「この要塞、エルモールの避竜宮に似ていると思わない?」
ソラマリアではなく窓の外を眺めながらレモニカは言った。念視の魔術の練習の帰り道、要塞の北側の通路でのことだ。窓の外には北海が広がっているが、レモニカの視線はその手前、虚空へ張り出した断崖と城壁の間の野原に向けられている。そこには灯台を兼ねた見張り台が建てられていた。
「お気づきですか。構造はまるで違いますが、意匠はそっくり同じです。もはやお忘れになられたのかと」
エルモールの避竜宮はレモニカの育った城だ。人を隠すには最適の霧深いエルモールは元々ヴェガネラの所領であり、今はラーガが引き継いでいる。
「外から見たことはほとんどないし、内で見られるところも限られていたし。でもこの景色はあの庭園にどこか似ているわ」
ソラマリアも窓から視線を落とすが共感しなかった。花壇も四阿もない。ただ壁と壁に挟まれている寂びれた原っぱというだけだ。秋冬はこのような印象だったかもしれないが、ソラマリアが覚えているのは青々とした庭木と華々しい花壇だった。
「ラーガ殿下もあの城を気に入っているのかもしれません」
「わたくしは別に気に入っていないけど、時折誰かと庭園を訪れては話し込むお兄さまのことは憧れていたわ。姉だと思っていたけれど」
「密談に利用されていたようですね」
「愛を誓っているのでは、と心ときめいたものだけど、忠誠を誓っていたのでしょうね」
「一時は政争に明け暮れていましたから」
特にヴェガネラ王妃が身罷った直後は内戦もありうると囁かれたことをソラマリアは思い出す。当時は茫然自失していたソラマリアだが、後に聞いたところによるとソラマリアの処遇もまた政争の種だったのだという。レモニカの乳母兼家庭教師に収まったのはラーガの辣腕によるところが大きい。
二人は窓辺を離れ、帰途に戻る。
「政争というとリューデシアお姉さまは大丈夫なのかしら。このまま大王国に帰って居場所はあるの?」
「すんなりとはいかないでしょうね。かといって、ではどうなるかというと状況が特殊過ぎますから、何とも言えません。王女として遇されるか聖女として処分されるか」
どういう事情があろうとも、長年敵対している東側諸国の中心国家シグニカの頂点に立っていたのだ。今ここで共に過ごしているほとんどの戦士の警戒心は隠されてもいない。それはレモニカに対しても同じだが、呪いのために長らく隠匿されていた物語はある程度説得力を持って浸透しており、リューデシアに比べれば受け入れられているようだった。当のレモニカには今のところ大王国へ帰るつもりがないが。
「見つけた!」と廊下の端から声を張り上げたのはリューデシアだ。「探したんだよ。朝からずっと見かけないから出て行っちゃったのかと思った」
「何か御用ですか? お姉さま」と駆け寄ってくるリューデシアにレモニカが答える。
「ううん。ソラマリアにね。ねえ、決闘しない?」
失礼は承知でソラマリアは溜息をつく。
「軽々しく吐いていい言葉ではありませんよ。リューデシア様。特に大王国においては」
「私にとっては大ごとだよ。負けられない戦いだから」
「一体何を賭けて戦うというのですか?」
「その名もお姉ちゃん対決!」リューデシアは満面の笑みで宣言した。
混乱しているのはソラマリアやレモニカばかりではない。決闘と聞いて集まってきた戦士たちもだ。なぜ聖女アルメノンであったリューデシア王女とレモニカ王女の騎士ソラマリアが決闘をするのか。お姉ちゃん対決とは何なのか。知る者は一人を除いていなかった。
要塞内の広場には戦士たちや使い魔たちが集まっており、対峙するソラマリアとリューデシアを囲んでいる。
「そろそろ聞かせてもらえますか?」とソラマリアは対戦相手に尋ねる。「お姉ちゃん対決とは?」
「もちろんどちらが姉か決める戦いだよ。我らの母ヴェガネラは貴女を娘として迎え、兄妹に与えられたものと同様の加護を授かったことは周知の事実」
ではなかった。今初めて知った戦士たちがどよめいている。今周知したのだ。
「リューデシア様が三つほど年上のはずですが」
「そうじゃなくて、どちらがレモニカの姉に相応しいか、という話だよ」
