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岸くんがいなくなって、月日が経ち、私たちは3年生になった。
歩行者用の押しボタンを押そうとして左右を見る。遠くから車が走ってくるのが見えて、ボタンを押すのを少し待つ。
目の前を車が通り過ぎ、ボタンを押す。
あんな風に通り過ぎた車の中に、あの日私は乗っていた。
その車中から、横断歩道の前で頭を抱えている岸くんを目撃した。
それが最初の出会いだった。(1話参照)
最初に一瞬目撃しただけのその瞬間も、岸くんは岸くんらしく優しい人だった。
それから、岸くんの癖がうつって、この横断歩道の押しボタンを押す前には、必ず車が来るかどうかを確認する。
そして岸くんのことを思い出す。今でも毎朝…。
後ろからポンと背中を叩かれる。
振り返ると平野がいて
「お・は・よ・う」
と口を動かす。
「あ、ごめんごめん。イヤホンしてたから気づかんかった。おはよ」
「何聞いてたの?」
「聞く?」
イヤホンの片方を平野に渡し、もう片方を自分の耳につける。
平野「あ、これ知ってる…。なんて曲だったっけ?」
「”宙”言うねん。めっちゃええ曲やねん」
「これで良かったのか?」
最後まで岸くんに気持ちを伝えなかった私に、ホームで平野が聞いた。
自分にとって何がよかったか、なんて、答えられなかった。
あの時は「岸くんが」「岸くんが」ってことしか頭になくて、自分がどうしたいかなんて考えてなかったから。
だけど、あの時平野が、「自分の気持ちを口にした方がいい」って言ってくれて、小さくなっていく電車に向かって叫んだ。
「岸くん、大好きだったよ」って。
それで、あぁ、私の恋は終わったんだなぁと思った。
好きな人の恋を応援するなんて、ばかげていたのかもしれない。
あのまま岸くんと先生が引き裂かれるのを、ただじっと待っていれば、岸くんまだここにいたのかもしれない。
そうすれば、時が経つうちにいつか岸くんは先生を忘れて、もしかしたらこっちを向いてくれたかもしれない。
自分の選択は正しかったのか、今でもわからない。
だけど、たとえ後悔しても時は戻らない。
岸くんは戻ってこない。
だから、これでよかったんだって思ってる。
それなのに、どうしてこんなに岸くんのことばかり思い出してしまうの?
平野「あ!信号パカパカしてる!」
平野が突然走り出し、耳からイヤホンが抜け、音楽プレーヤーがポケットから飛び出てかろうじてバックのひもに引っかかりプランプランをする。
風「わぁっ!ちょっと…急に引っ張んないでや!」
平野「お前こそ、モタモタしてないでちゃんとそばにくっついてろよ」
平野がぐいっと手を引っ張り、横断歩道を渡りきったところでもう一度耳にイヤホンをつけてくれた。
至近距離で向き合って見つめ合うような格好になってしまい、思わず目をそらした。
平野「マジでこの曲、泣けるな」
何事も無かったように平野が歩き出す。
風「ほんまにちゃんと歌詞の意味わかってる?」
今度はイヤホンが抜けないように、平野のすぐ横にぴったりくっついて歩く。
なんか私…さっき一瞬ドキッとした…?ような気がするのは、平野のイケメンすぎる顔を間近で見たからだよね?ただ、それだけよね?
それ以外、何があんの…?
だって、平野が好きって言ってくれたのは、岸くんを一生懸命好きでいる私。
もちろん、その好きっていうのも友達としてっていう意味やけど。
それでも、岸くんへの片思いを肯定してくれた平野の言葉は、私の中ですっごく大きなものだった。
ちゃんと見てくれていた人がいるんやって。
もし、私が岸くんを忘れてしまったら、平野は私を軽蔑するんやろうか?
