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「副社長、そろそろ移動をお願いします」
役員会議の始まる時間から逆算して、真里亜は副社長に声をかけた。
無言で立ち上がる副社長に、ハンガーに掛けてあったスーツのジャケットを渡し、ドアを開ける。
廊下に出ると、早足で先回りしてエレベーターを呼ぶ。
会議室に着くと、必要な資料をデスクに並べながら副社長に説明した。
その後、秘書課の数人と一緒に役員にコーヒーを配りながら、ふと真里亜は副社長の今日の予定を思い出す。
(このあとは、会食や来客が詰まってる…)
そこではお客様に合わせてコーヒーを飲むことになるだろう。
それに先程も飲んだばかりだ。
真里亜は副社長には緑茶を淹れることにした。
やがて会議が始まり、照明を少し落とした会議室でスクリーンを使いながら、役員達の報告やプレゼンが行われる。
真里亜は副社長の斜め後ろの壁際に立ち、様子をうかがう。
時折、副社長がじっと資料に目を落としたまま何かを考え込むのに気づき、真里亜は自分が持っている資料のその部分に印を付けた。
と同時に、常に時間も気にかけておく。
12時半からの会食の約束に遅れる訳にはいかない。
道路の混雑状況もスマートフォンで確認し、頃合いを見て住谷に目配せする。
住谷は頷いてそっと会議室を出て行った。
会議は終盤だが、最後までいたのでは間に合わない。
「副社長、そろそろ参りましょう」
小声でささやき、退席を促す。
エレベーターでエントランスに下りると、ちょうど住谷が車を回してきたところだった。
運転席から降りた住谷が後部座席のドアを開け、副社長が乗り込むと、真里亜は助手席に座った。
ゆっくりと静かに住谷が車を走らせる。
予定通り、約束の10分前にホテルに到着した。
住谷が開けたドアから副社長が降りると、素早く住谷が菓子折りの紙袋を真里亜に渡し、真里亜は先程の会議で印を付けた資料を住谷に渡す。
そして急いで副社長のあとを追った。
約束の時間5分前にフレンチレストランに到着し、スタッフに個室に案内される。
先方はまだ来ていない。
真里亜は副社長に、会食相手の情報を伝えた。
「北野テクノロジーの最近の取り組みやニュースリリースがこちらです。北野社長とは、前回3ヶ月前に会食しましたが、先月のパーティーでもお会いしています」
やがてノックの音がして、二人は立ち上がる。
スタッフに促されて、年配の北野社長が男性秘書を連れて入って来た。
「やあやあ、お待たせしました」
「とんでもない。北野社長、本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」
副社長と一緒に真里亜も深々と頭を下げる。
社長達が握手を交わして席に座ってから、真里亜は男性秘書に歩み寄り、菓子折りの紙袋を手渡した。
「いつもお世話になっております。よろしければ、皆様でどうぞ」
「これはこれは。お気遣いありがとうございます」
そして、失礼いたしますと断って副社長の隣の席に座った。
「文哉くんが副社長に就任してから、業績は右肩上がりだそうだね。就任して、えっと何年になる?」
「2年でございます。まだまだ未熟で至らぬことが多く、ぜひ今後とも北野社長のお力添えを頂けたらと存じます」
「いやー、とんでもない。力を貸して欲しいのはこちらの方だよ。うちは近々、海外にも事業を展開しようと考えていてね」
「はい。そのようなお噂はかねがね。アメリカのテクノロジー会社を吸収合併されるとか」
それは先程、真里亜が伝えた情報だった。
「おおー、もう知られていたとは。さすがだね。そうなんだよ、文哉くん。この件に関しては、我が社では手に負えない部分も出てくる。是非ともAMAGIに力を貸してもらいたい」
「お役に立てるのでしたら、喜んで。詳しく聞かせていただけますか?」
男性秘書が渡してくれた資料を、真里亜もさり気なく横から目で追う。
副社長は資料をめくりながら、北野社長の話を頷いて聞いていた。
「かしこまりました。また改めて弊社の社長からご連絡いたします」
「そうか、ありがとう!良い返事を期待しているよ」
