食いは許さないけど」
(ハクアさんってけっこう根に持つタイプなのか)
病み上がりだろうとエルディアは元気だ。
対するハクアだが、腹を立てるほどではないものの機嫌は若干傾いている。夕食を食べられてしまった結果、急遽、部下にミファリザドの肉を調達させ、その解体および調理を突発的に取り掛かったのだから、騒がしい午後となってしまった。
ウイルは二人のやり取りを無言で眺める。
肉づくしの料理はエルディアには好評だったが、少年の胃袋は若干もたれてしまう。原因はその量だったのかもしれないが、どちらにせよ今はゆっくりと過ごしたい。
「パン、美味しかったゼ!」
「こ、こいつ……!」
悪気はないのだが、その言動が赤髪の魔女を煽ってしまう。
食べ物の恨みは怖いということをこの傭兵は知らないわけではないのだが、そう言いたくなるほどに盗んだパンは美味だった。
「道中は干し肉と味気ないパンばかりでしたしね。あ、ミファリザドのお肉も美味しかったです。ちょっと硬かったけど」
イダンリネア王国の国民は舌が肥えている。この地の魔女とは異なり、食べるものに困ることはないからだ。
東の大海からは魚類が。
南方の村からは新鮮な野菜や果実が。
そして、傭兵や軍人からは魔物の肉が供給されるのだから、食べたい料理を腹いっぱいに食べられる。
ましてや、この少年は元貴族だ。贅沢な食事を肥えるほど食してきたのだから、味の差異には敏感になってしまう。
「あれくらいで硬いとか言っちゃったら、この先困っちゃうよ~。私なんか、空腹のあまり石に噛り付いたことあるし」
(アホがいる)
(それはちょっと……。うん、僕はそうならないよう気をつけよう)
自慢気なエルディアを他所に、二人の反応は素っ気ない。そもそも見習うことなど出来るはずもなく、反面教師が限界だ。
「……で、さっきの話をぶり返すのだけど、魔女に襲われたって?」
ここからが本題だ。ハクアの魔眼が真っ赤な前髪越しに少年を捉える。
ウイルがディーシェ達を引き連れてミファレト荒野に向かったこと。
憎き巨人の討伐に成功したこと。
その直後、二人の魔女に襲われたこと。
ここまでは説明済みだ。
今はディーシェ達とは別行動中ゆえ、ウイルは一人で伝えなければならない。
「はい。名乗ったわけではないのですが、やり取りから名前を知ることは出来ました。背の高いお姉さん的な方がルーフェン、その人より少し年下なのかな? 短剣の使い手さんがミンク。二人とも、ハクアさんと同じ瞳をしていました」
「そう。まぁ、魔女で間違いないでしょう。それで?」
「うんうん、どうなったのどうなったの?」
(なんでエルさんがこんなに食いつくんだ……。あぁ、どんな戦いが繰り広げられたのか興味津々なのか)
エルディアとて、魔女と戦った経験などない。言い換えるなら人間同士の殺し合いでしかないのだが、それだけでも十分好奇心を刺激されてしまう。
「タビヤガンビットでいきなり襲われたんですが……。あぁ、そんな細かいことはいいか。ディーシェさん、サキトンさん、トュッテさんが迎え撃って、あっという間に膠着状態になったんですが、その時に色々聞きだすことに成功しまして……。その一つが、二人は紅真紅を殺しに来たと言っていました」
「べにしんく~? 食べ物か何か?」
「どう考えても私のことでしょ。少なくとも話の流れから食べ物ではない。そんなこともわからないの? それとも冗談? どっちなの? 私にもわかるように教えて」
「エルさんは、まぁ……。年の割にアレなので……」
「ん? 二人から言葉という暴力で殴られてる?」
ハクアは何百年も生きており、その頭脳は人並み外れている。
