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夫婦の寝室に入ったソーレンは
ベッドの端にゆっくりと
アリアの身体を下ろした。
重力操作で
まるで羽毛のように
ふわりとアリアの身体が
ベッドに沈む。
その動きは驚くほど器用で
ちぎれた腕も慎重に
まるで元の場所に
吸い付くように戻されていた。
ベッドには
銀色の防火シートが張られている。
そのシートは
焼け焦げた痕跡が何箇所も残っており
何度も何度も
此処でアリアが
再生の痛みに耐えていたのがわかった。
きっと
その度に時也が
傍で見守っていたに違いない。
その証拠のように
ベッドの脇には
青龍がもたれかかるように座り込んで
寝息を立てていた。
小さな身体がわずかに上下し
規則正しい呼吸音が
静かな部屋に響いている。
「⋯⋯全く。呑気なこった」
ソーレンは
青龍の小さな寝顔に目を落とし
ぽつりと呟いた。
「⋯⋯あ
私は時也さんが起きられるか
見てきますね!」
重苦しい空気を振り払うように
レイチェルが声を張り上げる。
「おう。そうしろ」
ソーレンが軽く手を振り
レイチェルは踵を返した
その瞬間。
「⋯⋯うぉあっち!
あっちぃって!
何しやがんだアリア!!」
ソーレンの声に
レイチェルは反射的に振り向いた。
そこには
信じられない光景があった。
アリアが
ソーレンの腕を掴んでいた。
「えっ……!?」
その手は
まるで鉄の鉤爪のように
ソーレンの腕を捕え
灼けるような熱が
肉を焼く音と共に立ち上っていた。
「お、おい!
てめぇ、マジで離せって!!」
ソーレンが必死に藻掻くが
アリアの指はびくともしない。
その視線は
真っ直ぐにレイチェルに向けられていた。
深紅の瞳は
熱を持ったように強く
じっとレイチェルを捉えたまま
微動だにしない。
レイチェルは思わず息を呑んだ。
その瞳には
怒りも、恨みも、悲しみもない。
ただ⋯⋯何かを伝えようとしている。
アリアは
ソーレンの腕を掴んだまま
ゆっくりとレイチェルに手招きをした。
「⋯⋯え?」
混乱するレイチェルの前で
アリアは突然
自らの傷口に手を差し込んだ。
「なっ⋯⋯!?」
赤黒い肉の断面に
アリアはまるで水でも掬うように
指を入れる。
滴る鮮血が手の甲を伝い
指先から床へと落ちていく。
そして、アリアはそのまま
レイチェルの火傷へと
その血を垂らした。
「⋯⋯っ!」
刹那
火傷の箇所がじんわりと温かくなった。
最初は少し熱く
それがじわりと
心地よい温もりに変わる。
次の瞬間
傷は、跡形もなく消えていた。
「す⋯⋯すごい!」
レイチェルは驚き
掌をまじまじと見つめた。
痛みは完全に消えていた。
皮膚は再生したかのように滑らかで
火傷の痕一つ残っていない。
「アリア様の血は
アリア様が
お認めになった者が飲めば不死を⋯⋯
傷に塗れば治癒の効果がございます」
その声に
レイチェルは驚いて振り返った。
青龍が
眠い目を擦りながら
ベッドの脇で身体を起こしていた。
「⋯⋯っ、そうなのね⋯!」
レイチェルが呟く傍らで
アリアは今度はソーレンに血を滴らせた。
「っ、⋯⋯いってぇ!」
再び火傷の箇所に滲みる痛みに
顔を歪めたソーレンだったが
その腕に刻まれたアリアの手形が
ゆっくりと消えていった。
火傷の赤みも消え
元の肌に戻っていた。
「お前なぁ⋯⋯
呼び止めたかったんなら
口で言えよな!」
腕を摩りながら
ソーレンが苦々しげに言う。
「いってぇ⋯⋯
まだ熱さが残ってやがる⋯⋯」
文句を零しながらも
どこか安心した声だった。
しかし
アリアはそのソーレンには目もくれず
再びレイチェルを見つめていた。
その瞳は、じっと、強く。
(⋯⋯もしかして)
レイチェルは
そっと胸に手を置いた。
アリアは、自分の火傷を治してくれた。
それは 彼女なりの
〝謝罪〟だったのではないか。
(⋯⋯この人
自分の方がよっぽど
酷い怪我してるのに⋯⋯)
レイチェルは
自分がアリアの腕を
落とした事を思い出して
胸が痛くなった。
その痛みを誤魔化すように
レイチェルは大きく息を吸い
無理にでも笑顔を作った。
「大丈夫ですよ!