なんだかふとそんな事がすごく気になった。
学校に向かおうとすると、横断歩道の前で舞川がキョロキョロと左右の車を確認しているのが見えた。
あいつ、岸くんの癖うつってやんの。
クスっとおかしく思う反面、まだあいつの心の中には岸くんがいるんだなぁと確信して、ちょっと胸がキュッとなる。
岸くんが押しボタンを押すのが苦手で、いつも遅刻するって話を廉がして、教室中が爆笑したことがあったな。いつだっけ?
そうだ、舞川が転校してきた日だ。
初めて見た時は、顔は綺麗だけどちょっと暗い子だなと思った。
玄樹にいじめられて、スプリンクラーでびしょ濡れになっているところを助けた時、初めて笑った顔を見て、すっげえ可愛いじゃんって思った。(2話)
自分をいじめた玄樹に寄り添ってあげてるのを見て、すごい良い子なんじゃないかと思った。
いきなり岸くんに告白しているのを見て、ぶっ飛んだ子だなぁと面白くて気になった。(3話)
昔いじめられていた話を聞いて、守ってあげたいと思った。(4話)
岸くんと杏奈ちゃんを尾行した時、夢中になり過ぎて俺の腕にしがみついて来るから、ちょっとドキドキした。だけど、見下ろすと舞川の視線はただまっすぐに岸くんだけを見ていた。(7話)
岸くんのお母さんが家を出て行った話を聞いて泣いているのを見て、人の悲しみに寄り添える子なんだと思った。(7話)
岸くんと最後に別れた時、自分の失恋を嘆くより、「岸くんのチャーハンの涙の味を消してあげたかったんだ」とあっけらかんというのを見て、自分のことより人の為に生きれる人なんだと思った。(
9話)
海人を自分の部屋に泊めると言い出した夜は、心配過ぎて壁に耳をくっつけて隣の舞川の部屋の物音を必死で聞いている自分がいた。大きな物音がして(たぶん二段ベッドのハシゴがガンってなった音)部屋に飛び込んだら海人に襲われている姿を見て、自分を見失いそうになって取り乱して怒り狂ってしまった。これは今思い出しても腹立たしい…!海人のやつめぇ~…!!
自分も傷ついているのに、それでも海人をかばおうとするのを見て、もうこれは俺がずっとそばにいてガードしてやらなきゃダメだと思った。
思えば俺は、いつも舞川を近くで見てきた。
いつも誰かのことを思いやっていて、自分のことは後回し。
しっかり者のように見えてどこか抜けてて、人に優しすぎて自分が傷つくことが多い。だけどそれを見せずにいつも懸命に走っていた。
そして、舞川が走るその先にはいつも岸くんがいた。
ホームに崩れ落ちて両手をついて泣いた舞川のそばにしゃがみ込み、すぐ近くにあるその手を握りたい衝動にかられた。
「いい子だな」とか「守ってあげたい」という気持ちが、いつから恋愛という意味での「好き」に変わっていたのか?
明確に”いつ”とは自分でもわからない。
でも今思えば、あの時にはもうすでに、自分の中で舞川への気持ちは確かなものに変わっていたのかもしれない。
でも、俺はその手を握ることはできなかった。
あの時、舞川の中は岸くんでいっぱいで、俺の入る余地なんてこれっぽっちもないのがわかっていたから。
俺はいつもいつもこんなに近くにいるのに、いつだって舞川の視界には岸くんしか入っていないのだから。
だからせめて、今の俺にできることは、舞川がずっと言えなかったその思いを言葉に変えてあげることだと思った。
いつか時が経って、「いい恋をした」と舞川が笑えるように。
舞川、おはよう」
後ろから声をかけたけど、舞川は気づかない。
舞川の視線は、通り過ぎる車を追いかけて、そのまま宙を見つめていた。
何かあるのだろうかとその方向を見るが、何もない。
舞川の背中をポンと叩く。
「お・は・よ・う」
「ごめんごめん、イヤホンしてたから」
嘘だ。俺の声に気づかないほど、誰かのことを思っていたんだろう?
