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挨拶もひとまず終わり、玉座のある広間から少し離れた部屋――来客用らしき応接室へと通された。
通路には赤い絨毯が敷かれ、壁には見たこともない魔族の文字が刻まれた装飾が並んでいる。天井は高く、窓の代わりに魔力を込めた光の球がふわふわと浮かび、ぼんやりとした明かりで足元を照らしていた。
移動の間、私は隣を歩くカレンに小声で話しかける。
「一国の王が土下座なんかして大丈夫だったの?」
「ん。ここは魔界。強ければなんでもいい。お父さんは一番強い……だからすごい我儘」
「前にも言ってたね……力が全ての場所か……」
軽い口調で言っているけれど、その裏にある重さはよく分かる。
実際、さっきの一瞬の威圧だけで膝が笑いそうになったくらいだ。
本音を言うと、事情だけさっさと話して即帰還、のつもりだった。
――のに、転移してきた瞬間にゲートを閉じられてしまったわけで。
「帰りの電車がありません」と言われた旅行者の気分だ。いや、規模はもっと大きいけれど。
そんな事を考えているうちに、応接室へと案内される。
部屋の中央に重厚なテーブル、その周囲に深々としたソファ。壁には絵画ではなく、なにやら動く魔族の紋章のようなものが浮かんでいた。
ソファに腰を下ろして一息ついたところで、扉が開く音がした。
「あ、お母さんも来たんだ。やっほー」
カレンが手を軽く挙げる。
入ってきたのはカレンの父さんと、その隣に並ぶ、美人なお姉さん――いや、年齢的には「お姉さん」というより「若いお母さん」がしっくりくる。
ふわりとした長い髪に、鋭くも柔らかい瞳。笑っているのに、全身から発せられる魔力の格が桁違いなのは、さすがというべきか。
「へぇ……その子がカレンの恋人ねぇ……いいわぁ、合格よ」
「なんかすごい見られてる気がする……」
全身を上から下まで、じっくりと値踏みされているような視線に、思わず姿勢を正してしまう。
カレンの母さんは、興味津々といった顔で顎に手を当て、うんうんと一人納得したように頷いた。
合格、ということは、やっぱり今までの視線は完全に「品定め」だったのだろう。
「ん、後はお父さんだけ」
「嫌だ。儂は認めんぞ」
「頑固、ケチ」
カレンとカレンの父さんの間で、目に見えそうな火花が散る。
口調は軽いが、お互い一歩も引く気がないのは雰囲気で伝わってきた。
言い争いの中には、遠回しに私を元の世界へ帰すかどうか、という話も混ざっている。
――どの世界でも、娘を思う親は頑固なんだなぁ。
半分他人事のように感心しながら眺めていると、カレンの父さんがふいにこちらを指さした。
「ふむ……カレンよ。何故、儂が強さに上限のある下等生物のいう事なんぞ聞かなければならないのだ?」
「お父さん、聞いて。あーちゃんは【器】持ち」
「……そうか。そういう事だったのか。いつまで経っても古代竜が復活しない訳だ」
一体どういう事だろう――と、思わず首を傾げる。
カレンはそれに気づいたのか、私の方へ身体を向けて、簡潔に説明を始めた。
「7体の竜の魔石は全世界で1つずつしか存在できない。あーちゃんが古代竜の魔石を持っていたせいで古代竜は既に存在している事になっていて、いつもの場所に復活しなかった」
つまり、私が竜の心臓とも言える魔石を持っていたせいで、本来の位置に古代竜が顕現できなかった、ということか。
知らない間に、世界規模の迷惑をかけていたらしい。
「うむ。【器】だけなら貴様を殺して魔石を取り出せばよかったのだが……【闇】も持っているな?」
低い声でそう告げられて、私は小さく頷いた。
喉まで出かかった「はい」という相槌は、カレンの父さんからにじみ出る威圧感に押しつぶされて、うまく言葉にならない。
「……既に併合された【器】は取り出せん。アラミスリドの裏に居る神を殺すには完成された【器】の力が必要不可欠。光竜、風竜、水竜の魔石は儂が持っている。後は分かるな?」
「私を、【器】として使う。と?」
「その通りだ。貴様から儂の嫌いな神の匂いがするのは目を瞑っておいてやる。今から1つだけ質問を許可してやる」
『全能の神が不遜な魔王に両手の中指を立てています』
青い画面を出しかけて、すぐに掻き消す。
今はツッコミを入れている場合じゃない。
光竜、風竜、水竜の魔石の力を、私の【器】に取り込む。
そしてその力を使って、アラミスリドの裏にいる神とやらを殺す――そこまでが、向こうの筋書きだ。
……でも、私には私の都合がある。
私は早く帰らないといけない。沙耶たちを、あまり長く待たせたくない。
「私はいつになったら元の世界に帰れる?」
「帰すつもりはない。ふむ……貴様は帰りたいのか。希望が無いわけではないぞ?」
「……力が全て、か」
「そうだ! 貴様が儂を倒し、何も言えないほど叩きのめせば儂が貴様の言うことを聞いてやろう」
カレンの父さんは、腹の底から笑い声を響かせた。
魔界らしい、と言えば、これほど分かりやすい理屈もない。
力で屈服させる。それがここでの「交渉」なのだ。
「貴様は殺さない程度に痛めつけ……鍛えてやる。それで強くなれるかは貴様次第だ」
「お父さん……今、痛めつけるって言おうとしなかった?」
カレンがじとっとした目で父親を睨む。
再び、二人の間でぴしぴしと空気が張り詰める。
やがてカレンの父さん――魔王は、ゆっくりと立ち上がり、私に視線を向けた。
「来い」
短くそう言って、踵を返す。
私は黙って席を立ち、その背中を追った。
石造りの廊下を進み、いくつかの扉を抜けた先にあったのは、広大な空間――訓練場のような場所だった。
床は硬い石で覆われ、ところどころに焦げ跡や砕けた岩の残骸が転がっている。壁には、何度も何度も攻撃を受けたであろう傷跡が、無数に刻まれていた。
「儂は貴様を知らん。ゾンビ化した闇竜を屠るほどの実力はある、だが……それしか知らん。そして儂は戦うことでしか相手を理解できん。来い」
カレンの父さんが、黒鉄のような色合いの大剣を片手で軽々と構え、刃先をこちらに向ける。
その姿は、一切の隙がない。立っているだけで「勝てる気がしない」という感想しか出てこない。
私も深呼吸を一つして、剣を呼び出した。
柄を握る手に汗が滲む。
こちらから仕掛けずに勝てる相手ではない。むしろ、遅れを取った瞬間に終わる。
だったら――。
最初から、全力で。
床を蹴った瞬間、世界が細くなる。
視界の端が流れ、正面にいるのは魔王ただ一人。私はその懐へと斬り込んだ――。
……何が起きた?