一方、ウイルはまだ十二歳の子供だが、中退ながらも学校という教育機関に通っていたことから、教養は平均以上だ。
そんな二人と比べれば、エルディアは大人なれど劣ってしまう。傭兵ゆえに頭が悪いはずはないのだが、残念ながら落第点だ。
「僕は最初、その二人がここ、迷いの森の人達だと思ったんです。だけど、そいつらはこう言ったんです。おまえらは紅真紅の手下だろう、と。そしてこうも言いました。派閥が違うから何も教えない、と」
ウイルの発言を受け、夜に相応しい静寂が訪れる。
考え込むハクアと、口が半分開いたまま動かないエルディア。片方は何も考えていなさそうだが、事実そうなのだから仕方ない。
そんな沈黙は、最も幼い子供によって破られる。
「今回現れた二人組はこことは異なる勢力の魔女。そんなことがありえるんですか? いや……、至極当然のこと……か。魔女は人間、なら、ここにしかいないはずがない」
「ええ。その認識で正しい。私の知識も随分古いけれど、ここ以外にも最低二か所の集落が存在するわ。何百年も足を運んでいないから、今も存続しているのか……」
未知数だ。魔物がはびこるこの世界において、魔女は一際生存が難しい。イダンリネア王国からも狙われている以上、常に絶滅と背中合わせだ。そんな彼女らが、自分達の村を何百年も守り通せるとは思えず、ハクアは唸ることしか出来ない。
一方、ウイルは思考を巡らせながらも口を開く。
「二人組がこことは別の場所からやってきた。それはまぁいいとして、最も理解出来ないこと。それは、なぜハクアさんの命を狙っているのか? とにもかくにも、この一点に集約されます」
その疑問は当然だ。
魔女同士が殺し合う。そんな行為に利点などあるはずもなく、少なくとも共通の敵を抱えている以上、手を取り合うべきだ。
コップを掴み、水で喉を潤すも、眼前の魔女は黙ったまま。ゆえに、少年は返答を待ち続ける。
「……長いこと生きてきたから、どこかで誰かに恨みでも買ったのかしらね。正直、どうでもいいし興味もない。今回はあなた達が追っ払ってくれたようだけど、また凝りもせず現れたとしても、ここの結界がそいつらを私達から遠ざけてくれる。だから何も問題ない」
「そ、そうかもしれませんけど……」
ハクアは心底つまらなそうに言い切る。自分が狙われているにも関わらず、臆することもなければ怯みもしない。関心を抱く素振りすら見せようとはしない。
そんな仕草にウイルは違和感を抱きながらも食い下がろうとしたが、言葉が続かなかった以上、渋々と口をつぐむ。
家の外は夜に相応しい黒色だ。
対して室内は壁掛けランプのおかげで煌々と明るい。
それでも、ウイルとハクアの雰囲気は重く、先ほどまでの騒がしさもどこかへ消え去った。
「ねーねー、その二人って私より強そうだった?」
空気を読んでか読まずにか、エルディアが楽しそうに問いかける。
この件においてそのことは重要ではないはずだが、傭兵として気になって仕方ない。
「う、そうですねー……。遠回りな言い方になってしまいますが……」
前のめりな彼女に戸惑いながらも、ウイルが言葉を選ぶようにゆっくりと推測を重ね始める。
「あの巨人を、ディーシェさんは赤子の手をひねるように倒してしまいました。そのディーシェさんが慎重にならざるをえなかった相手が、二人組の魔女……」
「ふむふむ」
「多分ですけど、二人はどちらもエルさんより上……かと思います」
精度は不明なれど、少年はこう結論付ける。未熟なりにも状況だけを切り取って導いた予想だが、多少なりとも説得力はあり、エルディアは納得しながらも唸るしかない。
