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変わらない幸せな毎日が続く中で、セイロスが人間の男ミュホと恋に落ちた。仕事の関係上人間とよく関わるレナトゥーレは、人間の醜い部分を数多く見てきたために、セイロスを心から祝福する気にはなれなかった。
けれど、初めて見る恋をしたセイロスの笑顔がとても眩しくて、レナトゥーレは人間だからと種族だけで否定することはしない。
天人族の中にもレナトゥーレを虐げた者と、愛情を注いでくれた者がいる。
だから、レナトゥーレは笑顔でセイロスを祝福したものの、レナトゥーレはセイロスの恋人を疑い警戒していることは隠さず伝えた。
“敵か味方か見定めさせて欲しい”と願い出たレナトゥーレに、セイロスは気分を害することなく話を聞いてくれる。
レナトゥーレの生い立ちを知っているからこそ、セイロスは受け入れてくれるのだ。
セイロスは一緒に暮らしているミュホに包み隠さずレナトゥーレのことを伝えた。
過去に色々あって他者を信用できないこと、仕事の関係上人間についてよく思っていない部分もあること、けれど二人の関係を否定しているわけではないこと、レナトゥーレの心根はとても優しく誠実で繊細なこと、恋人である彼をレナトゥーレが受け入れられるように、時間が欲しいことなどを丁寧に説明した。
それで安心して貰えるならとミュホも快く承諾したが、初めてレナトゥーレと対面した時は恐怖を感じた。
自分よりも大きな身長に、切れ長の目と無表情な顔は、警戒されていると分かっているからこそ、とても恐ろしく見える。
手土産持参で丁寧に挨拶してくれたものの、声に抑揚が感じられず、瞳も冷たく、親しみを持っているようでもない。
ビクビクしていたミュホにセイロスは苦笑いをしながらも間に入ってくれた。
レナトゥーレ本人もまた、怯えさせてしまったことに対する謝罪と、できるだけ嫌な思いはさせず、傷付けることもしない。そして、レナトゥーレが納得できなかったとしても、決してセイロスから無理矢理引き離すような真似はしないことなどをミュホに誓う。
無表情で感情を感じさせない声色と瞳はとても恐ろしく見えるものの、丁寧な言葉遣いや仕草は相手を気遣っているのが伝わってくる。
ほんの少し肩の力を抜いたミュホを見て、レナトゥーレもまた緊張が僅かに緩んだ。
レナトゥーレは彼を信用できず警戒しているものの、自分のせいでセイロスと彼が別れたらと恐れている部分もあった。
そんなレナトゥーレの心情を読み取ったセイロスは思わず吹き出した。
クスクスと笑うセイロスに不思議な表情を向けるミュホ。
初めて会った日は三人で少しお茶をしただけですぐレナトゥーレは帰っていった。
最初はただ顔を見るためと挨拶をしておくために、元から長居するつもりはなかったようだ。
初対面でいきなりずっと監視されるような真似はセイロスの恋人も落ち着かないだろうし、恋人なのだから二人で居たいだろうと気を利かせたから、レナトゥーレは早くに帰ったのだと後からセイロスに説明されてミュホは知った。
あまりに見た目と印象が違うものだから、思わずミュホはそのことをポロッと零してしまう。
隣に座っていたセイロスはそれを聞いて少し悲しそうに微笑んだ。
あれでも昔よりずっと表情が豊かになっているのだと静かに語るセイロスに、ミュホはただ黙って聞いていた。
天人族は他種族が来れないように切り立った山の山頂で暮らしている。
翼での移動が必須なため、人間であるミュホに合わせてセイロスは地上で暮らしていた。
ミュホもまた天人族であるセイロスに考慮して、人里離れた山奥に二人で住んでいる。
そんな二人の家にレナトゥーレは度々会いに来た。
毎回必ずと言っていいほど手土産を用意してやってくるレナトゥーレは、基本的には短時間しか滞在しない。
時々、セイロスが用事で居なくなる場合はセイロスが帰ってくるまで滞在している。