そう言って満面の笑みを浮かべた北野社長は、急に、ところで…と声のトーンを変える。
「先月のパーティーで君に紹介した私の娘なんだけどね。どうだろう?その後、考えてくれたかね?」
「…とおっしゃいますと?」
副社長は首をひねる。
真里亜は隣で焦り始めた。
(これは覚えてないな。きっと先月のパーティーで、北野社長は娘さんを副社長に紹介して、二人をくっつけようとされたはず)
そのパーティーがあった頃は、まだ真里亜は副社長についておらず、どんな様子だったかは分からない。
それでもおおよそのことは見当がついた。
「副社長。北野社長のご令嬢は、とてもお美しい方でいらっしゃいますよね」
微笑みながら控えめにそっと副社長に話す。
すると、北野社長は嬉しそうな声を上げた。
「いやー、そうなんだよ!我が娘ながら、なかなかの美人でね。幼い頃から礼儀作法やひと通りの習い事もさせている。どこに出しても恥ずかしくない娘なんだよ。私の手から離れていくのは寂しいが、娘ももう27歳だ。そろそろ嫁がせた方がいいと思ってね。文哉くんとなら、私も安心して…」
ようやく話の流れが分かったらしい副社長が、顔を上げて話を遮る。
「北野社長。大変申し訳ないのですが、私には将来を約束した相手がおります」
え…!と、一瞬にして北野社長の笑顔が消えた。
「そ、それは、どちらのご令嬢なんだい?」
「ご令嬢ではなく、うちの社員です」
そしてふいに副社長は真里亜に、さちこ、と呼びかけた。
「は、はい」
「話してもいいかな?」
「あ、はい。どうぞ」
(って、何の話か知らないけど)
真里亜が頷くと、副社長は北野社長に向き直った。
「実は、この秘書のさちことは、昔からの知り合いなんです。幼い頃から結婚の約束をしておりまして、私はその約束を守り、いずれ彼女と一緒になるつもりなのです。それに北野社長のご令嬢とあらば、私などではなく、もっとふさわしいお相手がいらっしゃるでしょう。結婚の申し入れをしたいと思っている男性も、多くいらっしゃることと思います。そのような素晴らしいお嬢様と私とでは、畏れ多くてとてもとても…」
「そうか、そうだろうかね?娘はそんなにモテるのかね?」
「ええ。パーティー会場でも、お嬢様は男性陣の注目を一身に浴びていらっしゃいました。一流企業の御曹司も、多数」
よくまあこんなにも淀みなくスラスラと話せるものだと、真里亜はポカンとしてしまう。
結局、北野社長は気分良く持ち上げられたようだった。
「そうか、それならもう一度考え直そうかね」
「ええ、是非」
副社長は、見たこともないような笑顔でにっこりと頷いていた。
無事に会食を終えて住谷の運転する車で帰社すると、真里亜は来客の準備をする。
先方の会社に関する資料を副社長に渡してから、給湯室でカップやコーヒーの用意をしていると、廊下に繋がるドアから住谷が入って来た。
「阿部さん、お疲れ様です」
「住谷さん!お疲れ様です」
「これ、お客様にお出しするケーキです。本日いらっしゃる副社長は女性で、洋菓子がお好きなので、有名店のものを買って参りました」
そう言って、おしゃれなデザインの紙袋を差し出す。
「ありがとうございます!助かります。先程も菓子折りをご準備くださってありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、北野社長との会食におつき合いいただき、ありがとうございました。いかがでしたか?」
真里亜は、北野社長が今後海外にも事業を展開するにあたり、我が社に協力を求めたいと話していたこと、それに対して副社長が、改めて社長から連絡させると答えたことを報告する。
「なるほど、分かりました。社長秘書にもこの話を共有しておきます。それからこれ…」
住谷は今度はファイルに綴じられた書類を真里亜に手渡す。
見ると、午前の会議で真里亜が印を入れて住谷に渡した資料の下に、数枚別の資料があった。
「阿部さんがチェックを入れてあった項目について、担当部署から補足説明を受けてまとめておきました」
「うわー、ありがとうございます!めちゃくちゃ仕事が速いですね、住谷さん」