「くぅ、そっかー。これはあれだね。私もウイル君も精進あるのみ! ふっふっふ、お姉さん張り切っちゃうぞ~」
「ですね~。最近、やっと体力ついてきたから、そろそろ魔物を狩れるようになりたいです。もっともっとがんばって、いつかはエルさんに追いついてみせます」
「ガハハ、言うねー。じゃあ、帰り道はどんどん魔物倒していこー」
「お、お願いします!」
傭兵二人が盛り上がる。
強くなりたい。
魔物と戦い。
そんな欲求が根底にある以上、この話題は彼らに適していた。
そんな二人をしり目に一人黙り込むハクアだが、胸中は穏やかではない。
(い、意味がわからない。格上の魔物に殺されかけたのに……。同業者に実力の違いを見せつけられたのに……。そんな連中と渡り合える魔女がいると提示されたのに……。なぜ、くじけない? どうしてめげないの? しかも、こいつに至っては追いついてみせる? 全ての戦闘を目の当たりにしたにも関わらず……)
理解出来ない。この魔女にとって、目の前ではしゃぐ傭兵は空想の存在だ。
なぜなら、彼女とは全く異なる思考パターンで物事を捉えている。
それと相対した際、彼女は心底怯え、逃げ出すことを選択した。それ自体は賢明な判断のはずだが、以降も敵わぬと決めつけ、完全に諦めてしまっている。
ウイルとエルディアだが、逃げ出した後が異なる。今は勝てない。そう判断しつつも、いつかは越えてみせると奮い立つ。
単なる無知なのかもしれない。
恐れ知らずなだけかもしれない。
どうであれ、諦めないという意思の強さは本物だ。
この瞬間、ハクアはあの時のやり取りを思い出す。
もう、探さなくていいかナ。
あのコドモに決めたんダ。
キミこそわかってないネ。あのニンゲンは普通じゃなイ。
(そういう……こと。奴はこの子の深い部分まで見抜いていたのね。心の強さ。諦めない強さ。頑固なだけだと思っていたけど、ううん、事実そうなのかもしれないけど、少なくとも奴に魅入られるだけの何かがある、この子には)
ハクアはウイルを認めたくはない。白紙大典を横取りされたようなものなのだから、殺したいほど憎んでいた。
楽しそうな喧騒を他人事のように聞きながら、静かにうなだれる。自分の立ち位置が見いだせず、言うなれば路頭に迷ったような気分だ。
(マリアーヌ様……。私はどうすればいいのですか? あなた様に、もう一度触れられたいだけなのに……)
凛とした魔女が涙ぐむ。
悲しい。
寂しい。
自分が情けない。
様々な負の感情が彼女の心を支配する。元をたどれば後悔の念に行きつくのだが、背負った使命はどこまでも重く、もはや一人だけは立てそうにない。
その時だった。
「お姉さんしてるなぁって思ってたけど、すーぐクヨクヨするところは千年経っても変わってないのね。ハクアらしくて素敵だけど」
四つ目の声が部屋の中で生まれた。
ウイルとハクアはその人物を知っており、エルディアだけが目を丸くする。
「誰~?」
「あれ? エルさんにも聞こえたんですか?」
「ま、まさか……」
その声の発生個所は目の前だ。
三人が囲うテーブルの上。片隅に置かれた、純粋無垢な無地の古書。普段は少年の内側に滞在するも、今はわがままな魔女によって確保されており、その証拠に彼女の右手はすぐそばだ。
「千年ぶりぶり。あ、ウイル君もちょっとだけど久しぶり。隣のエルもこの子を通して見てたよー。くぅ、おっぱいでかい!」
白紙大典。ハスキーながらも澄んだ声質のそれが、契約者を介さずに言葉を発してみせる。
それと同時にゆっくりと浮かび上がった以上、ハクアとて取り乱さずにはいられない。
「お、お話……! 出来るのですか?」
