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軽音楽部の部室は、放課後になると独特の音で満たされる。誰かが適当に鳴らすコード、アンプのスイッチを入れるときの小さなノイズ、チューニングの合っていない弦の不協和音。それらが重なって、少しだけ騒がしくて、でも不思議と落ち着く空間になる。
私は、その部室が好きだった。
三年目にもなると、ここはもう「活動場所」というより、居場所に近い。
そんな軽音楽部で、いつの間にか定着した噂がある。
――1年の広瀬くんには、「友達NGリスト」があるらしい。
最初に聞いたのは、ほんの雑談の延長だった。
「広瀬、また断ったらしいよ」
「え、あのバンド? ギター足りてないのに?」
誰かが笑い混じりに言って、誰かが首を傾げる。
広瀬は入部前の頃からギターがうまく、学年関係なく声をかけられる存在だった。技術もあるし、音の好みもはっきりしている。普通なら、誘いを断る理由が見当たらない。
それでも彼は、あっさり断る。
理由を聞かれても、答えはいつも同じだ。
「ちょっと合わなくて」
それ以上は語らない。
どうやら、彼の中には明確な基準があるらしい。
会話の距離感が変だと感じた人。
必要以上に踏み込んでくる人。
音以前に、人として一緒にやるのがしんどいと感じた相手。
そういう人たちは、いつの間にか彼の「選択肢」から外れる。
それが、部内で言われている「NGリスト」だった。
私はその話を聞きながらも、どこか現実味を感じていなかった。 怖いとも思わなかったし、特別に意識したこともない。
なぜなら――。
「奈央さん、今日ギター練習します?」
放課後、部室に入ると、広瀬くんは当たり前のようにそう声をかけてくるからだ。
それは誘いというより、確認に近い。
来る前提で、予定に組み込まれているみたいな言い方。
「うん、少しだけ」
そう答えると、彼は「分かりました」と軽く頷いて、アンプの準備を始める。
そこに気まずさはない。
遠慮も、探り合いもない。
(私、NGじゃないんだ)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
でもすぐに打ち消した。
考えるまでもない。
ただの先輩と後輩だ。
私 は二つ上の先輩で、広瀬くんは後輩。
それだけの関係。
それ以上でも、それ以下でもない。
ギターを構える奈央の横に、広瀬は自然に立つ。 距離が近いことに、今さら違和感はなかった。
「指、痛くなってないですか?」
「ちょっとだけ」
「最初は仕方ないです」
そんな何気ない会話が続く。
彼は丁寧で、必要以上に踏み込まない。
でも、よそよそしくもない。
(不思議だな)
ぼんやりと思う。
噂に聞く広瀬くんと、目の前の広瀬くんが、どうしても一致しない。
NGリストがある人間には見えない。
少なくとも、自分の前では。
「奈央さん」
呼ばれて顔を上げると、広瀬くんは少し困ったように笑った。
「そのコード、もう一回やってみましょう」
その笑顔を見て、私はまた思う。
(やっぱり、ただの後輩だよね)
そう結論づけて、ギターに視線を戻す。
このとき二人とも知らない。
この「当たり前」が、どれほど特別なのかを。