ミュホが退屈しないようにか、レナトゥーレは仕事先で見てきた様々なことを語ってくれた。
ただ淡々と、まるで報告書を読み上げるかのように語るレナトゥーレの話は方は、決して面白いとは言えないものの、田舎から出たことのないミュホにとっては心躍るような話ばかりだった。
また、セイロスに気遣ってなのかレナトゥーレは一定の距離を常に保ってミュホと話をする。
試しにミュホからレナトゥーレへと近付いてみれば、レナトゥーレがミュホから距離を取る。
少し面白くなったミュホがジリジリと近付けば、レナトゥーレもまたジリジリと逃げる。
そうした攻防を繰り返しているときにセイロスが帰ってきて笑われたのは、レナトゥーレにとっていい思い出だ。
ミュホにとっては、そのとき初めてレナトゥーレの笑顔を見た瞬間だった。
目元を和らげ、口角を僅かにあげただけの微笑みだったが、それがレナトゥーレの心からの笑顔なのだとミュホは感じた。
いつからかレナトゥーレはミュホを家族として受け入れ接するようになった。
それがいつからだったのかと聞かれれば、ミュホにも分からないものの、いつの間にか自然と輪に入れてもらえているのだと感じた。
警戒する必要がなくなって、もう会ってもらえないのかなと考えていたミュホだったが、それ以降もずっとレナトゥーレは休みができる度に会いに来きた。
それはセイロスとミュホが正式に結婚するまで続いた。
神に仕える者たちの階級は、上級、中級、下級に別れ、その中でも一から十の序列で分けられている。
上級の一位から五位までの限られた者にしか知らされていない、二人が結婚する少し前、神々がざわついた天人族の行方不明事件。
そのときはただ一人と連絡が取れないだけで、あまり大事にする必要もなく、上級一位であるレナトゥーレが駆り出されることもなかったが、二人が結婚したあたりから人間の元で暮らしていた天人族の何人かがさらに行方不明になり、また下級である階級持ち天人族の消息が掴めないと騒ぎになり、原因解明のためレナトゥーレは多忙を極めた。
結婚するまでの間は高頻度で二人の元へ通っていたのと、新婚であることも踏まえて、レナトゥーレは意図して二人には会いに行かず、休み返上で調査に飛び回る。
かつてのレナトゥーレならば、幸せの歯車が狂い始めていることに気付けたのだろうが、祝事に浮かれ、八歳以降は幸せな微温湯に浸かり続け平和ボケしたレナトゥーレには、迫り来る残酷な闇に気付くことができなかった。
天人族の中には、翼を隠して容姿を偽装し、他種族に紛れて暮らしている者も多く存在する。
天人族の産まれ持つ神力は、階級持ちにならなければ里以外の場所で扱うことはできない。
意図して武芸を極めた天人族以外、里の外では人間と同じように無力だ。
世界で一番大きな大陸にある人間の帝国の皇帝が首謀者だと分かっても、すぐにどうにかすることはできない。
天人族もまた世界の秩序を乱しかねない存在であるからこそ、容易く動くことができないのだ。
休みを返上で首謀者まで突き止めたレナトゥーレは、仕える神に無理やり休みを取らされ暇になった。
久々に二人に会いに行こうと、先に実家に顔を出してから手土産を持って二人の住む森へと向かった。
美しい湖の近くに木で作られた小さな家は、レナトゥーレにとって、どんな場所よりも落ち着けるところだ。
自然の音や森に住む生物の声に耳を傾けながら、セイロスとミュホが楽しそうに話す声を、お茶でも飲みながら聞く。
時々、仕事で疲れていてソファで仮眠を取らせてもらったりしていたレナトゥーレは、何よりもその時間が大好きだった。
二人の幸せそうな笑い声が聞こえる家で微睡む時間は、どんなものよりも大切に思える。
この場所を守らなければと、レナトゥーレは薄れゆく意識の中で、心に誓う。
目を逸らしたくなるような光景に、レナトゥーレはその場で立ち尽くした。