「そーみたい。ぐっすり眠ったからかな? それとも、ウイル君が成長したから? 詳しいことはわからんちん。ところでさー、エルって普段何食べてるの? 見てた限りだと干し肉ばっかりかじってたけど。あ、だからそんなにおっぱい育ったの? 教えて!」
慌てる旧友を他所に、その本はエルディアに釘付けだ。話し相手はウイルに限定されていたため、これ幸いと疑問をぶつけ始める。
「えー、どうだろー? 私、どちらかと言うと肉より魚の方が好きだしなぁ。でも、確かに肉ばっかり食べてるかも……。どう思う?」
「知りませんって。栄養を考慮してキノコとかも狩りましたけど、振り返れば干し肉とパン尽くしでしたし。というか、白紙大典、元気になったと思ったらおっぱいって。ハクアさんが泣きそうだから、その話題は後にして」
少年の指摘はもっともだ。今すべきお題目ではなく、単独で話せているという事実は一旦棚に上げ、この好機を活かすことから始める。
涙ぐみ、眼前のそれで両手を伸ばすハクア。紅い髪は彼女にとっての自慢であり、褒められたからこそ、そして伸ばした方が似合うとアドバイスをもらえたからこそ、この長さだ。
運命の再会を喜ぶ光景はとても美しいが、ウイルとエルディアは感動しきれない。つい先ほどまで乳の大きさがどうこうという俗物的なやり取りをしていたためだ。
「マリアーヌ様……、お話しとうございました」
「元気にしてるー? なーんか偉そうにしてたというか、クールぶってたけど、超似合ってなかったよ。プププーって感じ」
「や、止めてください、もう」
仲睦まじいやり取りゆえ、本来ならば心温まるはずだが、直前の会話が感情移入を阻害し、ウイルはもやもやを募らせる。
(僕は何を見せられているんだ。これがハクアさんの素なのかもしれないけど……。かたや、おっぱいおっぱいうるさかったし、うん、黙って見てよっと)
コップに手を伸ばし、口に運ぶ。食後ゆえに喉が渇いているわけではないが、他にすることもないため、喉を潤しながら沈黙を選ぶ。
「やーっとこさ、こうして自由に話せるようになったんだし、ちょっくら教えて。とりあえず、火の因子が戻ってる理由からー」
火の属性が白紙大典に宿っていたからこそ、この本はウイルにコールオブフレイムを与えることが出来た。
しかし、この状況は彼女にとって不都合でしかない。なぜなら、本来ならありえない事象だからだ。
「マリアーヌ様が眠りについた後、その、逃げ延びた我々は未知の魔物と遭遇しまして……。王の加勢もあり倒すことには成功したのですが……。その結果、火の魔力が戻ってしまいました」
「んー、どゆことー?」
「王曰く、各地に封印した魔力が大地に溶け込み、魔物と化してしまった。もしくは、そこの魔物と融合したのか……」
「なーるほど。よくわかんないけどわかった! んで、本題はむしろこっちなんだけど、じゃあ、土の因子は? なんか、ストーカーみたいな魔物が持ってたよ? しかも、私のことを知ってったっぽいし。まぁ、おもいっきり奪い返したけど」
勝ち誇るように笑う白紙大典だが、話の内容は重要だ。それを唯一わかっているハクアだけが、表情を暗くする。
「奴は……、あの女の手下です。単独で土の魔物を倒し、偶然にも手に入れてしまいました。その結果、あの女の封印についてもロジックがばれて……しまいました」
「ふーん。あれ、それってやばくない? あいつの封印が解けちゃうってこと?」
「時間の問題かと……。あ、ですが、まだ大丈夫です! 大丈夫……なはずです。奴とはそういう協定を結んでいますので」
「んあ~、頭がパンクしてきた。あー、そういえばハクアの名前も叫んでたような……。もう、何もかもがわからんちん!」
(その言い回し好きなのかな?)
