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目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。窓はあるのに、外の景色はすりガラス越しにぼやけていて、
まるで世界の輪郭ごと曖昧にされているみたいだった。
「……いさ、ぶろ?」
声を出した瞬間、ドアの向こうから柔らかな足音がした。
「起きたんだね、晴明くん。」
穏やかな声。
けれどその笑みの奥に、どこか張り詰めた色があった。
ワイシャツを脱いだ恵比寿先生は、まるで別人のように見えた。
「ここは……?」
「安全な場所だよ。君を誰にも渡さないための。」
言葉の意味が理解できず、喉の奥がきゅっと締まる。
けれど、伊三郎はゆっくりと近づいて、僕の髪を撫でた。
その手は驚くほど優しく、冷たくもなかった。
「みんな、君を褒めすぎるんだ。
笑顔が素敵だとか、可愛い、優しいだとか……。
僕はそれが、どうしようもなく怖かった。」
「……怖かった?」
「そう。君が誰かに奪われることが。」
静かに吐かれた言葉は、愛の形をしていた。
けれど、僕の胸の奥に刺さるのは恐怖と混乱。
逃げなきゃ――そう思うのに、身体が動かなかった。
「……伊三郎さん、僕、帰らないと」
「ここが君の帰る場所だよ」
その声に、どこか安心してしまった自分がいた。
不安だった世界から切り離されて、
“守られている”ような錯覚が、胸を覆っていく。
時間の感覚はだんだんと薄れていった。
朝と夜の区別が消え、ただ、伊三郎の声と笑顔だけが
世界の輪郭を形作っていた。
ある夜、彼が僕の頬に手を伸ばしながら囁いた。
「君が僕を怖がっているのは分かってる。
でも、それでもいい。
僕は君のすべてをここで、静かに見守っていたいんだ。」
胸の奥が痛かった。
怖い。だけど、苦しいほど優しい。
この腕の中にいると、心が溶けていく。
――どうしてこんなに、温かいんだろう。
「……いさ、、ぶろさん」
「なぁに?」
「僕、もう……どこにも行きたくない」
その言葉が、自然に零れた。
伊三郎の目が、一瞬だけ揺れて、それから深く細められる。
「……嬉しいよ、晴明くん。」
抱きしめられた体温が、息を奪うほどに静かだった。
世界がこの部屋で閉じていく。
でも、もう怖くなかった。
ただこの温もりだけが、真実のように思えた。
「ずっと一緒にいようね。」
その声に頷いた瞬間、
僕の世界は完全に、伊三郎の腕の中で完結した。
―離れたくない。―