あの幸せな時間を過ごした場所は炎に包まれたらしく、灰色の世界が広がっている。
最悪な可能性を否定したくても、中央に僅かに残る木の残骸が、その場所に間違いなく家があったのだと証明している。
何が起きているのか、レナトゥーレには分からなかった。
理解するのを拒むように、レナトゥーレはしばらく唖然と残骸を見つめる。
降り出した雨と空を走る稲妻の音に、ようやっとレナトゥーレはセイロスとミュホが襲撃されたのだと理解した。
行方不明事件について、まだ詳しいことが分かっていない以上、帝国に深入りするなと命令されていることも忘れて、レナトゥーレは無我夢中で帝国を目指した。
このときほど、歪んでいる翼で産まれたことを後悔したことはない。
まだ残る理性が、帝国に正面から喧嘩を売るような真似はするとレナトゥーレを落ち着かせる。
先に二人を見つけ出すべきだと判断したレナトゥーレは、神力を駆使して帝国の宮殿へと忍び込む。
天人族が持つ神力の気配を辿って地下施設のような場所を見つけ出したレナトゥーレは、迷いなく中へと踏み込んだ。
施設の中に広がるあまりの惨状に、レナトゥーレは言葉を失う。
沢山の檻に収容された天人族たちには両翼がなく、人によっては手足がなかったり、両目をくり抜かれていたり、鼻につくような薬品の匂いを纏ながら廃人のようになっている者もいた。
髪の長かった者は短く切り取られたようだ。
レナトゥーレの存在に、収容されている天人族たちは気付いているはずなのに、誰も言葉を発することも、反応を示すこともない。
それが何を指しているのか、レナトゥーレはすぐに理解した。
早足で歩き正気を保っている同胞を探すレナトゥーレだが、全ての檻を見終えても、誰一人としてレナトゥーレへと視線を向ける者はいなかった。
隅々まで見終えたはずなのに、セイロスとミュホの姿だけが見つからず、レナトゥーレは僅かな希望を抱く。
あのような悲惨な状態になっていても、二人は無事に逃げられたのではないかと。
色々な思いをグッと堪えたレナトゥーレは、帝国に侵入したのだからと、隅々まで調べあげることにした。
あまり隠密には向かない天人族だが、何とか見つかることなく調べ終えたレナトゥーレは、最後に皇帝の執務室へと向かう。
そこで見つけた隠された秘密の扉に、レナトゥーレは嫌な予感を覚えた。
そんなはずはないと思いながら、地下へと続く階段を降りる。
重厚に封鎖された扉を前にして、レナトゥーレは動きを止めた。
すぐに扉を開ける勇気が、レナトゥーレにはなかった。
だが、時間が無限にあるわけでもなく、レナトゥーレは覚悟を決めて扉を開く。
窓もない全て石でできた閉鎖空間で、レナトゥーレは目的の二人を見つけた。
鎖で壁に張り付けられたセイロスと、セイロスの足元に転がるミュホ。
こちらを睨み付けるように見ているセイロスの目は空洞で、両の目からは血の涙が流れている。
思わずレナトゥーレの体が震えてしまうほど、憤怒と怨恨に満ちた表情でセイロスは息絶えていた。
両翼がなく、手足は斬り落とされ、目玉を抉られ、痛めつけられたような跡が体のあちこちにあり、また明確に意図して小さなナイフで切られたような跡もある。
天人族の力を欲した人間の、身勝手な人体実験や解剖の被検体にされたのだと、一目瞭然だった。
セイロスの足元に転がされていたミュホの腹が、不自然に膨らんでいる。
ミュホはセイロスと違い人族だからなのか、明確に解剖されたような後は全くないものの、暴行を受けたようで至る所に痛々しい傷跡が残っている。
開いたままの目は虚ろで、感情を削ぎ落としたような無表情な姿は、レナトゥーレの知るミュホからかけ離れている。
腹に宿る子がセイロスとの子ではなく、性的暴行によって宿ってしまった命なのだと、レナトゥーレは理解してしまった。
腹の子が僅かに動いた気配がした瞬間、レナトゥーレの意識は闇に呑まれた。