(わからんちん。わからんちんち……、このまま黙ってよっと)
部外者は黙り続ける。ウイルだけは当事者なのだが、話題の根幹については何も知らされていないため、他人事のように見守る。
「奴は、奴の名前はオーディエン。おおよそ三百年前に現れた、不可解な魔物です。これの目的は、もちろんあの女を解き放つこと。ですが、理解出来ないことが二つあります……」
「と言うとー?」
「一つは、我ら魔女には敵対せず、むしろ協力的でさえありました。もう一つは……、その、私と目的が合致していることです」
「目的ってー?」
「あの女を殺せるほどの人間……を見つけ出す」
この発言が白紙大典を黙らせる。飄々とした態度が彼女の標準だが、今回ばかりはふざけてはいられない。
それほどに、話の内容が重大だった。
「私の封印は永遠のはずだったけど、そうもいかないようだし……。うん、そっちに舵を切らないと駄目そうねー。ふ~む、、今の時代はそういう事態に直面してるのか。あー、もしかして、私だけぐっすりってわけにもいかないから、この子に叩き起こされたのかな? なーんちゃって、ちょっとロマンチックだったかな」
「ふふ、マリアーヌ様っぽいです」
緊張した空気が少しだけ和らぐ。他愛ないやり取りだが、彼女らにとっては千年ぶりな以上、この時間はまさしく至上な瞬間だ。
「オーディエンってのは敵じゃないってこと?」
「い、いえ……。奴は王国の人間を数え切れないほど殺しています。最近は大人しいのですが、それでも何やら動いているようで……」
炎の魔物、オーディエン。その正体は不明だ。面識があるハクアでさえ、これの真の目的は掴みかねている。
「あの~、横やりのようで申し訳ないんですが……」
黙り続けることを選びたいウイルだが、一点、どうしても確認したいことがある。ゆえに困り顔のまま、ゆっくりと口を開く。
「先ほどからハクアさんが口にしている、マリアーヌって……。白紙大典の本名なんですか?」
「そだよー。あれ、言ってなかったっけ?」
「初耳です」
「だはー。めんごめんご。マリアーヌです、よろしく! あ、今まで通り、白紙大典でもオッケーよ」
(なーんか、ノリについていけないなぁ。地下倉庫で出会った頃は……、あぁ、なんとなく、そんな片鱗は見せてたか)
思い返したところで、この本は初めからそういう存在だった。話せる時間が長いか短いかの差はあるものの、性格は変わっていない。
(あれ? もしかして、今後はこの口調でダラダラと話しかけられちゃうの? 四六時中? だとしたら、すっごくしんどそう……)
ウイルと白紙大典は今までも会話そのものは交わしてきた。覚醒していられる時間がごくわずかだったことから、一言二言で終わっていたのだが、起床時間が延長されたとしたら、少年の懸念事項は現実のものとなる。
「マリアーヌ様、私からも一つよろしいでしょうか?」
「うんー?」
ハクアが身を乗り出して問いかける。
「あの女の封印を解き、今度こそ殺しきることは可能でしょうか? そんな人間が見つかるでしょうか?」
再び、静かな時間が訪れる。白紙大典にも即答は出来ず、ウイルとエルディアに至っては意味不明なやり取りだ。
(さっきから話題になってる、あの女……。いったい誰のことだろう? というか、人間なんだよね、きっと。なのに、まるで魔物のように扱っている。僕達が踏み込んでもいいことなのかな?)
(やば……、眠くなってきた。軍時代の授業を思い出すわ、これ……)
それぞれがそれぞれの立場で思考を巡らせる中、白紙大典が空中で静止し、ハクア達の視線を独占する。
「知らん。探せば一人くらいはいるんじゃなーい?」
気の抜けた意見だが無理もない。ハクアの問いかけは漠然過ぎており、寝起きの彼女には難題過ぎた。
「……もう何百年も、探し続けてきました。ですが、一向に見当たらないのです。王を越えるほどの逸材なんて、どこにもいないのです。もしかしたら、二度と現れないのかも……」