ソラマリアにとっては恐れ多い話だ。ヴェガネラ王妃に娘のように思ってくれていた事実は喜びの方が勝っているが、彼ら兄妹の兄弟姉妹になりたかったわけではないからだろう。
「私の方に戦う理由がありません」
「妹を騎士にするわけにはいかないからね。負けたなら貴女を私の親衛騎士に誘うのはやめにする」
「姉とて同様だと思いますが。決闘とは一体、何をするのですか?」
悪ふざけにしか思えない。そもそもリューデシアに人事権などない。ソラマリアはリューデシアの真意を測りかねた。
リューデシアは戦士たちの輪に近づき、一人の戦士に微笑みかけて一振りの剣を借り受ける。そうして改めてソラマリアと対峙した。
「殺し合い以外にある?」
それでもまだ本気だとは思えていなかったソラマリアにリューデシアは斬りかかる。咄嗟に剣を抜き放ち、リューデシアの刃を受け止める。鍛える者に鍛えてもらったばかりの剣は鏡面の如く磨き上げられており、散った火花も対峙する二人の顔貌も曇りなく映し出していた。
幼少の頃に少なからず剣技を教わっているレモニカよりも鈍い太刀筋だ。本気で戦うならば結果は明らかなこの決闘の行く末を、ライゼンの戦士たちは興味深く見守っていた。つまりソラマリアがどう判断し、対処するか、に対する興味だ。
仮にまともに喰らったとしても傷つかないのではなかろうか、とさえ思えるリューデシアの剣をいなしながら、ソラマリアは考えを巡らせる。が、いくら考えてもリューデシアが何をしたいのか、何を求めているのか、まるで分からない。
「本気でやってくれないの!?」とリューデシアが叫ぶ。
「当然でしょう。理由がありません」
「ならいいよ。一太刀でも浴びせられたら私の負けで。貴女なら出来るでしょう?」
戦士たちから失笑が漏れる。当然だ。決闘の最中に規則を変えるなど聞いたことがない。ただでさえ不審がっている元聖女に対するライゼンの戦士たちの感情に侮りが加わる。
だがソラマリアとしてはやりやすくなった。不格好な結末だが、剣の腹か鍔、柄を打ち据えれば終わりだ。
今まで一歩も動いていなかったソラマリアが歩を進める。一方それまで果敢に斬りかかっていたリューデシアは後退を強いられた。どのような剣も弾かれ、大きく仰け反らせられる。
隙は多々あるが大きな傷を負わせずに一太刀浴びせるとなると絶妙な力加減が求められる。ソラマリアは真剣の殺し合い以上に神経を研ぎ澄ませ、その時を見極める。と、同時にその瞬間を待っていたかのようにソラマリアが想定していた以上の速さでリューデシアが飛び掛かる。今までの鈍間な立ち合いは全て演技だったのだ。とはいえ人並み以下の攻めにソラマリアが防ぎきれないはずも無かった。
だが、上手く跳ね除けることもできなかった。ソラマリアの剣がリューデシアの心臓を深々と貫き、剣先と共に背中から血が噴き出す。リューデシアの鮮血が迸り、戦士たちはどよめく。レモニカの悲鳴が遠くに聞こえる。
「なんという無茶なことを……」
「さすがだね、ソラマリア。私の負けだよ」そう言ってリューデシアはソラマリアの両肩を押して体を離し、剣を引き抜く。そして戦士たちに向かって声高らかに宣言する。「一太刀をもって勝負は決した! これなるは決闘の勝者、ソラマリア! 私と我が兄ラーガ、そして我が妹レモニカと同じく王妃ヴェガネラより神聖なる加護を賜りし者。私はこれを我が妹と認める! 異論ある者は申し出よ!」
戦士たちはただ黙ってリューデシアの赤く染まった胸を見つめていた。既に流血は止まっている。これこそが不死に近しい祝福、雷神ヴェガネラの加護だ。
「私の勝ちなら、リューデシアの騎士になるという話も無しだな」
リューデシアはくすくすと笑い、しかし寂しそうに答える。「そんな話もあったね」
レモニカの元に戻ると、その顔は胸に穴が開いた者よりも血の気が引いていた。
「お姉さまはソラマリアを皆に認めさせるために一芝居打ってくれたの?」
「そうかもしれませんが、自身を認めさせる芝居でもあったのでしょう」
もはや戦士たちの誰も、敵国の首領を見る眼差しをリューデシアに向けてはいない。
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