それにあの資料を手渡した時、多くを説明する時間はなかった。
あとで説明しようと思っていたのに、何も言わずともこちらの意図を汲み取ってくれたことにも驚きを隠せない。
「本当に優秀な秘書さんですよね、住谷さんって」
「それ程でも。阿部さんこそ、いつも細やかな配慮をありがとうございます。秘書課でもないし、ましてや秘書の研修を受けたこともないのに、色々なことに気づけるなんてすごいですね」
「いえ。スケジュール管理や諸々の手配など、お手伝い出来ず申し訳なくて。私に出来ることがありましたら、何でもおっしゃってくださいね」
真里亜の言葉に住谷はにっこり微笑んでから、廊下のドアを開けて出て行った。
住谷がまとめてくれた補足資料に目を通した真里亜は、その完璧さに舌を巻く。
(すごいなあ、まさに仕事が出来る男って感じ)
綺麗に読みやすくまとめられた資料を、早速真里亜は副社長に渡すことにした。
「副社長。こちらは住谷さんがまとめてくれた、午前の会議の補足資料です」
やはりいつもの無反応。
真里亜は副社長のデスクの端に資料を置いてから自席に戻る。
やがてお客様の来訪時間が近づき、給湯室でコーヒーカップを温め始めた。
するとジャケットのポケットに入れてあった仕事用のスマートフォンにメッセージの着信があり、見ると住谷から
『お客様がエントランスにお見えです。これからそちらにご案内いたします』
と送られていた。
きっと住谷自らがエントランスで出迎えたのだろう。
真里亜はまたもやその有能ぶりに感心し、『承知いたしました。ご連絡ありがとうございます』と返信した。
住谷に案内されて入って来たのは、30代と思われる女性の副社長だった。
ブランド物のバッグにアクセサリー、身体のラインが分かるようなタイトなスーツにロングのウエーブヘア、そしてとにかく香水がきつかった。
副社長同士、互いに挨拶をしてソファに落ち着いたのを見計らい、真里亜がケーキとコーヒーを運ぶ。
「失礼いたします」
真里亜がテーブルに置いたケーキを一目見て、その女性は大げさに驚いてみせた。
「まあ!こちらのケーキ、わたくし大好きなんですの。人気店ですぐ売り切れるので、なかなか手に入らなくて。文哉さん、わたくしの為にわざわざありがとうございます!」
「いえ。お気に召していただけて良かったです。さあ、どうぞ」
「嬉しい!ありがとうございます、いただきます」
ネイルを施した長い爪の手でフォークを握り、ひと口頬張ると、美味しーい!と甲高い声で言う。
とにもかくにも、どうやら喜んでいただけたようだと、真里亜はホッとして自分のデスクに戻った。
「それで、本日はどういったご用件でしょうか?いつもは御社の社長とお話をさせていただいておりますが…」
コーヒーを飲んでから副社長が切り出すと、女性はちょっと思わせぶりな笑みを浮かべてケーキ皿をテーブルに置いた。
「いつも父からお話をうかがっておりますわ。文哉さんは、とても優秀なお方だと。それにパーティーでお会いする度に、わたくしも文哉さんのことを素敵な方だと思っておりました」
これは、もしや…と、真里亜はパソコン作業をしながらチラリと二人に目を向ける。
こちらに背中を向けている副社長の様子は分からないが、正面に見える女性の表情は、まさに相手に媚びるようなものだった。
「文哉さん、うちの社との関係をもっと強固なものにしたいと思いません?うちとこちらが手を組めば、この業界では怖いものなしですわ。もちろん世界でもトップクラスになる。いかがですか?」
「それは業務提携ということでしょうか?」
「そうねえ、もちろんそうだけど。はっきり申し上げると血縁関係になるということかしら」
狙った獲物は逃がさない、とばかりにじっと副社長に思わせぶりな視線を向けている。
真里亜は、ひえっと心の中でおののいた。
ドキドキしながら見守っていると、副社長のいつもと変わらない落ち着いた声がした。
「具体的な業務のお話ではないのですね?でしたら、今日はお引き取りください。ご足労いただきありがとうございました」
「え、いえ、あの。もちろん、業務のお話も…」