願うように、そして、絶望するように、赤い髪を垂らしながら言葉を紡ぐ。この魔女にとって、生きることは贖罪であり、許しを得るためには絶対的な強者を見つけ出さなければならない。
しかし、見つからない。
見つかるはずもない。
それほどにそのハードルは高く、かと言って妥協も失敗も絶対に許されない。
困難な道のりだ。
ゴールにはたどり着けないのかもしれない。
心は既に折れており、それでも彼女の天技が彼女自身を生かし続ける。
「今のハクアならどう? 倒せるんじゃない? だいぶ強くなってそうだしー」
「い、いえ……。鍛錬は積んでおりますが、それでもまだまだだということは承知しています。あの戦いはこの目で見ておりました。私では、とても……」
諦めている。
己をわきまえている。
だからこその結論だ。
長寿という利点を活かしたところで、届かないものには届かない。オーディエンという化け物に負けないよう、努力だけは怠らなかったが、目標地点には遠く及ばない。
才能なのか。
鍛錬の仕方なのか。
心の持ちようなのか。
何にせよ、宿敵の討伐など夢のまた夢でしかない。
「確かにめっちゃ強かったもんねー。というか反則? だから封印したのになぁ。まさか、その内解かれちゃうなんて、人の苦労も知らずに。ま、時間稼ぎが出来ただけでもよしとするか!」
一人で納得し、白紙大典はまたも笑いだす。そのポジティブさと明るさが他者を引き付けるのだが、ハクアもその一人だった。
「あのー、何度も申し訳ないのですが……」
二人の話に耳を傾ける際、どうしても知っておかねばならない情報がある。ウイルはそれについての知識がないため、やはり問わずにはいられない。
「ほいほい?」
「封印されてる、あの女って、何者なんですか? なんかすごく強い人ってことはわかるんですけど……」
ハクアを悩ませる最大の懸念材料であり、白紙大典がこの世に存在し続ける理由でもある。
「あなたは関わらなくていい。そんな資格はないのだから」
「は、はいぃ……」
(まさか叱られるとは、しょんぼり。だったらもう寝ちゃおうかな……。隣で居眠りしてるエルさんのように!)
眼前の議論に参加すらさせてもらえず、少年は落ち込みながら不貞腐れる。
エルディアは椅子に座ったまま、すっかり熟睡中だ。
それを見習い寝てしまいたいが、ここはハクアの自宅、少し歩けば布団にたどり着く。話し声は届くため、少々やかましいが、そこでなら眠れるはずだ。
「ふーん、私が選んだ男の子にそんなこと言っちゃうんだー。そっかー、そうなんだー」
「あ、い、いえ、それは……」
高慢な態度は一瞬で砕かれる。
ふんぞり返る白紙大典と、委縮する魔女。その構図は、先ほどのハクアとウイルそのものだ。
「昔はもっと可愛げがあったのになぁ。今じゃ、こんな子をいじめるようになっちゃって。幻滅しちゃうなー」
「ち、違うんです! ま、巻き込むわけにはいかないじゃないですか……。だから……」
この集落の長であろうと、千年を生きる長寿であろうと、彼女はこの本にだけは頭が上がらない。そういう力関係であり、それはどれほどの月日が経とうと決して変わらない。
色褪せることはない。
「おー、よしよし。ごめんてー」
「うぅ、いじわるしないでください……」
(ハ、ハクアさんが泣いてる! ショッキング過ぎて反応に困る!)
涙ぐむハクアと、そんな彼女に寄り添い慰める白紙大典。
摩訶不思議な光景にウイルは目を丸くするも、当然ながら黙る以外の選択肢は見当たらない。
「ふふ、そういうところはやっぱり変わってないね。髪の毛ハムハムしたくなる」
「痛っ! 耳まで挟んでます!」
「あ、めんごめんご」
ページを開き、赤い髪だけを挟み込むつもりが、ハクアの耳までパクリと咥えてしまう。本という形状ゆえ、そういう動作は少々苦手だ。
「というか、ハクアさんって四百歳じゃなくて千年も生きてるんですね。エルさんもサバ読みますし、まぁ、そういうもんなんですかね」
くだらない茶番を眺めながら、少年が疑問をぶつける。
以前、ハクアは自分の年齢を四百歳とうそぶいたが、ここでのやり取りがそれを否定した。