舞川は、このソラの向こうに、いまだいなくなった岸くんを見ているんだ。
「何聞いてるの?」
舞川がイヤホンを片方貸してくれる。
耳に流れてきた曲を聴いて、やっぱりと思う。
これ、岸くんが好きでよく口ずさんでた歌だ。
信号が点滅したのを見て駆け出した拍子に舞川のイヤホンが抜けて、手を掴んで引き寄せ舞川の耳につけてやる。
思いがけず至近距離で見つめ合う格好になってしまい、舞川がちょっと照れたような表情をしたように見えたのは気のせいか?まぁ、気のせいだろうな。
「ちゃんとそばにくっついてろよ」
またイヤホンが外れないように、という口実で、そんなことを言ってみたら、舞川は素直にその言葉に従って俺のすぐ横にぴったりくっついて歩く。
ドキドキして嬉しいけど、本当にこいつは素直過ぎて、俺以外の男にも同じことを言われたらそうしてしまうんじゃないかと心配になる。
歩くたびに揺れる腕。今にも触れ合いそうな距離で指先が行ったり来たりする。
歩幅を合わせれば、偶然指が触れたフリをして、自然な流れで手を繋げちゃうんじゃないか…⁉︎なんて頭をよぎる。
思えば今までもさっきみたいに腕を引っ張ったりとか、スキンシップはけっこうあった。舞川を担いで逃げたり(2話)、岸くんが女の子と歩いているのを見せないように抱きしめて見たり(6話)…。うわ、今思えば俺、どさくさに紛れてすげーことしてたな…。
でも、そのどれもが俺からの一方的な行動で。
”手を繋ぐ”って特別で、それはお互いの気持ちが”→←”こうなってないとダメなこと。
だからこの手はこんなに近くにあるのに、すごく遠い。触れることのできない手だ。
「お前ら、なに”片耳イヤホン”なんて、カップルみたいなことしとんねん!?紫耀!抜け駆けすんなや!?」
突然後ろから廉がやってきて、俺のイヤホンを横取りする。
今度は廉が舞川と手が触れ合いそうな距離感で歩き始める。
廉「あ~この曲、なんやったっけ?昔よく聞いたわ~。なつかし~。俺、めっちゃ好きやったわ~!」
ほらな、舞川は廉にもニコニコして楽しそうに相槌を打っている。
いつも俺が望んで舞川の隣にいたから二人で一緒にいることが多かったけど、別に舞川に望まれてそうなっていたわけじゃない。
それにそうだった、こいつの存在もあったんじゃんか。
廉はいつも「風ちゃん好きやで~!今日もかわええなぁ!」とか軽いノリで言っているけど、どこまで本気なんだ?
舞川が転校してきたばかりの頃は、物珍しくてちょっかいだしてるだけだろう、いつものことだと単純に思っていた。
だけど、あれから約1年間、廉は彼女を作っていない。
入学してからずっと彼女が途切れず、しかもスパンも短かった廉が、舞川が来てから1年近く舞川にしかちょっかいを出していないって、ちょっと事件じゃないか!?
