城壁内に居た人間は、皆等しく体を蝕まれていた。
動けず、凍てつく痛みに縛られている。
それはイザの放った呪い。植物の蔓に似た氷が全身に巻きつき、指の一本さえ動かせない。
ただひとつだけ、言葉を発するのみを許された呪縛。
それ幸いにと、魔法で抜け出そうと試みる魔導士がもちろん居た。しかし、イザがその程度を読まぬはずもなく、氷の呪縛によって魔力を根こそぎ吸い上げている。魔法など放てるわけがなかった。
**
累々の死体を横目に、イザ達は城門を開き城内へと入った。
ムメイがその身軽さで城壁を越え、何事でもないそぶりで開いてくれたのだ。いや、確かに彼にとっては、その程度は仕事にもならぬ些事でしかなかった。
そのムメイが、やや血走った目でイザに告げる。
「先に入る。お前の仇と被っていても、俺が討つ。許せよ?」
魔王と対峙した時でさえ冷静だったムメイが、感情を殺せないでいる。
それを感じたイザは、小さく頷いた。そして加えて告げる。
「情報だけくれれば、全員を殺しても構わないわ」
それは窮地を救ってくれたムメイへの、最も深い感謝の印だった。
「礼を言う」
彼はその言葉を残して、気配ごと姿を消した。
――この国は、腐ってる。
イザは心で歯噛みし、だが冷たく落ち着いた目で城を見上げた。
国王なら全てを知っているに違いない。だから見た。
「なぜ私たちを狙ったの……。愛する人と、ただ幸せに暮らしたかっただけなのに」
婚約者だったフラガを想い、枯れた涙の代わりに憎悪をたぎらせた。
――許さない。許さない。許さない。
婚約者のフラガが、無惨な姿に変わり果てていたこと。
勇者リーツォが、襲ってきたこと。
それを返り討ちにした瞬間に、逮捕され即日死刑になったこと。
その全てが重なっている違和感。
――私を手にかけても構わないと、クズの勇者リーツォを唆(そそのか)したやつがいる。そのせいで、クズは私の心を折るためにフラガを殺した。そうに違いない。
――私の、最愛の人を。
地獄の底に叩き落とそうとも、それでもなお許せない。
それがイザの憎悪で、心の全てだった。
**
そして、国王を見つけた。
広い空間を荘厳な装飾で整え、真っ赤な絨毯が続く謁見の間で。
玉座から降り、逃げようと足を踏み出したその姿勢のままで、凍てついた蔓に巻きつかれている。
豪奢な衣を羽織る出で立ちだけならば、王冠輝く立派な王だ。
だが、逃げ及んだ引け腰が、素晴らしい衣装のせいで逆になんとも情けない。
その見苦しい国王に、イザはゆっくりと、白い布を纏っただけの姿で近付いてゆく。
ただし、彼女の身はほとばしる魔力と威厳に包まれている。さらに、その冷たい瞳に渦巻く怨嗟さえ閉じ込めている様相は、半裸であることがむしろ、絶対の王者のように見える。
「国王ともあろう者が……随分と、臆病な逃げ腰ね」
「そ、その声は、女魔導士イザか。たっ、助けろ。余を助けるのだ!」
イザの放った呪いは、目にも巻きついている。そのせいで国王には、声しか聞こえていないのだった。
「なぜ私達を狙ったの? なぜ私を裏切った?」
勇者殺害の現行犯で捕らえるという都合の良さと、即日死刑にした元凶に違いなかった。
「……そんな事より、この状況を何とかしろ! 褒美は取らせる!」
「今なぜこうなっているのか、分からないの?」
無様な姿勢の国王は、その言葉でさすがに察したらしかった。
「貴様の仕業か! こ、この……下民の分際で!」
「立場も理解出来ないの? 私の問いに答えなさい」
そう告げた瞬間に、イザは察してしまった。
答えを聞いたところで、することは変わらないのだと。
そして答えを聞かない方が、心を支配する憎悪は、膨れ上がらなくて済むのではないだろうかと。
「貴様らのような出自の分からぬ下民が、偶々力を手にしただけで権力まで持つなど、あってはならんのだ! 最下級の男爵位であろうと、貴族の力まで本当に与える訳がなかろう!」
国王は最初から、そのつもりで叙勲したのだった。
最初から勇者一行を殺すつもりで、褒美は油断させるための餌でしかなかった。
「ならば、叙勲などしなければ良かったでしょう」
「貴様ごときに政治が分かるものか」
「政治の何がどうなれば、私の愛する人が殺されなければならなかったの」
冷たい声とは裏腹に、イザは全身の血が沸騰していると感じた。さらにそれが逆流しているような、痛みさえ感じる怒りを。