ありがとうございます!」
その笑顔は
ぎこちないものだったかもしれない。
でも、レイチェルは
せめて精一杯の笑顔を向けたかった。
「では、時也さんの様子
見てきますね!」
そう言って
レイチェルは部屋を後にした。
背後で、アリアが僅かに
息を吐く音がした。
廊下を歩きながら
レイチェルはふと掌に触れる。
ついさっきまで
其処には火傷の痕が
刻まれていたはずだった。
皮膚が焼かれ
痛みが鈍く残るはずだったのに
今、その跡は何もない。
指先でそっと撫でると
むしろ心地よい温もりが
皮膚の下に広がっていく。
アリアの血が
まだ其処に宿っているかのように。
「⋯⋯アリアさん」
レイチェルは
ぽつりとその名を呟いた。
彼女を初めて見た時
その異様な美しさに
思わず息を呑んだのを覚えている。
深紅の双眸には底知れぬ冷たさがあり
その美しさは
何処か〝畏怖〟すら感じさせた。
⋯⋯けれど。
あの人は
痛みを堪えながら
それでも自分の傷を癒してくれた。
それは、きっと
彼女なりの〝優しさ〟だったのだろう。
「⋯⋯強い人だなぁ」
思わずそう呟くと
温かさが染みるように
胸に広がっていった。
アリアという女性の優しさが
少しだけわかった気がした。
⸻
レイチェルは
自室のドアの前で立ち止まった。
深呼吸を一つ。
それから、控えめにノックをした。
「⋯⋯時也さん、ご気分はどうですか?」
ノックの音に反応する気配があり
暫くして
ドアの隙間からそっと中を覗く。
ベッドの上で
時也がゆっくりと身体を起こしていた。
彼は
何処かぼんやりとした
気怠そうな顔で此方を向いた。
まるで
血圧が低くて
目が覚めきらない時のような
その鈍い反応。
けれど
レイチェルの姿を視認した途端
時也の表情が変わった。
まるで仮面を被ったかのように
一瞬で
いつもの穏やかな笑顔が浮かぶ。
「⋯⋯お恥ずかしい所ばかり
お見せしてしまい
本当にすみません⋯⋯」
穏やかな口調に、柔らかい微笑み。
けれど
その目の奥は何処か寂しげで
何より
明らかに〝落ち込んでいる〟と解る。
「⋯⋯いえいえ!」
レイチェルは
わざと明るい声で応じた。
「私が言うのも変ですけど
愛する人があんな状態になったら⋯⋯
誰だって取り乱しますって!
時也さんは⋯⋯お強いです。」
そう言いながら
ふと脳裏に蘇る光景があった。
アリアの喉元に
ナイフが突き刺さったあの瞬間。
冷たい刃が、硬い骨を削る音。
手に残る、何とも言えない感触。
きっと⋯⋯あの日も
時也はこんな風に
押し潰されるような
気持ちだったに違いない。
そんな苦しみを
これまで何度も抱えてきたのだろう。
(⋯⋯きっと、今まで
何度もこんな想いを⋯⋯)
胸に浮かんだ想いは
自分でも驚くほど静かだった。
その時
レイチェルの視線に気付いたのか
時也がふわりと微笑んだ。
その笑顔は
今まで見たどんな微笑みよりも
穏やかで
何処か、優しく温かかった。
「⋯⋯それでも今は
本当の彼女を見ようとしてくれて
ありがとうございます。」
その言葉が、真っ直ぐに胸に突き刺さる。
「⋯⋯え?」
思わず声を漏らした。
アリアに傷を負わせた自分に
感謝の言葉など
言われるとは思ってもみなかった。
なのに、時也は
「貴女が
アリアさんを恐れずに
今は感じていてくれたから。
⋯⋯それが、僕には嬉しかったんです」
優しく、穏やかにそう言ってくれた。
レイチェルは
その言葉にどう返せばいいか解らず
ただ、そっと右の掌を握った。
其処にはもう、火傷の痕はない。
けれど、あの温かさだけは
まだ掌に宿っているように感じた。
「⋯⋯こちらこそ⋯⋯
ありがとうございます。」
小さく呟きながら
レイチェルは微笑んだ。
その笑顔は
火傷が消えた皮膚のように
どこか柔らかく
そして、少しだけ
泣きそうな表情だった。