でも、そんな廉の猛アピールのおかげで、他の男子が舞川に手を出せず、舞川本人も自分が実はけっこうモテているということを自覚していないのだから、ちょっと廉には感謝しなきゃいけないけど…。
ただ、誰が舞川を好きであろうと、関係ないんだ。
だって、舞川は今でも岸くんを想ってる。
そんな舞川だから、俺は好きになったんだ。
俺が好きなのは、岸くんを好きな舞川。
え…?それって俺、永遠に失恋してんじゃん…。
部活中。
河合「平野!大変だ!ちょっと来い…!」
平野「へ…?」
河合先生が飛び込んできて、慌ただしく平野を連れて行ってしまった。
え?なんかこのパターン、岸くんが連れていかれたののデジャブみたい…。
嫌な予感…。
しばらくすると、河合先生だけが戻ってきた。
廉「ふみふみ、何やったん?紫耀は?」
河合「うん…、いやな、平野のお母さんが倒れて。ちょっと危ないかもしれないってことで、今急いで平野を実家に帰した」
「えっ…」
みんな絶句した。河合先生の表情と口ぶりから、かなり危険だということがわかったから。
風「平野の実家って?」
廉「名古屋。紫耀はサッカー留学でここに来てるから」
風「先生っ!ちょっと具合が悪くなったんで、部活早退します…!」
河合「お?おう。そうか。わかった、帰れ」
廉「えっ!?風ちゃん!?」
れんれんの声を背中で聞きながら、もう走り出していた。
新幹線ホーム。
風「平野っ!」
平野はちょうど新幹線に乗り込むところだった。
平野「えっ!?舞川!?どうした!?」
風「お母さんのこと聞いて…!心配で…!」
息が苦しい。走ってきたからってだけじゃなくて、平野の今の気持ちを考えたら息が苦しくなる。
風「見送りに来たからって、何ができるわけじゃないけど、でも…ただ、ただ心配で…!」
平野「舞川…」
プルルルル。
出発の合図のベルが鳴る。
平野「母親、倒れて意識ないって…。このまま死んじゃったら、どうしよう…」
「ドアが閉まりまーす」
プシュー。
平野「えっえぇっ!?」
風「あ、あれーっ!?乗っちゃった…!」
ドアが閉まる瞬間、滑り込むように車両に乗り込んでいた。
平野があんまりすがるような目で見るから。
体が勝手に動いていた。
風「平野…お金貸してくれる…?ハハ、ハハ」
平野「そ、それはいいけど…」
二人で隣の席に黙って座る。
窓からはきれいな富士山が見える。
ちょっと小旅行みただけど、事情が事情だけにはしゃいで話す雰囲気にはなれるわけがない。
舞川も黙ってじっと足元を見ている。
息を切らして走ってきた舞川を見て、なんだかすごく救われたような気持になって、つい弱音を吐いてしまった。
いつも岸くんのために走っていた舞川が、俺のために息を切らして走ってきた。
舞川が岸くんを忘れて俺の方を向いたら、そんなの俺の好きな舞川じゃないとか、そんな理屈吹っ飛んでしまうほど、純粋に嬉しかった。
また、すぐ届きそうな距離に舞川の手がある。
その手を握りたい。不安な気持ちが余計にそう思わせる。
でも、さっき俺が弱音を吐いてしまったから、ほっておけなくてつい乗り込んでしまっただけかもしれない。
困っている人をほっておけない、そういうやつだ。
別に俺のことを好きとか、そういうんじゃないかもしれない。
ちょっと心配してやったからって、何を勘違いしているんだと拒絶されるかもしれない。
それでも、もう…俺の中で答えは出ている…。
舞川がハッとして俺を見る。
舞川の膝の上の右手に、俺は自分の左手を重ねていた。
何て言われるか、拒否られるかもしれない。ドキドキしていた。黙ってじっと前の座席を見ていた。
すると、ふわっと左手の甲があったかくなる。
見ると、舞川がもう片方の手で俺の手を包んでいた。
風「大丈夫、お母さん、絶対大丈夫やから」
受け入れてもらえたことと舞川の言葉が、俺の心に充満していた不安な気持ちをスーっと抜いてくれた。
俺は、真ん中にあるひじ掛けをパカっと上に上げる。
平野「もうちょっと、近くに来てくれない?」
舞川は少し驚いたような表情をしたが、すぐに少し座る位置をずらして、少し近づいてくれた。そしてもう一度俺の手を握り返す。
手だけじゃない、腕と腕がぴったりと触れ合っている。
その温もりに、さらに俺の心は安心感に包まれていった。