その差異に意味などないように感じながらも、ウイルとしては正確な年数を確認したい。
「うん、私達、千歳越えー。だけど、身も心もキャピキャピ! あ、私の体、本だった!」
ふわふわと浮かびながら、白紙大典は楽しそうに笑う。彼女が言う通り、精神年齢にそこまでの深みはないようだ。
「千年って言ったら、王国の建国当時ってことですよね。すごいなぁ、昔はどんな感じだったんですか?」
「普通だよ。朝から晩まで、ずっと巨人族と戦ってたけど」
(それは普通とは言わないんだよなぁ……。今ほど平和じゃなかったってことなのかな。巨人戦争の真っ只中だろうし)
巨人戦争。人間と巨人族との間で勃発した、一つ目の大規模戦争だ。争い自体は建国前から始まっていたが、人間側が後の初代王を中心に結束した結果、王国は作られ、軍隊が編成された結果、巨人族を打ち負かすことに成功した。
この出来事は光流暦千十一年においても伝承として語り継がれており、ウイルも絵本や伝記、歴史の授業にて履修済みだ。
「あれ、もしかして、お二人って巨人戦争に参加されたんですか? って、さすがにそれはないか」
少年は自分の発言に失笑してしまう。王国の人間にとって、その戦争はまさしくおとぎ話であり、登場人物に至っては神格化されている。
彼女らがいかに千年という時代を生き抜いていようと、それだけはありえない。
「私達、王様に同行してたよー。けっこう活躍したんだゼ! あ、今のエルっぽい。うつっちゃったかな。あはは」
再度、笑い出す白紙大典だが、その発言がウイルの思考を停止させる。
にわかには信じ難い。
しかし、嘘とも思えない。
状況把握が追い付かないため、頭と体が硬直してしまう。
「懐かしいですね」
「そだねー。まぁ、私はずっと寝てたから昔って感じじゃないんだけど。って話が右へ左へ逸れちゃったね。何の話してたっけ? あ、エルのおっぱいだっけ?」
「違います。あれ、私も思い出せない……」
魔女と魔導書が首を傾げる。ウイルの問いかけによって脱線してしまったからだが、軌道修正もその少年によってなされる。
「誰かを探すって話でしたよね? 強い人とかなんとか……」
「あぁ、そだったそだった。今の王様とかはどうー?」
「話になりません。この時代の王族も超越者ではあるのですが、その力はあのお方に遠く及びません。だったらまだ四英雄の方が……あ……」
「四英雄?」
白紙大典は知らない。当時のことはわかっても、今という時代については無知に近い。
ゆえにウイルが補足する。
「初代王と共に、巨人戦争で活躍した英雄の末裔です。最終的に生き残ったのは、王と四人の英雄だけ……、あれ? ハクアさんと白紙大典は?」
そして少年は気づく。彼女らの証言と伝承に差異が生じているということを。
「あー、それは気にしないで、色々あったの。ごめんだけど、今は忘れてちょうだい。後でハクアのおっぱい触らせてあげるから」
「え、ちょっ⁉」
「わかりました!」
「おい!」
交渉成立だ。
疑問は胸にしまい、眼前の胸を眺める。白衣は脱いでおり、麻色の薄い生地が滑らかな曲線を描いている。エルディアと比べてしまうと小ぶりだが、だからと言って小さいわけでもない。
「というわけで、私達の使命は人探しってわけかー。どうしたものか……」
「マリアーヌ様⁉ 当然のように話を進めないでください! お、おまえもじろじろ見るな!」
「その四英雄の中にはすごい人がいるの?」
「あ、その……、申し上げにくいのですが、私の目には不十分としか……」
「そっかー。さっき巨人をぶっ飛ばした傭兵の三人は……、問題外か」
「はい。あんな雑魚では話になりません」
(えっ⁉ ど、どういうこと⁉)
そのやり取りにウイルは耳を疑う。
「こらっ、雑魚とか言わない。まぁ、事実そうなんだけどさ……」
「す、すみません……」
「ウイル君、あの三人って傭兵の中では上の方なんだっけ?」
「あ、はい、そうらしい……です」
「ふむぅ、前途多難だぁ」
