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かんな
あかね ♛❤️♛
生姜焼きとスープは、思ったよりずっとおいしかった。
普段あまり意識しないけれど、やっぱり疲れた体には塩気が嬉しい。豚肉を焼く匂いが部屋に広がったあたりから、もうお腹の虫をごまかしていられなかった。
食べ終わって、洗い物を済ませる。
蛇口から流れる水の音と、スポンジが皿をこする感触が妙に落ち着いた。こういう単純な作業をしていると、一日が終わっていく感じがする。昼間の喧騒も、直樹や里奈からの連絡も、少しずつ遠くなっていった。
それで、たぶん気が抜けたのだと思う。
お風呂に入る前に、少しだけソファで休むつもりだった。本当に少しだけ。そのつもりだったのに、気づけば首がかくんと落ちていた。
目を閉じていただけのつもりが、そのまま眠ってしまっていたらしい。
そう気づいたのは、頬にやわらかい布が触れたからだった。
重たいまぶたをどうにか開ける。
ぼやけた視界の先に、まず天井が見えた。次に、黒い髪。いや、ウィッグだろうか。見慣れた輪郭が、その向こうにあった。
ナオミさんだ。
そう思っただけで、変に安心してしまう。
でも、身体はまだ重くて、うまく起き上がれない。
「……なに、こんなところで寝てるのよ」
呆れたみたいな声が落ちてくる。
いつもの調子なのに、少しだけ掠れて聞こえた。帰ってきたばかりなのだろう。近くに立ったナオミから、夜の外気と香水の残りがふわりと混ざって漂う。
穂乃果は毛布の端を指先で少しだけ掴んだ。
「……帰ってたんだ」
自分でも驚くくらい、とろんとした声だった。
起きるつもりで肘に力を入れかけたのに、その前に頭にそっと手が乗る。
「いいから、そのまま寝なさい」
指先が、髪をやさしく梳くみたいに動いた。
子ども扱いみたいで、少し癪だ。なのに嫌じゃない。嫌じゃないどころか、その手が離れたら困る気さえする。
「……お風呂、入ってない」
かろうじて出た言い訳に、ナオミは小さく笑った。
「そんなの、起きてからでいいでしょ」
「でも」
「でもじゃないの」
ぴしゃりと言うくせに、撫でる手はやさしいままだ。
ずるい、と思う。そういうことを無自覚でやるから、ずるい。
「生姜焼き、あるから」
半分眠ったまま口にすると、ナオミの手が一瞬だけ止まった。
「……は?」
「食べたくなかったら、別にいいけど」
そこまで言ったところで、自分が何を言っているのか少し遅れて分かった。眠い頭でも、さすがに恥ずかしい。
穂乃果は毛布の端を鼻先まで引っ張って、小さく身を縮めた。
「なにそれ。寝ぼけながら世話焼いてんの?」
笑い混じりの声だった。
からかわれているのは分かるのに、不思議と嫌な感じはしない。
「別に……自分が食べたかっただけ」
「はいはい」
どうでもよさそうに返したくせに、ナオミの手はまた穂乃果の頭を撫でた。
その動きがあんまり自然で、穂乃果は文句を言う気力をなくす。
目を閉じる。
指先の熱が、髪からじわじわ落ちてくるみたいだった。
「ちゃんと寝なさい、穂乃果」
低い声で名前を呼ばれて、胸の奥が小さく跳ねる。
返事をしたかったのに、もう口が動かなかった。
撫でられるたびに、意識がゆっくり深い方へ沈んでいく。
最後に額をひとつ撫でられた気がして、穂乃果はそのまま何も考えられないくらい深い眠りへ落ちていった。
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