「勝手に私達を……いいえ、私の力を恐れたのでしょう? 臆病者が、権力を脅かされると勝手に怯え、私を恐れて殺そうとしたのよ」
「ほざけ! 色情狂の下衆勇者を討たせてやったのだ。恨み言を言うな」
「討たせて……やった、ですって?」
まるで、希望を叶えてやったのだという口ぶりであった。
イザは続けて言う。
「頭の悪いあのクズは、権力者の言う事だけは守った。本来なら、私を狙えば罪になるからと躊躇いがあったはずだったのに……あれもお前か。差し向けたのは」
だからあのクズは、迷わずフラガを殺したのだ。失意の中で自暴自棄になった私を手に入れられるぞ、とでもそそのかされたのだろう。
そこまでの流れがイザの中で、一気に繋がった。
「お前が殺したのと同じよ。私のフラガを。……お前が殺した」
こいつさえ居なければ、もしかしたらフラガは生きていたかもしれない。
クズ勇者は殺人まではしなかった。だから、自分の身さえ守ることが出来れば、フラガと幸せに生きられた。
優しいフラガと二人で、仲睦まじく。
イザは、その妄執に囚われ続けている。
それがもはや、永遠に叶わぬと知りながら囚われている。
報われぬ想いに、身と心を焦がし続けている。
仇を何万回殺そうとも、想い人は冥府から戻ってこない。
だからこそ、どのように残酷な結末にしてやろうかと思考していた。
――私が味わっている苦痛と絶望の、その一端だけでも。
単なる死など生ぬるい。死を懇願するほど歪んだ生こそ、与えてやろう。
それが、イザの導き出した方針だった。
「死ねるだなんて、思わない事ね。……聖霊よ、慈悲深き恵みでこの者を満たせ」
「おお? 痛みが消えてゆく……な、なんだ。癒してくれるのか。礼をいぅ――」
国王から痛みが消え、目に張り付いていた氷の蔓が離れた。
しかし、イザが単純に、治癒を施すはずがない。
「――この闇こそ我が怒り。静寂の後に焼き尽くす。汝、消えぬ残火の絶望を知れ」
「な、なんだ! 何をしている! さっさとこの拘束も解け!」
「落ちよ。黒く小さな太陽」
平原に落とした、燃え続ける黒い炎。
それが、国王の足元に小さく灯った。
「うああああああ! あっあっあっ! 熱いイイイイイイ!」
小さく放ったのは、即死させないため。
国王の足元を灼熱で焼き続ける、地獄の炎となる。
だが、それだけでは、イザは止まらない。
「憎悪の底より尚昏く、悲痛の棘より尚深く、絡み抉るは毒虫の牙――」
「ああああああつぃいいいいい! そ、そのうえ何を唱えているのだあああああ!」
「湧き続けよ、無限の地獄蜘蛛(スパイダーレイン)」
真っ赤な体に黒く禍々しい模様の、こぶし大の蜘蛛が国王に降りかかる。
それらは国王の上半身にしっかりとしがみつき、服も肉も喰い千切りはじめた。さらに、上半身に乗り切らない数多の蜘蛛は、糸を駆使して国王の上に巨大なコロニーを造り上げて順番を待っている。無限に再生する肉をむさぼるために。
「あああああああ! 何だ何だナンだぁぁぁぁ! 気色の悪いものを出すなああああ!」
「地獄の蜘蛛よ? 再生し続けるその体を、永遠に食われ続けるといいわ。足元の火も、お前が生きている限り消えない」
治癒の再生も、足元の灼熱も、毒蜘蛛の雨も、呪いの呪縛が周囲の魔力を吸い上げ、永久機関のように国王を苦しめ続ける。
「ひあああああああああああああああああああ! 蜘蛛が顔中にぃぃいいいいいい!」
「蜘蛛ども、こいつの喉を真っ先に喰い漁りなさい。うるさいから」
**
「イザ。お前のお陰で仇が討てた。礼を言う」
ムメイが、いつの間にかイザの後ろに来ていて、声をかけた。
彼は気配を消したままだったが、イザは驚く様子もなく、軽く頷く。
「良かったわね。私も……今終わったところよ」
ぼうっと前を眺めるイザにつられて、ムメイもその、玉座の前のものを見た。
大きな赤黒い塊と、床を焦がす黒い火。
その火が燃やし続けているそれは、よく見れば人の足のようだと彼は思った。そして、何かを察する。
「……もう見るな。見ていても気は晴れんだろう。行くぞ」
「…………そうね」
促され、イザはその場を去った。
感情のほとんどを、そこに捨ててしまったかのような虚ろな瞳で。
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