瞼を開いた瞬間、見慣れない天井が視界に入る。
頬には冷たい石の感触、背中には鈍い痛み。頭の中は、少し前までの出来事を繋ぎ合わせようと、鈍く回転していた。
私は気を、失っていたのか?
カレンの父さんに斬りかかって、大剣で防がれて――
その瞬間、背中に激痛が走って、視界がぐるりと回った。
多分、そのまま壁に叩きつけられて、頭を打ったのだろう。
上体を起こして辺りを見回すと、そこはやはり訓練場の壁際だった。石壁には、私がぶつかったと思しき新しいヒビが入っている。
「一瞬で壁に叩きつけられたのか」
「ふむ、2秒か。貴様が意識を手放して状況を理解するまでの時間だ。あの程度で死ぬほど弱くはないようだな」
中央に立つカレンの父さんは、息一つ乱れていない。
対照的に、私の心臓はさっきからずっとドクドクとうるさい。
立ち上がり、言葉ではなく行動で返答するように、再び斬りかかった。
連撃、連撃、さらに連撃。
しかし、その全てが、大剣によって軽々と弾かれる。
重さも速さも、完全に見切られている。
――強すぎる。
頭ではなく、生存本能が警鐘を鳴らす。
「逃げろ」と。
「この相手は、自分の手に負える存在ではない」と。
私はその声を、意図的に打ち消した。
雄叫びを上げて、震える自分の脚を平手で叩く。
どっちみち、倒さないと私は帰れない。
ここで諦めるくらいなら――私にとっては、それこそ「死んでいるも同然」だ。
「目つきが変わったな。死を恐れぬ目だ。そうだ、儂を倒せ!!」
魔王の口元が、僅かに愉快そうに吊り上がる。
周囲から音が消えたように感じた。
いや、実際には消えていないのだろう。
ただ、自分の心臓の音だけが、やけに大きく耳に響いている。
自然と、笑みがこぼれていた。
恐怖も、痛みも、全てをまとめて飲み込んだ先に出てくる、あの笑い。
ある意味、自分でも一番「戦闘向き」だと分かっている状態だ。
今までの自分では考えられないような速度と力が、全身に満ちる。
魔脈を捻じ切れる寸前まで酷使して、無数の斬撃を魔王に叩き込んだ。
――が、結果は変わらない。
全て弾かれる。
距離を詰めてからの一撃も、ことごとく空を切るか、大剣に逸らされていく。
どれくらい斬り結んだのか、途中から分からなくなっていった。
永遠とも思えるほどの時間、私はただひたすらに斬りかかり続ける。
腕は重く、肺は焼け付くようで、魔力は何度も底を突き、その度に無理やりひねり出した。
構えて斬りかかろうとした、その時――
ふっと、身体ごと抱き寄せられた。
「あーちゃん、そこまで。それ以上はあーちゃんが死んじゃう」
「カ……レン? あれ、私は、何を……?」
顔を上げると、すぐそばにカレンの顔があった。
涙こそ浮かんでいないが、その目元は心配そうに揺れている。
ふ、と我に返る。
自分の服を見ると、至るところが破けており、血が乾いて黒く染みついていた。
握り締めている剣にも、乾きかけた血がこびりついている。
体の傷そのものは、スキルによって既に塞がっているようだった。
だが、手には力が入らない。指を一本動かすだけでも、筋肉が悲鳴を上げる。
「私はどのぐらい戦ってた?」
「10日……」
「ふむ、貴様の底は見えた。まずは【器】を成熟させ、魔力の使い方をフォルスティアから学べ。魔石の取り込みはカレンに任せよう」
カレンの父さん――魔王は、それだけ言うと、マントを翻してこちらに背を向けた。
その背中には、未だかすり傷一つ見えない。
悔しいけど、届かない。
傷の一つさえ負わせることもできなかった。
「カレンの父さん。私は、貴方を必ず倒す」
絞り出すように言葉を投げる。
宣言というより、自分自身への誓いだ。
「――バゼルだ。特別に名を呼ぶことを許可しよう」
振り返りもせず、背中越しにそう名乗りが返ってきた。
その言葉を最後に、私はカレンに抱えられるようにして、その場を後にした。
歩くというより、引きずられているに近いが、それを笑い飛ばす余裕は、さすがになかった。