「そうですか。業務については私が直接、御社の社長とお話をさせていただきます。その方が話が早いですから。あなたももう会社に戻られた方がいいでしょう。副社長でいらっしゃるなら、お忙しいはずですよね?」
あっ、う…と女性は言葉に詰まっている。
「ゆりこ」
立ち上がった副社長が真里亜を振り返る。
「は、はい」
真里亜もすぐさま立ち上がった。
「お客様をお見送りして」
「かしこまりました」
ドアの近くまで行き女性を振り返ると、打ちひしがれた様子でヨロヨロと立ち上がる。
「どうぞお気をつけて」
真里亜の隣で副社長がそう声をかけ、うつむきながら女性がドアを出た時だった。
「頼んだよ、ゆりこ」
副社長が、ドアを開けている真里亜の肩を抱き、耳元でささやく。
だがそれは、すぐ前を通り過ぎた女性にも聞こえる声だった。
「むーーーー!何よもう!あれじゃまるで私が悪者じゃないのよーーーー!」
一人になったエレベーターの中で、真里亜は思わず大声で叫ぶ。
あれから、あのお客様とエレベーターで二人きりになり、エントランスに迎えに来た車まで見送ったのだが、なんともまあ恐ろしい雰囲気だった。
深々と頭を下げ、車が見えなくなると、真里亜はくるりと向きを変えてスタスタとエレベーターに乗り込んだ。
「副社長めー、私をいいように利用して!」
地団駄を踏みそうになるが、エレベーターが揺れて慌ててやめた。
「あー、もうだめだ!あの部屋には戻りたくない!」
確かこの後のスケジュールは、17時まで入っていなかったはず。
思いがけずお客様のお帰りが早くなったこともあり、しばらくは時間がある。
真里亜は副社長室のある最上階ではなく、1つ下の階でエレベーターを降りた。
廊下を進み、吹き抜けの空間が広がるアトリウムラウンジまで行くと、窓の外を眺めながらコーヒーを飲む。
外には青空が広がり、時の流れもゆったりと感じられ、真里亜はようやく気持ちが落ち着いてきた。
ふう…と深呼吸した時、おや?と後ろから声がして振り返る。
「珍しいですね、阿部さんがここにいらっしゃるなんて」
「住谷さん!お疲れ様です」
「お疲れ様です。何かありましたか?」
住谷は、エスプレッソマシーンのボタンを押しながら尋ねる。
「うーん、何かあったというか、いつもあるというか…」
煮え切らない返事をする真里亜の向かい側に、いいですか?と断ってから住谷が座った。
「住谷さん。副社長って、血の通った人間なんですか?」
真顔で聞く真里亜に、住谷はゴホッと咳き込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です、失礼」
肩で大きく息をしてから、住谷は顔を上げた。
「阿部さんは、副社長は人間だとは思えないのですか?」
「んー、生物学的には人間なのでしょうけど、単に同じ部類の生命体としか思えません」
せ、生命体…と、住谷は眉間にしわを寄せて笑いを堪えている。
「住谷さんは?副社長のことを同じ人間だと思えるのですか?」
「うーん、そうですね。私から見れば副社長は、手の届かない程優秀で有能な素晴らしい方です」
え?!と真里亜は驚いて目を見開く。
「う、嘘でしょ?私、唯一住谷さんだけは何でも話せる相談相手だと思って頼りにしてたのに…」
もうだめだ、住谷さんとも話が通じない、と呟くと、住谷は苦笑いした。
「でも阿部さんがおっしゃることも分かりますよ。副社長は、女性が相手となると、途端に態度がおかしくなりますからね。秘書課の女性全員が匙を投げるなんて、よほど重症なのでしょう」
「そうですよね!」
真里亜は、グッと身を乗り出す。
「どうしてなんですか?何か過去に、女性に痛い目に遭わされたことでもあるんですか?」
「いえ、そういう訳ではないと思うのですが。何と言いますか、理解出来ないのだと思います。仕事の話をしたいのに急に言い寄られたり、真面目に話していたはずがいつの間にか結婚がどうのこうのの話になっていたり」
それはまあ、想像がつく。
きっとさっきの女性のような会話の展開が日常茶飯事なのだろう。
「最初はどうにかして上手くあしらおうとしていらっしゃいましたが、ここ最近、特にこの1年は女性に対して拒絶反応を示されるようになってしまいました。どんな相手もシャットアウトして、全く眼中にない感じで」