ディーシェ、サキトン、トュッテは、間違いなく上位の傭兵だ。等級の数字がそれを証明しており、傭兵組合からも一目置かれているからこそ、ウイルはこの三人を紹介された。
その結果、隻腕の巨人を倒すことが出来たのだが、ハクア達が提示する要件には遠く及ばないらしい。
この瞬間、少年は状況を理解すると同時に青ざめる。唇からは血の気が引き、立ち眩みすら覚えるほどだ。
(あの人達でさえ……、全然ダメ? 意味が、わからない……。この二人はどれほどの敵と遭遇したんだ……)
ウイルにとって、ディーシェ達は雲の上の存在だ。その強さを自身の目でマジマジと観察し続けてきたのだから、疑いようもない。
間違いなく、最強。
ギルド会館における頂点。
ならば、人間という種族の中でも上位に位置すると言っても過言ではない。
軍人という類似する相手と比べても、その実力は色あせることなく優勢のはずだ。
それでも足りない。
彼女らは満足しない。
あの女。そう呼ばれる何かを倒すためには不合格ということだが、十二歳の子供には想像すらも困難だ。
「あ、じゃあさー、ひとまずオーディエンとかって魔物を倒すのは?」
「そ、それも難しいかと……。王ですら、火の魔物には手を焼きました。奴は土の魔物を単身で破っており、その実力は王にも匹敵するかと……」
「くはー、八方塞がりじゃん、この時代ー。まぁ、そいつもなぜか人探しを手伝ってくれてるみたいだし、今は様子見でいいのかな」
「はい、私もそう考えております」
そして沈黙が訪れる。議論が行き詰ったのだから当然であり、そもそも今は夜、静かな方がむしろ普通だ。
もっとも、実際には一人分の寝息が響いており、エルディアはこの程度の喧騒ではびくともしない。
「うん、私も寝る! 果報は寝て待て!」
「あ、でしたら一緒の布団で……」
「もう、甘えん坊なんだからー」
(だから、僕は何を見せつけられているんだ……)
重苦しい空気は一瞬で霧散した。
今は甘ったるいムードが漂っており、赤い髪の魔女が真っ白な本を抱えながら、嬉々としてその場からいなくなる。
(もっと色々聞きたいことがあったんだけど……。まぁ、いいか。白紙大典が元気になったし、ハクアさんも……、ハクアさんはなんか知能指数が下がっちゃった気がするけど……、幸せそうだし、良しとしよう)
ここは台所に隣接する居間のような部屋。四人が座れるテーブルにはウイルとエルディアが取り残されており、三人分のコップが放置されているが、後片付けは明日に持ち越す。
(巨人戦争……か)
建国の王が仲間を率い、巨人族を打ち破った物語。ウイルにとっては絵本の中の出来事でしかないが、当事者がつい先ほどまで眼前に座っていたのだから、実際の出来事なのだと痛感する。
もちろん、嘘でもなければ作り話でもないはずだ。イダンリネア王国の成り立ちそのものに起因する出来事であり、多くの血が流れたのだから隠すことなど不可能だ。
(白紙大典……、マリアーヌ……。聞いたことのある名前だな。ん? あぁ、マリアーヌ段丘か。偶然なのかな?)
夜が静かに更けていく。
草木も昆虫も猫も、そして魔女達も眠りにつく。
取り残されたのはウイル、ただ一人。眠気など吹き飛ばされるほどの、刺激的なやり取りだった。
興奮しているわけではない。
ただただ驚かされてしまった。
嘘が混じっているのか、全て事実なのか、それすらも確認出来ないまま、当事者は去ってしまう。実際には隣の部屋にいるのだが、今から問いただす勇気は持ち合わせてはいない。
(僕もヘトヘトなのに、すぐには眠れなさそうだなぁ……。仇は取れたし、魔女に襲われたけど無事ここに来れたし、エルさんにも再開出来たし……。充実した一日だった)
やり遂げた。
復讐という目的は見事果たされた。
他力本願な手法たが、今回はなりふり構ってはいられなかった。
だが、今回で終わりだ。
今後は己の力で道を切り開く。そのための努力は惜しまないつもりだ。
(あ!)
そして、少年は思い出す。
(ハクアさんのおっぱい……)
触らしてはもらえなかった。