うんうん、と真里亜は頷く。
「そうなんですよ。私のことも、恐らくお手伝いロボットみたいに思ってるみたいで。住谷さん、いっそのこと、AI秘書にしません?」
は?と住谷が素っ頓狂な声を出す。
「ほら、時代は今AIでしょう?うちの会社だってその分野は得意なんだし。副社長の秘書がAIだなんて、良い宣伝にもなりますよ。開発しませんか?AIの秘書子ちゃん」
しばし瞬きを繰り返したあと、住谷は盛大に笑い始めた。
「ははは!阿部さんって、本当に面白いね」
「どうしてですか?私、大真面目ですよ。だって副社長にとっても、私なんかよりAI秘書子ちゃんの方がいいと思うし」
すると住谷は、急に笑いを収めて真里亜を見つめる。
「阿部さん。実は私は阿部さんに副社長を救っていただきたいと思っているのです」
え?それはどういう…と真里亜は首を傾げた。
「確かに副社長の女性に対する態度は問題があります。ますます酷くなっていくような気もしていました。このままでは阿部さんの言うように、AIの方がいいと思われるかもしれません。ですがそれは困ります。私は副社長に、きちんと人として幸せな人生を送っていただきたいのです。仕事が出来ればそれでいい、という今の考え方では、決して幸せにはなれないと思うからです」
真里亜は、じっと住谷の言葉に耳を傾ける。
「秘書課のメンバーは、全員が無理だと言いました。阿部さん、あなたが最後の砦だと私は思っています。秘書課でもないあなたにこんなことをお願いするのはとても心苦しいのですが、どうか副社長を見捨てないでもらえませんか?」
少し視線を外してから、真里亜は住谷に問いかけた。
「住谷さんは、副社長とはどういう?」
「同級生でした。小学校から大学まで」
「そうだったんですか!じゃあ、子どもの頃の副社長もよくご存知なんですね?」
「ええ。あいつは、あ、いや。副社長は、本当にごくごく普通の明るい少年だったんです。私とも散々バカなことをして笑い合ったり、はしゃいで遊び回ったり」
「へえ、想像つかないです」
「そうですよね。私ですら、今の副社長にはあの頃の面影を感じられません。でも、どうしても諦められないんです。本来の明るい性格を取り戻して欲しいんです。己を犠牲にしてまで仕事をするあいつが、身体と心を壊す前に」
そう言って、ふっと自嘲気味な笑みを浮かべる。
「まあ、これは単なる私のエゴなのでしょうけどね」
「住谷さん…」
ポツリと真里亜が呟くと、住谷は吹っ切れたように顔を上げた。
「すみません、こんなお話をしてしまって。阿部さんにまで重荷を背負わせるようなことを言ってしまいましたね。どうか忘れて下さい」
それでは、と住谷はいつもの優しい笑顔を浮かべてから去って行った。
(知らなかったなあ、住谷さんの気持ち)
エレベーターで最上階に上がり、副社長室に向かいながら真里亜は住谷との会話を思い出す。
(副社長も、根っからの女性嫌いじゃなかったのか。少しずつ変わってしまったのかな。本来はどんな性格なんだろう)
副社長の素顔を自分も見てみたいな、と思いながら部屋のドアをノックして中に入る。
その途端、ガタッと副社長が立ち上がって鋭い声で聞いてきた。
「遅い!何をやっていた?」
はあ…と真里亜はため息をつきそうになる。
(前言撤回!やっぱり血も涙もないのね、この鬼軍曹!)
心の中で悪態をつきながら、不機嫌な声で答える。
「ラウンジで休憩しておりました。勝手に申し訳ありません」
怒るならご自由にどうぞ!と思っていると、予想外にホッとしたような声が聞こえてきた。
「そうだったのか」
ストンと椅子に座り直した副社長に、真里亜は、ん?と首を傾げる。
「副社長。私がどこにいると思っていらっしゃったのですか?」
「あ、いや。先程の女性客を見送りに行ってなかなか帰って来ないから、もしや彼女に何かされているのかと…」
「え?」
(それって、もしかして私のことを心配してくれていたとか?)
住谷の言葉が頭の中に蘇る。
『本来の明るい性格を取り戻して欲しい』
ほんの少しだけ、副社長の素顔が見られた気がして、真里亜はふふっと微笑んだ。